第十一章 滅ぼさんもの

砂漠の遺跡

 マンガスはウネンを麻袋のように肩に担ぐと、あっという間に大広間の喧騒を抜け出した。

 ウネンは必死で両足をばたつかせた。マンガスの背中をこぶしで叩きまくった。身体はマンガスによってがっちり押さえられているし、声を上げようにも激しい揺れのせいで舌を噛むばかりで、ウネンには他にできることがなかったのだ。

 マンガスが一歩進むたびに、衝撃がウネンの腹部を圧迫する。あがけばあがくほど、疲労感が身体を蝕んでゆく。

 ウネンは一旦暴れるのをやめた。このままむやみに体力を消耗し続けるよりも、状況を見極めて隙を窺ったほうがいい、とようやく気がついたからだ。

 瞼の開閉は判別できるようになってきたものの、まだまだ視力は戻らず、ここが建物の中だということぐらいしか分からない。規則的な振動、上下動。身体から直接伝わってくる苦しそうな呼吸を聞くに、どうやら彼は長い階段を上り続けているようだ。外に出たようには思えなかったから、ここは四つほどある主館の塔のうちのどれかなのだろう。

 逃げるでなく、こんな上階へとウネンを担いで上がって、マンガスは一体何をする気なのか。先刻の謁見の間では、兵士達に「ウネンは殺すな」と指示していたけれども、この先もウネンの命が保証されているとは限らない。ウネンは不安のあまり胸元の留め具を握り締めた。呪符も無ければ杖も無い、こんな頼りない状況で、一体自分に何ができるのだろうか、と。

 ほどなく、マンガスの足が止まった。

 木の扉が軋む音がして、視界がみるみる明るくなってゆく。爽やかな風がウネンの頬を撫でたかと思えば、再びマンガスの身体が大きく揺れた。疲れきった足取りで、一歩、二歩。三歩目のところでウネンはごろりと硬い床の上に転がされた。

 マンガスの足音が後方に走り、今度は別な扉がひらく音がした。今入ってきた扉よりも幾分軽い、おそらく戸棚か何かの扉の音。引き出しを次々と引っ張り出しては、何かをがさごそと漁る気配。

 その場に慎重に立ち上がったウネンは、ゆっくりとぐるりを見まわした。

 日の光が靄を払うように、次第に物の輪郭が明瞭になってくる。

 窓から降り注ぐ柔らかな日差し、石積みの壁、美しい海の風景が織られたタペストリー。壁に沿って、古めかしい木の扉、本棚、衣装戸棚。戸棚の前でせわしなく動くマンガスの背中、その周囲に転がる小瓶や木札。更に首を巡らせば、暖炉、書き物机、二つ目の窓。そして窓際の寝台に、ぽつんと座る頼りなげな人影が見えた。

 まさか自分とマンガスの他にここに誰かがいるなんて、ウネンは思ってもみなかった。驚きのあまり息を呑み、大きく一歩あとずさる。

 人影が微動だにしないのを見てとり、ウネンはおそるおそる寝台に歩み寄った。

 それは、若い女性だった。

 緩やかに波打って胸元に落ちる栗色の髪、白磁の肌に絶妙な弧をえがく眉、宝石のような碧の瞳、薔薇の花びらのごとき唇。

 まるで人形のようだ、とウネンは思った。人形のように整っていて、美しくて、そして、生気が感じられない。本来ならばとても魅力的に見えよう大きな瞳も、どこまでも虚ろだ。

 寝台脇の小さな台には、幾つもの青が並んでいた。青玉、水宝玉、瑠璃、菫青石、藍晶石、さまざまな色味の青い宝石に混じって、目が覚めるような青色のガラスで作られた花の髪飾り。

『この青いガラスで髪飾りを作ってくれないだろうか』

 数日前にガラス工房で聞いた会話を思い出し、ウネンは再度その女性の顔を覗き込んだ。

『髪飾り、ですか。誰かへの贈り物ですか?』

『妻にね。彼女、この色がとても好きなんだよ』

 表情がもたらす印象をできるだけ排し、その造作だけを拾い上げれば、確かにこの眉と鼻筋には彼の面影がある。

「まさか……ソリルさん……?」

 震える声でウネンがモウルの姉の名を囁いた途端、女性が僅かに顔をウネンに向けた。

 碧い瞳にウネンの姿が写り込む。

 次の瞬間、内と外が、が、ぐるりとひっくり返った。

 

    * * *

 

 気がつけば、ウネンは一面の砂の中に立っていた。

 いや、ウネンではない。風が砂を舞い立たせると同時に、栗色の髪がふわりと視界にかかる。風に踊る髪を押さえる手も、そして何より視線の高さも、ウネンのものとはまったく違う。

「まるで、防砂堤だなあ」

 すぐ右手で聞き覚えのある声がした。声のほうへと視界が動き、目陰まかげの下で目を細める青年の姿が見えた。風にそよぐ短髪は、一切の光を映さない黒。どこかで見たことがある顔のような気がするが、どこで見たのかウネンはすぐには思い出せない。

 青年の視線を追うようにして、再びウネンの――ウネンではない誰かの――視界が動く。

 紺碧の空の下、丘をくだった先に小さな町が見えた。日干しレンガで作られた家々が身を寄せ合うその向こう、大きな岩山が横たわっている。

「だから、邪竜じゃなくて聖竜なのね」

 ウネンではない誰かが、栗色の髪を押さえながらしみじみと呟いた。

 よく見れば、岩山に思えたものは巨大な建造物だった。あちこちに泥がこびりつき、砂がたまり、ごつごつとした輪郭となっているが、ところどころに、自然が作ったとは思えない暗灰色の滑らかな曲面が見てとれる。長い年月の間、風雨に晒されたせいだろう、外装が崩れてしまったところからは、木材ではない、何か金属かねで作られたと思しき形状の骨組みが顔を覗かせていた。

「自分達から楽園を奪い取った諸悪の根源、邪竜の遺跡、と忌み嫌っておきながら、都合のいいところだけは利用させてもらおう、ってことか。ちゃっかりしているなあ」

 青年のぼやきに、ウネンではない誰かが朗らかに応える。

「でも、この環境じゃあ無理もないわよ。この町が砂漠に呑み込まれずにいられるのは、この船のお陰だもの。邪竜だって聖竜に出世するでしょ」

 船。ああそうか、これは、例の大昔に作られたという空を往く船なのだ。

「それにしても、二千年も前に打ち捨てられたものが、何の手入れも無しにここまで原形を保っているとは驚きだ」

「この辺は雨が少ないからかしら。半分砂に埋もれてしまっているのも、風化が遅れた一因かも……。ああでも、ここまで脆くなってしまえば、今度は逆に砂の圧力に負けてしまうわね。もう数年も待たずに瓦礫の山になってしまいそう」

 来てよかったわ、と、嬉しそうな声が零れ落ちる。

神庫ほくらの書庫でカフタスの遺跡の報告書を読んでから、ひと目見たくて仕方がなかったのよ。ほら、だって、里のは見取り図から外見を想像することしかできないんだもん」

「まったく、君って人は。『ひと目見たくて』ってだけで、こんな遠い所まで来るかねえ」

「あら、エレグは見たくなかった?」

 誰か、の口からその名が飛び出した瞬間、ウネンは悟った。今、自分が見ているものが何であるかということを。

「僕が喜んでいないように見えるかい? それに、たとえ地の果てだろうと君に付き合うって言ったろ。この命ある限り」

 マンガスと名乗る以前のエレグが、を風になびかせて幸せそうに微笑む。

 これは、ソリルさんの記憶なんだ。ウネンは奥歯を噛み締めた。

 

 船の両端――どちらかが船首でどちらかが船尾なのだろう――は、既に大きく崩れており、押し寄せる砂の山に埋もれてしまっている。その向かって右側の端にほど近い所に、船体にへばりつくようにして木の櫓が作られていた。

 この地方では木材は貴重品のはずなのに、なぜこんなところにわざわざ櫓や足場を作らねばならなかったのか。エレグが呈した疑問を受け、ソリルが即座に遠眼鏡を取り出す。

 なだらかな曲線をえがく船の稜に、小さなほこら――神庫ほくらが鎮座していた。木の足場は、その神庫ほくらへと続いているのだ。

「聖竜を祀っているのね」

 神庫ほくらに上れるかしら、と、坂をくだろうとするソリルを、エレグが押しとどめた。

「思った以上に崩壊が進んでいるようだ。あまり近づかないほうがいい」

「あ、でも、ほら、あそこ」

 ソリルが指差した先には、遺跡を目指して早足で歩いている二つの人影があった。ソリル達よりも少しだけ歳上に見える男女二人が、思い詰めたような表情で遺跡に近づいてゆく。女性は籠を、男性は水袋を持ち、二人とも毛布を折り重ねたもので頭を守っている。

「あんな毛布で何ができるっていうんだ」

 エレグの呟きを最後まで聞かずに、ソリルが斜面を駆け下り始めた。

「あっ、おい、ソリル、危ないぞ!」

「大丈夫、あなたがいるもの」

「魔術は万能じゃないと言ってるだろ! それに、こんな水の少ない場所じゃ僕の術なんて……」

 そうぼやきつつも、エレグはソリルのあとをついてくる。

 先を行く二人組にソリル達が追いついた時、前方の崩れた船の外装の奥で何かが動くのが見えた。

「母ちゃん、父ちゃん、その人達は誰?」

 それは、一人の子供だった。

 

 籠を下げた女性――子供の母親――が涙ながらに語るところによると、事は十日前、危ないから近づいてはいけないと言われていたにもかかわらず、八歳になる息子が友人達と聖竜の遺跡に度胸試しとやらで入り込み、天井が崩れて彼一人が閉じ込められてしまったのだそうだ。以来、大人の腕が辛うじて通るだけの隙間から、両親がこうやって毎日水と食料を渡すことで、子供はなんとか命を繋いでいるとのことだった。

 町の広場で不幸な両親の話を聞いていたソリル達の周囲に、次第に人が集まってくる。そのうちに、彼らは口々に手詰まりな状況を語り始めた。

 崩れた瓦礫を取り除けて救出しようとしたが、すぐに新たな崩落が起きて断念せざるを得なかった。横の壁に穴をあけるのも、同様の理由でもってのほか。段々子供は弱ってくるし、そもそも遺跡の傷みが激しくて、子供のいる場所もいつ崩れるか分からない。

「旅の魔術師様、なんとかならんもんですかね」

 日焼けした肌に真っ白な顎髭を生やした町長まちおさが、すがるような眼差しをエレグに向けた。

「僕の神は水神なのでね。水を凍らせて壁が崩れないように固めるぐらいしかできない。それに、実行するにしても、子供や救助する人々の安全を確保するには、かなり広い範囲にちからを及ぼさなきゃならないだろうから、僕一人では無理だと思う。なんとかぎりぎり凍らせることができたとしても、おそらくこの暑さじゃ大して時間も稼げないだろうし、そもそも、近場に大きな川や水場が無い状況では、術に必要な水が確保できない」

 無理だ、と絞り出したエレグの袖を、ソリルが脇から引っ張った。

「ねえ、たぶんあの遺跡、里の神庫ほくらと同じ型式の船だと思うの。それなら、あの子が閉じ込められている少し奥に縦坑ピットが通っているはず」

 エレグがハッと息を呑むのを確認するや、ソリルは町長まちおさの前に進み出た。

「遺跡に穴をあけずに、子供を助ける方法があります」

「なんですと」

「砂に埋もれていて分からないと思いますが、遺跡の上にある神庫ほくらの近くに、出入り口があるんです」

 

 その瞬間、それまで完全に傍観者と化していたウネンの意識に、亀裂が走った。

 視覚以外の感覚を意識することなく、まるで幻燈でも見ているかのように過去の情景に浸っていたウネンに、突如として襲いかかる鮮烈な痛み。

 

 ソリルは痛みを耐えるべく右手で額を押さえ、大きく息をついた。

「その出入り口から、子供さんの閉じ込められているすぐ近くまで、縦坑たてこうが通っています。それを使えば、遺跡にあまり負荷をかけずに、子供さんを助け出すことができます」

 痛みは、ソリルが言葉を重ねるごとに、いや増してゆく。

「この人は何を言ってるんだね」

 中年の男が、あからさまに馬鹿にしたような声を上げた。

「通路だって? そんなものがあると、なんであんたに分かるんだ」

「上から助けに行く、って、どれだけ距離があると思ってるんだ」

「上からだろうが下からだろうが、穴をあければ崩れちまわあ」

「違うんです! 出入り口が、通路が、あるんです!」

 脂汗を流しながら、ソリルが声を荒らげる。

 それは、まさに万力で頭を締め上げられるような、苛烈な痛みだった。あまりのことに吐き気すらもよおすほどの、疼痛。これが〈誓約〉を破ろうとする者に襲いかかるという、魔術の縛めなのか。

 エレグがソリルを庇うように前に立った。

「分かりました。では、僕らだけで勝手にやらせてもらいます」

「ならぬ!」

 町長まちおさが血相を変えて咆えた。

「よそ者に聖竜様の神庫ほくらを穢させるわけにはいかん! ばちが当たってしまう!」

「私の故郷こきょうにも、全く同じ、……遺跡、が、残っています。だから、通路があるのは、絶対に、間違いありません。聖竜様の遺跡を、穢すわけ、では……」

 そこまで言って、とうとうソリルが頭を押さえてその場に崩れ落ちた。

「やめるんだ、ソリル。それ以上、船の情報を漏らせば、〈誓約〉を破ることになる」

 エレグが声を潜めてソリルを窘める。

 その腕に取りすがりながら、ソリルは小さく首を横に振った。

「あんな小さい子を、見捨てるわけにはいかないわ。だって、モウルと同い年なのよ」

「しかし」

「大丈夫。出入り口ハッチを掘り出すことさえできれば、他の人には下がってもらって私が助けに行くから。それなら、これ以上〈誓約〉に抵触することはない」

 

 出入り口とやらが見つからなければ、この話はなかったことにする。そういう条件でソリルは町長まちおさから神庫ほくらに上がる許可を得た。町長まちおさと、子供の父親と、あと二人の屈強な若者とともに、砂をかき出す円匙シャベルを手に、巨大な遺跡にしつらえられた木の櫓に足をかける。

「やはり僕も一緒に、いや、僕が代わりに行こう」

 止めに入ったエレグの手を、ソリルはそっと優しく押しとどめた。

「あなたは魔術を使えるでしょう? 万が一遺跡が崩れた時のために、あなたには下で待機してもらわないと」

「僕の術では役に立たないと言ったろう」

「大きな崩落を防ぐことはできなくても、縦坑ピットだけなら多少なんとかなるでしょう? 頼りにしてるわよ、優秀なる我が旦那様」

 大丈夫よ、とエレグの頬にキスをして、ソリルは木の段を上り始めた。

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