第六話 『捕まったよ』

 校舎の影から校庭を眺めると、案の定、校庭ではレオタードを着た巨大な焼きそばパンが暴れていた。右手からはロープ、左手からはリボンが生えている。


「ウノシー!」


 ああ、この前の怪物だ。

 前回のとは姿形が違う。どういうことだ?

 そ……それはひとまずどうでもいい。

 まずは逃げること。そして詩乃さんを逃がすこと。


 うっ。


 校舎の前に、体育着を着てうずくまっている女の子が!


 どうしよう……

 助けられるか?

 声だけでもかけよう。幸いウノシーは校庭の中央付近。走れば捕まることもないはずだ。


「詩乃さん、走って戻って! 校舎の反対側に逃げるんだ!」


 俺は詩乃さんに言い残すと、うずくまる生徒に向かって走り出した。

 上靴をスリップさせて止まると、その女子の肩を揺する。


「おい! 逃げるぞ!」


 しかし、その子は膝を抱え、その上に顎を乗せた状態で校庭の方を眺めていた。その瞳は何も映してはいない。


「おい、何してるんだ!」

「……だわ」


 うずくまる生徒の口が小さく動いた。


「どうしたんだ?」

「レギュラー……外れた……二年生が……絶望……だわ」


 まさか、これがアネットが言っていた『空虚な器を扉とする』ってことか? てことは、これはあのウノシーを倒さないとこの子は回復しないということか。

 俺にはどうしようもない。

 あのアネットとかいう妖精か、ひかるが偶然この辺りを通るのを祈りつつ、ここは退却だ。

 とりあえずその子を置いて、踵を返し……


「へぶあ!」

「痛い」


 ほぼ密着状態で立っていた詩乃さんに激突した。


「詩乃さん、何で逃げないの?」

「だって」


 詩乃さんは額を撫でながら無表情に頬を赤らめた。


「未来の旦那様を置いて一人で逃げられない」

「だから! 結婚とかまだ考えてないから!」


 思わず叫んでしまう。


 しまった……

 時すでに遅し。


 俺がゆっくりと振り向くのと、ウノシーがゆっくりと振り向くのは、ほぼ同時だった。見つめ合う俺たちとウノシー。


「ウノシー!」

「ぎゃあああぁぁぁーーー!」


 怪物の叫びを合図に、俺は詩乃さんの手を握り全力で逃げ出した。


「ゥゥゥウノシー!」


 どすどすと後ろから足音が迫ってくる。

 あと数歩で校舎の陰だ!

 次の瞬間、しっかりつないでいた詩乃さんの手がもぎ取られる。

 見ると、詩乃さんがリボンでぐるぐる巻きにされ、空中に吊り上げられていた。


「捕まった。助けて」


 リボンの中でもがきながら、詩乃さんが一見落ち着き払ってこっちに助けを求めている。


「詩乃さん!」


 俺が一瞬速度を緩めた瞬間、何かが足首に絡みついた。そのまま乱暴に引きずり倒される。気づくと、俺の全身にロープが巻きつき、詩乃さんと同じ高さまで持ち上げられていた。


「大丈夫か、詩乃さん?」

「ええ、死ぬ時は一緒よ」


 物騒だな。

 だが、その物騒がリアリティを帯びている。俺たちはまさに今、怪物に捉えられているのだから。

 こんなことなら、ひかるの携帯番号を聞いておくんだった。きっと後ろ手でもできるくらい発信の練習をしたに違いないから。

 ふと校舎を見ると、生徒は誰も残っていない。素早い避難だ。こういうのを見ると、避難訓練って意味あったんだなと思う。

 いや、屋上に一人、逃げ遅れて……


 違う、立っている!

 燃える赤毛のツインテール。ワインレッドのミニドレスとロングブーツ。

 その横にはフサフサした奴が控えている。

 まさか!


「ちょっと遅れた……こんな場所でもウノシーが発生するなんて」


 赤いキツネ――アネットがウノシーを見下ろして言う。


「さ、退治するわよ。この前の、力に溺れる悪の中ボスみたいな名乗りはやめてね」


 その声に応じて人影が腕を払い、嫌そうに宣言する。


「希望を導く、科学の煌めき……ピュリメック!」

「合格」


 アネットが拍手する。


「怪物! 部活に精を出すいたいけな少女の挫折を虚無の器に変え、黒ウィルの苗床にするなんて許せない! このピュリメックが、お前に地獄を見せてやる!」

「それだめ~」


 拍手をしていたアネットはがっかりして脱力した。


「ひか……」


 俺が呼ぼうとすると、彼女はウインクしながら唇に人差し指を当て、声を立てずに口を動かした。


「ナ・マ・エ・ヨ・ン・ダ・ラ・コ・ロ・ス」


 いかん。目が笑ってない。


「ピュリメック、助けてくれ!」

「言われるまでもないわ。とうっ!」


 ピュリメックとアネットは校舎の屋根から飛び降りると、ウノシーと対峙した。


「ウノシー!」


 怪物が俺たちを持ち上げたまま、さらに三つの腕を生やす。そこにはボールとフラフープ状のリング、そして棍棒が握られていた。腕の一本を振りかぶって、ボールを投げる。

 それを華麗なステップでかわすピュリメック。

 ウノシーはさらにボールを投げ続ける。スピードはまあ、球技の得意な男子が投げる程度だが、どういう仕組みか数がどんどん増えてくる。


「メック・ニードラー!」


 ピュリメックは銀色の未来的な銃を出現させると、ボールに向かって発砲した。銃身からは針のような物が連続で打ち出され、投げつけられたボールを次々と破裂させていく。


「きゃっ!」


 急にピュリメックがのけ反って膝を突く。

 見れば、校舎で跳弾したボールがピュリメックの背中に命中していた。


「ウノシー!」


 ピュリメックの苦痛に気をよくした怪物は、今度はボールに棍棒とフープを交えて投げつける。

 害意を持って投げつけられた新体操の手具は、異なるスピードと角度でピュリメックに襲いかかる。

 腕で庇うが捌ききれず、身体に棍棒、さらにフープが。そしてあらゆる角度から跳弾したボールがピュリメックに叩き付けられた。


「ちょっ! 痛っ! フェアリーシールドはどうなってるの?」

「フェアリーシールドは衝撃を消すのではなく減衰する技術だから、ちょっとは痛いのよ」

「『ちょっと』じゃなーい!」


 バックステップをし、ウノシーと距離をとるピュリメック。


「メック・ホームラン!」


 一瞬の隙をついてバットとボールを出現させたピュリメックは、ウノシー目がけてフルスイングでボールを打つ。


「げぼあ!」

「効いたわ! 次はメック・焼夷……」

「ま……待ってくれ!」


 俺は必死でピュリメックを止める。


「待って、ピュリメック!」


 アネットも制止する。


「どうしたの?」

「ウノシーを見て!」


 訝るピュリメックに、アネットはウノシーの姿を指し示した。

 その先には、祓魔姫ふつまひめの超パワーで放った打球をはらわたで受けた俺。そして無表情に心配している(らしい)詩乃さん、そして、勝ち誇ったウノシーだ。


「今命中したの、俺……」

「ピュリメック、あのウノシーは人質を盾にしてる! このまま攻撃を続けたら、人質が危ないわ!」

「まも……そこの男子! いい加減、捕まってるのやめなさいよ!」

「好きで捕まってるわけじゃないっ! まずボールのこと謝れ!」

「断る! 不可抗力よ!」


 俺を使って攻撃をしのいだウノシーは、さらに無数のボール、棍棒、フープを投げつける。


「くっ……アネットシールド!」

「なんっ……ばべぶべだだづだ!」


 とっさにピュリメックは近くにいたアネットを引っ掴み、盾のようにかざす。そこに襲いかかるウノシーの攻撃。


「ひどいわ、ピュリメック!」

「ごめん……つい。でも、どうすれば……」


 攻撃しかねているピュリメック。人質が二人もいては、なかなか手が出しづらい。


「ピュリメック……俺はいいから、詩乃さ……こっちの女子を助けてやってくれ」

「わかったわ!」


 ピュリメックは、そっと距離を取ろうとするアネットの尻尾を握った。


「ごめんアネット、もう一度! アネットシールド!」


 そのままピュリメックは新体操手具の剣林弾雨をアネットで振り払い、ウノシーの懐に飛びこむ。しゃがんだ状態からアネットを放り投げて退避させ、詩乃さんが絡め取られたリボンの根本につかみかかった。


「ヒィィィト・パルムーーー!」


 かけ声と共にリボンをつかんだ両腕が赤熱する。リボンはあっさりと溶解し、捉えられていた詩乃さんは、校庭へと投げ出された。


「痛い」

「校舎の陰に逃げるんだ!」

「わかった」


 とっとっとと走り去る詩乃さん。

 これで安……し……


「おいピュリメック、次は俺を助けてくれよ!」


 しかし、ピュリメックは俺の言葉を聞いていないようだった。足を踏ん張り、腕を腰だめの姿勢にして、口角を吊り上げてウノシーを睨みつけている。


「遠慮なくいくわよー……メック・ビーーーム!」


 ピュリメックの眼からピンクの閃光が発せられた。


「ぎゃーやめろ!」


 俺は必死で身体をねじる。回避行動をとろうとしていたウノシーはバランスを崩し、命中したビームはリボンを持っていた腕を蒸発させた。


「人質がまだいるんだぞ! 当たったらどうするんだ!」

「あんたには当てないわよ! クックック、そぅらもう一発!」


 ピュリメックは、またビーム発射の体勢をとる。


「そ……そうだ。アネット、止めてくれ! てか、お前も闘えるだろ!」


 俺は藁にもすがる思いで、アネットを呼ぶ。

 アネットと目が合う。

 驚愕の表情をして立っていたアネットは、ゆっくりと前足を地に下ろして四つん這いになり、一言答えた。


「こ……こんこん」

「もう遅いわ~~~!」


 俺は全力で叫ぶ。


「い……いつからそのことを……」

   

 アネットは愕然として立ち上がると、自分の前足を見つめた。


「お前さぁ、ひか……ピュリメックを巫装ぶそうさせる前、排気筒の裏で俺の隣にいたろ」

「全然、気づかなかった……」

「確か、『なんちゃら力、六十二万』とか言ってたよな?」

「そ……そこまで」

「『物を言うキツネ』の標本として研究所送りにされたくなければ、さっさと俺を助けさせろ! そしてあいつを祓魔姫ふつまひめから解放しろ!」

「わ……わかったわ。とりあえず、助ける」


 アネットがピュリメックの方を向くと、ピュリメックは頷き、先ほどと同じようにウノシーの隙を窺いつつ間合いを取った。

 きっと、俺という盾で防御されない攻撃を考えてくれている……


「メック・ウォーターランチャー!」

「ごべがべ」

「メック・ファイアクラッカー!」

「あだだだ」

「メック・ピッチングマシーン!」

「がふぉげふぉ」


 ……と期待した俺がバカだった。


「次は……メック・ラバーガン!」

「真面目にやれ!」

「やってる!」


 確かにピュリメックは肩で息をしている。あらゆる攻撃が俺という盾に阻まれ、ウノシーの肉体にダメージを与えることができていなかった。


「これはどう? ……メック・ブゥゥゥメラン! アンド、チャクラム!」


 焦り始めたピュリメックが右手でブーメラン、左手でリング状の刃物を投げた!


「アンドは余計だ!」


 脚を頭より高く上げ、何とかチャクラムをかわす俺。ウノシーはそれに気を取られ、後頭部にあたる部分に、ブーメランの直撃を受ける。


「もらった!」


 ピュリメックが二度目の突撃を敢行する。


「メック・モノフィラメントギャロット!」


 きゅいっ!


 ピュリメックが紐状の道具を振るうと、甲高い風切り音と共に縄が切断され、俺は校庭に落下して這いつくばった。


「やった! 離れて、そこの男子!」


 言われるまでもない。

 俺は一目散に校舎の陰に飛びこん……


「へぶあ!」

「痛い」


 ん?

 さっきもこのやりとりをしたような……

 詩乃さん!


「言われた通り校舎の陰に逃げたよ。そしたら古屋君が来てくれた。嬉しい」

「詩乃さん……もっと逃げないと、危ないと思うんだ」

「でも、あの人が気がかり……」


 詩乃さんが指さした先には、五本の腕と渡り合うピュリメックの姿があった。

 新体操の手具が散らばった校庭で、ピュリメックとウノシーのバトルは続いている。


「焦げたパンになれ! メック・ファイアスロウアー!」


 ピュリメックは、長身の火炎放射器を出現させて、ウノシーを焼却にかかる。


「ウ……ノ……」


 みるみるパンに焼き色が付いていく。

 これは効いている! 香ばしいトーストになっていく!

 いいぞ、ピュリメック!

 俺が内心応援していると、


「……シー!」


 怪物が、パン状の肉体に挟まれた焼きそばを苦し紛れに吹き出した。


「げっ、気持ち悪い!」


 焼きそばが生物のような動きをして、べたりと火炎放射器に纏わり付くと、ピュリメックは思わずそれを投げ捨ててしまう。

 そうか、焼きそばは油で炒めてあるから、焦げにくい!

 その一瞬の隙を見逃さず、ウノシーは大量の焼きそばをピュリメックに吹きかけた。夜店の屋台でもお目にかからないような量の焼きそばにまみれるピュリメック。


「やっ、やめ……」


 ピュリメックが払いのけようともがけばもがくほど、焼きそばが彼女の身体に絡みつき、自由を奪っていく。

 焼きそばの重量のせいか、校庭に倒れ伏すピュリメック。もはや彼女は、蜘蛛の巣に絡み取られたチョウのようなものであった。


「まずい……どうすれば……」

「古屋君。助けに出ても、同じことになるよ」


 二人で見ているしかない歯がゆさに、俺がいらいらしていると、突然、背後に気配を感じた。

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