第六章  家に帰るまでが異世界旅行だと思った

第二十二話 『共づわり』

 禍々しい、ってのが一番ぴったりくる。

 そこには怒り、悲しみ、喪失感、無気力……あらゆる負の感情を表現したかのような、薄気味悪い建造物が建ち並んでいた。おまけに昼だってのに薄暗い。


 ヴォイダート帝国。

 深淵の井戸を取り囲む城塞都市。

 最近は、外部の者がここまで近づいたことはなかったそうだ。


 外郭には、敵を拒む高い城壁と重厚な門がそびえている。建物といい城壁といい、全てがダークグレイに染め上げられたその建造物群は、乏しい光さえも飲みこもうとしているかのようだ。


 周囲を見渡せば背の高い植物は全くなく、ひたすら荒野が広がっている。まるで『深淵の井戸』へと流れる黒ウィルによって枯らされたかのような、生命の気配が乏しい眺めだった。


 イマジナリア軍は、城門から若干離れた荒れ地に布陣した。

 ピュリメック救出部隊は、少数精鋭で忍びこむこととなっている。メンバーは俺、ピュリルーン、そしてピュリウェザーだ。


 ヴォイダートは城門をぴたりと閉じ、籠城の構えを見せていた。戦力ではこちらが上回っているはずだから、妥当な戦術と言える。

 試しに斥候が大盾を持って接近したところ、矢が雨のように射かけられ、彼は大盾をハリネズミの様にして逃げ帰ってきた。


 本陣に設えた天幕で顔を突き合わせていた俺と二人の祓魔姫ふつまひめ、ラピルー、ケーニヒという名前だったトラ将軍が同時に溜息をついた。


「さて、どうしようか」


 ピュリウェザーが溜息混じりにつぶやいた。


祓魔姫ふつまひめの力でジャンプして城壁を飛び越えるのは、ちょっと危ないと思う」


 ピュリルーンがぺったりと身体を寄せてくるが、気にしないことにする。


「かと言って、まともにぶつかってもこっちの損害が大きいか」


 ラピルーが顎に指を当てる。


「何とか開門させないとね。ある程度手薄になったところで、潜入する。守はカメレオンの魂があるから、姿を消してピュリメックの救出を目指す。私たちは『境界の門』のレプリカを探索するわ」


 ピュリウェザーが銀色のポニーテールを指で巻きながら発案した。

 問題は、どうやって閉じこもった連中をおびき出すか、ってことだが……


 ピュリルーンが脳天気七割減って感じで俺の顔を覗きこんだ。


「守は何か企んでないの?」

「ピュリルーン、企むってのは悪い表現だよ……こほっ」


 答えかけたところで、喉に引っかかりを感じ、軽く咳きこんだ。


「空気が余り良くない気がするのは、ヴォイダートが近いからか……」


 ん?

 いや、確かに空気は良くないが、これは……


「ゥェァッ!」


 俺は派手にえづいてしゃがみこんだ。さすがに胃の内容物を出したりはしていない。


「どうした?」


 ケーニヒが心配そうに覗きこむ。


「く……急に吐き気が。少し横にならせてくれ」

「わかった」


 ケーニヒが兵を呼ぶ。

 天幕に大型の妖精兵が入り、俺の身体を持ち上げる。


「長旅が祟ったんだろう。しばらく休め」

「ありがとう。ところで、ピュリルーンは? 気分は悪くない? 悪いよね?」

「え?」


 ピュリルーンはきょとんと俺の顔を見ていたが、やがて、


「うっ……共づわりが……」


 口元を押さえて前のめりになった。

 共づわりって、男性の症状だと思うけど……それにつわりが起こるようなやましいことは何もしてないし。ついてきてくれるだけでよかったんだけど、ともかく俺に倣って彼女も体調を崩した。


「何と、ピュリルーン殿もか! これは大変だ。専用の天幕を用意しますんで、ゆっくりお休みください!」


 急な体調不良者続出に驚きを隠せないまま、ケーニヒは部下に看護の指令を出す。

 ピュリウェザーが俺たちの体調を気遣って覗きこむ。


「疲れたんでしょう。私たち、普段は戦争なんてしないもんね。何かしておくことはある?」

「ええ。看護用の天幕に入れる前に、俺たち二人にヴォイダートの城門の現状を見せてください。それと全軍に対して、俺とピュリルーンが闘えないほど具合が悪いと伝えると共に、いつでも戦える態勢を取らせてください」

「わかった。ピュリルーンは?」

「私の天幕に守を入れて、同じベッドに寝かせて。そうすれば共づわりは治まると聞いたことがあるから」


 そんな話、聞いたこともない。というか、身の危険すら感じる一言だ。

 俺の危機感を察したかは知らないが、ピュリウェザーが口を挟んだ。


「だめよ。せっかく専用の天幕を作ってくれるんだから、ベッドを広く使って休みなさい。守のことは近くに置いてもらうから」

「わかった……」


 俺たちは妖精たちに担がれながら、司令官用の天幕から出た。要望通り、ヴォイダートの城門がよく見える所に一旦運ばれる。

 城壁の上では見張りの兵が、力なく運ばれる俺たちを指さして何事か話している。俺はともかく、ピュリルーンが纏う派手な浅葱色の衣装は、遠目にもよく見えたことだろう。


 そのまま俺たちは、清潔そうな看護用の天幕に運びこまれた。ピュリルーンのおかげでVIP待遇の天幕に入れたし、ピュリウェザーのおかげで貞操の危機は免れた。

 ふかふかのベッドに横たえられると、俺は天井を向いて眼を閉じた。隣のベッドにいるピュリルーンからは、体調の悪そうな浅い息づかいが聞こえてくる。


「なあ、ピュリルーン」

「な……なあに、守」


 ピュリルーンから、息も絶え絶えな返事が返ってきた。本当に共づわりなんじゃないかと心配になってくる。


「その『共づわり』って、俺が元気になったら治るの?」

「ええ。配偶者のつわりが治まれば良くなるはずよ」


 だから、俺は配偶者じゃないんだけどなー。

 でも、語尾に星を感じないほどやつれた声を絞り出すピュリルーンに、少し申しわけなさを感じる。


「もうすぐ良くなりそうだから……もう少し我慢してね」

「うん。あなたのために頑張る。ぴゅりーん……」


 やっぱり星が飛ばない。ああ、空元気まで出して……何て健気なんだろう。ちょっと責任を感じる。

 でも、もうすぐ良くなるはずなんだ。


 俺の予想では、すぐのはずなんだ。

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