第45話

 団地の彼方からもくもくと湧き上がる黒い入道雲のような煙が、夜明けの薄青い夏空を今にも塗りつぶそうととしていたんだ。

 「孝くん!急いで!後ろを見ている場合じゃないわ!あれは夜の煙よ。太陽が消えるわ。もう残り時間はわずかよ!」

 僕の後ろを走っていたサオリが叫んだ。なんだよ、夜の煙って。全身震えていたけれども、帰りたい、ここで死にたくないという気持ちがなんとか僕を奮い立たせた。調整池まではあと数百メートルだ。僕らは亀裂を飛び越し、道路に倒れた電柱をよけ、へし折れた街路樹をくぐって、ただひたすらローラーで走り続けた。あともう少し、その時だった。

 「わあっ!」

 僕の少し前を走っていた英ちゃんが、石につまずいて派手に転んだ。英ちゃんは道路を三回転ほどしてその場にうずくまった。

 「いってー!」

 英ちゃんは涙をこぼしていた。

 「大丈夫?」

 僕とカッコで英ちゃんを支えて立ち上がる。英ちゃんのこめかみとひざからは血が流れていた。

 「超いってーよ!血がたくさん出てる!もうダメだ。走れないよ」

 あと少しだというのに、英ちゃんは泣き言を言いだした。

 「英ちゃんがんばって!平気だよ、かすり傷くらい!みんなで帰るんだよ、ほら!クショババって言うんだ!」

 カッコが英ちゃんを必死に励ます。いつもと立場が逆になっていた。

 「うん、うん。あ、ありがとうカッコ。うん、クショババ!帰るぞ!」

 英ちゃんは僕らに支えられて片足を引きずりながら立ち上がった。走れそうになかったので、僕らは英ちゃんのローラーを脱がせた。調整池は目と鼻の先だから、ついでに僕らもローラーを捨て、靴にはきかえた。どっちみち土管の中をローラーで走るわけにはいかない。僕とカッコで英ちゃんの肩を支えて歩き出した。英ちゃんは片足を引きずりながら歩いている。

 「迷惑かけてごめん」

 英ちゃんは半ベソで言った。

 「わたし先に行ってハンドルに鎖をかけるわ」

 サオリはカッコから鎖を受け取るとくるりと向きを変えて、ワンピースの裾をひるがえして、矢のように道路を下っていった。

 夜の煙と呼ばれた黒い雲がもうすっかり空をおおって、ほとんど暗闇になっていた。まるで夜に逆戻りしたみたいだった。いつの間にか風が勢いよく吹いている。低い地響きが聞こえる。まるで嵐の前ぶれのようだ。太陽の代わりに再び月が輝き、なんとか僕らはその光を頼りに土管の上の柵までたどり着いた。サオリは一生懸命鎖を赤いハンドルに通している。

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