リコール

次に目覚めた時はベッドの中だった。双眸が重くてまだ眠りたい。目を閉じて毛布の中で寝返ると、なんだか頭が痛むのを感じた。そういえば、口腔が乾いている。口が開いていた。鼻が詰まっているんだ。不意に咳が出る。これは何故だ?横目でチラとベッドの横を見ると、ヴィナスが座っている。それで私は彼女に話しかけようとする。

「ヴィナス、これは一体どういうことだ」

「まだ静かにしていてください。蓮さんは風邪を引いているんですから。それに、まだ体が治ってすぐなんですよ」

やっぱり風邪らしい。あれから疲れすぎたのかもしれない。私はあまり風邪を引く方ではないんだがな。背中にはもう傷がなく、体も腐っていないようだ。

「ねえ蓮さん」

ヴィナスが口を開いた。

「なんだ」

「この星を救っていただいて、本当にありがとうございます」

「え…………」

ああ、そうだっけ。私は確かにこの星を救ったのだった。うん……?

「ということは、もう、私は……もう」

「……………………」

ヴィナスは悲しげに俯いた。

​──────地球に、帰らないと

そうだ、この星を救えば私は地球に戻らなくてはいけないのだった。しかし、それは私にとって幸福なことだろうか。愛も喜びも知らないまま生きてきた地球に帰るのと、新たな愛を持つここに残るのと?私だけならどちらでもよかった。でも、ここには​────ヴィナスがいるんだ。彼女をおいてはいけない。いいや違う、彼女とここに居たいのだ!

「ヴィナス!」

飛び起きた私に、ヴィナスはキョトンという表情で顔を上げた。

「私はここに残るぞ!お前を残して地球へ帰れるものか!私はお前を!」

私はベッド脇のヴィナスを強く抱きしめた。

「愛してるんだ!」

ヴィナスの肩がわなわな震えるのがわかった。私は震えを鎮めるようにさらに強く締めた。私たちは数秒間抱き合った。

「……………ふふっ」

耳元で笑い声が聞こえた。

「あっ…………はははははは!」

笑い声……笑い声?私は抱く腕を離した。

「やだァ、蓮さんそんなこと考えてたんですか?」

「へ…………?」

ヴィナスは困ったように眉を潜めて涙を流して笑っている。私、そんなにおかしいこと言っただろうか……?

「誰も『終わったら地球に帰す』なんて言ってないじゃないですか、ははは、おかしい」

拍子抜けした。ここの神は最初から私を帰すつもりはなかったようだ。それ、いいのか?いやまあ、帰るつもりはなかったが……そう思ってなかったら帰れなかったのか……

「いいえ、救世主の技量なら帰ることくらいはできますよ。そのために神が散りばめたテクタイトじゃないですか!この星での死も誕生も、すべては神が蓮さんのために用意した試練なんですから」

テクタイト……?そうか、テクタイトにはテレポート能力があるのだったか。確かにファクタを作った私だ、できないことはないだろう。計画的に殺された双子は哀れまずにいられないが……結局私は神の手の上で転がされていたというわけだ。不本意だが、これには苦笑するしかない。

「構いはしないとも。私にはお前がいるのだから。しかし、これはアレだな。まるでアダムとイブではないか。現にこの星には私とお前しかいないのだからな」

冗談のつもりだったが、むしろそうなのかもしれない。と、思っていたが、何やらヴィナスはヘラヘラしている。

「あははは……そう、思いますよね」

ヴィナスはベッドの横のカーテンを開いて外を見せた。するとなんということか、さっきまで何もないと思っていたのに、人だか獣人だか、そうでもなきゃ植物やらなにやらが驚くほどの生態系をもって現れていたのだ。最早、地球以上の自然を構成していた。

「タービンが正確に回ったことで、元の世界に戻ったのですよ。それで蓮さんは医者としてもなおここへ派遣されたのですよ」

「驚いたものだな……ヴィナス、外へ行こう」

私は病体を無理に動かしてヴィナスの手を引いて家を出た。白い壁を抜けると、新鮮で透明な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。喉が刺激されて数度咳は出るが、それでも麗しかった。自分たちの家が、海辺の丘陵にあることを知った。地面が緑に覆われていて、歩くほどに草の擦れるサクサクという音がする。遠くの山側に家がいくつも見えた。

「ヴィナス、見てみろ!」

私の指さす先で、海が波ひとつなく静かに佇んでいた。あれはフローズン・ビーチだ。もう凍ってはいなかった。走って近くへ行くと、さっき落ちていった海溝はなかった。タービンの修復で閉ざされたのだ。

「美しいなぁ、これなら夏でも泳げるぞ」

と、言ってから自分がカナヅチだということを思い出した。まあいいが。それでも、フローズン・ビーチはどこまでも深く青く、それでいて広かった。いつか見た星空のように、空の青さを映している。今まで私の体験したいくつもの辛いことを、この青い海も、青い空も見ていたのだ。これがBLUE LIMBO青い辺獄と呼ばれる所以だろうか。

「先生!」

遠くで知らない人の声を聞いた。振り向けば、BLUE LIMBOの民だろう背の低い異形人たちが私を囲んだ。

「先生、復活させてくれてありがとう!」

「先生、これからいっぱい病気を治してくれるんでしょ?先生に見てもらえるの、楽しみ!」

「先生かっこよかったよー!」

ああ、知らない人々から先生と呼ばれ、賞賛の声を浴びせられる。照れくさくて何も言えない。顔が赤くなっていないかあまりに不安で俯いたきり喋れなかったが、民からすれば俯いた方が顔がよく見えるのだと後になって気がついた。

「ハハハ、これではまるでこの星を手に入れたみたいだな」

「その通りです、征服者」

知らぬ間にヴィナスが私の横に立っていた。

「あなたはこの星の主とあるのです。今やあなたにできないことはありません」

それはあまりにも荷が重すぎるが……世界を征服したようで悪い気はしないな。

途端に頭が痛くなった。風邪の症状だろうか。目の前がクラクラして立っていられないほどだ。膝が崩れそうになったが倒れることはなく、直立したまま私は意識を失った。


「ヴィーナス」

「清、貴方は蓮さんを眠らせなくても出てこられるんじゃなかったの」

「蓮には起きていてほしくなかった。俺はお前と話すことがある」

俺の脚が震えていた。気を紛らわせたくて髪をかきあげる。いつかは必ず、こんな時が来ると思っていた。

「俺はもう消えなくてはならない」

「どうして?」

「蓮はこの星での試練を全てこなしてしまった。俺の存在をものともせず、克服してしまったんだぞ。その上、お前もいる。子供だって出来る……俺の子でもあるが、それでもまだ蓮の子だ」

「それが貴方となんの関係があるの?」

「わからないのか?俺はもう邪魔者だってことだ……いや、最初から邪魔者だったさ。でももう用済みなんだよ。俺は消えなきゃならない……消えるべきなんだよ」

しかしヴィーナスはまた困ったような顔で大笑いした。困ったような顔がというのは、自分の顔では笑い足りなくてもどかしいような、そういう顔だ。

「何が可笑しい」

「貴方って、やっぱり蓮さんなのね。また早とちりしてるんだわ」

「俺を一緒にするな!それに早とちりなんか」

「誰も『終わったら消えなきゃならない』なんて言っていないわ。それに貴方、結局は蓮さんだもの。別の人間だとしても、体は同じよ」

「だが……お前は知っていると思うが、俺は罪を犯した。見合う刑があるべきだと思うだろう。それこその『死刑』だ。それが適当なんだ」

「貴方…………」

ヴィーナスは、今度は片眉を上げて嘲笑するような顔をした。

「あんなに死にたくないって言ってたのに、死にたいの?生きると決めた命をまた死に晒すの?死ぬ死ぬ詐欺?」

言葉に詰まった。死にたくなんかない。でも罪は償わないと。これは双子への償いではない。むしろ蓮への償いなのだ。俺は双子のことなど構いやしなかったが、直接関与していないにも関わらず蓮は心を痛めた。蓮は俺とは生きていけない。

「清」

俺の口が勝手に動いた。間違いない、これは蓮だ。もう、主人格と別人格はどちらかわからない。

私を勝手に眠らせやがって!

その意思が脳裏を伝った。すまない、許せ蓮。

「こうしましょう」

ヴィーナスは二人の男に向けて言った。

「清、貴方を無期懲役の刑に処します。刑務所は蓮さんの身体。望まずとも、死ぬまでそこで過ごしてもらいます」

俺はヴィーナスの顔をギッと見つめた。

「じゃ、じゃあ、俺は……」

「貴方は貴方、蓮さんは蓮さんです。二人私と共に生きてください、よろしいですか」

俺は視線を右端に移した。

「私は構わない……ヴィナスがそういうならな」

今や二人の境は明確化した。私は俺ではなく、俺もまた私ではない。蓮はまだ清を迷惑と思っていたが、ふと少しの親和感を抱いた。体は二人でも簡単に動いた。

「鼻が邪魔にならないだろうか」

蓮はヴィナスに近づくとその後頭部に手を掛け、顔を寄せてその唇に淡くキスをした。

ヴィナスは目を丸くした。

「ええっと……キスは、していなかっただろう。悪かったな、鼻が高いせいで」

「これには……予測していませんでした…………あはは、蓮さん、顔、真っ赤ですよ」

清はそんなことを言い合う蓮とヴィーナスに肩を竦めつつ、左手でヴィーナスを寄せて勇敢にもキスをした。

「これも予測はできなかっただろう」

清はズイと近づいてヴィーナスに問いかけた。蓮はその意思を読み取ってひどく動悸がした。

「さァ、お前はどっちを選ぶ?」

ヴィーナスは小首を傾げて両口角をヒクッと引き上げると、突然『二人』に飛びついてキスの嵐。

「どっちもですよ、どっちも!」

私は背を屈めてヴィナスを抱きしめた。今度こそは、しかと抱き合った。

私たちはこうして果ての星で結ばれたのだった。

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科学の華 ジャパディ @Japonika

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