第75話 68




「十弓を、解散……?」




 男とも女ともつかない声で誰かが呻いた。

 俺の耳はまともに働いていないらしい。


「ずいぶん急な話ですね」


 さほど驚いた風でもなく、ランゼツ三位が呟く。

 他の十弓はいまだぽかんとしたままだ。


「かきゅうですから」


「ご事情を伺っても?」


 三位は書類を置き、孔雀の優麗さで一位を見やる。

 視線を受けたカヤミ一位は三呼吸ほど置き、おもむろに話し始めた。


「みかどさまを、だんのうらへおつれします」


 静かな動揺が広がる。


 ――『檀ノ浦』。

 葦原最東端の要塞。

 三日月状に伸びる岩礁地帯の果てにあり、四方を海に囲まれた事実上の孤島だ。

 陸路で向かうことはほぼ不可能。

 海域の波も極めて荒く、熟練の舵取りがいなければ大貫衆ですら到達不能と言われている。


 そこには数百人が数年暮らせるほどの物資が蓄えられた屋敷がある。

 雨水を貯蔵する施設はもちろん、限定的なものであれば作物を収穫できる畑すら備わると聞く。

 もちろん、海商や防衛の拠点ではない。

 葦原の心臓たる帝様を避難させるための施設だ。


「恐竜相手に弱気ですね、カヤミ一位」


 ネコジャラシ七位が静かに、しかし怒りを滲ませた声で呟く。


「帝様をご移送するということは、上の連中はみやこが恐竜に蹂躙されるとお考えなわけですか?」


 彼の言う通り、檀ノ浦に帝様が避難するのは国家存亡の危機に限られる。

 歴史上、その危機は数度しか訪れていない。


「いえ。ちがいます」


「何が違うのですか。檀ノ浦の話が出るということは、ボク達に限らず葦原全軍が恐竜に負けると――」


「みやこをおかされるとしたら、そのあいてはきょうりゅうではない」


 鈴が一度鳴るような、凛とした声。

 七位が口を噤む。


「えっと……恐竜人類ってことですか?」


「違うよ」


 アマイモ十位の問いに応じたのはミョウガヤ五位だった。

 全員の視線が小柄な少年に集まる。


「都を潰すのは唐かブアンプラーナだ」


「はい」


(!)


 心臓が大きく跳ねる。

 だが、前後の状況を考えてみると驚くに値しない話だ。

 横目で見ると、他の十弓も驚いたのは一瞬だけのようだった。


「状況は芳しくないぞ、諸君」


 半仮面のニラバ二位が低く、よく通る声で引き継いだ。

 熊を思わせる巨体を揺らし、壁の地図へ。

 大陸の八割を占める中央部、『冒涜大陸』に手の平が置かれる。


「恐竜は冒涜大陸から際限なく出て来る。それに合わせて恐竜女もぞろぞろ出て来る」


 太い指が大陸南部、世界最大の国家へ。


「唐は『数』でこれを押し返している。ワカツ九位が立ち寄ったゆうに壁を造りつつ、国中の罪人を使って片っ端から恐竜を狩っている」


 シャク=シャカが話していた『長城』だ。

 完成するのは数年あるいは数十年後の話だろうが、いかんせん唐は動員できる数が多い。

 柵や生垣程度のものなら、あっという間に造ることができるだろう。


「ニラバ二位。罪人というのは?」


「大小に関わらず恐竜の首を獲ればあらゆる刑を減免するそうだ。恐竜女を殺せば死罪まで恩赦の対象らしい」


「恩赦……と言うことは王宮を擁するこうも噛んでいるわけですか。ずいぶん景気の良い話ですね」


「それぐらい切羽詰まった風を装わんと、どこも陣取り合戦をやめないからな」


 渋面と半笑いをない交ぜにした表情で、二位は丸い顎を撫でる。


「討伐に動員されている罪人の数は?」


「一万か、二万だったかな。こうしている間にも増えてるぞ」


 室内に嫌な空気が立ち込める。


「それだけではありませんよね?」


「もちろん、罪人は露払いだ。その後ろにはこうの呼びかけで唐中から集まった義勇軍がいる」


「数は?」


「ざっと二百万」


「にっ……!」


 多くの十弓が驚愕した。

 それもそのはず――


「葦原全軍の十倍ですね」


 呆れにも似た微笑を漏らし、イチゴミヤ四位が続ける。


「それも、唐内部の小国は余力を残した状態で、ということですよね?」


「はい。さいしんのちょうさでは、とうのそうりょくはよんひゃくまんをこえています」


 葦原の全軍は二十から二十五万。総人口は六百万だ。

 ――規模が違う。


「三千万の民に対して軍が四百万、ねぇ」


 六位が嘲りを浮かべる。


 確かに動員し過ぎだ。練度も質も、たかが知れているだろう。

 だが戦いは数が全てだ。

 地を埋め尽くすほどの蟻に襲われれば、獅子とてひとたまりもない。

 

 幸運なことに、今は蟻同士が縄張り争いをしている。

 そして思いがけない場所からトカゲが現れた。


「何せ唐全土からの参集だ。集まりきるまでにはだいぶ時間が掛かる。……だが最終的には数十万じゃ済まない」


「二百万の兵を恐竜討伐に出したところで、まだ同じ規模の兵があちこちで身内同士殺し合っている……途方もない話よね」


「あの!」


 アマイモ十位の声が室内に響く。


「その二百万人の兵は、味方なんですよね? 四カ国……葦原と、唐と、エーデルホルンと、ブアンプラーナで一緒に恐竜と戦うんですよ……ね?」


 周囲の視線に臆してか、語尾は弱々しい。

 カヤミ一位はあやすように声を和らげた。


「そのりかいでまちがっていませんよ、アマイモ十位」


「よ、良かったです」


「いえ、よくはありません」


「?」


 十位、と四位が言葉を挟む。


「今、唐で恐竜の迎撃に当たっている兵、そしてこれから集まる兵の多くは『四カ国軍』に組み込まれます。ですが半数は確実に唐に残る」


「は、はい。唐も自国を防備しなければならないし、そもそも唐の中では各国が戦争中だから、ですよね?」


「それもありますし、冒涜大陸の土地を収奪するためでもあります。四カ国軍が攻め入る『切り口』にもよりますが、彼らにとっては唐の国土から直接冒涜大陸に進軍した方が見返りは大きいからです」


 十位がちらりと俺を見た。

 姉が弟を見るような目。

 もしかすると俺も彼女同様に理解が追い付いていないと思われているのか。

 俺は腕を組み、四位の言葉を引き受けた。


「……十位。仮に百万の兵が唐に残って、残り百万が四カ国軍として冒涜大陸に進軍したとする。唐に残った連中はどう動くと思う?」


「どうって……あ」


「手薄になった葦原を貰っちまおう、と考える」


 唐の内部では十を超える小国が小競り合いを続けている。

 彼らの間では裏切りと同盟が日常で、その口実に他国を使うことはままある。

 葦原は五大国に名を連ねているが、唐の各国からすれば「ちょうどいい」規模の国だ。

 アルケオに気を取られている間に背中を刺される可能性は、決して低くない。


 ブアンプラーナは友好国だが、今は政情が不安定だ。

 虚を突く形で象軍をけしかけられたら葦原はひとたまりもない。


「そういうことだ。だからこっちも『四カ国軍』に出す兵は絞る。そして帝様にも退避していただく必要があるわけだ」


 二位の言葉に、ネコジャラシ七位が冷笑を浮かべる。


「絞るも何も、葦原は防衛に徹すれば良いでしょう。ボクたちは別に冒涜大陸の土地が欲しいわけじゃない。恐竜を追い返すのが大目的だ」


「恐竜女はどうする」


「それこそ唐やエーデルホルンの連中に狩らせればいい。恐竜女がどれぐらいの規模なのかは知りませんが、お互い消耗してくれればボク達にとっても都合が良い」


「見当外れの考えではない」


 珍しくランゼツ三位が同意を示した。

 ところが、と彼女は嘲笑を浮かべる。


「我々が防衛に徹することはない」


「はい?」


「できないんだよ。状況的にな」


 七位が俺を見た。

 が、俺も肩をすくめることしかできない。


「我々の知る限り、戦況は一進一退といったところだ」


 三位は書類に目を落とす。


「恐竜は確かに厄介な生き物だが、統制が取れているのは恐竜女が連れている個体だけで、あとはほぼ野生のままだ。人を襲ったかと思えば素通りし、家屋を壊したかと思えば大通りで昼寝を始めるやつもいる」


「空腹でなければ人を襲う理由がありませんからね。鮫と同じです。……縄張りを持っている個体は別でしょうけれど」


 ギンレンゲ八位の言葉に三位が肯ずる。


「そう。恐竜は決して対処できない怪物ではない。そして我々の主たる敵となる恐竜女だが……これも非常に侵攻が遅い」


「慎重ということですか? 九位様の報告によれば、奴らは人類より遥かに強く、貪欲とのことですが」


「いや。戦略家に言わせれば単に攻めあぐねているだけのようだ」


「……?」


 ミョウガヤ五位が首をかしげると、ランゼツ三位は俺に目をやった。

 まるで、「お前なら理由が分かるだろう」とでも言わんばかりに。


 少し考えた俺は、はっと気づく。


「シャク=シャカ……」


「そうだ。唐の戦いで、奴らはシャク=シャカと出くわした。そして一部の恐竜女は為す術もなく殺されかけた」


 ひっくり返ったアキの姿と、刃を振り上げる戦士の姿を思い出す。

 相手が疲弊していたとは言え、シャク=シャカはアキを子供のようにあしらった。


「あれ以上に強い戦士がいるのか、いるとすればどれほどなのか、奴らはまだ判断できていない。だから不用意に進軍しない」


 沈黙の中、多くの十弓が唸った。

 結果的にシャク=シャカはユリに敗北したが、人類を家畜あるいは奴隷として扱ってきたアルケオからすれば衝撃的な事件だったのだろう。


「気候や地形も人類に利している。エーデルホルンの寒冷な気候やブアンプラーナの大河が奴らの進軍を阻んでいる」


「それが『葦原は防衛に徹することができない』という話と何の関係が?」


 三位は侮るような目で発言者、ネコジャラシ七位を見た。

 ――なぜか俺も。


「規模にもよるが、恐竜は対処できる。恐竜女はまだ本腰を入れていない。地の利もまだこちらにある」


 ぱちんぱちんと手を叩きつつ、ニラバ二位が割って入る。


「唐は人海戦術、ブアンプラーナは象軍、エーデルホルンは大砲やバリスタでそれぞれ恐竜と恐竜女を押し返している。ついでに領土の拡張を目論んでる」


 二位は地図の南、唐から上に手を押し上げた。

 次に地図の東、ブアンプラーナから左斜め上方に手を引く。

 そして地図の北、エーデルホルンから下に手を押し上下げた。


「ザムジャハルと冒涜大陸の間には大砂漠が広がってる。恐竜もおいそれとは近づけない」


 最後に地図の西、ザムジャハルから右へ手を押す。


 その反対側には――――ブアンプラーナとエーデルホルンに挟まれた、やや平たい形の国家。

 東端は海。西端は冒涜大陸。

 国土の広さは五大国最小。




「恐竜と恐竜女が、葦原に集まりつつある」



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