カレーライス

藤村 綾

かれーらいす(短編)

 カーテン越しに透けて見える朝焼け。尿意を催し、隣で寝ている男を起こさないよう、そうっと布団から出ようとした。

 生まれたままの姿で寝ているあたしと男。春めいてきたとはいえ、このままトイレに行くのは憚れる。万年床の布団の横にあるソファーにかけてあるカーディガンを無造作に掴み、さっと羽織った。男の匂いのする、草臥れて穴が開いている紺色の毛玉だらけのカーディガン。

『これさ、どうしても捨てれないんだよね』

 男はそういい肘の部分が破れているカーディガンをひどく大事にしている。そんな破れてまでも大事にされているカーディガンを憎らしいとすら感じる。あたしを抱く以上に男に抱かれたカーディガン。そんなカーディガンを羽織るあたし。

「さむっ」

 さすがに声が出た。いよいよ尿意が決壊寸前になりトイレに行く。そうっと、のつもりだったが、気配に鋭い男が目を覚ましてしまった。

「どうしたの?」

「あ、起こしちゃった」

 ごめ、んね、の、最初の2文字だけ言ったら、男があたしの手を掴み布団に引き戻した。

「いかないで」

 後ろから抱きつきあたしに控えめな声で囁く。

 トイレに行きたいのに。

 あたしはそれすらも言えない。恥ずかしいとかではなく、ここから抜け出してはならない気がして。

「わかったわ」

 あたしは男の方に向きなおり、薄く華奢な胸に顔を埋める。温かな胸。

「したい」

 朝勃。男の下半身が聳立し太ももにそれがあたっているのがわかる。毎朝の日課。朝に混じり合う行為は一緒に住み始めてからの日課だ。1年半の儀式。

 あたしは、頷き、そのまま男の下半身まで布団に潜ったまま移動し、聳立を口に含む。朝は見事にそれは大きい。男も多少は尿意を催しているのがわかる。

「う、」

 遠慮がちに声を発する。男はあまり悦の声を上げない。あたしは、ネロネロと啜り上げ、丹念に舐める。乾燥がひどく口の中はサハラ砂漠だ。けれどなめているうちに自然の液体が粘り出る。

 男はもう我慢出来ないとばかりに、あたしの脇に手を入れ、そのまま上に持ち上げる。あたしは既に挿入の準備は出来ている。男はなにもいわず、あたしの中にするりと入ってきた。みしみしと入ってくるときの音が聞こえるような気がした。膀胱はパンパンだ。

 あたしは上にいるので自由に身体を稼働することが出来る。身体を上げ、男を見下ろした。目があう。そのまま、腰を上下に動かし、あたしは天井に顔をもたげる。

「ああ、」

 ささやかに声を上げる。

 男はあたしの腰を持ち、杭を打つように何度もあたしを突いた。何度も、何度も。

 何度目かで、男は上になり、脚を持ち上げてさらに奥に入ってくる。

 尿意はどこかにいき、あたしはなすがままにされていた。

 温かい体液が子宮に注ぎ込まれる。

 あたしの中で男が蠢いているのが嬉しい。

「ちょっと、シャワーで流してくる」

 ティシュを股にあてながら、カーディガンを羽織って、シャワーに向かう。その次いでにトイレに行った。尿と体液が同時に流れてゆく。2つの穴から同時に液体が出るなんで女の身体というものは見事に出来ていると毎回感心をする。

 中で体液を出すという行為事態普通ではありえないのだが、幸いあたしは妊娠をしない身体なのでそれが可能なわけだ。男はこういう。

「外で出すという行為をもう忘れた」と。

「なにそれ」

 あたしは、くすくすと笑う。

「浮気でもするつもりなの?」

 脈絡もなく口にした台詞にあたしは笑い、男に抱きつく。忘れていいよ。そう言ったら、男がお追従笑いを浮かべた。

 笑った顔が好きだ。

 トイレに行き、シャワーを済ますと、もう男は台所の椅子に腰掛けていた。タバコを吸っている。

「今、何時なの」

 男に問う。掛けてある時計は電池が切れていて時計の役目を果たしてはいない。只の飾りだ。今時珍しい鳩時計。けれど、今の一度も鳩を見たことがない。 中にいるのは本当に鳩なのだろうか。

 スマホを手に取り、7時、とだけ短めにいう。

 そう、あたしも短く。その続きの言葉はたくさんあるが、まだ寝る、と独り言ち、乱れた布団を直してから布団に滑りこんだ。

 男は立ち上がり、冷蔵庫を開ける。

 見えなくても今からする行動は手に取るようわかる。グレープフルーツジュースを飲み、たまごを取り出す。それから換気扇の音がしてフライパンを温める。温めているあいだに、食パンを2枚トースターに入れパンを焼く。

 フライパンに戻りたまごを割り、目玉焼きを作る。そのうちパンの焼ける匂いがし、チン、と焼けた合図と共にまた冷蔵庫に行き、マーガリンを取り出す。

 マーガリンをパンに塗る音がする。『シャー、シャー』という香ばしい音。

 全部を整え、机の上に食べるものを置いたところで、テレビをつける。あたしが寝ているのはお構いなしで、テレビのボリュームはちっとも遠慮なく音をあげている。

 毎朝同じ音。同じ日常。

 あたしはこのBGMに慣れつつしみ、いつの間にか寝落ちをしている。落ちてゆく意識の中で男は『行ってきます』とあたしの耳もとでささやき、あたしの頭を撫ぜてゆく。小さな子どもをあやすように、まるでお父さんみたいに。

 『ガチャン』

 と、玄関の閉まる音がし、あたしはまた1人取り残される。月曜日が始まった。


 目が覚めたら、11時だった。大体このくらいの時間に目が覚める。朝方決まって起こされるので、つい二度寝をしてしまうのが日課になっている。弁当などは作らないてもいいけれど、本当はせめて朝食の支度をしてあげたいと思ってはいる。けれど、一緒に住んでからそのような奥ゆかしい女性がやるようなことをしたことがない。出来ないと言ったほうが正解なのかも知れない。起きれないと言ったほうがもっとも正解だ。

 あたしは売れないライターで細々と記事を書いている。在宅での仕事はありがたいが、在宅だけに家から一歩も出ない日などざらにある。なので男が帰ってくるのだけが楽しみなのだ。

 洗濯機を回している間に近くのローソンに歩いていく。

 春の日差しはとても気持ちがいい。あたしは闊歩をし、ローソンでカフェラテと、クロワッサンを買い、イートインで食べた。隣に座っていたおじさん ー多分大工さんー が、ミックスフライ弁当を食べている。くちゃくちゃという咀嚼音がひどく耳障りだった。クロワッサンを半分残し、家に戻った。

 洗濯ものを干し終えると、なにもしていないのに、ひどく眠くてソファーで横になった。

 カレーでも作ろうかな。

 頭の中でそう思いながら冷蔵庫の中を思考で徘徊する。確かカレー粉はあったけれど、肉も野菜もない事実を認めたくなく、睡魔には勝てずそのまま夢の中に落ちて行った。

 男にメールをしておいた。

【カレーの材料を買って来て下さい】と。

 


 なにやら物音がし目を開けたらすっかりと部屋がうす暗くなっていた。スマホに手をのばし、時間を確認すると、夕方6時過ぎだった。

「あ、起こした?」

 男が仕事から帰ってきていた。

「やだ、昼から寝てたよ。6時間も寝てた」

 男は目を細め笑っている。こんなことは日所茶飯事なので何も言わないのだ。

「今日ね、ローソン行ったらもの凄い人でね、イートインがいっぱいでね、」

「新しい仕事が決まってね、」

「庭さ、草がぼうぼうだよ、」

 あまり変わり替えのないことを男に饒舌に話す。話し相手が男しかいないので、仕方がないと男も承知の上で適当に相槌をうつ。

「いいにおいする」

 カレーの匂いが鼻梁をくすぐる。

「あ、ふーちゃんが寝てたから先にカレー作ったの」

「えーーー!」

 あたしが、作ろうとしたのにぃ、と、言いながら口を尖らせた。

「うん、でも、作ったから」

 男はあたしの横に来て頭を撫ぜた。玉ねぎと、外気の匂いを纏った男は1日あたしの知らないどこかで仕事をしてきている。好きだけど知らない時間の方が多い。一緒にいる時間など瑣末なものだ。もしかしたら、浮気をしているのかもしれないし、パチンコにも行っているかもしれない。律儀に定刻の時間に帰っては来るけれどそれを疑ったらきりがない。

「なおちゃん」

 あたしは、時に不安になり、とても小さな子どもになる。

「ん?」

 頭をそうっと撫ぜる。やはり玉ねぎの匂いがダントツトップに躍り出ている。

「ごめんなさいね。なにも出来ないおんなで」

 この台詞は常套句だ。男は聞き飽きたという口調で、首を横に頼りなく振り、

 いいから、それは。と、さらに頭を撫ぜた。

「捨てないでね」

「……、バカ」

 男がきつくあたしを抱き寄せた。優し過ぎて、居心地が良過ぎて怖い。怖くてあたしは泣きそうになる。事実、この幸せな時間にいつも怯えている。


「腹減ったね。カレー食べよ」

 男があたしから離れ立ち上がろうとしたとき、あたしは、待っていかないで、と、男のセーターを掴んだ。

 男があたしの方を見下ろしている。

 薄暗い部屋は台所以外電気がついてはいない。台所の電気が逆光になり男の輪郭を映し出す。綺麗な線が浮き出ていて切り取れそうだった。

 そうっと、あたしの手をとり、セーターから手を引き離した。

 台所に行き、炊飯器を開ける。2人分のカレーをよそい、テーブルの上に並べた。

「食べよ」

 男があたしを呼んでいる。カレーの匂いが部屋中に蔓延している。灯りを灯した部屋はいつの間にか、夜になっている。

「うん」

 あたしは、椅子に移動し男と対峙しカレーを頬張る。

「おいしいよ」

 カレーは基本残らないようつくるのがあたしたちのルールだ。男はてんこ盛りにカレーがよそってある。

「お腹壊しそうね」

「ん?」

 男が顔をもたげあたしの方を見る。口の端にカレーが付着している。

「なおちゃん、」

 ん?目をぱちっとさせ、なに? と問う。


 あたしは、首を横にふり、なんでもない、そういいながら、カレーを口に運んだ。甘口のカレー。

 あたしは、辛口が食べれないから。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

カレーライス 藤村 綾 @aya1228

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ