第七話 『気が合いそうだ』
振り向くと、そこには二足歩行の動物が立っていた。
緑の毛皮を纏い、丸々とと太った動物。目にはアネットと同じ、赤い片眼鏡。
「助ける方法はある」
動物はアネットのように突然、言葉を発した。
「喋る動物?」
「アネットの仲間か? この変な太った緑の……タヌキ」
「失礼な! 僕はネコだ!」
え? 怒るとこ、そこ?
「すまん、ネコ。ピュリメックを助けられるというのは本当か?」
突っこんでる場合じゃないので、素直に謝ることにする。
緑のタヌ……いやネコは、こほんと咳払いをすると、鷹揚にふんぞり返った。
「僕はイマジナリアの妖精、ターヤ。助ける方法があると言ったのは本当だよ」
「どうすれば!」
すると、タヌ……ターヤは懐に前足を突っこみ、見たことのあるスマホ型
「君はアネットから色々聞いてしまったようだから、単刀直入に言おう。君の隣にいる栗茂詩乃は、人間の中でも想いの力――ウィルとの親和性が高い。その子を
詩乃さんを、
今日会ったばかりの女の子に、闘いの宿命を押しつける。
そんなこと、俺が決めていいのか?
「決めるなら早くしたほうがいい。見てごらん」
迷っていると、ターヤが校庭を指さした。
そちらを見ると、焼きそばでぐるぐる巻きにされたピュリメックが、ずるずると背割りコッペパンの中に向かって引きこまれようとしているところだった。
「あの子……ピュリメックって言ったっけ? あのままウノシーに取りこまれれば、想いや希望――すなわちウィルを死ぬまで吸い取られ続けることになるだろう。当然あの
パン本体まであと数メートル。あまり悠長に考えている時間はなさそうだ。
「まあ、あの子がウノシーの腹部に収まるまで、ゆっくり考えるといいよ」
このタヌキめ、アネットより相当歪んでる……
いや、人間って、妖精にとってその程度のものなのか。
昔、人間が子どもの心を失うと妖精が一人死ぬ、っていう物語があった。人間にとって痛くも痒くもないが、逆に人間が一人廃人になろうと、妖精にとっては痛くも痒くもない……か?
だけど、俺にとってのひかるは……!
よし、決めたぞ!
「俺を変身させてくれ! 力の有る無しは置いといて、女の子を危険にさらさせる訳にはいかない。何よりひか……ピュリメックを助けたい!」
「無理だ」
「何でだよ! 呪文を唱えてピカっとやれば変身できるんだろ? 力がないなら、囮にでも何でもなってやる。そうすればピュリメックがまた大砲でどかーんとやってくれるはずだ!」
「そうじゃない……無論、僕たちの正体を知ってしまった以上、君には守秘義務が発生しているんだが……
「構わない。ヒラヒラのスカートでも何でも着てみせる! だから頼む!」
「そう言う意味じゃなくて……技術的な問題で、男性は無理なんだ」
「くっ……」
何てこった。
独り闘うひかる――彼女を助ける力が得られない理由が『男だから』だなんて。
歯がゆすぎる……
と、無意識に握りしめていた拳を、詩乃さんの両手がそっと包みこむ。
「私、
「えっ?」
「古屋君は優しいから、私以外の女の子が苦しんでいても辛いんだね。私、古屋君が辛そうなの、見たくない」
「でも、
「あなたが望むなら、私何をされてもいいわ」
「いや、そういう意味じゃ……」
「決まりだな」
ターヤは前足を光らせて、ひかるが
「イマジナリアに安寧をもたらすことを絆とし、また軛とし、代行者ターヤが栗茂詩乃の
光が
「そいつを持って『サモン・ピュリンセスガーブ』と唱えるんだ」
「サモン・ピュリンセスガーブ」
俺に逡巡する暇を与えず――
詩乃さんは躊躇なく復唱した。
とたんに詩乃さんの身体が光に包まれる。
ひかるの時と同じように制服が消え、代わりに別の衣装が詩乃さんの身を包む。
脚はターコイズブルーのショートブーツに白いニーソックス。
浅葱色のミニドレスは白銀に輝くルーン文字模様。スカートの裾は白いレースであしらわれている。そして、肩の辺りを小ぶりのマントが二枚、ふんわりと覆った。
同じく白いレースがあしらわれた群青の長手袋。
髪が腰辺りまで伸び、青緑に色づき、閃光と共に現れた銀色の留め具で結い合わされる。魔法のリングで結い合わされたターコイズブルーの髪は四本。あれは……クワドラブルテールとでも言えばいいのか? それとも、左右に二本ずつだから、ツイン・デュアル出し?
そして、右腕に
閃光が消えると、詩乃さんはパワーアップした身体がすでに馴染んでいるかのように思い切り跳躍し、校舎の屋根に着地した。
そして、普段することない大の字ポーズで、見得を切る。
「希望を導く、魔導の輝き……ピュリルーン! ぴゅりーん☆」
な……何かさっきまでの詩乃さんとは雰囲気が違うんだけど……
俺の心配をよそに、ターヤは物陰で腕組みをし、うんうん頷いている。
「潜在浄化力五十八万。彼女は人間なのに、強い魔法の力を感じる。珍しい力を操る
詩乃さんも、強い
「人間から黒ウィルを吸い取る悪い怪物さん! このピュリルーンが、いったーいお仕置きしちゃうんだから☆」
……いや、あんなの詩乃さんじゃない……
あ、ピュリルーンだった。そう思うことにしよう。
そうこうしている間に、ピュリルーンは腰に現れたポーチを見つけると、蓋を開いた。
「このポーチは……やっぱり護符がいっぱいだ☆」
彼女はポーチから紙片を一枚取り出すと、間もなくピュリメックを持ち上げようとするウノシーに向かって投げつけた。それは紙飛行機が滑空するような直線を描いて、怪物に向かって飛ぶ。
「召喚、フルカス!」
紙片に書かれた魔法陣が輝き、青白い馬に乗った老人が現れた。その老人は、手に持った大鎌をウノシーに投げつける。鎌は狙い違わず、ピュリメックを引きずる焼きそばを切断した。老人はそれを見届けると煙のように姿を消し、紙片は火に包まれた。
「召喚した霊体が実体化するなんて……すごいっ!」
ピュリルーンは、詩乃さんだった時とはうってかわって感情豊かに驚く。まるで別人のようだ。
「ピュリメック、大丈夫? ……とうっ!」
ピュリルーンは校舎の屋上から跳んだ。
うおっ……こっ、これは!
ピュリルーンの浅葱色のスカートが完全にはだけ、日頃見えない白いレースが眩しく俺の目に飛びこんでくる。
着地まで二秒弱。こんな非常事態なのに、俺はウノシーの脅威もピュリメックの危機も忘れ、白い秘密の花園に意識を奪われた。キーゼルバッハ部位はあえなく決壊し、鼻から鮮血がほとばしる。俺は鼻の下に情けない二本の赤線を引きながらターヤの肩を揺さぶった。
「あ、あ、あれいいのかよ⁉ ピュリメックなんて『絶対にめくれないスカート』なんて貰っていたぞ!」
「問題ない」
ターヤが片眼鏡のずれを直しつつ、口の端を吊り上げる。
「あれはアンダースコートという。ブルマの亜種で、人間が『てにす』とかいう運動で使う物だ。いくら見えても何の問題もない」
「アンスコ……だと?」
妙に納得した。
そしてその説明に親近感を覚えた。
アンダースコート。それはブルマと並ぶ絶滅危惧種のショートパンツタイプ運動着だ。豪奢なフリル遣いは、下着ではないということをアピールするために付けられたと言われている。
ターヤ、お前もオスだな。
俺、お前とうまくやっていけそうな気がしてきたよ。
さて。
鼻を圧迫しながら戦場に目を向けると、着地したピュリルーンが切断された焼きそばからピュリメックを助け出そうとしている所だった。
「大丈夫ぅ?」
「う……あなたは?」
「私は希望を導く魔導の輝き、ピュリルーン。これからよろしくお願いしまーす☆」
ピュリメックはようやく焼きそばから解放され、立ち上がった。
「助かったわ。私と一緒に、あの怪物――ウノシーを倒してくれる?」
「もちろん~! 力を合わせましょう」
ピュリルーンは、またポーチから紙片を取り出すと、格好良く二本指で挟んで投げた。
「まずは私から行くわよぉ……召喚、火星霊・参の型!」
紙片はまた矢のように飛び、ウノシーの体に突き刺さった。
直後。
背割りコッペパンから顔を出した焼きそばの全てが、切れ目から鎌首をもたげる! 大口を開いた焼きそばは、周囲にあるパンに噛みついた。
「同士討ちを誘う護符よ。少しは反省なさ~い☆」
ううっ。
自らを喰らうウノシーの狂行を見て急に吐き気が催され、俺は不覚にもうずくまった。
『想いの通りに闘って!』
あの駅前での、アネットの言葉が思い出される。
こ……これが詩乃さん……いや、ピュリルーンの『想いの通り』なのか?
結構……容赦ないな。
だが、確実に効いている。
「さあ、ピュリメック!」
「オーケイ! ……メックピュリファイアー!」
合い言葉によってピュリメックの右手に光の粒子が集まる。そして、いつぞやに見た黄金の大砲が握られた。
「乙女心を傷つける仕打ちをしてくれた礼は、しっかりさせてもらうわ!」
エネルギーの充填音が聞こえる。
砲身が陽炎を上げ……って、またあれをぶっぱなすというのか?
「目標をセンターに入れてぇ……スイッチぃっ!」
撃鉄。
破裂音。
衝撃波。
うわっぷ……校庭でぶっ放すから、砂嵐のおまけ付きだ。
烈風が収まり、ようやく目を開ける。
校庭はクレーターだけを残して静まりかえっていた。
ウノシーは影も形も無い。
「排除、完了!」
ピュリメックは右拳を握る。
親指はちゃんと上を向いている。
「やったね!」
ピュリルーンがピュリメックに駆け寄り、両手を握る。
「うん、あなたのおかげよ!」
ピュリメックも嬉しそうに握られた両手をぶんぶん振る。
俺も、二人の輝く笑顔につられて、ターヤと共に物陰を飛び出した。
「無事でよかったよ、ひかる! 詩乃さん!」
……あ。
つい。
まずい……かな?
ピュリルーンが本名に反応して無邪気に振り返る。
ピュリメックはというと、引きつった笑顔を貼り付けてゆっくりと振り返った。
「……名前呼んだら殺す……って言ったよね?」
俺は走る脚を止め、急制動をかけ、ついでに何歩かバックする。
「いや、うっかり……ね。よくあるよね~」
ははは……
ピュリメックの眼は笑ってない。
ウィルでグレネードランチャーを呼び出すと、駆け寄りかけた俺と、ついでにターヤに向かって躊躇なく引き金を引く。
「メック・ティアガスグレネード!」
ぼふっ。
次の瞬間、俺とターヤは猛烈な刺激臭に包まれ、涙を流しながら咳きこんだ。
「うえっほえっほ!」
「ぐえっほ……何で僕まで……」
「そのタヌキに、私の恥ずかしい秘密を聞かせたでしょ!」
「僕はタヌキじゃ……げぇーほげぇーほ!」
「うるさーい!」
ぼふっ。
二発目の催涙弾が、迷いなく発射された。
「やめ……げーほ……悪かっ……ぶえーほえーほ!」
殺される……
俺は今、正義のヒロインに殺されようとしている。
ピュリメックの『お仕置き』は、避難した生徒が教室に戻ってくる気配がするまで、延々と繰り返された。
助けてピュリルーン……
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