秋雨へ溶ける
ごんべい
秋雨へ溶ける
俺が初めてその教会を訪れたのは中学生の時。森の中にある寂れた教会は、俺にしてみればちょっとした秘密基地みたいなもんだった。
その教会には俺以外にもう1人、女性がいる。歳はよくわからないけど、静かで優しい人だった。学校の外で、こんな大人っぽい女の人とおしゃべりに行くなんて、なんだか自分まで大人になったようで、無駄に誇らしかった。
彼女は美しかった。
だけど、その美しさは人間的な綺麗さじゃなくて、削り出された彫刻のような芸術美だった。病的に白い肌はなめらかな石膏、黒い瞳はその窪みにはめ込まれた真珠だ。
「あら、また来たの」
俺は少しでも彼女に相応しい男になろうと努力した。彼女に男として認めてもらいたかったのだ。
「無理しなくてもいいのに。あなたは、あなたのままが一番よ」
高校生になって背が伸びた。声も低くなって、大人の男に一歩近づいた気がした。
だけど、まだまだ彼女に相応しい自分にはなれていない気がした。外見だけでは彼女に愛してもらうに相応しくない。
何か、悩み事がないかどうか聞いてみた。頼りになるところを見せれば、少しは意識してもらえるかもしれないという、浅知恵だ。
「ふふ、優しいのね。でも大丈夫よ。あなたが毎日来てくれるだけで、幸せ」
顔が熱くなった。彼女に認めてもらえた気がして、舞い上がっていた。別に何もしていないくせに、すぐに調子乗る。
「だから、特別なことはしなくていいの。あなたとおしゃべりできるだけで」
そう言われたけど、少しでも喜んでほしくて、俺はバイトまでしてプレゼントをしたり、面白い話をしようとした。だけど、俺が教会から外に出ようと言っても、それだけは聞き入れてくれなかった。
大学生になって俺は、大人になろうと、もっともっと頑張った。
そして楽しいことを、沢山知ってしまった。お酒とか、女の子とか、夜遊びとか、色々。地元から離れた都会で、俺はいつしか彼女のことを忘れ、恋人まで作っ
ていた。
そう、恋人まで作って俺はどうして大人になりたかったのすら忘れていた。
ある日帰省したときに、ふと彼女のことを思い出した。あの教会へ続く道を見たとき、なんとなく彼女の声が聞こえた気がしたからだ。
懐かしい道を辿っていくと、寂れた教会は変わらずそこに存在していたことに安心した。
自分はここから離れた遠い場所に行っていたから。彼女のことだって、忘れていた。だから、恐る恐る教会の中へ入った。
「久しぶりね。ずいぶん、待ったわ」
そこには、変わらない姿で彼女が祈りを捧げていた。
あの頃から、全く変わらない綺麗なままの彼女だった。
「ごめんなさいね、折角来てくれたのに、もうすぐ私消えちゃうわ」
何を言っているのか、よく分からなかった。消える、とはどういうことだろう。
「ふふ、立派な男性になったわね。あの頃の坊やが、こんな男の人になるなんて、少しだけ寂しいわ」
次第に、彼女の姿が透けていった。だから、居なくなるのが怖くなって俺は彼女を抱きしめようとした。
だけど、俺の両腕は空を切った。
「あなたが来なくなって、私は完全に信仰を失ったの。あなたがくれた信仰の残りも、今日でおしまい。あなたはもう、私以外の女の子を愛しているんですもの」
愛するってなんだっただろう。彼女を愛していたとき、一体俺はどんな気持ちだったんだろう。分からなかった。少なくとも、今の恋人を愛しているのとは違った気がするんだけど。
「それじゃあ、さようなら。素敵な恋心を、ありがとう」
そう言うと、彼女も教会も瞬きの間に消えていた。
気づけば、雨が降っている。当然傘なんか持っていないから、ずぶ濡れだ。秋雨の中に彼女は溶けていった。俺も一緒に、溶けてしまいたかったのに。
秋雨へ溶ける ごんべい @gonnbei
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