6

 陽が沈みつつあった。コートのぬくもりが心強い。ボールを抱えて走る子供、退勤中のサラリーマンとすれ違いながら、白い後姿を追う。


『未亜?』


 黒い街路樹が並ぶ通りを南下する。これからねぐらに帰るのだろう、電線に群がったスズメたちがやかましくおしゃべりしていた。お腹を空かせているのか、白猫が足を止め、飛び立つスズメを見送る。


『お母さん、猫』


 診療所、コンビニ、学習塾、理容室、喫茶店、新聞販売店――民家と商業施設が混在する通りを抜けると、私鉄の路線にぶつかる。カンカンカン――かん高い踏切の音。白猫はその音を嫌ったように、パン屋の角を右に折れた。しばらく直進し、タバコ屋の角を折れ、砂利道に入った。


『こういうところは危ないのよ』


 砂利を踏む音。背後から聞こえてくる。じゃり、じゃり、じゃり……振り返って確認するが誰もいない。


『どうして?』


 砂利道を抜けると、例の寺に面した通りに出る。


『人目がないところにはね、悪いものが棲みつくの』


 白猫は逆方向に折れた。




「申弥……」


 あなたはつぶやいた。


「申弥……」




 やがて、町を縦に貫く幹線道路の裏通りに出た。徐行する車をやり過ごすようにしてから、白猫は北上しはじめる。左手には、平屋が目立つ民家が並び、右手には、月極の駐車場があった。


『ほら、お店までの道中にガラガラの駐車場があるやろ』


 後ろを振り返った。誰もいない。窓から漏れる明かり。換気扇が回る音。料理の匂い。


『あそこでよく猫が井戸端会議してるのを見かけんねん』


 白猫は駐車場に足を踏み入れた。土地を遊ばせるとはこのことだろう、野球でもできそうな広さだが、契約者はあまり多くない。車の陰に猫が隠れているのを見つけた。一匹、二匹、三匹……何匹かまとまっているものもいる。


『申弥もいまごろ、よその猫に相談してるとこなんちゃう。飼い主の女の子が過保護で困るって』


 白猫は足を止めた。猫が何匹か周りに集まってくる。ほどなくして、互いに毛づくろいをはじめた。駐車場全体を見回すが、首輪がついた猫はいない。




「申弥……」


 駐車場に集まってくる猫を、車の陰から観察した。申弥ではない猫たちを。


「申弥……」


 やがて陽が落ちた。


「申弥……」




 にゃあ


 陽が沈むのを見送るようにした後、白猫が鳴いた。


 にゃあ


 ごろごろしていた猫たちが不承不承と言った体で立ち上がる。


 にゃあ


 隊列が組まれつつあった。白猫を先頭に、駐車場の奥へと向かっていく。


 にゃあ


 白猫の進路の先、フェンスの手前に、白いワンボックスカーが停車していた。白猫がその裏に消える。


 にゃあ


 裏に回り込むと、車に隠れる格好で、人がかろうじて通り抜けられる幅の出入り口があった。後ろから来た猫たちが、石積みの階段を飛び降りていく。フェンス越しに、猫たちが路地裏を行進しているのが見えた。


 ゴオオオ


 飛行機が頭上を飛び去って行く。あなたはフェンスの隙間を見つめたまま動けない。


 ゴオオオオオオ


 一歩、二歩と踏み出した。


 ゴオオオオオオオオオ


 コートのぬくもりが心強い。


 ゴオオオオオオオオオオオオ


 あなたは階段を踏みしめた。


 ゴオオオオオオオオオオオオオオオ




「申弥……」


『家出したまま戻らないって知ってるか?』


「申弥……」


『元々夜遊びする子だったから事件になってないけど、攫われたって噂もあるんだ』


「申弥……」


『っていうのも、他にも家出したまま戻らない子がけっこういて――』


「申弥……」




 んにゃあおお


 路地裏にはどことなく湿っぽい空気が漂っていた。アパートや文化住宅が並んでいるが、いずれも背を向けている。窓に明かりはない。料理の匂いはない。換気扇が回る音もない。どういう人間が生活しているのか想像もつかなかった。


 んにゃあおお んにゃあおお


 道はまっすぐ続いた。ほどなくして、駐車場の横を通り過ぎる。漆喰壁のアパート、そのさらに奥に、緑深い一角があった。高い塀に囲まれている。塀は道の奥で右手に向かって直角に折れており、行き止まりを作っていた。その手前には「安全第一」の低いフェンスが立てかけてある。背後には何かガラクタらしきものが積んであって、その上にブルーシートがかぶせてあった。汚れた水が溜まっている。落ち葉と木の枝。後輪が外れた自転車が、まるで重石のようにシートの上に投げ捨てられていた。


 んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお


 鳴き声は塀の向こうから聞こえた。一匹ではなく、何匹もの声が重なって聞こえてくる。


 んにゃあおお。んにゃあおお。んにゃあおお。んにゃあおお。んにゃあおお。


 塀の手前にゴミ箱があった。白猫がその上に飛び乗る。そこから塀の上へと飛び移り、向こう側に姿を消した。


 んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお


 あなたは立ち尽くした。


 んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお 


 猫たちは次々に続いた。一匹、二匹、三匹……ゴミ箱から塀の上へと軽快に飛び移っていく。


 んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお


 猫の列が途切れるのを待って、ゴミ箱に登った。バランスを取り、足場が崩れないことに安堵しながら、塀の上を見やる。


 んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお んにゃあおお


 あなたは思い切って飛びつき、塀の縁を掴んだ。




「申弥……」

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