第二話 『また来た! またやるのか?』

 俺が今立っている二階入口前のペデストリアンデッキには、裏側に階段がある。そこなら手前のエスカレーターに隠されているから、比較的安全に地上に下ることができるはずだ。


 瓦礫の嵐が一段落したのを見計らい、全力でダッシュする。階段を二段飛ばしで駆け下り、あとは柱の陰に張りつく。一息吐く目の前をフリスビーのような勢いで横切るのはタイヤだ。


 近づいてみたのはいいけど……大丈夫か、俺?

 何がって、ワンミス即死のドッジボールに尻ごみする理性が、ひかるを助ける感情に塗りつぶされつつあることが、だ。


 空飛ぶスクラップが途切れたタイミングで柱の陰を飛び出すと、地下鉄の排気施設の裏に転がりこむ。大規模な地下施設が整備された駅だけに、それは長径が三十メートルを超える軍艦寿司型の建造物となっていて、植栽でカモフラージュされている。この裏なら、何かを投げつけられても身を守ることができるはずだ。


 自分の荒い息づかいなのか、瓦礫が飛び交う音なのか判然としない中、身を屈めながらひかると別れた交差点の方へ走る。


 ひかるは?


 ……いた!

 信号の向こう。逃げ遅れたひかるはビルとビルの間に身を寄せて隠れていた。

 怪物からは死角になっているから、奴がどこかへ行ってしまえば助けに行ける。行けるんだけど、まだ時折電柱の破片だの縁石のかけらだのが飛んできており、下手にここから先へは出られない。


 ここまでか……

 拳を握りしめ、視線を床へと落とす。


 と、

 足下に動物が――『立って』いた。

 真っ赤な毛皮に包まれたキツネと思われる生き物は、こちらには目もくれず、ひかるの方をじっと見ていた。首からは風呂敷かマントのような布を垂れ下げている。


 夢?

 まさか、気づかないうちに死んで、ここはあの世、とか……?

 いや、さすがに一瞬の痛みくらい感じるだろう。てことは、これは現実か。

 ひかるの方を向いて立つ俺と、ヒーローごっこのような姿のキツネ。

 キツネは左眼に赤いレンズの片眼鏡をかけ、ひかるをじっと観察している。出で立ちも異常だが、


「こ、これは……」


 とか喋るし。

 俺じゃなくてもおかしいと思うはずだ。


 じきに、片眼鏡に光る文字が浮かび上がる。驚いたキツネが叫び声を上げた。


「なっ……何ぃ⁉」

「いや、そっちが何だよ! 怪物の襲撃とか十分異常だけど、動物のくせに喋んなよ!」


 だが、赤いキツネは俺など眼中になく、熱心にひかるを凝視していた。


「潜在浄化力、六十二万……だって?」

「ひかるが? なんちゃら力、六十二万……」

「間違いないわ」


 キツネはそのまま排気施設の裏を出て、ひかるの方へと歩みを進める。


「お……おい、危ないぞ!」


 制止したとたん、一抱えほどもあるコンクリート片がキツネに激突した。反射的に顔をそむける。


「言わんこっちゃない……」


 舞い上がる粉塵に目を細めつつ、最期に会話した相手になるかも知れない肉片を確認しようとした。


 ない。

 キツネのミンチがない。

 そこには小さな光の球体があり、コンクリート片はその球体に触れて爆散したところだった。

 バリアーか?

 初めて見た……じゃなくて。

 キツネはそのままひかるの前に立つと、彼女を見上げた。


「野良……キツネ? 危ないから、こっちにおいで」


 ひかるの声が向かい側にいる俺の耳にまで届く。


 気づけば、辺りは静まりかえっていた。

 ふとロボットを見ると、奴は暴れるのをやめ、四肢の関節を外していた。それだけで十分気持ち悪いが、中身は機械ではなく、黒い繊維状の物質。やっぱりただのロボットなんかじゃなかった。

 ロボット状の怪物は、外した関節を呼吸するように動かしていた。周囲に漂っていた黒いもやのような物が、黒い繊維に吸いこまれていく。


「早く入りなさいって。人間怖がってる場合じゃないでしょ!」


 しかし、キツネは二本足で直立したまま、口を開いた。


「あなたの力を貸してほしいの」

「し……喋った? ……ロボット?」

「驚くほどのことじゃないわ。あれ……ウノシーと比べたら」


 人っ子一人いない駅前に、二人――一人と一匹の会話が響く。

 急にひかるはキツネを捕まえ、その目を覗きこんだ。


「カメラここかしら……ちょっと! ここに一般人いるんですけど! 撮影止めてくださーい」

「初めまして。あたしはイマジナリアという世界から来たの」

「もしもーし。監督さん? プロデューサーさん? 誰でもいいから、聞いてたらあのでっかいのをどけてくださーい」

「イマジナリアというのは、動物の集合的無意識を境界線とした反対側にある世界で……」

「いくらリアリティがほしいからって、事前の予告なしってどうかと思うんだけど。やっほー」


 噛み合ってない。見事なほどに。

 俺は排気施設の壁に隠れたまま、言葉もなく二人の様子を窺っていた。


 やがて。


「……落ち着いた?」

「ロボットじゃ、ない?」

「さっきからそう言ってる」


 ゆっくりと、ひかるはキツネの拘束を解いた。


「改めまして、あたしはイマジナリアの妖精、アネット。あなたの力を貸してほしいの」

「私、ひかる。あのでっかいロボットを片づけて。電車に乗り遅れるから」


 それにしても噛み合わないな、あの二人。


「それは難しいわ。あたしは、あのウノシー……赤い大きな奴を追って、ここまで来たの。つまり、奴はあたしのコントロール下にはない」

「ェェエエェェ!」


 露骨に不満をもらすひかる。アネットと名乗ったキツネは、言葉を続けた。


「あたしは、ウノシーに有効な攻撃を加えることのできる、ウィルの強い人間を探していた。それがひかるちゃん、あなたなの」

「ェェエエェェ!」


 ひかるが満面に嫌そうな表情を広げる。昔はもっと非日常にワクワクする奴だったと思ったが。


「ウィルは想いの力。誰でも強いわけではないけど、人間は妖精と比べるとおしなべて強い。特にひかるちゃんのウィルは圧倒的なの」

「で、ウノシーってのは何なのよ?」

「生きとし生けるものは皆、ウィルを満たす心の器を持っているわ。それが空になった状態の時、空虚な器を『扉』にして負の想いである『黒ウィル』を満たし実体化する妖魔がウノシー。心のエネルギーを餌にして成長する、闇の使徒よ。妖精には、封印したり一時的に散らしたりすることはできても、浄化ことはできない。どこかに、あのウノシーを呼び出す『扉』になってしまった人がいるはず……」

「普通、ああいう怪物出るのって東京かニューヨークだよね~。うわ~、勘弁してほしい~。関わりたくな~い」


 ひかるはアルミホイルを咀嚼したような表情のまま、一歩引いた。

 アネットはそれに気づかない様子で、ひかるを指さす。


「そこで、人間の中でも強力なウィルを持ったひかるちゃん! あなたにはウノシーを浄化する能力者である『祓魔姫ふつまひめ』、別名ピュリンセスになって、あいつを倒し、『扉』になった人を助けてほしいの!」

「嫌」


 アネットの熱い言葉に、にべもなく一言で断るひかる。

 お……お前には『男気』ってもんがないのかっ⁉


 …………


 女だった。


「じゃあ、さっそく祓魔姫ふつまひめになるために巫装ぶそうの儀式を! 浄心器じょうしんき……ああ、巫装ぶそうするためのアイテムなんだけど、ここから選んでね。ペン型、携帯電話型、スマホ型、コンパクト型、ブローチ型、杖型、指輪型、眼鏡型、ベルト型、それから……今、何と?」


 アネットはアネットで、人の話を聞かずに話を進めようとしたが、さすがに何回目かになると踏みとどまるようになった。君も大量の変身玩具を並べる前に、気づこうね。


「い・や。って言ったの」

「何で?」

「だって私、来年受験生だし」

「いや、だって、目の前に怪物がいて、自分に倒す力があるのよ?」

「嫌なもんは嫌。だって、昔テレビで見たけど、ああいう怪物って、毎週出るんでしょ? そんな暇はないの。タダでさえ『中だるみの二年』とか言われてるのに、そんなことで気を散らせたくないの」

「そんな! 変身ヒロインは少女の夢……って聞いていたんだけど」

「じゃあ聞くけど!」


 ひかるがアネットに詰め寄る。


「『祓魔姫ふつまひめ』やったら、第一高校に入れる? 百歩譲って、それ内申書に書ける? 無理よね。『祓魔姫ふつまひめとして市内の平和維持に貢献しました』とか、絶対無理よね。私は県下トップの第一高校に入るために、一秒たりとも無駄にしたくないの。同じ努力を経験した友達と、楽しいハイスクールライフを送りたいの!」

「でも……」

「そして、そこそこの大学を出て、そこそこの収入でそこそこの幸せを掴むの! そのためなら社畜になろうと公僕になろうと構わない!」

「しかし……」

「私は……リア充になりたいの!」

「リ……リア充って何なの?」

「…………」

「…………」


 沈黙が流れる。


「私、今『リア充』って言った?」

「言った」

「し……しまった……」


 ひかるが両手で口を押さえて、愕然とした表情を浮かべる。

『リア充』って言ったのが、そんなにショックだったのか? 普通に言うよねー。

 ひかるは慌ててアネットを追い払う仕草をした。


「と……とにかく、あんたが追いかけてきたんだから、あんたが何とかしなさいよ!」

「あの……巫装ぶそうは?」

「嫌ったら嫌」

「……わかったわ」


 アネットはひかるに背を向けた。駅前のロータリーでは、ウノシーが黒いもやを吸い終わって、また破壊活動を始めようとしているところだった。


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