十四:墓地
石切り場の如き様相を呈する窪地、その壁面に点々と穿たれた洞が、故人を弔うための墓地である。洞の中はキーンが背を伸ばして立っても尚余るほどには広く、左右には故人の遺物を収めるための棚をずらりと並べながら、遠く闇に霞むほど奥まで続いていた。
灯りはなく、燭台も用意されてはいない。照らすのはクロイツが掲げるランプの蝋燭のみ。冷たく湿った空気が漂う中、アザレアとキーンは守長の後ろに付いて歩いていた。
合わぬ義足で無理に歩いている故だろう、クロイツの足取りは右へ左へふらついている。
苦労して起き上がろうとする腕を掴んで助け起こし、転倒した拍子に放り出された杖とランプを拾い上げて、ゆっくりと立ち上がり。すまない、と申し訳なさそうに肩を縮めるクロイツに、助け起こしたアザレアは静かに首を振る。
「近いうちに、私も頼ると思いますから」
「ぁあ……そう言うことなら、遠慮はするまいよ。あっちへ」
ランプを掲げ、古い義足を軋ませながら、三人は更に奥へ。
どうやら場所が足りなくなる度に拡張しているらしい、左右の壁に埋め込まれた――と言うより、岩壁を削り出して作られた――石の棚は、奥へ行くにつれて新しさが滲む。打ち付けられたプレートの日付も、洞の闇が深まるほどに最新のものとなっているようだ。
故人の記憶を詰めたそれらを横目に、クロイツ達が至ったのは、洞の最奥。今後更に拡張する予定があるのか、つるはしやシャベルが立て掛けられたそこには、他と明らかに材の違う大きな台が鎮座している。青みがかった白い石材――大理石で作られたその上には、真新しい造花の花束が一つだけ放置されていた。
献花台。アザレアとキーンの脳裏にその三文字が掠めた。思わずクロイツへ視線を送れば、彼も重々しく点頭する。そして、己を支えていた手をそっと引き剥がすと、崩折れるようにその場へ膝をついた。
「此処に収められているのは、一つを除けば既に一族の絶えてしまった家のものだ。此処に花を供えるのはほぼ我々だけになったな」
「除いた分は? 誰かいるんですか」
「いや、物殺しの墓だよ。君の前に来た子だが、仕事を完遂できない……いや、誰一人として物を還せないまま、“粗悪品”に殺されてしまった」
まさかその花束は。そう言いかけて、アザレアは口を噤んだ。
けれども守長は言いたいことを読み取ったらしい。そうだと肯定を一つ、献花台に置かれた白百合の造花に手を置き、懐かしむように言葉を綴る。
「運にも才能にも、度胸にも恵まれない子でね。フリッカーが何とかして力を付けさせようとしたらしいが……“粗悪品”に気を取られて目を離した隙に、首を切り落とされていたそうだ。今でこそあれは平気そうに振舞っているが、当時はずっと自分のせいだと責めていたよ」
「フリッカーさんがそんなこと――全然知らなかったです」
「あれは決意を内に秘めるからね、思っていても言わないだろう。だが実行は必ずする。現に、君は何度も助けられているはずだ」
そうだろう。念を押すクロイツに、アザレアは思い出すまでもなく頷いていた。最初に此処へ来た日のこと。置物になるしかなかった己を庇ったあの背と、“粗悪品”から逃れて飛び込んだ腕の力強さを、間近で体感した彼女が忘れようはずもない。
跪くクロイツの傍に腰を下ろす。傍に供えられた白百合の花束、それを見つめながらも、彼女の頭に浮かぶのは別の花。そのイメージに従って、何処からか寄り集まった白い靄が花の概形をなぞり、花びらや葉の質感を浮かばせ、色絵具を落としたように色彩を広げた。
十秒と掛からぬ内に咲く赤い
やり遂げてみせるから、絶対に。真っ赤な山茶花の花を見つめながらのそれが、一体誰に向けられたものか。明らかなれど口には出さず。墓守は肩を叩こうと手を伸ばして、それも気付かれない内に引っ込めた。他者の感情では、物殺しをどうすることも出来ないのだと、彼は知っている。
だからこそ、彼は敢えて冷淡に告げる。他にもあると。
「同じような状況の献花台があと三百はある。陽が暮れるまでには献花を終わらせたいんだが、頼めるかな」
「大丈夫です」
首肯しながら一言。余計なお喋りは必要ない。
アザレアは歩んできた道を振り返り、無数とさえ思えるほどに並んだ棚を一瞥すると、すぐに大理石の献花台へと向き直った。途端、ひょう、と洞の奥から冷たい風が吹き抜け、白い舞台の上で渦を巻く。集う靄の量は先程の比ではなく、取る形もまた様々だ。
クロイツが見守る中で、献花台に咲くのは白百合や菊の花を主としたとりどりの花。簡素ながらもラッピングされ、シンプルなリボンの掛けられた花束を前に、物殺しの顔色は一つも変わらない。戦闘と関係のない“案内人特権”とは言え、かくも鮮やかに操れるとは。強い精神の持ち主であることは疑いようもない。
これはフリッカーが目を掛けるはずだ、と心の中で感心しながら、クロイツは少女の手を借りて立ち上がった。合わぬ義足が切り落とされた断面と擦れあい、酷く痛む。痛みを無視することには慣れているが、それでも気を抜けばすぐに膝をついてしまう程度には辛いものだ。
杖に体重を掛け、鈍痛を発する足を引きずり、ようよう一歩。苦労して二歩目を出しかけたところで、アザレアが腕を掴んだ。ぐいと軽く引っ張られ、言う事を聞かない足はすぐに陥落。尻餅をつくような恰好で守長は座り込む。
非難めいて向けられた意識に少女は平然とした顔。鳶色の視線を、今の今まで無言で佇んでいたキーンへと注いだ。
「分かりますか? ケイさん」
「分からなくもないが。だが、新しく拡張された分については知らんな」
「でも、洞穴が増えてるわけじゃないんですよね」
「それも分からん。どうもアーミラリはあまり墓地に寄らん性質のようだ。……まあ、看取った人数が多すぎたのだろう」
「嗚呼、なるほど……それじゃ、一つ一つ見て回るとか?」
「意味がないだろう」
「ですよねー」
二人だけで全てこなそうとしているのだ。
直接言わずともそれは分かった。分かったが故に、彼は誰にも悟られぬよう首を横に降る。
正直な話、いくらアザレアの“案内人特権”が優れていたとしても、足の悪い物を連れ回していては、いっそ日が暮れても終わらない。その上、今の彼はお世辞にも調子が良いとは言いがたく、此処で待っていて欲しいと言うのは、本来ならば彼によってありがたい提案である。
しかし、彼はどれほど筋の通った申し出をされたとしても、それを断る心づもりでいた。
信念の為に人の身を砕く覚悟はあっても、己を殺す蛮勇はない。だからこそ頭の中で言葉を選び抜き、論調を固め、どんな切り口で切り出されても良いように身構えて、
「抱えていくとか!」
はたと手を打つ少女の提案に、クロイツは用意していたありったけの手札を全て失った。
もし許されるならばアザレアを壁に押し付けて質しただろう。しかし、立つこともままならない彼は座り込んだまま、ひたすら脱力して肩を落とすばかり。いっそそんな申し出されるくらいなら断る、とやけくそで喚く気力すら、湧いてくる端から何処かに流れ出してしまう。
深い、深い嘆息一つ。頭を抱えるクロイツの傍に、キーンが座り込んだ。包丁の表情など無論分かるべくもないが、放っているやるせない雰囲気で分かる。憐憫を垂れられたのだ。屈辱である。屈辱だが、最早それを抗議する気力もない。
ぐったりとしたクロイツを前に、キーンは諸々の感情へ知らないふりを貫いた。
「大の男に抱えられるのは流石に嫌だろう。俺も嫌だ。車椅子は使えるか?」
「あんな突拍子もないことを言う前に提案してくれ、君まで乗り気だったらどうしようかと思ったよ……車椅子なら受入れ所奥の書斎に置いてある。書斎の鍵は掛かっていないはずだ」
「分かった」
考え事は多々あれど、応対はあくまで淡白。
一言だけをぶっきらぼうに投げ返し、膝に手を添え立ち上がる。特に何か言うこともなく、さりとて完全に無視することも忍びなく、付き人の立ち上がりスーツの裾を払う所作を眺めていたクロイツは、小さく零された申し訳なさそうな声に一瞬気付けなかった。
「すまないな、俺の主が」
「……嗚呼」
構わないさ。そう笑うことは、何故だか出来なかった。
「助かったよ、二人とも。墓守達だけではとても終わらない仕事だ」
「いえ。私で役に立てたなら良かったです」
窪地の底までを切れ目なく繋ぐのは、なだらかな一本の坂道。人のすれ違う余裕はあれど、三人が横に並ぶと窮屈な程度の狭いそこを、古い車椅子に乗ったクロイツとそれを押すキーン、そしてアザレアが並んで歩く。時刻は昼過ぎ、晴れ渡っていた空には灰色がかった雲が流れている。
三者が歩むのは、最後に花を供えた場所から、受入れ所である牧師館へと戻る道。ゆっくり歩いても三十分ほどの道のりであるが、一行の足取りはやや急いていた。天気が崩れるかもしれない、とクロイツが危惧したためである。
その急ぎ足に混ざる、ギィギィと軋るような音は車椅子からのもの。整備されているとは言え古い品で、その上彼に合わせて調整が成されているわけでもない。不具合は如何ともしがたいものがある。押しているキーンの手にも、不調は如実に伝わっていた。
「人の街で調整したらどうだ。壊れてからでは遅いぞ」
「考えてはいるんだが、仕事が山積みでね。何しろ、夜な夜な出る“粗悪品”の遺骸を引き受けて荼毘に付せるのが此処しかない」
――処理場は街からの廃棄物で手一杯。街には墓地が無く、人の街は遠すぎる。ならば此処しかない。
十字架に刻まれた精緻なケルト結びの模様、彼の意識で言えば顎に当たる部分に手を当てて、呟くようなクロイツの声は苦々しく。そうだったのか、とキーンも声のトーンを落とした。
他方アザレアは、そんな二人の会話を聞きながら、一人考える。
聞いてみたいと思うことは、それこそ山のようにあった。この世界のこと。物に殺された人間のこと。毎夜現れる“粗悪品”と、それを殲滅しうる物たち。その他諸々。此処数日で大分空気に慣れたとは言え、改めて疑問を数えれば枚挙に暇がない。
そして今、ゾンネ墓地は慢性的な人手不足。クロイツを含めた四人の墓守が詰めてすら思うように仕事が回らないと言うのだ。
脳内の決議は満場一致。彼女は言葉を選んだ。
「クロイツさん」
「うん?」
「何か手伝えることってありますか。出来る限りはやります」
守長は驚きも呆れも、喜びもしなかった。
ただ少しだけ思案して、頷く。
「書類仕事が溜まっている。今まで受け入れた人や遺族の名簿を整理するだけなんだが、如何せん墓掃除と巡回だけで一日が尽きてしまうものでね。給金は出そう」
「良いですよ、そんな」
「ふむ。物殺しは名前を見るだけで対象を直感することもあるそうじゃないか? 私は何も、既に還った物や亡くなった人の名簿だけを任せようとは思っていないよ」
これは物殺しの仕事の一環でもある。きっぱりと言い切り、クロイツはアザレアに睨むような意識を向けた。物殺しは気圧されたようにやや身を引きつつも、黙り込むことはなく。それでは、と軽く目を伏せて是の意を示した。守長はそこに、今は亡き物殺しとの差異を見る。
物殺しは大変な責務である。何せ、物達は肉の身体を持ち、人の如く思考し、人の言葉を話すのだ。高度な意思疎通を図れる物から、手段は何であれ命を切り離すことが、どれほど精神の負担になるか。物殺しと幾度も顔を突き合わせた彼が、何より死者の番人たる彼が知らぬはずもない。
故にこそ、その負担に見合うだけの見返りは要求して然るべきものであるし、それに付随する仕事に発生する報酬も受けて当然の権利だと彼は考える。そして、それを「ボランティアで良い」と放棄するのは、代価に見合った仕事をする気がないと言っている――即ち、無責任も同然であるとも。
物殺しの仕事の一つだと言った時、ならばと言って承諾した彼女は弁えているのだろう、と。クロイツは判断を下した。
「では、短期で雇用契約を結ぶ。構わないね?」
「勿論。ちなみに時給って幾らですか」
「嗚呼、君達の世界の通貨で換算すれば大体千円と言ったところだ。夜は千二百円。休憩は自由。詳細は契約書に載せておくから、届いたらそれをよく読んでほしい」
分かりました、とアザレアは首肯。
それとほぼ同時に、一行は坂道を上り切った。
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