さらさのことば

本陣忠人

さらさのことば

「I Love You...」


 LA生まれNY育ちの成人男子でありながら生粋の日本人――――更に帰国子女である属性過多の恋人カレは流暢な発音で、極めて何でもなくそう言った。

 しかしその癖、言外に薄く含まれた芝居掛かった言い方が少し気になるが、その言い方自体はキライじゃない。むしろ好きかも。


 とは言え、ラバーズ補正込みとは言え、些か唐突な愛の囁きに少し困惑した私は横に座る彼の腕の中に飛び込んで身体を預けた。意味不明な言葉を口走った彼を下から見上げる。


「どしたの? 急にさ…」


 口から出たのは至極当然の疑問。

 私の部屋で映画鑑賞に興じている最中で不意に囁かれた愛の言葉に思わずレスポンスしてしまった。


 見ている作品がラブロマンスであればそういう風になることもあるかも知れないが、プレイヤーの中で回転しているディスクはそんな要素は皆無の作品である。何なら最も縁遠いジャンルじゃないかとすら思うCG全開のロボットものだ。


 とすると、ひょっとして――――?


「何かやましいことでも隠してる?」

「ヴェっ?」


 何その声…本当に何か隠しているのだろうか? まさか浮気?


 私の訝しい嫌疑の視線に突き刺され、彼の釈明が幕を上げた。その際に几帳面にもリモコンでしっかりと一時停止するのは彼の美徳なのだろうか?


「いやマジで違うんだってっ…ほんと口から出ただけ! 日本語と英語の違いをぼんやり疑問に思っただけ!」

「日本語と英語の違い?」


 浮気の容疑については後でもう少し詳細に問い詰めるとして、彼が最後に口にした『違い』というのが若干気になった。

 どういうことと続きを促すと大袈裟な溜息とともに流暢な日本語で自説を展開し始めた。


「俺もぼんやり思っただけなんだけどさ…例えば英語で愛を告げるとき【I love you】じゃん?」

 

 まあ他にも表現というか言葉の選び方次第では他にも色々あるけどさあ。【Crazy for you】とかねと前置きしてウェイビーな黒髪に指を這わせながら考えを一つずつ言葉にしていく。


「逆に日本語だと愛してる、好きです。懸想している…と、ぱっと思い付くだけで三種類あるワケじゃん? なんか自由度高くて選択肢多い感じがしない?」


 何となくその意図は理解出来るが、それがどうしたというのだろうか?

 逆もまた然れるのではと意見を述べてみる。


「それは英語も一緒じゃない? 例えば漢字で『夢』一文字だと完全に名詞だけど、【Dream】だと『夢』と『夢を見る』が内包されていてお得な気がするけど…」

「そう言われればそうかも知れないけど…」


 彼はイマイチ納得が行かない様子で喉を鳴らす。

 思案顔の男は腕を組んで暫し唸った後に背後に電球が見える程に分かりやすく何かを思い付いた。


「ならこういうのはどうだ?」


 ピンと人差し指を立ててにこやかに微笑む彼を見て、私達の大勢がハグではなくなっていることに気が付いた。背中に残る熱が徐々に霧散し溶けていく。


「アンナさんはさ、今すっごい好きな人がいる訳」

「君のことだね」

「いや…そうじゃなくて仮定の話」


 バツの悪そうな照れ笑いで『でもありがとう』と零した後、仕切り直しの咳払いを一つ。


「そんなアンナさんの想い人は現在フリーなはずなのに、いたく楽しげに女の子と喋ってんのね。しかもそれはアンナさんの大親友。それおあっ…」

「何アンタ…ニシキに手を出したの? 浮気相手は私の親友なの?」


 怒りのままに襟ぐりを掴みを軽く釣り上げる。顔を近付け審議を問う。

 ただの浮気ならまだ許す余地がある。だが、よりにもよって幼年期以来の親友とはどういう了見だ? ア?


「うぢ、違う…あっ、くまで例え話。もう少し話を聞いて。お、おね願いだから」


 彼の言葉を一応信じ、その身を開放する。

 軽く咽た恋人はめげずに人差し指を立てて話を再開。


「それを見たアンナさんはどう思う? どう感じる?」

「憤怒のままに恋人と親友を殺害した後に自害する」

「おおう、サムライみたいな生き様だね…」


 いや、生き様じゃなくて死に様…散り際?

 いや、そんなのどうでも良くて。


 そんな剣呑な独り言を大きな声で零した後、頭をぼりぼりと居心地悪そうに掻き毟った彼は真意を解答として提示した。最初からそうして欲しかった。


「そんな場面に遭遇した人間の多くは多分、悲しくて哀しくて寂しくて…何とも言い難い、切ない気持ちになると思うんだよね」


 言われてみればそうかも知れないと彼の言葉に頷いた。

 想い人を略奪され悲しくて、親友が遠くに行って哀しくて、残された私は寂しくて。どうしようもなく切なくなるかも知れない。


 感心する私を他所に展開し続ける。


「そして、それらはそれぞれ微妙にニュアンスが異なった別の気持ちを表した単語だと思う。その使い分けは人によったり状況によったりするんだろうけど、それでも多分もっと複雑な感情をどうにかしたいという願いは共通していると思うんだ」


 祈る様な仕草で茶化した彼を見て私は大変動揺した。それは何故か?


 彼が娯楽映画の極致にある映像作品を鑑賞しながら、このような高尚な思考をしていたから。同じ様に見ていた私はタンカーを引き摺るの格好良いなとしか思わなかったというのに…この差は何だ? 偏差値か? それとも感受性か?


 理不尽な怒りに苛まれ彼の薄い肉越しに肋を攻撃。痛がる彼の姿を視界に収めて溜飲を下げる。続けてどうぞ。


「そ、それで…英語だとそういう気持ちは【Sad】なんだ。全部悲しいも哀しいも切ないも全部【Sad】――――何だか凄く味気ないだろ?」

「そうかもね」


 程々に血の抜けた頭はそれを認める程度には正常に活動している。確かに何だかあっさりしていて、幅が狭く儚さが足りない。


「あと、少し反れるけど、『さらさら』とか『ひらひら』とかも絶妙過ぎて英語で正確に表現出来ないんだ。【falling slowly】ってのも何か違う印象がする 」


 粋じゃないし、雅じゃないと日本人らしからぬオーバーな動きで肩をすくめて話を締めた。


 そんな彼とは対象的に私は両腕を大きく開いて彼を呼び込む。

 先程までとは真逆の体勢。鼻腔に香る柑橘系の整髪料が擽ったい。


 私に背を預けてリモコンを手にした彼に一つ問う。


「それなりに面白い話であったし、考えさせられる議題ではあったけど、結局これはどういう意図のあった演説だったの? このトークのオチは一体何処にあるの?」


 これは私の本心。

 なかなか興味深い内容ではあったが、尻切れトンボの様な中途半端さは否めない。


 彼は一時停止の液晶テレビから目を逸らさずに小さな声で呟いた。


「俺は貴方を愛しています」

「うむ、よろしい」


 私は偉そうにそう告げて、照れからかそっぽを向いた彼に強引に口付けをした。唇で愛する人の体温を感じる。


 それはとても甘く、切ない程にはらはらする様な行為。

 どうしようもなく言葉にならない感情を他者に伝える為の唯一の手段。


 それはきっと私達の育んだ、さらさの言葉。

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