十三:十字架

 黒く焼き締められた煉瓦の壁、黒い木で組まれた窓枠と扉、煉瓦の間を埋める白い漆喰。黒く艶やかな屋根板でかれた三角屋根を戴き、白い十字架が屋根の上で燦然たる存在感を放っている。扉に打ち付けられた黒い札には『ゾンネ墓地 引受所』の文字。牧師館の体裁を保ってはいるが、その用途ではもう使われていないようだった。

 黒と白の館。明々と太陽が照る中で、重々しいモノトーンの建物は厳かさを以て物殺し達の前に佇む。小さくも確たる佇まいと放たれる静謐さに気圧され、思わずその場に立ち尽くしたアザレアは、しかし長くその場に足を留め置くことは許されない。フリードから声が掛かったのだ。


「皆様どうぞ此方へ。守長もりおさが御待ちです」

「守長?」

「ゾンネ墓地は私の他に三名の墓守が維持しております。その内の最長老、墓守達の長。故に守長です。アザレア様のことをフリッカー様より聞かれ、此処に御連れせよと命じたのも守長であらせられます」

「そ、そうですか」


 砂利の多い地面を足音一つ立てずに歩みながら、アザレアに告げるは中背の墓守。溜息でもついたものか、白い線香の煙が平生よりも多くフードの下から吐き出され、虚空に緩やかな渦を描く。菊と白百合の造花は線香の煙で煤け、白茶けていた。

 傷んだ造花は、それが長きに亘って放置されていたことの証左だ。生花のごとく土に還ることも出来ず、悼むべき死者の前を離れることも出来ず、次に墓前を訪れる誰かをひたすらに待つ――その渇望こそは、他ならぬ彼の原動力自我である。

 辺鄙な墓地に一杯の花を供えてくれる。そんな力を持ったアザレアを、一体どれほど待ち望んだか。歓喜に打ち震えた彼は、しかし、それを彼女へ伝えることはなかった。ただその前を歩み、然るべき職務を果たすだけだ。

 即ち、館の扉を開け、そこに一行を通すこと。物殺し達を先導し、守長と引き合わせること。その二つ。後の会話は聞かず、墓守は朝の巡回をこなすべく、手桶とシャベルを手に墓地へと降りていった。

 何も言わず離れていったフリードに気を取られたのは、ほんの須臾。物殺しは意識を若い墓守から引きはがし、眼前の守長と相対する。


「初めまして。アザレアです」

「クロイツだ。御初に御目にかかる」


 クロイツ。良く通る声で彼はそう名乗った。

 彼を見てまず目につくのは、首から上に置き換わった黒い十字架だろう。年季の入った黒檀の十字架には精緻なケルト結びの掘り込みが成され、細い溝には螺鈿らでん細工も垣間見える。丁寧に磨き上げられた艶は、命を得る前にどれ程大事にされてきたかを想起させるようだ。

 纏う黒い法衣も、決して華美ではないが上等なもの。恐らくは墓守としての仕事着なのだろう、頭を覆い隠す黒いフードは手袋と共に外され、頑丈そうな杖と共に畳んで傍に置かれている。膝の上で組まれた手は、仕草の優美さに反して傷と胼胝たこが目立っていた。

 上から下まで、十字架の先端から革靴の先まで。失礼と怒られても仕方ないほど細々と眺め回すアザレア。好奇と猜疑の色を滲ませた目が自身に定まり、第一声を発するまで、クロイツは這い回る視線を受け入れた。決して居心地のいいものではないが、彼が物殺しと会うのは数度目のことであったし、彼等からじろじろと見られることにも慣れている。多少の理不尽を受け容れるだけの度量もあった。

 少女が用件を告げたのは一分後。物殺しとしては早い方である。


「フリードさんが、お墓に花を供えて欲しいと」

「そうだ。以前は花屋が定期的に仕入れてくれていたが、彼女は殺されてしまった」


 殺された。

 無造作に放たれた一言で、物殺しの心中に不穏な波が立った。

 この街の経済を回すのは物である。ファーマシーが医師として常駐し、シズとピンズが揃って仕立て屋を営むように、この街には住む物が持つ才能に応じた店が立ち並んでいるのだ。ならば、花屋とて物が営んでいると予想するのは自然な流れであろう。

 しかし、アザレアは花屋が生ける物でないことを直感していた。未だ出会ったことのない、この世界の人間なのだと。その理由を明確に記述出来るほどの語彙は無いが、とにかく「殺された」という言葉が引っかかるのだ。ほぼ確信に近い予想が脳裏に渦巻き、ざわざわと心底の不安を煽る。

 青い顔をして黙り込んだ少女。その心境を知ってか知らずか、クロイツは重々しく続けた。


「花屋を殺した物は、正直言って私や他の墓守では勝ち目がない。フリッカーやそこの付き人なら――この墓守の武力装置つるぎならば確実に勝てようが、あれは強者との戦闘を巧妙に避ける。気を付けなさい」

「心配するんですか? 貴方を殺すかもしれない人を」

「する。君は物殺しである以前に異世界から迷い込んできた客人で、客には尽くせる限りの礼を尽くすのが迎え入れる側の礼儀ルールと言うものだ。……君が芝刈り機を持って暴れているなら別だが」


 声を潜めて言いつつ、心中で惨劇の記憶を思い出す。

 ――“粗悪品”に殺された物殺しよりも更に前、此処へ招かれた数人の異世界人。揃いも揃って髪の毛を染め、耳朶のみならず舌や鼻にまで穴を開けてピアスを下げ、ちんちくりんな刺青を粋と勘違いして自慢していた若者たち。

 何処ぞかのグロテスクなゲームを嗜好していたと言う彼等は、街へ着くなり芝刈り機だの火炎瓶だのを持ち出し、手当たり次第に物を襲っては血と火の海に沈めた。それはまさしく児戯ゲームの如き惨劇。情緒も節操も覚悟もなく、結果も記憶さえも残らない空っぽの殺戮だった。

 総数は分からない。数えきれぬほど多かったこともあるし、何より原型を留めている遺体が皆無だったからだ。人肉と屑の山、そうとしか形容できない亡骸を前に、墓守達が受けたショックはいかばかりか。人の身をシャベルで棺桶に詰め込み、ゴミを処理するように荼毘へ付しながら、あんまりだと泣き叫んで火葬場から走り出でたフリードの背を。その後を継ぎ、血まみれのまま葬儀を執り行ったもう一人の墓守の震えた声を。彼は未だ忘れたことはない。

 しかしてアザレアは、クロイツの言葉を真顔の冗談と捉えたようだ。ひくり、と頬を引きつらせながら、彼女は呆れたように首を振る。


「し、芝刈り機……それはしないですけど。でもそれにしたって、殺人鬼をおもてなしする礼儀は私の世界ところにはないですよ」

「君達にとっての物殺しとは殺人鬼そうなのだろうが、我々にとっては存続上不可欠なものだからね。我々は出来る限り君達の仕事が完遂されることを願うし、その為の助力は惜しまない。頼ってくれて構わないよ」


 墓守を頼る時など来るのだろうか。

 心中に浮かんだ疑問は唇の端を噛んで押し殺した。物殺しとしての仕事を全うする以上、死とは切っても切れぬ縁なのだ。死者を受け容れる墓地を個人的な感情で無視できるはずがない。

 再び言葉を失くした物殺しへ、守長は何も言わず。ただ傍らに置いていたフードと手袋を手元に引き寄せ、杖に体重を掛けて、ゆっくりとソファから立ち上がった。思わずその頭を追ったアザレアの視線は、一瞬虚空を彷徨う。佇まいから予想していたより、随分と背が低い。

 目測の甘さを抜きにしても大きい誤差。微かながら首を捻る少女の内心を、クロイツはどうやら読み取ったようだ。本当はもっと背があったが、と前置きし、彼は黒い法衣カソックとズボンの裾を引っ張り上げた。

 覗く銀の色。義足である。思わずぎょっとした少女に意識を向け、持ち上げた裾を戻したクロイツは、杖に自重を掛け直しながら苦しげに呻いた。


「花屋が殺された時、私もそこに居てね。その時に切り落とされた。むしろあれは……当てつけたのかもしれない。眼前で、わざと長い時間を掛け、花屋を最後までまま犯し殺した」

「そんな、こと、が――」

「出来るんだ。外法の限りを尽くすことを意義として見出してしまった物なのだから、躊躇もなければ反省すらしない。――気を付けろと言ったのはそこだよ、アザレア。あれには良心がない。自分の意義を満たす為に他者の定義ニッチを暴虐することを躊躇しない。彼の罪悪感はどんな罪を犯そうとも想起されない。あれ自体が罪科の権化のようなものだから」


 ――その結果が私の有様だ。


 血を吐くように呟き、クロイツは傷だらけの手で足を叩いた。二回、法衣の裾を揺らしたその手が、ぐっと強く上等な布地を握りしめる。その震えが意味する所は、深い恐怖と失意、そして悲愴。長きを生きたであろう守長すら振顫させる惨禍について、アザレアは想像を放棄した。想像などしたくもない。して無闇に恐怖することが得策だとも到底思えない。何より、クロイツがそれを望まぬであろう。ならば最初からしない方が良い。

 さりとて、場を繋ぐための言葉も彼女は持っていない。元々そう口の上手いタイプでもなく、異世界について質問責めに出来る空気でもない以上、持てる手札は緘黙ばかりである。

 重苦しい沈黙が場に積もりかけて、二つの声が打ち払った。


「心配するな」


 酒と煙草に焼けた声と、静けさに掠れた声。フリッカーとキーンだった。

 虚を突かれ、驚いたようにそちらへ顔を向ける二人へ、告げるのは一つ。


「心配すんな、アザレアの筋の良さは付き人のお墨付きだ。俺もそう思う」


 フリッカー。他でもない、アザレアとクロイツを引き合わせた張本人。付き人以外では、恐らく最も彼女の素質を見た物。彼が断定形で認めた才人は、善かれ悪しかれこの世界に大きな爪痕を残すのだと、守長だけは知っている。

 綴られる言葉の糸は切れない。


「あの中学生とは違う。やり切るだけの実力も度胸も、こいつにはある。後は伸ばすだけだ。必ずやりきる、必ず帰す」

「…………」


 クロイツは首肯するのみ。

 理解は、閑寂の中にただ静々と立ち尽くす。

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