十一:緒戦

 汽笛の音が高く空を震わせる。

 思わずその方へと目をやれば、申し訳程度に柵で囲われたレールの上を、のろのろと汽車が出る所だった。咳き込むように幾度か煙突から黒い煤を吐き、車体は速度を増してゆく。がちん、とレールの切り替わる音。それまでまっすぐに走っていた汽車が左に緩やかなカーブを描き、遠ざかっていく。

 運転席と石炭車を含めて八両編成。客車にはやはり人ならざる頭の物たちがまばらに座っていた。それらが一体何処から来て、何処へ行くのか。思いを馳せたところで、想像の余地さえない。

 ガタゴトと轟き、見知らぬ地平線の向こうへ消えてゆく黒い後ろ姿を見送って、アザレアは意識を自身の正面に集中した。時刻は午後十時過ぎ。この街唯一の公共交通機関、その最終便が出て行ってしまった以上、最早滅多なことでは街への人や物の流出入はない。あるとすれば、それは害成す物――“粗悪品”だけだ。

 ポケットの中に入れたナイフの柄を、アザレアは強く握りしめた。


「そう言えばスペック、昨日はどうした」

「ケイさんと二人で片付けましたよ。俺の出番はほとんどありませんでしたが」


 前衛まえでフリッカーとスペクトラが昨晩のことを口上に上げていた。

 探照灯不在で迎えた攻防戦、それをものの十分で終わらせたのは、外ならぬキーンである。相も変わらずの徒手空拳で現れた彼は、気合の一つも入れることなく戦場を蹂躙して回ったのだ。無言で、当然のことのように“粗悪品”を撲殺していく様は、恐ろしさを一周回って清々しくさえあった。

 ともすれば大佐よりも戦闘に長けているかもしれない。心中に湧き出るその一言を、スペクトラは丁寧に隠す。その様を見ていたアザレアとフリッカーは、舞台照明の言いたいことをそれとなく感じながらも、言わずにただそっぽを向いた。

 直後。荒野に立つ四者の意識が、一斉に同じ方へ向いた。各々が持てる武器を構え、臨戦態勢を取る。

 即ち。スペクトラは片手に黒いナイフを構え、フリッカーは両の拳を握って腰を落とし、キーンは自然体。その様を目にしながら、アザレアは付き人からの囁きを思い返し、忠実に模倣していく。


「来るぜ、スペック」


 ――グリップは慣れるまできっちりと保持しろ。

 ――足全体でしっかりと地を掴め。


「今更確認することではありませんよ、大佐」


 ――相手から目を離すな。真正面から見据えろ。

 ――呼吸は早めるな。止めてもいけない。普段通りにしろ。


「……気負いすぎるな。フォローの手は当てにしていい」

「大丈夫、です」


 呟くようなキーンの吐息が、彼女へ与えられた最後のアドバイス。アザレアはゆっくりと意味を飲み込み、首肯する。

 目を閉じて、開いた。極度の緊張に心臓が早鐘を打ち、脳が興奮剤アドレナリンを全身に垂れ流しても。呼吸だけは平生のままだ。普段と変わらぬ箇所が一つあるだけで、自然と全身の過剰な興奮は治まっていく。後に残るのは適当な緊張感と、少女のものとは思えぬ冷徹な気配ばかり。

 アザレアの体勢が整うのと、フリッカーが頭のブラインドを大きく開け放ったのは、同時。

 数限りない咆哮と足音が近づくのと、前線に居た二人がその方へ駆け出していくのもまた、同時だった。


「雑魚だけやるよアザレア、まずはそいつを倒してみな!」


 がらがらと嗄れた声が、爆音のような音に紛れる。破城槌のような一撃が、土塊を積み重ねたような煉瓦頭を砕いたところだった。その言葉通り、フリッカーが敢えて作った隙の間を、よろよろと覚束ない足取りの“粗悪品”がすり抜けてアザレアへ向かう。頭に成り代わった安物の青磁は大きく損壊し、手は茫洋と彷徨い、呻く声はまともな単語としての像を何一つ結ばない。押すだけでも倒れそうな有様だった。

 物殺しはそれでも油断しない。一旦間合いを取り、キーンから貰ったアドバイスを頭の中でなぞる。


 ――初手で手足を潰せ。暴れるならば右の腹を突いて黙らせろ。

 ――胸は無理に狙うな。骨に当たれば刃が折れる。

 ――身体の傷は致命傷にならない。俺達は人間とは違う。傷は何であれ治る。


 冷静に、右の手首を狙った。果たして彼らに利き手があるかどうかは分からないが、何にせよ片手が使えないだけでも重要なアドバンテージではあるだろう。非力な彼女は両手で力一杯に突き刺し、引き抜いた。“粗悪品”でも人の身の構造は変わらないらしい、ナイフを抜いたそばから紅い血が溢れ出す。

 声なき声で苦痛を訴える様は、見ないふり。彼女は続けざまに左の太腿を突き刺し、右の向こう脛をブーツの踵で蹴りつける。ぐらりと傾ぎ、隙を晒した青磁器へ、振るうはとどめの一撃。


 ――首だ。頭と首の間を狙え。


 アザレアはどこまでも付き人のアドバイスに従った。血塗れた刃を、破損した壺とひどく血色の悪い首との間に差し入れる。ずく、と、手や足を刺した時とは全く異なる重さが柄から伝わってきた。微かに眉が歪む。

 それでも、手は止めない。


 ――見えなくても“それ”はある。刃を入れて、力の限り押し込め。

 ――んだ。


 ずくり。ずず。生々しい手応え。命を奪うとはこう言うことかと、アザレアは心中で痛感する。叫び出しそうになるのを堪えながら、彼女は柄頭を掌で押さえ、思い切り首と頭の間に刺し入れた。

 ぱきん。薄い板の割れるような音が耳に届くと同時、“粗悪品”の身体が力を失う。姿勢を変えたアザレアの脇をすり抜け、青磁が静かに地へ伏した。それきり物は動かない。

 還ったのだ。アザレアの想像よりもずっと呆気ない。物殺しの双眸は小さな動揺を湛えて命を喪った物と未だ渦中にある戦場とを行き来したが、そんな感情を吹き飛ばすように、傍を固めていたキーンから声が掛かる。


「アザレア!」

「!」


 咄嗟に重心を後ろへ傾け、足のバネを使って体当たり。衝撃と共に、彼女の背後から角材を振り上げていた“粗悪品”の動きが止まる。その隙を抜け目なく突き、逆手に持ち直したナイフを自身の右の脇から貫き通した。あばらをすり抜けた刃はそのまま肝臓へ至る。


「が、ガ――!」


 呻き声のような砂嵐ノイズ。角材を取り落とした“粗悪品”の懐の中で、アザレアはナイフを引き抜きざまに身体を反転させ、ほぼ密着した状態で刃を喉元に突き立てた。断末魔のようなノイズが一つ二つ、壊れかけたラジオの頭と人の身が切り離され、物が還っていく。

 鈍い音を立てて砂利の上に膝を折る死骸。その上を、めきめきと何かの軋るような音を立てて、別の“粗悪品”が数体まとめて吹っ飛んでいく。アザレアが飛んできた方へと目をやれば、スーツの裾を優雅に翻し、惚れ惚れするような鮮やかさで“粗悪品”を蹴り倒すキーンの姿があった。

 フリッカーの強さが生来の膂力に任せた荒々しい暴力とすれば、彼は研ぎ澄まされた技術に制御された静かな殺戮。全く正反対の力でありながら、そこに優劣はない。二人とも、ある種武力の極致を垣間見た物なのだ。

 そこに、己の立つ場所はない。彼等の領域に自身が立ち入ることは出来ない。アザレアには既に分かっていた。それでも彼女は次なる“粗悪品”に向けて凶刃を振るう。

 今は、自らの生存のために。


「七十六。少ないですね」

「毎晩何百と湧くほど“粗悪品”もやすいもんじゃあるまいよ。多いとは言え無限じゃねぇ。還せばその分減りもするさ」

「人の街の廃棄所は昨日も三トン近い廃棄物を受け容れたようですが?」

「その内“粗悪品”になるゴミが何百キロだってんだ。ほとんど灰になっちまうよ。物にとっては荼毘に付されたようなもんだろ」


 戦いはそれほど長く続かない。

 アザレアが十体目の“粗悪品”を物に還したときには、荒野は元の静けさを取り戻していた。地面には肉塊になった人の身とぐしゃぐしゃに殴り壊された物が点々と転がり、死屍累々の惨状を作り上げている。その有様を見回したアザレアは、ただ唇の端を強く噛み、ゆっくりとナイフを鞘に納めた。

 その肩の後ろに、キーンがそっと立つ。その手が掴んだ肩は、小刻みに震えていた。怖気立つような恐怖でなく、煮え立つような憤怒でもなく、沸き立つような興奮でもない。ただ海の如くに深い悲哀に震えていた。

 手に力を入れ、沈み込む意識を引き戻す。微かに首を巡らせ、鳶色の目だけを向けてきたアザレアに、彼は再び頭を近づけた。


「思うことはあるだろうが、まだ気を緩めるな」

「“粗悪品”か何かがいるんですか?」

「いいや――」


 更に声を低め、長く。アザレアの表情が意外そうな色を帯びる。

 ゆっくりと、転がる遺骸へ両の手を掲げ。目を閉じて、彼女は想起した。


「……嗚呼」

「本当にそう使うんだな」


 酸鼻な景色をベールのように覆う白い芥子ポピー。手に集う霞から生まれ、零れ落ちる花束は、生温い風に吹かれて空を舞う。夜闇を白く切り取る花びらを、物どもはただじっと、黙って見ていた。

 風の音だけが、命亡き物を送る。


 ――仕事は丁寧に。弔いは丁重に。

 ――冷淡であれ。冷酷にはなるな。

 ――お前は、命ある物を殺すんだ。


 アザレアの脳裏には、呻くような声がこびりついていた。

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