第九話 『私服とパンケーキと作戦会議』

 週末。


 集合場所は俺の家ということになった。

 駅近くの閑静な住宅街に建つ、小さいながらも一戸建ての我が家。ひかるも詩乃さんもマンションだから、というわけではないだろうが、なぜか団結した二人に押し切られ、ひかるなどはわざわざ電車に乗って、俺の家に集まることとなった。


 父さんは今日も仕事で留守。

 母さんは休日で、今日は俺たちのために何かおやつを作ってくれるらしい。


 ピンポーン。


「はーい」


 あまり詮索されたくもないので、ドアチャイムに即反応して出迎える。


 玄関先は午前の日差しに輝き、ひかると詩乃さんが、それぞれアネットとターヤを抱いて立っていた。

 ひかるは約五年ぶり、詩乃さんは初めての私服姿だ。

 ひかるは、ピンクのふんわりとしたトップスにホワイトのショートパンツ。肩がチュールのフリルになっていたり、裾がレースになっていたりと、いつもは見えない白い肌に目が行ってしまう。

 詩乃さんはラインストーンも華やかな水色のミニワンピ。エレガントな中にも大人に背伸びしたような艶やかさがある。

 二人とも、制服とも体育着とも違う新鮮な出で立ちだ。


「こんにちは~」

「こんにちは」


 二人が玄関先で挨拶をする。

 その声を聞きつけて、母さんが顔を出した。


「あらあら、守の友達って、女の子だったの! 一言も言ってくれないんだもの」


 ぱたぱたとスリッパの音を響かせて、母さんが玄関にやってくる。


「あらあら、こんな可愛い子を二人も連れこんで……守もいつの間にか大きくなったもんだねぇ」


 言いながら、ぐっふっふと笑う。

 あなたは悪徳商人ですか。


「お久しぶりです、おばさん。幼稚園から小学校まで同じクラスだった、牧名ひかるです」

「あらあら、ひかるちゃん? 随分美人さんになっちゃて~。おばさん、ぜんぜん気づかなかったわよ~!」


 母さんが手首にスナップを利かせて振る。


「で、もう一人のカワイ子ちゃんは?」

「お義母かあ様、初めまして。栗茂詩乃と申します。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」

「あらあら、ご丁寧にどうも~。こういう畏まったの、学校で流行ってるの?」

「いえ、これから色々とお世話になるかと思いますので」

「あらあら、じゃあ、色々お世話しちゃうわよ~」

「…………(ぽっ)」


 詩乃さん、そろそろ終わりにしてくれ。母さんも、詩乃さんが勘違いするからやめてくれ。


「じゃ、じゃあ……俺の部屋、二階だから」


 話がややこしくなりそうなので、二人を私室に促す。


「おじゃまします」

「あらあら、どうぞ~。後でパンケーキ、持って行くからね~」

「わあっ、私、おばさんの作るパンケーキ、大好きだったんです!」

「ひかるちゃんたら、うれしいわ~」

「お義母かあ様。私、一番好きな食べ物はパンケーキです」


 詩乃さんが、ひかるの前に割りこむようにしてアピールを開始する。


「あらあら、詩乃ちゃんも楽しみにしていてね~」


 何かヤバい雰囲気になってきたので、二人を促して部屋に押しこんだ。


「ふぅ~」


 二人にクッションを渡し、俺は学習机の椅子に腰かけて、一息つく。閉鎖された空間に入ったので、アネットとターヤも縫いぐるみのまねをやめて、銘々にストレッチを始めていた。さっそく、対策会議を始めよう。


「さてと、今日集まったのは、ウノシーの発生頻度上昇についてだ。ここ数週間のデータなんだけど……この紙を見てくれ」


 二人と二匹に紙片を示す。


「明らかに、出現頻度が詰まってきている……」

「その通りだよ、ひかる。このペースで行くと、俺たちが三年生になる頃には、毎日ウノシーと闘わなくてはならないことになる」

「それは勘弁ね」

「牧名さんと同感」

「そこで、だ。アネットとターヤには、ここ最近のウノシー出現増加について、何かわかったことがあったら教えてほしい」


 俺が話を振ると、アネットはストレッチをやめて礼儀正しく正座をした。ターヤは先ほどから胡座をかいてくつろいでいる。


「その前に、ウノシーがなぜ人間界に現れるかを説明させてもらうわ」


 謎の敵の正体について語られるとあって、三人の人間は二匹の妖精に視線を集中させた。


「ウノシーは普通、妖精界から動物の集合的無意識を通じて、『妖魔の核』と呼ばれる黒ウィルの澱が侵入し、それがある個体の負の感情に引き寄せられて変化を促すことが多いわ。集合的無意識って知ってるわよね? ユングが提唱したやつよ」


 ……まさか、異世界の妖精にユングを説かれるとは思わなかった。

 二匹は身振り手振りを交えながら説明を続ける。


「人間は普通、ウィルによる精神的免疫が備わっていて、ウノシーに取りこまれることは希なんだ。でも……」


 ターヤが言葉を切る。アネットが話を継いだ。


「いざ人間を苗床にしたウノシーは強いわ。妖精が一対一で倒すのは、非常に難しい。ウノシーは人間が持つウィルを餌にするのは知ってるわよね。人間が食い尽くされれば、ウィルによって成り立っている妖精界も、そのなかの一国家に過ぎないイマジナリアもまた、虚無となって消滅するの」

「……そこでイマジナリアは、妖精では対処できないウノシーを撃破するため、強力なウィルを持つ人間、特に爆発的な力を発揮することのできる女性を選び出し、その力を何倍にも高めて戦力にする『祓魔姫ふつまひめ計画』を考案した。相当昔の話になるわ」

「人間界にてウィルの流れを守り、また妖精界でも闘ってイマジナリアを守護する……祓魔姫ふつまひめにはイマジナリアにおいて高い地位が保証されているんだ」


 詩乃さんが指を額に当てた。


「ウノシーになるのも人間……それを倒せるのも人間。所詮、人間の敵は人間ということね」

「でも、そんな好条件なら、祓魔姫ふつまひめになりたいって人は、いくらでもいるんじゃないかな。異世界とは言え、地位も保証されているわけだし……別に、嫌がる私を祓魔姫ふつまひめにする必要なんかないんじゃ?」

「誰でも祓魔姫ふつまひめになれるわけではないんだ」


 ひかるの至極もっともな疑問に、ターヤが口をへの字にして腕組みした。


「人間には、想いの力――ウィルを生み出す力が元々高い。無論、ひかるや詩乃のように特別際立っている人もいるけどね。でも、研究の結果、人間のウィルの力は年齢によって上下しがちであるということがわかったんだ」

「年齢? 確かに、ひかるも詩乃さんも十四歳だ」

「人間の場合、十一歳前後からウィルの力が急激に上昇し、最も多くの個体が十四歳でピークを迎えるわ」


 想いの力が十四歳でピークって、それって……


「中二病……」


 ひかるが無意識につぶやいた単語と、俺が考えていた単語が正確に一致した。


「そう。人間はその過剰な想いの力を『中二病』と呼んでいる。でもそれは病気なんかじゃなく、妖精を救うことのできる素晴らしい力なの! 特別な気がしているのではなく、特別な力がある時期なのよ!」


 そう考えると、俺たちがウノシーや祓魔姫ふつまひめに関わっていることも、なんだか頷ける気がしてくる。

 ターヤが言葉を継ぐ。


「ウィルはその後、二つのカーブを描く。十七歳で巻き返す群と、そのまま低下していく群だ。そして、どちらの群も三十歳辺りでは、ほとんどの個体が幼児以下の数値になる。四十歳過ぎまで強力なウィルの力を持っている個体は、一パーセント以下なんだ」


 まあ、確かにアラフォーまで中二病を引き摺っている人って、ほとんどいない気はするが……

 アネットが話を続ける。


「逆に、生きている限り、ウィルの器だけは残るから、希望を失えば失うほど黒ウィルに浸食されやすくなり、妖魔の核が集合的無意識に侵入した時、ウノシーになりやすいということなの」

「なるほど、ウノシー発生のプロセスはわかった。だが、俺が知りたいのは……」


 こんこん。


 おっと、母さんだ。

 扉が開くのと、アネットとターヤが脱力して倒れこむのとは、ほぼ同時だった。


「あらあら、畏まっちゃって。パンケーキ、できたわよ~」

「わー、嬉しい!」

「お義母かあさんのパンケーキ、待っていました」

「あらあら、サービスした甲斐があったわ~。桃が手に入ったから、乗せてみたの。あと、ホイップは生クリームから泡立てたから、おいしいわよ~」


 車座の中央に三枚の皿が置かれる。豪華に飾られたパンケーキだ。店で注文したら、千円札でおつりが来るかどうか……

 さらに、アイスカフェオレのグラスが三つ。


「お邪魔しないから、ごゆっくり~」


 ぐっふっふと笑いながら、母さんはさっさと出て行ってしまった。母さんはこういう時にあまり詮索しないから助かる。父さんは結構うるさいんだ。


「いただきます!」


 深刻な会話で少々疲れていた俺たちは、ありがたくパンケーキとカフェオレをいただくことにした。


「おいしい!」


 三人の声がハモる。


「ああ……幼心の味だわ!」


 ひかるは感動して、ひょいぱくひょいぱくとパンケーキを口に運ぶ。


「お義母かあさんの作るものは何でもおいしい」


 詩乃さん、その呼び方やめて。


「ひかるちゃん、あたしも食べてみたいわ」

「詩乃、僕にもちょうだい」

「しょうがないわね」


 ひかると詩乃さんは、カットしたパンケーキをアネットとターヤに食べさせる。二匹はおいしそうにそれを頬張った。

 しばらく、三人と二匹は無言でパンケーキを食べ続け、脳に糖分を行き渡らせた。


「次は……何だっけ?」

「何でウノシーの発生件数が増えたか、ね」


 ティッシュで口元を拭くと、皆は先ほどの話題に戻ることにした。ターヤが口元のクリームを嘗めながら話し始めた。


「妖精界に『深淵の井戸』という場所がある。人間界の黒ウィルがそこに流れこみ、地脈で浄化され、イマジナリア城の地下にある井戸から白いウィルとなって湧き出し、人間界へと還元されるという妖精界の営みがあるんだ。だが……」

「だが?」

「その『深淵の井戸』の周辺に、妖魔や、イマジナリアを追放された妖精などが巣くい、『ヴォイダート帝国』を名乗る集団になった」

「ヴォイダート!」


 俺とひかるは同時にその名を反芻した。詩乃さんが恨めしそうにこちらを見ているが、この際無視することにする。


「知っているの?」

「俺とひかるは幼稚園の時、犯罪者に通園バスを襲われたことがある。その時にそいつらが名乗ったのが『ヴォイダート帝国』。そして、俺たちを助けてくれたのが……」

「天空の調律師、ピュリウェザー!」


 ひかるが言葉を継ぐ。


「ピュリウェザー……あなたたちと同じく、強大な力を持った祓魔姫ふつまひめよ。こんなところでつながりがあったとは、びっくりね」

「……それで、『ヴォイダート帝国』が、何?」


 詩乃さんが面白くなさそうに、無理矢理話を戻した。


「『ヴォイダート帝国』は、帝国を名乗っていても、所詮は『深淵の井戸』の黒ウィルと、妖魔の核を喰らうごろつきどもの集まり……イマジナリアではそう理解しているんだ。だけど、人間界にこれだけたくさんウノシーが発生しているとなると、やはり『深淵の井戸』の異常を疑わざるを得ない、それが僕の考えだ」

「異常って?」

「『境界の門』……イマジナリアだけにある、妖精界と人間界を行き来することのできる門だ。無二の技巧を施した超技術であり、存在するのはイマジナリア城だけ。その使用も女王陛下の許可無くしては不可能……」

「でも、それとて、太古の妖精が作り上げたもの。同じものを絶対に作れないとは言い切れないわ」

「つまり……?」


 新しい言葉が多くて頭が整理し切れていない、って顔をしていたのだろう。妖精たちが言葉を選びつつ答えた。


「つまり、『境界の門』のようなものがヴォイダートに造られたと、僕は予想している。それが例えば地脈、例えば黒ウィルが流入する妖精界との境界、例えば『深淵の井戸』の至近距離だとすれば……」

「妖魔の核を人間界に送りこみやすくなるわ。最悪の場合、門を使ったヴォイダート帝国の大規模な侵攻も考えられる」

「逆に、ヴォイダートの『境界の門』を壊せば、人間界にウノシーは発生しにくくなって、私たちは晴れて用済みってことになるのよね?」


 ひかるが確認すると、アネットは頷いた。


「その『境界の門』のレプリカを見つけるためには、どうすればいい?」

「『境界の門』を使用した瞬間にその場に居合わせれば、門が閉じるまでの一瞬の間だけ、人間界に門が『存在』する。だけど、そんな不安定なタイミングで門を使えば、どこに飛ばされるかわからないけどね」

「もう一つ、方法があるわ」


 アネットがターヤの話を継いだ。


「女王様の許可を取ってイマジナリアに戻り、妖精界から直接ヴォイダート帝国領内に入って、捜すという方法よ。でも……イマジナリアの住民が帝国領内に入れば、間違いなく殺されるわ」


 どちらの選択肢も、こっちがウノシーになってしまいそうなほど絶望的な難易度に見えた。だけど、俺は……


「俺は……ひかると詩乃さんに、祓魔姫ふつまひめをやめてほしいんだ。二人に、こんな危険なことをさせて、俺はいつも陰で見ている……そういうの、耐えられないんだよ」

「でも、ウノシーを倒し、人間界を救うことができるのは、今のところ……」

「わかってる」


 俺はターヤの言葉を遮った。


「だから……俺は、頭をひねることしかできないけど……『境界の門』の問題をさっさと片づく方法を精一杯考える。軍師と言うにはおこがましいけど、とにかく考える。そして全部終わったら、ひかると詩乃さんを祓魔姫ふつまひめの仕事から解放してほしいんだ」

「…………」


 先刻まで饒舌だったアネットとターヤが黙りこんでしまった。

 何か考えこんでいるようだ。ひかると詩乃さんが祓魔姫ふつまひめを解任されると、何か不都合があるのだろうか。

 あるとすれば、ひかると詩乃さんは解任するには惜しいほど強力な力を持った祓魔姫ふつまひめであるということか、もしくは、解任すると国が防衛面で逼迫するほど、イマジナリアは祓魔姫ふつまひめの数が足りていないということか。


「……わかったわ」


 アネットは重い口を開いた。


「その代わり、きっとヴォイダートの『境界の門』を見つけて……破壊してくれるわね?」

「……オーケイ。乗りかかった船だもの。詩乃ちゃんもそれでいいよね?」

「……がんばる。古屋君が助けてくれるから」

「……俺も必死で頭を絞るよ」

「ありがとう。これはイマジナリアの問題でもあるの……とても助かるわ」


 アネットが微笑もうとしたその時、二匹の片眼鏡がチカチカと光った。


「ウノシーの反応? ……近いな」

「うん。近いし、強い……今までで一番」

「行こう、みんな!」


 俺たちは家を飛び出した。

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