てがみさんけい

てがみさんけい・夜汽車

 手紙についての話を、幾つかしていこうと思っている。




 丁度ちょうど夏の初めに、金沢の知人に招かれた。態々わざわざ遠出をして貰うのだから、長く逗留とうりゅうしていきなさいとの言葉に甘え、僕にしては珍しく、少々長旅となった。気鬱きうつも季節のせいか程良く軽く、向こうは魚も美味く、健康的とも言える時間を過ごした僕の、友人と遣り取りした手紙が次の物である。



前略 関信二様


 毎度の事だが、時候の挨拶などは抜きで行きたい。言った通り、僕は今金沢の宿でこの手紙を記している。君の不吉な予言通り、数日で嫌になって蜻蛉とんぼ返りをしたり、などと言う様にはならなかった訳だ。


 大体あれはどういう了見だ。大の大人が懐郷病ホームシックなどをおさおさ患う訳が無かろう。我儘わがままな子供ではあるまいし。君はもっと、人を信頼する美しい心を育まねばならない。


 美しい心と言えば、ここはまた精神の修養には格別だよ。何せ酒が美味い。つまみの海の幸も美味い。僕は珍しくも冒険心を奮い立たせ、あちらこちらの酒家を覗いてみる事にした。今日も行脚から帰って、疲れた足など揉みながらこの手紙を書いているところだ。たまらないね。


 観光の話などしたいところではあるが、そろそろ眠気が来た。この手紙は先ず君の余計な一言を否定しあげつらうためのものであるからして、ここで終えても文句は無かろう。


 汽車の遠い汽笛を聞きながら寝て仕舞おうと思う。何か変わった事でもあれば、所書の場所まで返事を寄越してくれ給え。大抵の事では僕はしばらく帰らぬ心算つもりだが。それでは。


草々。

大久保純



前略 大久保純様


 手紙の作法だの何だのをくだくだ唱えて悦に入っている奴は、誰であれ隅田川にでも落ちろと思うね。


 本当ならば君のあの無礼千万悠々自適な言い草に返事など書く心算は無かったのだが、取り急ぎまずい事に気付き筆を取った。速達の切手代が勿体無いので、帰ってから返してくれたまえ。


 君、あの手紙は何時頃に宿で書いた物だ。俺が気にしているのは、宵っ張りの君の事だ。どうせ日付が変わる頃にようやく宿に戻ったのじゃ無いか、という事なのだ。そうして、いい気分でつらつらとあの中身の無い書簡を弄んだのだろう。そうで無い事を祈るが、兎も角君は浮かれ心地で汽笛を聞いた。


 何がおかしいか教えてやろう。金沢の線路にはその時間、夜行の列車は通らない。本当に君は呆れた能天気だ。どうかその汽笛を頼りにフラフラと列車見物等と考えたりはするなよ。どこに繋がるどんな汽車だかわかりやしないのだ。


 この手紙が俺の単純な考え違いであるか、若しくは君がそんな馬鹿をやらかす前に到着する事を祈る。逓信省はどうも信用出来んが、兎も角祈る。


 良いからサッサと帰って、切手代を寄越し給え。酒だの庭園だのの話は、その時に聞いてやる。


草々。

関信二



前略 関信二様


 先ずはこれだけ書きたい。手紙を有難う。君の手紙は間に合わなかったが、どうやら僕は無事で居る。安心してくれ給え。


 間に合わなかった、と言うのは、そうだ。僕は丁度手紙の到着の前の晩、君のご想像の通りにボンヤリと線路近くの街を歩いていたのだ。毎日遅くに汽笛が鳴るのを何とはなしに楽しみに思うようになっていたのでね。


 月が綺麗な晩だった。東京からもこの月が同じような姿で見えると思うと、不思議な気持ちがしたものだ。否、矢張やはり同じではあり得ないだろうね。東京の空気はもっとしんなりと煙たい。こちらの月は幾分輪郭がハッキリと見えた様だった。


 だから、灯りの少ない通りも案外気楽に通れたし、線路に間違えて立ち入る心配も無かった。ただ僕は、あの汽車はそろそろ通るだろうかと楽しみにしながら、線路に平行に走る道を辿っていたのだ。やがて、汽笛が鳴った。


 君に言った事があるかは知らんが、僕は夜汽車が好きだ。だから態々わざわざ出てきたのだし、君の心配はこうして的中してしまった事になる。


 だが、蒸気の音を響かせて汽車が近づき、客車が見えて来た時、僕は心得違いに気づいた。あれは見れば直ぐにわかる。生きた人間の乗る列車では無かったと。


 何がどうおかしいとは説明がつかない。君ならばわかってくれると思うのだが(この言い様はどうにも業腹ごうはらだ)、乗客は何か、どこか尋常の人間とは違っていた。顔が青白かった様にも思える。目が虚ろだった気もする。後からではどうとでも言える。兎も角、彼らは僕とは違う、それだけは確かだった。


 流石に酔いも醒め、くるりと見なかった事にしようと後ろを向きかけた時、最後尾の車両(おかしいと言えばこれもで、この列車には客車ばかりで貨車が無かった)の窓辺に五歳ばかりの小さな子供がひとり、はたはたと僕に向け手を振って居るのが見えたのだ。


 その子供だって、矢張りどこかおかしい様だった。だから、僕は手を振り返さなかった。安心し給え、それ位の頭はある心算だ。ただ、その子があんまりに無邪気な様子で、意気込んで、頰を赤くして、千切れんばかりに手を振るので、通り過ぎる頃には僕は何だかすっかり切なくなってしまった。


 どう言う物だかは知らん、下手をしたら僕も乗せられていたのかも知れん、同情などはする物か。だが、僕は初めて汽車で遠出した時のあの気持ちをふと思い出してしまったのかもしれないね。笑い給え。


 まあ、それで汽車が通過してからは走って帰って、それからは何と言う事も無い。サッサと寝て、昼に君の手紙を読んで、今急いでこいつを書いている。


 筆を走らせていると、何だか僕は急に東京が恋しくなって来た様だ。あの汽車に捕まるより速く、ここを後にしようかとも考えている。前にああは書いたが、懐郷病ホームシックは時に、大人の精神も駄目にするのかも知れんね。


 この手紙が着く頃には、僕も帝都の土を踏んでいるかも知れん。競争でもしようかと思っているよ。それでは。


草々。

大久保純



前略


君は本当に、どうしようも無い大馬鹿野郎だ。


草々。



 最後の手紙は、僕が無事に帝都の片隅たる我が家に戻り、溜まった仕事をこねくり回していた時に受け取った物だ。庭先から不意に白の紙飛行機がふわりと飛び込み、見ると関が雑草まみれの庭に立ってニヤリと笑っていた。そうして飛行機を開くとこんな文が書かれていたと言う訳だ。


 成る程、飛行機ならば汽車よりも余程速かろう、と僕も釣られて笑ってしまった。幸い、あれから夜汽車が僕を追いかけて来るというような事態は起こってはいない。

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