第十四話 『女王の孤軍奮闘』
地上に這い上がると、そこは将兵が整列するであろう詰め所だった。そこは既に怒号と悲鳴の嵐に包まれていた。
兵士と非戦闘員とが真逆の方向へ走り、あちこちで衝突して戦闘どころではない騒ぎだ。恐らく、このデジールという国はしばらくウノシーの襲撃を体験していないのではないだろうか。
逃げ惑う女官たちを押しのけ、城の外を目指す。
破壊された観音開きの扉から中庭に出ると、急ごしらえの塁は破壊され、あちこちに散らばる折れた剣や槍、それと共に倒れ伏す多くの妖精たちが視界に入った。そして鼻腔を刺激してくるのは……血の臭いだ。
特にひどく破壊された塁の前に、先ほどのイヌ妖精が倒れていた。
「おい、大丈夫か?」
助け起こすと、イヌが着ていたさほど重厚とは言えない鎧は、胸の辺りが袈裟懸けに引き裂かれている。
「ウノシーが、女王様の……謁見の間に……どうか、助け……」
そこまで言うと、イヌは気を失った。
振り向けば、俺が出てきた扉から奥へ一直線に、破壊されたバリケードと戦の後が伸びていた。
俺に何ができるっていうんだ?
一瞬迷ったが、周囲で立っているのは俺だけだ。仕方ない、というより誰にも頼みようもない状況に追いこまれてしまった俺は、城に駆けこみ上階を目指した。
紺の絨毯がひかれた階段は火をかけられた様子もなく、踊り場に二・三の妖精が倒れているだけだった。
妖精の呻きを聞きつつも、俺はそのまま戦の跡をたどってウノシーを追う。上階の奥にたどり着くと、大層立派だったであろう両開きの扉が、破壊され散らばっていた。
ここまで来たらなるようになれ、だ。そのままの勢いで俺は謁見の間へと飛びこむ。
果たして、ウノシーとそれに対峙する少女の姿があった。
ウノシーは蜘蛛のような姿をしている。ただし一番後ろの脚で立ち上がり、前の三対の脚が曲刀のように鋭く伸びていた。そして最も異様なのは、身体が鉄の鎧のように金属光沢を放っているということだ。
対する少女は、肌も露わな白い衣装の上に、凝った装飾の胸当てを纏い、樹皮のような色のマントを纏っている。腰には革ベルトで二振りの剣を吊っていた。肩にかからないように短く切られたた瑠璃色の髪は、宝石と貴金属の留め具で飾られている。その奇抜で豪奢な出で立ちと堂々たる態度は、彼女が女王であることを疑わせないものだった。
「兵たちも不甲斐ない……だが、この城は余が守る!」
幼さの残る声で、女王が宣言する。彼女が両手を胸の前に上げて力をこめると、両腕がぼこりと蠢いた。透けそうなほど白かった皮膚が徐々に色を変え、右腕は黒光りする甲殻、左腕は獣毛に覆われた。
女王が二本の剣を抜き放ち、慎重に構える。
「ウノシー!」
妖魔は六本の脚を振り上げ、女王を威嚇する。
双方は同時に床を蹴った。
ウノシー振り回す六本の爪を女王は的確に受け流し、隙を見て斬撃を放つ。しかし、その攻撃は鉄の身体にぶつかっては火花を上げ、その装甲を貫くことができない。
女王の剣捌きも見事だが、さすが本場のウノシーはハンパない強さだ。
ウノシーが二本の腕をクロスして打ち下ろした斬撃を、女王は甲殻の腕で握った剣で受け止める。
「ぬぅぅぅりゃっ!」
甲殻の腕は片手でウノシーを押し返した。たたらを踏む妖魔。
また二対六の斬り合いが始まった。
よく聞けば、女王の斬撃には特徴がある。甲殻の腕による攻撃は、ごつっごつっと重い音がする。獣毛の腕による攻撃は動きこそ素早いが、ウノシーの身体に当たるときぃんと甲高い音がして跳ね返っている。
勝負は互角のようだ。
このままの戦況で、気がついた兵士たちが駆けつければ、このウノシーを倒すことができるかも知れない。だが、なかなか兵士たちの足音は聞こえてこない。よほどこっぴどくやられたのだろうか。
ウノシーの放つ六本の爪が、筋力で劣ると思われる左腕に集中する。がつっと音がして女王の左手から剣が飛んだ。
まずい!
と思ったのも束の間、女王は左手を掻くような形に構える。そのまま素手でウノシーの腹部を突いた。
「ファングっ!」
女王の叫びに反応して、一瞬かっと輝いた指先がウノシーの鉄のはらわたに突き刺さる。ウノシーが苦悶の声を上げるのも無視して、女王は装甲を掴むようにめりこんだ指先を力任せに引き寄せた。
めりめりめり……
不快な切断音とともに、女王はウノシーの装甲を一枚、むしり取ってしまった。彼女が腕を振り抜くと、戦場の遙か遠くで、がらん、とドラム缶の拉げるような音がしてウノシーの装甲が落下した。
「ゥゥゥウノシー!」
内蔵のような膜を露出させ暴れるウノシーに、女王は容赦なく斬撃を浴びせる。そしてついに、装甲を失った柔らかい臓腑に剣を突き立てると、引き抜きざまに蹴り飛ばした。
「ゥゥゥ……ノ……」
怪物は仰向けに倒れた。
女王はその姿を見下ろすと、先ほどはじき飛ばされた剣を拾い、体液を垂れ流すウノシーにとどめを刺すべく歩み寄った。
「我が王城を穢しおって……!」
女王が両腕の剣を振り上げ、渾身の力をこめる。
そのまま二振りの剣は振り下ろされ――なかった。
不意にウノシーの尾部が蠢いて、剥がれた装甲から見え隠れしていた内蔵がうねり、びゅるっと飛び出して女王の腕を打ち据えたのだ。
突然の奇襲。鞭のように叩き付けられるウノシーの内蔵に、女王は堪らず防御姿勢を余儀なくされるが、しなって襲いかかる内蔵は小柄な女王を弾き飛ばすのに十分なエネルギーを持っていた。
「このっ、死に損ないが!」
毒突きながら立ち上がる女王。剣を杖にしてふらつく彼女に、追い打ちとばかりに汚らしい音を発しながら、ウノシーの尾部から白いものが噴射される。
(糸? 奴は……蜘蛛だ!)
粘液にまみれた糸は、破裂した消火栓のような勢いで女王に襲いかかる。胸部あたりに攻撃をまともに喰らった女王は弾き飛ばされ、玉座の上に飾られたタペストリーに接着されてしまった。
「くっ、不覚……」
ほぞを噛む女王。
ウノシーは勝ち誇ったように、ゆっくりと立ち上がった。女王とつながった汚らしい糸をぶら下げて、獲物にゆっくりと近づく。女王はと言えば、蜘蛛の糸によってでたらめに絡め取られ、両手の剣も手首を動かすのがやっとのようだ。
徐々に、獲物が苦しむのを楽しむように、怪物が女王に近づいていく。
「もはやこれまで。さっさと殺せ!」
女王は、金色の眼をかっと見開き、自分に一撃を加えようとしている蜘蛛の化け物を睨み続けている。べたつく粘液に汚されながらも、威厳を失うことなく死を迎え入れようとしていた。
だが、ウノシーは前肢の凶器を振り上げることもなく、そのまま薄気味悪く腹部をうねらせている。
突然、妖魔の腹部が窄まった。装甲の隙間から灰色の光が漏れ、糸が脈動する。何が起こったのか理解する前に、女王が恐怖に震えだした。
「ま……まさか、余のウィルを吸い取ろうと! や……やめ、きゃうぅぅぅん!」
言い終わる前にその身体がびくんと跳ねる。拘束する粘液が白い光を放ち、それは糸を伝ってウノシーへと流れこんだ。このウノシーは、ウィルを喰ってるんだ!
女王の両手から剣が抜け落ち、床で跳ねて絶望の鉦を打った。その顔からはさっきまでの強気は消え失せ、浅い息をしながら脂汗を滲ませている。
また妖魔の腹部が絞りこまれる。
「ま、また……はみゃぁぁぁあっ!」
先ほどより強い光が糸を伝う。幼い女王は長い痙攣の後、力尽きたように頭をくたりと落とした。
「やめ……おねが……殺して……」
女王の口から、うわごとのような言葉が漏れる。
時間にして一分やそこらだ。女王は敵に視線を向ける力さえ失ってしまった。あと一度の吸収で、おそらく女王はウィルを吸い尽くされるだろう。
俺は今、ウノシーによって一国が滅びる瞬間に立ち会っていた。そして、このまま立ち止まっていれば、間違いなく俺もセットで滅ぼされるだろう。
だが、俺に彼女を助ける力は……
身体が無意識に、一歩、後ずさる。
ちゃり、という微かな音が俺の鼓膜を叩いた。
指先がベルトにぶら下がった硬いものに触れる。
それは確かに、俺に希望をくれるものだ!
対消滅手榴弾。
……決めた!
アネットから貰い受けた希望の一撃。それで女王を――国を護ろうと必死で闘った少女を助けるために使おうと決心した。
「化け物、こっちだ!」
叫ぶなり、手榴弾をベルトから引き抜く。映画で見たまま、ピンを抜いてハンマーを握る。構造が違ったらとか、使い方を失敗したらとかいう考えは、頭の隅に無理矢理片づけられていた。
「ウノシー?」
鋼鉄の妖魔が振り返る。
その醜い顔面に向けて、手榴弾を思い切り投げつける。それは、顔面のやや下部から突き出す鋭そうな顎のあたりに命中して、かつっと小さな音を立てた。
ぽんっ。
小さな破裂音。
こ、これは……不発弾ってやつか?
希望が一瞬で失望に変わる。
が、手榴弾はそのまま空中でホバリングし、白いガス状のものを吐き出し続けた。
「ウノシー!」
妖魔が苦痛の吠え声を上げる。
ガスはまるで生き物のようにウノシーを取り巻き、装甲を浸食し、先ほど露出させられた内臓へと染みこんでいく。断末魔の叫びを上げるウノシーに対して、音もなくどんどんと妖魔の体内に侵入するガス。ウノシーの身体はどんどん融解し、液化して床へと落ちていった。ついには原形をとどめない黒い水たまりとなり、それざえも白いガスによって蒸発していく。
城の全将兵を蹴散らし、女王を死の淵まで追い詰めた妖魔は、たった一発の爆弾によって跡形もなく消え去ってしまった。
「はあ……」
静まりかえった謁見の間。
死の恐怖と、目の前で人が殺されるかも知れないという恐怖、二つの恐怖から解放された俺は、尻餅をつき、長い溜息を吐いた。
まずは、女王を助けないと。
半ば這いずるように玉座の前まで歩み寄ると、タペストリーから女王を引き剥がしにかかる。
蜘蛛の巣が指に粘り着く感覚を何百倍にも増幅したような、不快な手触りの糸を、体重をかけて女王の身体から剥ぎ取る。その汚物を、恐れ多くも紋章の刺繍されたタペストリーになすりつけていく。
「すまない、人間」
女王は磔の姿勢のまま、力なく礼をつぶやく。
「ああ、いや……助かってよかったよ」
女王の面差しをよく見れば、キューティクルの整ったボブヘアも手伝って、自分と同年代かそれ以下の年齢のようだ。可憐な容貌はひかるとも詩乃さんと違った魅力を醸し出していた。こんな幼い女王が国を治め、両手に剣を持ってウノシーと格闘戦をするとは、妖精界の住人とはものすごい能力を持っているものだと再確認させられた。
纏わり付いた糸は、未だ女王を拘束している。家来もやってこない中、一人で作業しているので、しばらく二人きりでいなくてはならない。俺は黙ったまま拘束を解く作業を続けるのも耐えられず、場を和ませるような気の利いた話題を探した。
「えーと、君が女王様……で、いいんだよね?」
「うむ。余はデジール王国の女王、ラピルーだ。そなたは?」
「日本の、じゃない……人間界の住人、古屋守……です……であります? ……でございます? とにかく、守」
女王様相手にタメ口もまずいかと思ったが、緊張して変な敬語しか出てこなかったので、諦めることにした。
「守……か」
女王はそれだけ言うと、ぎこちない微笑みを浮かべた。
その初々しい反応を見て、反射的に頬が火照る。結局話も続かず、俺は押し黙って糸外しの作業を続けることになった。
あらかた糸を取り終わると、女王は自重でタペストリーから剥がれ落ち、くたりと倒れこんできた。
「ううっ」
「おっと」
力なく倒れる女王を、俺は服に取り残しの糸がくっつくことも忘れて受け止める。とりあえず頭だけ守ろうと構えていたが、彼女の身体は想像より遥かに軽く、うまく抱き止めることができた。
女王はそのまま、力なく俺の肩に顔を埋めた。花の香りが、ふわりと吹き抜ける。
「大丈夫、女王様?」
「守、感謝する」
女王が余りに軽いので、しばらく下ろすのも忘れて彼女のたおやかな感触を味わっていた。
震えている……
国を束ねる女王とは言え、まだ俺と大して変わらない年頃だ。きっと死の恐怖は相当のものだったことだろう。俺はそのまま女王のされるがままになることにした。
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