決意
私の中の命が失われたあの日以降、父は目に見えて優しくなった。
まず、突然怒ったり暴れたりする回数がぐっと減った。
父も何か思うところがあったのだろう。
家庭内は驚くほど穏やかになり、家の中が嵐の過ぎ去った後の様な惨状になることは殆どなかった。
そして、私に性的虐待を求めることが無くなった。
私が体調を崩したせいもあるかもしれない。
退院後はそのまま高校に通う事になったのだが、持病が悪化して体調を崩しがちになり、学校生活がままならなくなった。
具合が悪くなり保健室に行くことが多くなり、体育の授業は数ヶ月間に渡って見学するだけに、部活も座って見ているだけの日々が続いた。
家に帰ってからも必要最低限の事をするしかできず、寝込むことも増えた。
そんな私を相手にしたいと思わなかったのか、私や子供への罪悪感もあったのか、父が求めてくることはなかった。
そのお陰で比較的落ち着いた生活ができ、色々考える時間が増えた。
そして、私はひとつの決心をした。
『父と私の関係を終わらせよう』
幼い頃から父の言うことに従う事しか出来なかった私が、なけなしの勇気を振り絞りそう決意した。
父との関係を終わらせることについては、昔から何度も何度も考えた。
だが私の弱い心は、父に逆らう事の恐怖や母を苦しめるかもしれないという不安、そして自分自身が殺されるかもしれないという予感に粉々に砕かれ、いつも心折れるしかなかった。
でも、もう二度と自分の子供を殺すような真似はしたくなかった。
あの瞬間、私は被害者から加害者になったのだ。
命を奪った責任として、自分が殺されても構わないから間違いの元凶を正したかった。
母が仕事で居ない日を選び、私は父と対面した。
もしも私が父の逆鱗に触れて殺されてもいいように、父の座る定位置に刃物や紐等が無いことは前日に確認していた。
私を殺すために父がそれらを取りに行ったら、玄関から逃げて人目につく所で殺されようと思った。
そうすることで父は警察に捕まるし、母が仕事で居ないなら巻き込まれることはないだろうと安直に考えた。
そんな悲壮な想像をしたまま、私は眼の前にいる父に言った。
「お父さん、今までの関係を終わらせよう。
このまま続けても、お父さんもお母さんも私も不幸になる。
誰も幸せになれないまま一生を過ごすより、ちゃんと普通の家族として過ごそう」
実際はこんなにスラスラ言えず、言葉は何度も途切れて呼吸すら覚束なくなった。
色んな感情が頭に渦巻き、自分でも可笑しいほど声が震え、ぼろぼろと泣きながらも全てを言い終われた時は僅かな達成感すらあった。
長年従うことしかできなかった私が初めて反抗してみせたことに驚いたのか、父はしばらく押し黙った。
数秒か数分の沈黙に私の身体は情けないほどぶるぶると震え、今にでも逃げ出したい衝動に襲われたが、胸にある決意がその場に留めてくれた。
「そうだよなぁ……。
今までのことは本当に悪かった。
お父さんも反省したから、全部無かったことにしよう」
父は疲れたような、苦笑いのような表情をしてそう言ってくれた。
今度こそ父に殺されるかもしれないという不安のまま向き合っていた私は、その言葉の意味をすぐには理解できなかった。
だが、頭が言葉を処理できた瞬間に震えるほどの歓喜が私を襲った。
長年あれほど望んでいた日をついに迎えることができたうえに、覚悟していた犠牲も出さずに済んだのだ。
只々嬉しくて、私は父にありがとうと礼を言って頭を下げた。
その日以降、本当に父が私に性的虐待を行うことはなくなった。
暴言や暴力は多少なりともあったが、あの行為がないだけで十分幸せだったし、家に帰るのも少し気が楽になった。
あの日々が無かったことにはならないし、私が奪った命が戻るわけでもなかったが、ずっと憧れていた普通の家族に少しだけ近付いたことが純粋に嬉しかった。
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