男子は変身ヒロインになれません!

近藤銀竹

プロローグ

「ねえ、守。あのトラック、ずっとついてきている……」


 隣に座っていた牧名ひかるが、俺の顔を見もしないでつぶやいた。


 ひかるのよく通る声は、偶然会話の止んだマイクロバスの車内に、やけにはっきりと響いた。

 同乗していた全員が、反射的に後方を振り向く。


 いる。


 黒いトラックと、それを先導するように走る、何台もの黒いバイクが。


 住宅地が途切れ、右に雑木林が、左に更地が広がりだした時だ。バスのディーゼルエンジンとは明らかに異なる甲高い爆音が追いすがり、車体の両脇を黒いバイクが取り囲み始める。


 バスは緩やかな下り坂の中腹辺りで完全に包囲された。ほぼ同じタイミングで前方向に激しいGがかかり、俺は前席に額を激突させた。運転手が事故を避けるため、ブレーキを踏みこんだらしい。


 何が起こってるんだ?


 周囲を見回すと、多くの者が座席から振り落とされていた。通路に投げ出されている者もいる。痛む頭に掌を当てながら、窓の外を確かめた。


 バスを取り囲んだバイクから、黒ずくめの人間が飛び降りる。いつの間にか追い抜いてこちらの進路をブロックしたトラックのコンテナからも、黒ずくめが湧きだした。


 急に、何の騒ぎだ?

 こっちはクラスで一番可愛い女子とバスで隣の席になって、滅多にない幸運を堪能している最中だってのに。





 その子の名前は、牧名ひかる。

 朝の湖水のように輝く笑顔。

 グラスハープのように透き通った声。

 ピアノの側板のように艶やかな黒髪。それをツインテールに結い上げ、二つの尻尾は首を動かすたびに軽やかに揺れる。

 女子たちからも一目置かれているアイドルが隣に座っている。降りる場所まで、ずっと一緒だ。

 私立サイコー!

 バス通サイコー!

 日頃ひかるの周囲は、彼女と仲良くなりたい人が男女問わず人垣を作っている。いつもは、大した会話ができていないけど、今日は気の利いた話をして、好感度アップを狙うってわけだ。

 まずは見た目を褒めるところから始めようかな。


「ひ……ひかるちゃん。その……二つに結った髪型、可愛いね」


 俺は生まれて初めての勇気を振り絞って、多分生まれて初めて女性を褒めた。

 ところが、


「ねえ、守。あのトラック、ずっとついてきている……」


 と来たもんだ。


 誰だよ、貴重なチャンスタイムを台無しにした奴は!

 心の中を沸騰した不味いシチューのようにぐつぐつさせていると、窓の外で異変が起きた。

 黒い乗り物から、これまた黒い人間が次々と飛び降りてくる。そいつらはバスの左中央にあるドアに詰めかけてくると、手に手に金属製の棒を振り回し、ガラスをたたき割ってこじ開けようとする。よく見れば、皆が揃って全身をぬめ光るタイツのような物で覆い、同じ材質の目出し帽を被っていた。

 その姿と所業はまさに……


「戦闘員……」


 何とはなしにつぶやいた言葉を、前席の男子が耳聡く聞き取り、いきなりヒステリックに叫んだ。


「た……助けて、仮面レーサー紋華!」


 その声に反応して、バスの至る所から叫び声が上がる。


「仮面レーサー!」

「レーサー!」


 泣き声の大合唱が始まった。


 狂乱の潮が満ちつつある中、ひかるのことで苛ついていた俺は、奇妙な冷静さの中に取り残されていた。


 フロントガラスの先に、黒マントを纏った、ぎらつく長髪の男が歩み寄ってきた。男がバスに掌をかざすと、フロントガラスは粉微塵になった。男の声が、やけにはっきりと耳に滑りこんでくる。


「我々は、ヴォイダート帝国だ。このバスは、我々がいただく。やれ、ダリー!」


 運転手が短い悲鳴を漏らし、運転手専用のドアを開けて逃げ出した。

 同時に、戦闘員が車内に雪崩れこみ、乗客を小脇に抱えて運び出し始める。俺とひかるも例外なく、荷物のように抱えられた。


 これはまずいな……


 俺はなぜか恐怖を感じず――いや、あまりの非日常感に感覚が麻痺していたのかも知れない――この事態を第三者的に分析していた。ヴォイダート帝国? 聞いたこともない。仮面レーサーも戦闘員も、テレビの中の作り話だ。じゃあ、これは何だ? 走行中のバスを停めて仮面レーサー紋華ショー? 俺の乏しい経験は「それは有り得ない」と叫んでいた。

 だが現実に、自分は戦闘員に連れ去られようとしている。それでいて仮面レーサーが実在しないということは、事態が絶望的であるということを意味していた。


 と、間もなくコンテナに放りこまれるという時に、戦闘員の列から悲鳴が上がった。

 見れば、一人の戦闘員が左の指を押さえて絶叫を上げている。その傍らに、ひかるが立っていた。


 ひかるが何かを吐き捨てる。

 それが何なのか、想像したくない物であることだけは容易に想像できた。


「あんたたち、このホーチコッカでこんなことをして、タダで済むと思っているの?」


 ひかるが難解な言葉を叫びながら、マントの男をびしっと指さす。


(出た?)

(出た!)

(出た、ひかるちゃんの説教タイム!)


 周囲の知人は目配せを交わす。皆が同時に同じことを考えていた。大人もたじろぐ、ひかるの説教タイムが始まった、と。


「これはこれは、元気な幼女だ。幼女はマニア受けが良いから高く売れる。お前らは我が帝国の活動資金になってもらう」

「幼女にも限度ってもんがあるでしょ! 私、まだ四歳よ!」


 マント男は、ぐっ、と言葉に詰まった。


「……需要、ないか……」

「そっれっ以っ前っに!」


 ひかるが追い打ちをかける。


「園児バスのゴーダツなんて、どこまで安易でベタで不経済なの? 何で悪の組織は揃いも揃ってバカばーっかなの? 信じられない!」

「この幼女未満が……言わせておけば!」


 マント男は怒りに肩を震わせ、掌を地面にかざした。


「出でよ、ウノシー!」


 叫びに反応して、地面から巨大な影が立ち上がる。

 形は二足歩行の黒豚。しかし、顔面には悲しみを湛えた仮面を被っていた。そして、手にあたる部分は触手のようにうねっている。


「ゥゥゥウノシー!」


 ウノシーと呼ばれた怪物が吠えた。


「恐れよ、絶望せよ! フッフッフ」


 マント男は仁王立ちのまま、ひかるを見下ろした。


 だがひかるは正面で視線を受け止めると、背中で手を組み、ニヤリと笑う。


「……この既視感、四年ぶりだな。間違いない……胎内記憶だ」


 …………


 その場にいた全員が呆気にとられて言葉を失った。


(……ひかるちゃんて、記憶力いいよね)

(……ひかるちゃんって、ママのおなかの中で何見てきたんだろうね)

(……てか、ひかるちゃんの胎内記憶って、怖すぎるよね)


 園児たちは泣くのも忘れて、ひかるの言葉にヒソヒソと突っこんだ。


「ば……馬鹿にしおって。いくら幼稚園児でも容赦せん!」


 マント男の命令で、ウノシーと呼ばれた怪人がひかるに腕を伸ばす。


「キャー、両腕を切り落とされるぅ!」


 ひかるが挑発するように悲鳴を上げた。


 その時――


 轟音と共に天より電光がほとばしり、ウノシーの触手のような腕を撃ち抜いた。

 余りの眩しさに、一瞬眼を伏せる。人影のようなものが降ってきたことだけは、辛うじて認識できた。


「何だ……? 空から女の子?」


 目を開けると、ひかるとウノシーとの間に一人の女の子が立ちふさがっていた。

 風に揺れる銀色のポニーテール。

 水色のミニドレス。

 絶対領域を彩る、レースに包まれた七色のショートスパッツ。


「何奴?」


 マント男の言葉に、そのお姉さんは籠手をはめた左腕をかざし、タクトを振るように指を踊らせた。


「……天空の調律師、ピュリウェザー!」

「ピュリウェザー? イマジナリアの戦士か!」


 ピュリウェザーはそれには答えず、とうっ、と跳躍した。バスの数倍の高さまで跳んだ彼女は、落下と同時に拳を振りかぶる。


「ヘイルストーム・ショットガン!」


 肩から先が残像になるほどの高速連撃パンチ。

 ウノシーの全身に、無数のクレーターが穿たれる。

 怪人が倒れるのとピュリウェザーが着地したのは、ほぼ同時だった。


「この幼稚園バスは返してもらうわ」

「くっ、まだだ。ウノシー!」


 マント男の呼びかけに反応して、ウノシーは倒れたまま触手を伸ばす。それは大人二人分の身長ほども伸びると、ピュリウェザーの全身に巻きついて締め上げた。

 ウノシーの身体から謎のエネルギーがスパークし、腕を伝導してピュリウェザーに流れこむ。


「ああああっ!」


 ピュリウェザーの顔が苦痛に歪む。

 怪エネルギーがピュリウェザーを打つ度に、彼女はビクンビクンと跳ねた。


 マント男は満足そうに頷く。


「捉えた! 幼稚園バスの強奪は後回しだ。最初にイマジナリアの戦士を葬る!」


 マント男が目配せすると、戦闘員は俺たちを放り出し、手に手に金属の棒を持ってピュリウェザーの方へと駆けて行ってしまった。


 解放された園児たちは不安げな表情で成り行きを見守っていたが、


「が……頑張れ、ピュリウェザー!」


 誰からともなく、声が上がった。


「ピュリウェザー!」

「ピュリウェザー!」


 声は皆に伝播して、巨大なピュリウェザーコールになっていた。

 頼れるのは、このピュリウェザーという謎のお姉さんだけだ。


 ふとひかるを見ると、彼女だけが声を上げていないのがわかった。ひかるは唇を半開きにし、拘束されたピュリウェザーが苦痛にのたうつのをじっと見つめていた。その幼い瞳には、ハートが浮かんでいる。


「ピュリウェザー……素敵」


 俺は、ひかるの唇がそう動くのを見逃さなかった。

 何が、と言いかけたが、今はそれどころではない。

 ピュリウェザーがやられてしまったら、次は俺たちだ。しかし今のままでは、ウノシーと戦闘員から袋だたきにされているピュリウェザーは、じきに力尽きてしまうかも知れない。


 何とかしなくちゃ……


 周りを見渡す。

 幼稚園バスの右後方に解放されたまま放置されている俺たち。

 バスの右前方には戦闘員に囲まれたピュリウェザー。

 そして、バスの進行方向にマント男とウノシー。

 邪魔なのは、見えない力でバスのフロントウインドーを壊すような、謎の力を持ったマント男だが……

 無意識に一歩後ずさる。

 と、ズボンのポケットから硬い物がこぼれ落ち、バスの方へと転がっていった。午前中の活動でやったゲームに連戦連勝し、大量にせしめたビー玉だ。


 これは……行ける!

 マント男が目をそらした隙に、足音を殺してバスの後方に駆けこむ。左側面のドアから車内に入ると頭を低くして運転席に滑りこんだ。

 エンジンは止まっているが、キーが挿しっぱなしでオンの位置にある。つまりエンスト状態だ。頭を出さないように気をつけながらクラッチペダルを踏みつけ、三速に入れっぱなしだったシフトノブをニュートラルの位置へ戻す。最後に両手両脚を総動員してサイドブレーキを解除すると、バスはゆっくりと動き始めた。

 まだやることがある。大急ぎでバスを降りると、まだ動きの遅いバスの左前方に立ち、マント男に向かって叫んだ。


「ガキが逃げるぞ!」


 急に悲鳴と応援以外の言葉を聞いたマント男は、驚いて振り向いた。


「何? どこだ!」

「ここだ!」


 言うなり、リア方向に向かってダッシュする。


「この幼児が!」


 頭に血の上ったマント男は、鬼の形相で追ってきた。

 よし、うまくいった。仕上げだぞ……と!

 逃げながら両方のポケットから大量のビー玉を取り出し、道路にぶちまける。マント男の足下にガラスの花畑が現れた。


「ぬおっ!」


 びたん、と音を立てて、七色の罠に足をすくわれたマント男が大の字に倒れた。よしっ!


「おのれ……私にこのような屈辱的な姿を晒させおって!」


 立ち上がるマント男。

 その瞬間、


 がじゅあっ!

 金属とプラスチックが拉げる音が響いた。

 俺を追おうとしていたマント男、ピュリウェザーを囲んでいた戦闘員、応援の声を張り上げていた園児たち、その全員が音のした方を振り向いた。

 そこには、勢いの付いたバスに衝突され、必死でその場に踏みとどまろうとする怪人の姿があった。


「ウ……ウ……ウノシー!」


 どうにかバスの進路を逸らせた怪人。だがそのアクシデントに気を取られ、案の定ピュリウェザーへの攻撃を中断していた。


ピュリウェザーが、ウノシーの腕を掴んで立ち上がる。


「くっ! ……ダウンバースト・エクスキューション!」


 風の刃が彼女を中心に振り下ろされ、戦闘員の身体、そして怪人の腕が切断される。

 自由になったピュリウェザーは、自身に巻きついた触手のような物を振り解いた。


「好き勝手してくれたわね。今度は私から行くわ!」


 ピュリウェザーが拳を天に突き上げると、ウノシーの頭上に巨大な七振りの曲刀が浮かび上がった。それぞれが虹の一色に輝いている。そして――


「ウェザーピュリファイアー! ……赤! 橙! 黄! 緑! 青! 藍! 紫!」


 ピュリウェザーの叫びに反応して七色の曲刀が打ち下ろされる。

 ウノシーは短い悲鳴を上げたのを最期にその身を七等分されると、どういう仕組みか雲散霧消した。


「な……なぜだ! 今一歩の所を!」


 マント男が歯噛みする。

 俺は喜びの声を張り上げる園児の集団に戻って、マント男を指さした。


「ウノシーをやっつけるために、坂の力を借りたんだ。変な力を使うお前に邪魔されないように、ウノシーから引き離した……そういう筋書きだったんだ!」

「謀ったな、幼児ぃ!」


 マント男が地団駄を踏んだ。悪党が悔しがる場面は、いつ見ても気分がいい。

 気をよくしていると、ウノシーを葬ったピュリウェザーが俺たちを庇うように進み出た。


「次はお前だ……」


 そのままマント男との距離を詰めながら輝く籠手を複雑に振り、空中に印を切る。


「イマジナリア・リアライズ・オーバードライブ!」


 呪文のようなその言葉に反応して、空が紅く染まった。


「一撃必浄ひつじょう深紅之空しんくのそら!」


 空が渦巻き、天の底が抜けるように紅い奔流が落ちてくる。


「あれを喰らってはマズいか……」


 マント男は身を翻し、空中に浮かんだ。


「今日はここまで。いずれ人間界はヴォイダート帝国の物となるのだ。ハッハッハ!」


 紅い流れより一瞬早く、男の姿がかき消える。


 ピュリウェザーは何もなくなった空を睨み続けた。


「あ……ありがとう、ピュリウェザー!」


 誰かが幼い叫び声を上げた。


「ありがとう!」 

「ありがとう!」


 呼応するように、園児たちからピュリウェザーコールが弾けた。


「君は命の恩人だ」


 どこかに逃げ去ったと思っていた運転手が、いつの間にか現れてピュリウェザーに右手を差し出した。彼女はそれを素通りし、俺の目の前にやってくる。


「ありがとう。君のおかげで勝てたんだよ」


 言い残したピュリウェザーは、どこへともなく飛び去った。


 皆がピュリウェザーを讃える歓声を上げる中、ひかるは声も立てず、瞳孔をハートにしたままいつまでも見送っていた。

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