第二十六話

 いつものように書斎に入り、机の一番下の引き出しから古びた手帳を取り出す。

 先週の続きのページをめくると、そこには千切られた小さな原稿用紙が挟まっていた。

 震える指でその原稿用紙をつまみ上げると、乱雑な筆跡で文字が綴られていた。

「君の三文小説に付き合うつもりは、僕にはない」

 簡潔に、そう書かれていた。

 原稿用紙のマス目などすべて無視して、行の角度にも逆らって、その文字は傍若無人に書かれていた。

 その文字を見て、私の体は固くなる。

 右手に持っている万年筆を強く握る。

 私の脚の裏、いや、足の裏の内側から頭に向かって得体の知れない液体のようなものがじわじわとせり上がってくる。

 溶岩のように熱くもあり、液体窒素のように冷たくもあり、すぐにでも笑いだしそうになるような滑稽さも含み、今すぐに泣き崩れそうな分裂をも含んでいる、何か。

 それが何であるか、私は言語にすることができない。

 私は、その感覚に襲われながら、そこに立ちつくしていた。

 湿度は私の体を覆い、臭いは私を包む。

 ふと、犬の鳴き声が聴こえる。

 秋の空を切り裂くような、やかましい犬の鳴き声。

 空耳ではない。確かに、激しい犬の鳴き声が私の耳を襲う。

 先生が、帰ってくる。

 犬の鳴き声は止むことはない。

 むしろ、その声はどんどん増幅されていく。

 実際の犬の鳴き声なのかどうかわからない。

 しかし、犬は鳴き続ける。

 先生が、帰ってくる。

 館に、戻ってくる。

 私は、動くことができない。

 私は、進むことができない。

 私は、退くことができない。

 私は、泣くこともできない。

 そして、震えることもできずに、そこにただ立つ。

 動けない私の頭の中に、犬の鳴き声だけが響き渡る。

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