名前

私は入院をするため、学校を数日間休まざるをえなかった。


産婦人科病院に入院した私は、色々なことを考慮して個室へと案内された。

だが様々な検査をするために診察室と病室を何度も行き来することになったのだが、それは私にとって堪らないほど苦痛だった。

待合室で幸せそうに自分のお腹を撫でる女性、夫婦でこれから生まれてくる子供の名前を考えている夫婦、幼い子どもの声――その全てが、自分を責めているように感じられた。

また、出産のために入院している人達と廊下ですれ違うと、必ずと言って不可解そうな目で見られ、時にはヒソヒソと話す声も聞こえた。

仕方ないと思っていても針のむしろに座っているような気分になり、俯いて足早に通り過ぎる他なかった。


個室にたった一人残されている間も、苦しくて苦しくて仕方がなかった。

自分の中にいる命が誰にも求められていないこと、そして母親である自分ですら歓迎してあげられないことが悲しく、いっその事病院の屋上から飛び降りて一緒に死のうかとも考えた。

せめて母親らしく、死出の旅路の供をするべきではないのかと思い悩んだ。

だが死を思う度に、母のこと、友人のこと、白猫のこと、色々なことが頭の中を横切り、どうしていいか分からなくなってしまうのだ。

そんな私を私自身が許せず、鈍器で原型もないほどに砕くか、ナイフでずたずたに引き裂いてしまいたい衝動に駆られた。


自分の中の気持ちが何一つ整理できないまま処置をする日を迎え、私はベッドの上で麻酔を施された。

麻酔が効き意識がぷつりと途絶える瞬間まで


『神様、どうぞ私も一緒に連れて行ってください。

 一緒に死なせてください。

 せめてこの望みくらい叶えてください』


何度も何度も繰り返し神に祈った。


だが結局、私の祈りは聞き届けられることはなかった。


意識が浮上し、掠れた視界に病室の天井が映った時、自分が生き残ってしまったことを知った。

麻酔が完全に抜けていなかったため四肢の感覚は遠かったが、母が病室に来ていることは分かった。

母は誰かと話していたが、私が起きたことに気が付くと側に来て「もう大丈夫だからね」と言った。

他にも色々話しかけられたような気もするが、内容は覚えていない。


母が帰ってしばらくして麻酔が少し抜けて上半身を起こせるようになると、病室に備え付けられた棚を空けた。

母が私が起きたことに気が付いた際、一緒にいた誰かから受け取った紙をそこに収納していたのを思い出したからだ。

麻酔のせいで震えてしまう指で紙を取り見てみると、そこには私の子供についての記載があった。


女の子だった。


性別を見ただけなのに、怒涛のごとく思いが溢れた。


産んであげられなかった。殺してしまった。愛してあげられなかった。守ってあげられなかった。一緒に死ねなかった。見捨ててしまった――なぜ神様は私を殺してくれなかったのかと、たった1人残された病室で一晩中泣いた。

この瞬間にせめて狂ってしまいたいと猛烈に願い、麻酔が残って感覚が遠い両腕を掻き毟った。

皮膚が裂け肉が剥き出しになっても私のお腹の中にあった命が戻ってくるわけではなかったが、せめて痛みだけは返して欲しかった。

だが、誰もに等しく訪れる清々しい朝を迎えても、私は狂えなかったし死ぬこともできなかった。


身を切るような激情が過ぎ去り疲れ切った私は、寝転がったまま窓から見える空を見上げた。

何処までも高いあの青空に私の子供は居るのだろうかと考えた時、呼び止める名前すら無いことに気がついた。

ひとつだけ親らしいことをしてあげれることに気付いた私は、数時間悩んだ後、失った命に名前をつけた。


「 未優(みゆ) 」


それが私が子供に付けた名前だ。

生まれ変わった先で愛される優しい未来が待っていますように――そんな願いを込めて名付けた。


冴え渡る青空に向かって子供の名前を呼んで謝り、また声が枯れるまで泣いた。

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