第12話 『俺に出来ること』



「――カミっちって、彼女いるでしょう?」


 その言葉に、俺の思考はフリーズする。


「どう、して?」


 別に彼女がいるとかいないとか、聞かれた事は少なくはない。

 それは大学では社交辞令のようなものではあるし、一種のステータスだからだ。

 でも、美春のことがあった矢先に聞かれるということには、俺は上手く対応することが出来なかった。


 そしてその態度は、墓穴を掘っていることと同じことである。


「その反応……どうやら図星みたいだね」


「っ……なんでそんなこと断言するんだよ。まさか……」


 ――俺の元彼女が、あの星空美春だということを知っているのか?


「まさか? よく判んないけど、さっき千秋と触れ合ってる姿を見てなんとなく判ったんだ」


「千秋……ちゃんと?」


「そう、千秋とだよ」


 聞き直した。だけど、聞き間違いではない。

 美春は関係なかった。俺の心の傷でもあるトラウマ。

 それに全く関係がないことが判って、激しく脈打っていた鼓動が落ち着きを取り戻す。

 俺の心を占めていたのは、安堵だった。


「いや、待てよ。千秋ちゃんがなんで俺の恋愛事情に関係あるんだよ」


 そうだ。

 安堵と共に一つの疑問が浮かび上がる。

 当てずっぽうで俺に彼女がいるって言ったのなら、俺も気にしなかっただろう。

 だが、彼女は千秋ちゃんと俺の様子を見て断言しているのだ。

 理由を知りたくなっても仕方ないだろう。


「まぁ、多分そうかなぁ……って思っただけだよ。それでもやっぱり理由はあるんだけどね」


 灯里は茶化すように笑い、


「さっき千秋に後ろから密着して手を捕まれていたのに、カミっちは全く反応を見せなかったよね」


「それが、なんで理由になるんだよ」


 柔らかいなぁとか、良い匂いだなぁとか思っていたし、別に反応が無かったわけではないと思うんだが。


「普通の人なら、千秋ほどの美少女と密着すれば、顔を赤く染めたり照れたりするものだよ。あとは鼻息荒くしたりとかね」


「おい、最後のは偏見だろうが」


 灯里はそんな俺の言葉を無視し、


「そんな反応と別なのは驚くほど鈍感な人か、女性を何人も取っ替え引っ替えしているような女慣れした人。でも、カミっちはその二つのどちらのタイプではないよね」


「いや、まぁ……そうなのかな」


 言われてみると、確かに異性の好意や嫌悪に疎くはないし、何人もの女性と付き合えるような容姿も甲斐性も俺にはないだろう。

 そう言われると、納得する部分が確かにある。


「なら、そのどれとも当てはまらないなにか。ある程度女性慣れしているとしたら、それは彼女がいるということに他ならないのだよカミソン君」


「誰がカミソン君だよ」


 ふざけているのかふざけていないのか。

 よく判らないが、それでも灯里の言葉には説得力がある。

 俺の性格を、行動を見て感じて吟味して、そして一つの結論を導きだした。

 見かけによらず、洞察力に優れていると思う。


「で、カミっちの答えは?」


「……全部が全部正解ってわけじゃない。確かに俺には彼女がいた。そう、いたんだ・・・・よ。この前別れちまったんだけどな」


 改めて理解する。

 俺は世界で一番大切な幼馴染であり、親しい人であり、恋人でもある存在を一日で失ってしまった。


 美春が離れ、俺が逃げた。

 どっちも進む方向が逆ならば、追い付くことはない。俺たちは背を向けて歩き出した。

 もう、俺たちが出会うことは無いのだろう。


「へぇ……それって、どっちが別れを切り出したの?」


「どっちって、そりゃあ……」


 そこまで口に出した瞬間、俺は気付いた。

 俺たちは、ちゃんと別れ話を口にしたか?

 事実、あの状況だと別れることは決まってはいただろう。

 でも、正式に別れを告げてはいないのだ。


 そうだ。

 美春が浮気した? 俺を捨てた? 

 違う。それだけ聞くと原因は美春にあるようだけど、彼女の言い分を聞かずに逃げたのはこちらも同じだ。


「……結局、一概に責任を決めることは出来ねぇな」


「え?」


「いや、なんでもない」


 美春が悪い。俺が悪い。

 そんなの、どちらにも悪いところはある。

 その言い分を聞こうとしなかった。その機会を無くした原因は――俺にあるのだから。


「別れ話っていうか、俺が浮気された感じかな。まぁ、もしかしたら彼女にも理由があったのかもしれない。でも、俺はそれを聞く前に逃げてきた」


 国民的アイドルである『星空美春』。

 一般人の大学生である『神谷夏威』。


 立場は天と地ほどの格差だ。

 幼馴染という近い立場にいながらも、その距離はとても遠い。

 そんなお互いに会えるかどうかも判らない状況の中、美春が浮気してもしなくても、別れることは必然だっただろう。


「そして逃げた先に、ここを選んだってわけね……ふぅーん」


「……その通りだよ。てか、なんだよ。言いたいことがあるなら言え」


 含みを持った表情を浮かべる灯里に、苛立ちが募る。

 馬鹿にするのなら直接言葉にしろ。

 言われるのは仕方ないとは判っている。だけど、内心で思われることは何故か嫌だった。


「じゃあ言うけど、そんな根性なしは千秋には近付かないでほしいのよ」


「……え?」


 想像もしていなかった言葉が、灯里の口から発せられた。




◇ ◇ ◇




「カミっちは知らないかもだけど、千秋って案外心に傷を抱えているのよ。幼馴染で親友でもあるアタシは、それを一番判ってる」


「心の……傷」


 一週間前の、千秋ちゃんの悲しげな言葉を思い出す。

 もしかして……アレが?


「千秋は優しくて繊細で、そして脆い。あの娘は貴方の事を受け入れてくれているみたいに見えるけど、それでもやっぱり人と触れ合うのは怖いだろうね」


「俺を、完全には受け入れてくれていないってことか?」


 千秋ちゃんにとって、俺はまだ会ったばかりの他人だ。

 寧ろ受け入れてくれる方がおかしいのかもしれない。

 きっと俺も、葵家の皆に完全には心を開いていないだろう。


「言ったでしょ? 千秋は優しいの。だからカミっちの事を受け入れようと努力してるのよ。でも、カミっちはそんな千秋の想いを台無しにする可能性があるから」


「俺に、近付くなって言うのか」


「この村の皆は、千秋のそんな脆い部分を知っている。だから、私たちはその心の傷を拡げないように注意しているの。でも、なにも知らない、信頼も出来ない今のカミっちには千秋は預けれない」


 真っ直ぐに、茶化す様子もなく俺を見据える灯里。

 そんな灯里の言葉も、事情も知らない。

 そう口に出せば楽になるというのに、俺の心に鋭い痛みが走った気がした。


「預けるって言っても、俺が千秋ちゃんに出来ることなんて……」


「私は思っているんだ。千秋を救えるのは、千秋の事情を知らない。遠慮や同情もしない、外の人間しかいないって……カミっちしか救えないって」


「救う……? 話が飛びすぎだ。俺に近付くなとか、なにも知らないとか言っていたくせに、俺が救うってどういうことだよ」


「言ったでしょ。今の・・カミっちにはって」


 今の俺には?

 じゃあ、お前が俺に求めるものはなんなんだ。


「俺に、どうしろって――」


「――こぉらっ! 小僧! 口だけじゃなく手を動かせ! 貴様の首を刈ってやるぞ!」


「じ、ジジイ!? アンタどんだけ殺人未遂すれば気が済むんだよ! 判った判った判ったから! 作業するからその鎌を下ろせ!」


「たくっ……次遊んでいたら只じゃ済ませんぞ!」


 ジジイの怒鳴り声に、俺たちは暫く手が止まっていたことに気付いた。

 どうやら、ずっと話続けていたらしい。

 顔を上げると、千秋ちゃんが心配そうな表情を向けてくれていた。


「神谷くん大丈夫? 灯里がなにか迷惑をかけていたんですか?」


「ちょっ、千秋! 酷くない? アタシに対して酷くない!?」


「灯里が迷惑かけるのはいつものことだから、心配で……」


「酷っ!?」


 千秋ちゃんと灯里が仲良く話している。

 その姿を見ると、千秋ちゃんに悩んでいることや心の傷があるとは思えない。

 でも、俺は灯里も言っていたように、


「『なにも知らない』……か」


「どうかしましたか?」


「いや、なんでもない。任せろ千秋ちゃん。ここの稲、全部刈ってやるからさ!」


「さっきまで手が痛いとか言っていたのにね」


「休憩したから大丈夫だよ!」


「ふふっ……期待していますね」


 そう微笑んだ千秋ちゃんから目を離し、俺は灯里へと顔を向ける。

 灯里は俺の視線に気付き、自分の持ち場に戻りながらも口パクで一言俺に伝えてきた。


 ――『たのんだよ』……と。


 俺になにが出来るのか判らない。

 けど、なにもしなかったら、後悔することは判っている。

 俺は、もう間違えないと決めたのだから。




◇ ◇ ◇




 その日の稲刈り大会、俺たちは優勝することは出来なかった。


 収穫量はトップクラスだったのだが、質がトップクラスとは言えなかったらしい。


 俺たちは『来年こそは!』っとお疲れ様会を開き、愚痴とか真白さんの武勇伝とかを聞いて一日を終えた。


 筋肉痛や疲れで朝起きるのが辛かった。でも、とても心地よい朝だったと思う。


 そしてその朝。




 ――真白さんが高熱で倒れたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

浮気されたと思ったら勘違い!? ~アイドルは幼馴染みで元恋人~ 千羽 銀 @gin_chiba

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ