第一章 怪物の襲来なんて東京単局の話だと思っていた
第一話 『幼なじみ、再び』
売店でシャープペンの替え芯とルーズリーフを買うと、俺は多くの中学生に混じって予備校のビルを後にする。
エントランス前の歩道には、別な中学校の制服を纏った少女が、焦れきった様子で立っていた。
気の強そうな双眸。
整った鼻梁。
夜の街灯程度の光量でも輝く透き通った肌。
幼稚園から変わらないツインテールは、腰辺りまで届きそうな長さになっている。
牧名ひかるだ。
小学校三年生の時、転校して俺の前から姿を消したひかる。偶然にも予備校のクラスメイトとして現れた彼女は、多くの生徒に囲まれてなお一際輝く容貌を持つ美少女に成長していた。
「守、遅い! シャープ芯ごときにどれだけ時間食ってるの!」
まるで水晶のヴァイオリンで速弾きするような叱咤にせき立てられ、俺は頼んでもいないのに待っていたひかるの元に走っていく。
幅員が十メートルはありそうな歩道は黄土色とグレーの石畳が敷き詰められていて、車道との境目には等間隔に街灯と生け垣が設置されている。その外には、令息令嬢を送迎するため路肩に並ぶ車列が続いていた。
それを横目に、俺とひかるはどちらからともなく、駅に向かって歩き始めた。二人とも両親が共働きの核家族である。俺たちを迎えに来られる者はいなかった。でもまあ……こんな地方都市なのに、中学から駅前の大手予備校に通えることを感謝しないといけない。
俺たちは黙ったまま、駅へと歩く。別に手をつなぐような関係でもなく、会話もないまま並んで歩みを進めていく。
校舎内の緊張気味な静けさとはうってかわって、街は喧噪に包まれていた。
話のネタが見つからず、俺は収まりの悪い髪を摘んだ。
ちらりとひかるの顔を見ると、偶然彼女もこちらに視線を送ってきた。俺は慌てて視線を逸らし、週末の人混みに興味があるようなふりをする。顔が火照ってきた気がするが、日が落ちた今ならひかるに気づかれることもないだろう。俺より若干低い身長からチラッと見上げる仕草は、破壊力抜群だ。
一方、俺の外見は十人並み。勉強は先頭集団の一番後ろ。おまけに取り立ててスポーツやイベントで目立てるキャラでもない。
それなのに、幼なじみってだけで、隣にこんな可愛い女子が歩いている。中学生にもなって違和感なくツインテールを振り回す美少女が隣に立っているってだけで、ここ数年分の運を使い果たした気さえする。
小学校までは、もっと無遠慮に「守」「ひかる」と呼び合い、笑い合っていたと思うんだけど、どうも上手くいかない。キラキラしすぎていて、直視できない感じがする。
すれ違う人の波は速歩きで、時に駆け足で去って行く。
「さすが週末。すごい人の数だね」
「そうね。早く勉強の毎日から解放されたい」
ごく社交辞令的な会話を交わす。
進展とか、しないんだろうな。
『守……受験が終わったら、私と……映画館に行かない?』
いや、ないない。
むしろ死亡フラグの匂いがする……受験的な意味で。
大体『幼なじみ』ってのは、攻略の難易度が滅法高いと相場が決まっている。敵と恋仲になる方が遥かに易しい……っと、敵って誰だよ。
自分で自分にツッコミを入れていると、正面に白くライトアップされた巨大な駅舎が迫ってきた。いつもの、別れの場所だ。ひかるは交差点に設置された地下道の入口から東行きの電車、俺は信号を渡って南行きに乗る……のだけど。
「緊急工事?」
ひかるが下るはずの階段にはオレンジのバリケードが立てかけられ、使えないようになっていた。
頭を下げる作業員の絵。不意に、彼がいつもと違う何かに向かって誘っている気がした。
「通れないか。せっかくだから……」
「あっちのハンバーガー屋の横にもう一つ入口があるから、そこから下りるね」
「う、うん」
無意識に口から漏れた期待を折るように、ひかるは即答して信号の向こうを見やる。
「じゃ」
ひかるが軽く手を挙げた。
「じゃ」
俺も短く挨拶すると、横断歩道を小走りに渡った。
渡りきってから振り返ると、ひかるは今まで俺が隣に居たことなど微塵も感じさせない軽快な足取りで店先を掠めて歩み去っていく。
――そんなもんか。
少しがっかりしながら、駅ビルへと足を向けた。
駅前では、何事かを大音声で叫んでいるのが聞こえる。
「…………!」
何かの結社だろうか。ひかるが向かった方に近い。あれでは大層やかましいだろうな。
それにしても、今夜はいつも以上に駆け足の人が多い。月末だからって、大人はそんなに急いで飲みに行きたいものだろうか。
「……し~!」
駅に近づくにつれ、叫び声が大きくなっていく。
それは野太く、何かを呪うような響きを帯びていた。
「……のし~!」
駅舎に入るエスカレーターを登り切ったところで、妙なことに気がついた。
歩道でだらだらとたむろしていたはずの中学生や高校生までもが、駆け足で追い抜いていく。しかも全速力で、だ。
「ウノシー!」
その叫びを正確に聞き取った瞬間、埋もれていた恐怖のイメージがフラッシュバックした。
嫌な予感が、脳内を埋め尽くしていく。
俺は焦りに駆られて、声の主を探した。
いた!
タクシープールの向こうに、アニメで見たことのあるロボット……ただし全高は約十メートル。
あのチェリーレッドの機体は確か、敵の親玉が乗っていたやつだ。
「ウノシー!」
ロボットが黄緑のコンパクトカーを持ち上げる。うわ、こっち見んな!
慌てて駅舎に駆けこむ俺の背後で、金属のひしゃげる音とガラスの割れる音が大合唱した。
特撮番組の撮影か? 一般人を巻きこむなんて、何考えてるんだ!
……いや。
そう思いたいだけだ。
徐々に脳裏に忌まわしい光景が甦る。
十年前、園児バスを襲った黒ずくめの集団。
異形の怪人。
悲鳴に包まれるバス。
――思い出した。
その後、俺たちは『ヴォイダート帝国』を名乗る奴らに危うく拉致されそうになり……
そして、戦闘員が悲鳴を上げ……
ひかる、が……
「ひかる!」
そうだ。
あいつはどうなった?
あいつのほうがロボットに近い。
まずい!
助けなきゃ。
ひかるが……ロボットに無謀な説教を始める前に!
でも……どうやって助ければいい?
駅舎の壁際に身を屈める俺の目の前で、また一台の乗用車がスクラップになった。
瓦礫もバランスボールのような大きさだ。
当たれば……死ぬ。
ひかるだって命が危ないかも知れないっていうのに、どうしても足が出ない。
俺は……意気地なしだ。
こんな異常事態の中、女の子一人助けに行けないのか……
地響きの中、床のタイルを見つめる。
「俺は……意気地なしだ……が!」
閃いた!
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