十五:曇天

「明後日までには手元へ届くように手配しておく。届き次第此方に来てほしい」

「分かりました。あ、此処までの行き方を教えて頂けますか? 今日はフリッカーさんが送ってくれましたけど、次からは一人で来たいので」

「街から出ている汽車に乗って、月の原駅で降りるといい。そこから徒歩五分で此処に着く。何だったら、駅に着いた時点で駅舎の鐘を五回鳴らしてくれ。誰か迎えを寄越そう」

「はい。あの、よろしくお願いします」

「いや……私も助かるよ」


 手伝いの話を詰め、無理はなさらずに、と置き土産代わりにクロイツへ投げかけた後、アザレアとキーンは受入所を辞した。

 黒い扉を開けたすぐ傍、ポーチに横付けする恰好で停め直された軍用車両の傍では、フリッカーが煙草を携帯灰皿に押し込んでいる。長いこと暇を持て余していたらしい、灰皿にはまだ新しい煙草が三本押し潰されていた。

 粗野で無精そうな雰囲気とは裏腹に、マナーはしっかり弁えているようだ。雰囲気と行動とのギャップに首を捻りつつも、アザレアは沈黙を貫いた。煙草をポイ捨てするかと思った、となどと馬鹿正直に感想を述べては流石に失礼である。彼が気にしない性格であったとしても、彼女自身が許せない。

 と、打算する少女の心境を彼は読んだか否か。黙って車の助手席に回り込むと、ポーチを降りてきた彼女を招くように、重たい車のドアを開けた。ありがとう、と頭を下げつつアザレアが礼を言えば、彼は小さく首を振る。何時もやってることだから、と声がそこに続いた。


「いつも?」

「おう。俺の元の持ち主がそうしろって訓練されてたもんでね、俺にも動きが染みついちまってんだ」

「そんな動きをしなきゃいけないってどんな状況なんですかね……」

「あんたにゃ及びもつかないような戦場だァな。とりあえず乗んなって」


 押し込むようにアザレアの背を押すフリッカー。ちょっとちょっと、と慌てながらも、少女が座席に身を滑り込ませたことを確認し、彼は勢いよくドアを閉める。鉄板を叩くような激しい音と、車両全体の大きな揺れが、ドアはきちんと閉まったのだと声高に告げた。或いは力を入れ過ぎだと抗議したのかもしれない。

 もっと優しく、とぶつくさ垂れ流される文句は聞かぬふり。そのまま自身も運転席へ乗り込もうとして、フリッカーは足を止める。助手席に乗り込んだアザレア、その視線が窓と己の肩を通り過ぎて、受入れ所のポーチへと向けられていた。

 振り返った先には、ポーチに立ち尽くしたまま扉を振り返るキーンの姿。何を見ているのか、塑像の如くに硬直したその身は、二人分の視線を受けて解れたらしい。ブレのない所作で彼等の方に向き直る。


「フリッカー。先に彼女を街まで送り届けてくれ」

「アザレアだけか?」

「嗚呼。俺は此処に残る」


 漂う沈黙。言葉を選んでいるのか、探照灯のブラインドが軋る。

 二つ返事で承諾することも彼には出来る。この屈強なる付き人が、敢えて大切な主人の元から離れる理由を、戦闘経験豊富な彼ならば察せられたからだ。しかし今、フリッカーはその理由を言葉にして吐かせようとしていた。アザレアの前で言わせることに、探照灯は意味を見ていたのだ。

 故に問う。何故かと。

 果たして、包丁は答えた。


「花屋はクロイツの前で、物に殺されたと言っていたな」

「嗚呼」

「その物が此処へ来る」


 はっと息を呑むアザレアをフリッカーは見ていた。しかし、それに本人が気づくより早く、彼は首を傾げて疑問を呈する。

 同時に、周囲へ向けて索敵を開始。二つの気配――アザレアとキーン以外に、彼の索敵範囲で目立った動きをしている物はない。強いて言えば建物の中に一つあるが、それはクロイツだと分かり切っている。いちいち特筆すべきものではなかった。

 早々に周囲への警戒網を緩め、更に質問を投げ付ける。


「何で分かる? 俺にゃ感じられんが」

「ただの勘だ。だが、外れるとは思わない。……猛烈に嫌な予感がする」


 元々低い声をより低め、キーンは俯いた。ぞくりと音を立てんばかりに粟立った肌を、フリッカーがアザレアから隠せたのは僥倖だっただろう。

 この包丁が。ともすれば己の積んできた百余年の経験をさえ凌駕する、恐るべき戦闘技能を持った彼が。此処にきて主人を放り出すほどの嫌な予感を覚えたと言うのだ。それが勘違いであるとはどう足掻いても思えないし、自分で何とか出来るとも思えなかった。

 ならば、自分はどうすべきか。思わず喉の奥で唸り、腕を組みながら、フリッカーが自身に対して与えた猶予は一秒。しかしその中で、あらゆる状況予想シミュレーションが頭の中で渦巻き、膨れ上がり、そして急速に一点へ収束していく。

 言葉は短いものにまとまった。


「気ィ付けろ、ケイ。ヤバい相手かもしれん」

「分かっている。アザレアを頼んだ」


 任せろ。そう言う代わりに一つ大きく頷き、フリッカーは車に乗り込もうと足先を巡らせかけて、ぴたりと止めた。下半身は行く先の方へ向いたまま、上半身を捻ってキーンを見る。彼はそこにいた。しかし不気味なもので、目の前に姿を晒しておきながら、存在をほとんど感じられない。

 自身の気配を操る術は、長い経験を積んできた彼ならばすべからく持っている。しかし、キーンほど隠密にあれるかと言えば否としか言いようがない。微に入り細に入り隙のない男である。

 何か、と無い気配の方から一声。まじまじと包丁の立ち姿を眺めやっていた探照灯は、そこでようやく自分が何をしたかったのか思い出したようだ。がしゃこ、と雑念を振り切るようにブラインドを一度開閉し、ふっと自嘲気味に肩を竦めた。


「何だったら銃の一つでもくれてやろうかと思ってたんだが、要るか?」

「生憎と飛び道具は苦手だ。これで俺がお前と同じだけの年数を生きていたなら話は別だろうが」


 そう長く生きる予定もない。淡白に告げられ、フリッカーは思わず二の句を失った。

 大事にされてきた末に命を得た物は、その多くが死を厭う。己の精神を構成するものが所有者の情や愛であると――アーミラリの如く理論的に記述は出来ずとも――彼等は知っているからだ。そしてその情愛を自らの死によって消されてしまう事実に堪えられない、と言うのが、物達の共通した主張だった。

 そう、彼等は遺したいのだ。己が生きることで、己を慈しみ情を注いだ所有者の生きた証を。けれどもどうやって「遺した」と言い切れるか誰も分からぬ故に、この世界には物が増え続ける。

 しかしながら、キーンに他の物と同じような承認欲求はどうやら無いらしい。あくまでもアザレアと言う一人の物殺しを降りかかる災難から護り、そして何時の日にか自分で危難を払う刃となれるよう教導することに、己の存在意義の全てを賭けた。己の拠り所を主に帰属したのだろう。

 魂を捧げたと言い換えてもいい。


「羨ましいよ、あんたが」


 笑った。呆れるほど朗らかに。

 返答は聞かず、フリッカーは今度こそ車に乗り込む。咳き込むような音を立てて荒野を走り去っていくジープを、キーンは地平線の向こうに消えるまで、ただじっと見つめていた。



 ――二人を送り出してから、およそ十分ほどか。

 肌寒さを感じる風が全身をひょうと駆け抜け、そこに混じる独特な匂いと湿った空気が、雨の遠からぬ来訪を告げた。仰いだ空に早く流れゆく雲、その色は沈鬱で澱んだ灰の色。芳しくない先行きを示唆するようで、心象は重苦しい。

 さりとてそれが包丁の頭に現れるわけもなく。キーンは左手で刃を覆う革の鞘を少し撫で付け、固定用のベルトに付けられたスナップをゆっくりと外していく。危険だからなるべく付けていろと言われていたが、ことこの状況に限っては、剥き身の凶刃で相手を威嚇することも已む無しと判断したのだ。

 刃だけを覆う鞘、それを外せば、現れるのは来た当初と変わりないぎらつき。丁寧に砥ぎを繰り返した刃は鋭く、しかし一部が刃毀れして欠けている。隙のない輝きの中にあるたった一つの瑕疵こそは、彼が人をさえ容赦なく殺傷し得る力を得た意志ルーツの具現であった。

 そして彼はポーチを降りる。来たる危難を見極め、必要とあらば己の暴力によってそれを掃うために。


「……来た」


 気配を殺して待つのは苦でなかった。長く待つことも苦でなかった。それ故に、一人の物が家人の隙を縫ってポーチを上がった時も、彼の気は些かも逸れていない。ほとんど吐息のような声で呟き、その物が気付かぬほどの須臾、彼はそちらに意識をやった。姿を検める。

 黒く長い外套、焦げ茶色のスーツ、淡いタッタソールのシャツにアスコットタイ。足元は年季の入ったブーツで固め、目深に中折れ帽を被っている。コンセプトの定まらない何処かちぐはぐな恰好であるが、キーンはそこを問題とはしなかった。年恰好と衣類の特徴を素早く記憶に焼き付け、彼が次に意識を向けたのは、その頭である。

 ――艶めく紫檀の箱。その表には白い円盤と、その上に並ぶ十二個の金文字。カチカチと振り子の揺れる音が響き、複雑な透かしの入った針が文字盤の上を動く。裏には金色に輝くぜんまいと、錐で引っ掻いたような金釘文字が一瞬見えた。


「柱時計……」


 出した結論を、悟られぬ程度の小声で独り言ちた。アザレアならば置時計と言ったかもしれないが、何にせよ時計であることには違いない。

 極限まで気配を殺し、柱時計の動向を見守る。彼は備え付けられたドアノッカーに一瞥もくれずにドアノブを掴むと、音もなく扉を必要最低限だけ開き、流れるようにその隙間へ押し入った。硬い底の靴を履いているにも関わらず、入る瞬間も、入った後さえも足音一つしない。明らかに手慣れている。

 キーンは気配を殺して待ち伏せることこそ得意だが、一旦行動体勢に入るとその隠密さは極端に失われる。今此処で柱時計の背を追って中に入れば、図体の大きい包丁などあっと言う間に見つかってしまうだろう。そうなった時、かの物が一体何を仕出かすか、さしもの彼にも予想出来なかった。

 故に、今此処で姿を見せることをキーンは良しとせず。ただ家主の危機にいつでも対応できるよう身構えて、彼は屋内の物音に耳をそばだてる。


「お前――!?」


 クロイツの驚きを隠せぬ声が、銃声に掻き消えた。

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