第十三話 『密航した先は戦場でした』

 異次元は、オーロラと霧のイメージからはかけ離れた、四方八方からの暴風が吹き荒れる空間であった。

 ひかるたちもこんな中を? それとも俺が許可証を持っていないからか?

 下降しているのか上昇しているのかわからない烈風の中を、俺は飛ばされるがままにされている。


 いつまで続くんだ。これ?

 いい加減、何か変化はないかと考えていると、急に風が一方行に吹き出した。オーロラは消え、周囲の白い霧が風の流れを視覚的に教えてくれている。じきに、目の前に筒状の物体が見えてきた。風はそこへと吹きこんでいる。

 身体はどんどん流され、筒の中へと吸いこまれていく。その先には、すり鉢状の行き止まり。


「うわーーーっ!」


 情けない悲鳴を上げながら、どうすることもできずに筒へと引きずりこまれる。そこを通り抜ける瞬間、筒が煉瓦のような石を積んだ物であることだけは確認できた。

 筒を抜ける。

 薄暗い空間だ。

 俺はすり鉢状の底面に叩き付けられ……なかった。

 異次元では無重力のようだったが、この空間は筒の出口がある方向に重力が働いていた。とっさに頭を庇う。が、


「ぐえっ」


 筒の横の床に背中をしたたかに打ちつけ、カエルが潰れたような声を喉から漏らしてしまった。

 いたたた……

 ぐるぐるする三半規管と背中の痛みに、俺はしばらく冷たい床に転がっていた。


「…………」


 無重力感と背中の痛みが徐々に引き始める。

 周囲を見渡す。

 俺は天井の高い円形の部屋に座りこんでいた。

 部屋の中心にあった煉瓦の筒は、どうやら井戸のようだ。もやもやと、少しずつ霧を吐き出している。床も、壁も石造り。さっきすり鉢状の終点に見えたものは、ドーム型の天井だった。どこにも特に装飾が施されているわけでもない、質素な造りだ。


「イマジナリアに、着いたのか?」


 靴を履きながら、自分の存在を確かめるように、わざわざ声を出す。

 声は室内に短い間隔で反響した。


 反響が止む。

 と、壁の一カ所に取り付けられた扉の向こうで、ドタドタと音がする。

 乱暴に扉が開かれる。

 それと同時に槍と盾で武装した妖精たちが雪崩れこんできた。その数は五。イヌ型が一匹、トカゲ型が二匹、カエル型が二匹。皆が二足歩行をしているのは、さすが妖精界だ。


「動くな、侵入者」


 リーダー格と思われるイヌが口を開いた。

 大きさは一メートルを切る妖精サイズだが、五匹で俺を取り押さえられると思っている。アネットの例を思い出すまでもなく、彼らも妖精としての戦闘力を持っているのだろう。

 俺はおとなしく両手を挙げ、降参のポーズを取った。


「この警戒厳重な『ウィルの井戸の間』に、こうもやすやすと侵入するとは、よほど手練れの賊に違いない。みんな、気をつけろ」


 イヌが指示を出すと、トカゲとカエルが槍を構えて俺を包囲する。


「ちょっと待ってくれ!」


 俺はこのまま賊扱いされるのも心外なので、イヌと交渉を試みることにした。


「俺は人間で、イマジナリアの女王様に用があって、ちょっと『境界の門』に入ってみたら、ここに出ただけなんだ。用が済んだらすぐ帰りたい。ここはイマジナリアじゃないのか?」

「賊に答える謂われはない!」


 トカゲが息巻くが、それをイヌが制した。


「ここはイマジナリアではない。イマジナリアの南にあるデジールという国だ。お前が正しいことを言っているかどうかは、我が国の女王様が判断する」


 あとは梨の礫だった。俺はイヌに先導され、四本分の槍の石突きに小突き回されながら連行された。

 誰もいない地下牢にたどり着くと、そのうちの一つに押しこまれた。小さな妖精用だったらどうしようとか的外れな心配をしていたが、三畳くらいはある、ゆとりのスペースだった。


 同居人、なし。

 ご近所さん、なし。

 デジールとやらは、そんなに平和なのか、それとも囚人はすぐに……

 いや、余計なことは考えないことにしよう。


 かちゃり、と鉄格子が施錠される。


 次の瞬間、胃を揺さぶる爆音が響き渡り、続いて危機を知らせると思われるラッパの音が鳴り響いた。


「これは!」

「どうしたんだ⁉」


 急に慌てだしたイヌに詰め寄り、格子越しにその肩を掴む。


「この音は、ウノシーの侵入を伝える警報だ!」


 イヌは、俺など眼中に入らないかのように部下を整列させる。


「王国にウノシーが侵入した。我々はこれから中庭で迎え撃つ! 行くぞ!」

「おう!」


 確かにウノシーは妖精にとって、一対一では歯が立たない強敵だ。

 衛兵たちは俺を放置して、地上と思われる方向へと駆け去ってしまった。


 だが。


「ちょ……待て! 俺はどうなるんだ! 鍵くらい開けていけー!」


 囚人は無視か……

 遠くの騒ぎは爆発以来、他人事のような音量だ。

 俺は牢の隅に体育座りをして、誰かが気づいてくれるのを待つしかなかった。


 ずーん、ずーん……

 天井から地響きと、細かい砂が降ってくる。

 今回のウノシーは大型か。

 妖精って言ったって、アネットくらいの使い手って、どのくらいいるのかな。勝てるといいけど。

 そんなことを考えていると、やおら天井の石組みがゲクゲクと鳴り始めた。おいおいマジかよ、とか言ってる側から崩れ始めてギャー俺の死因は圧死か……


 崩壊が止まった。

 つま先の数センチメートル手前で。


「…………」


 うまく息が吸えない。

 つま先のすぐ前に転がったレンガ四つ分くらいの切石を、しばし凝視する。ぱたっ、と音を立てて、デニムの太ももに汗が滴った。


 喧噪が大きくなる。獄中の明るさが増している。


「あ……」


 ようやく、地上への抜け穴が開いたことに気がついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る