5
「自分でできるよ」
雄二は聞かなかった。あなたを公園のベンチに座らせると、その正面にしゃがみ込み、傷の手当てをはじめる。コンビニの袋に入ったミネラルウォーター、ウェットティッシュ、絆創膏。
「痛ぁ……」ミネラルウォーターが傷にしみた。
「すぐすむ」雄二は慎重に、ウェットティッシュを押し当てた。汚れを拭い、最後に絆創膏を貼る。
「慣れてるね」
「よく転ぶ部活だったからな」雄二は立ち上がった。「何か飲むか?」
「うん」
雄二は駄菓子屋前の自販機に向かった。待っている間、公園の外を制服の同級生が通り過ぎるのが見えた。塾に行くのだろうか。入試の前日に猫を探して走り回っていることがひどく非現実的に思えた。
「ココアでよかったか」雄二はコーヒーとココアの缶を提げて帰ってきた。
「うん」
公園には、あなたたちの他に、リフティングの練習をする少年が一人いるだけだった。ベンチに座ったあなたたちと、遊具の影が長く伸びている。ブランコ、滑り台、鉄棒、うんてい。ジャングルジムが撤去されたのはいつ頃のことだったろう。雄二と最後にこの公園で遊んだのは。
「思うんだが、いったん帰ったらどうだ」雄二は缶コーヒーのプルタブを引っ張りながら言った。「申弥だってもう帰ってるかもしれないだろ」
「うちにいないのはわかってるでしょ」あなたは言った。「どうせ、電話して確認したくせに」
横目で睨みつけると、雄二は気まずそうに目をそらした。
「それを期待しなかったなんて言うなよ」雄二は白い息を吐いた。「やっぱりおばさんと喧嘩してたんだな」
「そんなんじゃないよ」
雄二は無視して、
「お前は頭いいんだから、変な意地で将来を無駄にするなよ」
「何それ」
「事実だろ」雄二はコーヒーを飲み干すようにしてから、続けた。「誰より早く足し算ができたじゃないか」
「本当に頭がよかったら」あなたは言った。「入試前日の追い込みなんて必要ないと思わない?」
雄二は手に負えないとばかりに首を振った。空っぽの缶コーヒーを傾け、飲む真似をする。そして、東の空を眺めながら言った。「暗くなるな」
公園の時計に目をやると、五時半を回っていた。
「二年の日村って子」雄二は急に言った。「家出したまま戻らないって知ってるか?」
「申弥を見つけたら戻るってば」
「そうじゃない」雄二は首を振った。「元々夜遊びする子だったから事件になってないけど、攫われたって噂もあるんだ。っていうのも、他にも家出したまま戻らない子がけっこういて――」
「帰らせたいんだ」あなたは遮った。「どうしてお母さんの味方するの。そんな嘘までついて」
「おい、急にどうしたんだよ」雄二は戸惑ったように言った。「泣いてるのか」
「泣いてない」あなたは顔を背けた。
ポーン、ポーン、ポーンと、少年がボールを蹴り上げる音が聞こえてくる。七回まで数えたところで、雄二が肩に腕を回してきた。そのまま自分の方に引き寄せ、髪を撫ではじめる。
「むかしからそうだったよな。甘えたの癖に変なとこで強がりで」
もう一方の手を、あなたの手に重ねてくる。缶コーヒーであったまった手が、あなたの手をすっぽり覆い、指を絡ませてきた。
「彼女がいるのに、こういうことしていいの」
「言うなよ」雄二の呼気が耳をくすぐった。
「あ」
気の抜けた声とともに、リフティングの音が止まった。ボールが地面を転がる。少年は再度、足でボールを上げリフティングを再開するが、長く続かない。こちらを気にしているのかもしれない。あなたは雄二の腕から逃れるように身をよじった。
雄二は気まずそうに言った。「腹空かないか?」
「いい」あなたは首を振った。「今晩はカツ丼らしいから」
「そうか」雄二はかえって安心したようだった。
あなたたちは立ち上がった。雄二が二人分の空き缶をまとめてゴミ箱に捨てる。二人で公園の外に出る。自転車の前まで来ると、雄二は不意にこちらを振り向きコートを脱ぎはじめた。
「これ着ろ」雄二は脱いだコートを、あなたの肩にかけた。よく着こまれたメルトン生地のピーコート。まだ雄二の熱が残っている。
「ぶかぶかなんだけど」あなたは袖に腕を通しながら言った。
「そのままの格好よりましだ」雄二は鍵を差し込みながら言った。「気をつけろよ。さっきのはただの噂にしても、不審者がいないわけじゃないんだからな」
「もうすぐ春だしね」
「そうだな。春だな」雄二はスタンドを蹴った。足で前輪のLEDライトを点灯し、サドルにまたがる。「じゃあ、またここで」
「うん」
雄二はペダルをこぎはじめた。自転車にまたがった背中が遠くなっていく。公園の角を折れるのを待って反対方向に振り向くと、夕闇の路上で怪しげに輝く双眸と目が合った。
にゃあ
オッドアイの白猫。
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