きみかげのはな 弐

 その言葉を最後に、女はスッと姿を消してしまいました。本当に姿が薄れて消える物なのだなあと僕は驚き呆れるばかりで、只々ただただぼんやりとしていたのですが——何だか青臭い匂いがする事にその時気付きました。女が居た辺りを見てみると、そこには千切れた葉や、何だか白い花が幾つか散らばって居たのでした。


 さあ、ここまでが怪異ですよ。先生。探偵小説宜しく、挑戦を受ける気はお有りではありませんか。果たしてこの女の正体や如何いかに!


 先に女も言った通り、僕にじかに縁のある何かでは無いのです。もっと——えっ? ええ、そう……その通りです。参ったな。どうしてそんなにすぐにおわかりになったんです?


 成る程。確かに僕は長々とあの本の話をしていましたが……。いけませんね。もっと上手に隠すべきでした。


 ええ、そうです。僕は思い立って、灯りを点けると買ったばかりの本を開いて精査してみたのですよ。何故って、その日に限って起きた変わった事と言ったらその本を購入した事位でしたからね。


 古い本でしたが、中はなかなか綺麗な物でした。そうしてはらはらとページをめくると、真ん中の辺りに何か紙が挟まっているのがわかったのです。薄紙をそっと開くと、中には押し花が——ぴったり薄くなった鈴蘭すずらんの花が一輪、静かに挟まって居りました。ああ、これがあの女かと、ぐに合点が行きましたね。


『押し潰されて苦しゅう御座います』


 女の声が、頭に蘇りました。人間からして見れば美しさを保つ為の工夫でありましょうが、花からすればひど圧搾あっさくですからね。しかも、古本として売られてしまって長い事そのままでいたのでしょう。それは、何もかも恨めしくなるのも当然かと思われました。

 押し花を取って、そうして大家に頼んで庭に埋めてもらったが最後、あの女はぴたりと現れなくなりましたね。礼くらい言ってくれても良い物だと思うのですが——まあ、ああ言う物に望みを掛けても痛い目を見そうではありますし。


 はい。怪異の話はこれで終わりです。如何いかがでしたか? 僕の語りは。なかなか堂に入ってはいませんでしたか。


 え? そんな、そこいらの草花の声がいちいち聞こえるだなんて事はありませんよ。僕の目は確かにあれ以来少し変わった様ですが、それでもそこまで人離れしては居りません。そんな風だったらとっくに気がおかしくなっているでしょうよ。

 偶々、ああして女の姿で現れたから少しばかり情を掛けたばかりの事です。それだけですよ。まあ、時折草木そうもくの気持ちなんて物を考えてしまう事はありますが——それを言ったら紙なんぞ酷い虐待です。僕は植物の意思よりも人類の叡智えいちの形を取りますとも。書痴しょちで結構。お笑い下さい。



 ただ、先生。僕は、少しだけ不安になる事がありまして。


 いえね、今度の休みに僕は友人を訪ねる用事があるのです。気のいい奴なのですが、趣味が昆虫採集。採った虫をピンで刺して、防虫剤を入れて、はねを広げた標本にして——先生、僕が恐れているのはですね。その、彼自慢の蒐集物コレクション達が、あの鈴蘭の様に人間に見えたとしたら、と言う事なのです。例えばその晩、胸の辺りをピンで刺し貫かれた姿でぞろぞろと、僕に助けを求めに来たとしたら——。


 先生。僕は、一体どうすれば良いのでしょうかね?

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