第51話 46

 

 強い風が俺の髪を揺らした。

 束ねた髪は尾を掴まれた蛇のごとく暴れ、びたびたと肩を叩く。


 海藻に似たウズサダの黒髪は揺れもそよぎもせず、分厚い胸板にべったりと張り付いている。

 その胸のちょうど中心辺りで、ぎらつくもりが俺を睨んでいた。


「『あんた達の』縄張り?」


 俺が歯を剥くと、恐竜を解体する男たちがぴたりと動きを止める。

 大げさな挙動だった。

 まるで自分達が停止したことを俺に気付かせようとしているかのようだ。


「いつから大貫衆おおぬきしゅうは無国籍集団になったんだ? ここは葦原の領土だ。誰の縄張りでもない」


「お前が持ち場を放り出すまではな、ワカツ九位」


 ウズサダが剥いた歯は浅黒い肌に映えるほど白く鋭い。


「つい一昨日おとといまでこの辺は恐竜共の縄張りで、恐竜共の領地だったんだよ。奴らは口を利かねえし金を巻き上げもしねえが、行き来どころか自分の意思ででち棒一つ振れん土地が葦原の領土であるわけがねえだろ」


「……」


「それを奪い返したのは十弓でも七太刀でもなく俺たち大貫衆だ。ならここは俺たちの縄張りと呼――」


 六傑と呼ばれる男は言葉を切り、目線だけを横へ滑らせた。

 彼の首筋に忍者刀を添えたルーヴェが視線を受ける。


「……。何だこいつは」


「ワカ」


 裂け目の入った忍び装束がバタバタと風を受け、網の向こうに腿が覗く。

 俺を見上げる少女の顔は冷淡そのもので、ともすれば爬虫類のようにも見えた。


「にん、ってする?」


 俺はルーヴェが見せた三つの挙動のうち、二つを見逃していた。

 彼女が馬を降りる動きと、ウズサダに歩み寄る動きだ。

 ――刀を抜く動きだけはかろうじて視認できたが、体が反応できなかった。それは目の前に立つ『六傑』も同じだ。


 ウズサダや俺ですらこの体たらく。

 今のルーヴェに襲われたら、兵卒は何が起きたかもわからないまま首を刎ねられるだろう。

 蓑猿は技芸を浅くしか教えなかったそうだが、それで正解だ。

 統合された五感に加えて忍者の技まで会得してしまったら、ルーヴェはある意味恐竜より危険な生物になってしまう。


「……」

「……」


 俺とウズサダの間には、叱られた子供同士のような苦味混じりの沈黙が漂っていた。


「……よく分からんが、やめてくれ。その人は味方だ」


「みかた、ワカに武器むける?」


「挨拶もせずに踏み込んだ俺が悪い。武器を下ろせ」


 ルーヴェがゆらりとウズサダの元を離れた。

 途端、解体包丁を握り、俺たちを包囲しかけていた男たちが弛緩する。


 俺は馬を降りた。


 ウズサダはシャク=シャカやセルディナより少しだけ背が低いようだった。

 殺人経験が少ないせいか必要以上に懐が深く、佇まいにもやや隙がある。

 だが武人とは決定的に異なる部分があった。

 ――――威圧感だ。

 人間以上の存在と死闘を繰り広げて来た男は、ただそこに立っているだけで周囲の空気をちりりと焦がすようだった。


「見物ならもういいだろ。失せろ」


「いや、ここに用がある」


 俺は懐から楕円形の金貨を取り出した。

 共通貨幣が流通するより以前に葦原で取引されていた小判こばんと呼ばれるものだ。

 数は二十枚ほどで、細い紙で束ねられている。


「!」


 ウズサダの手がしゅっと伸び、俺の手から小判をひったくった。

 俺が拒絶の意思を示さないのを認めるや、彼はふっと唇の端を持ち上げる。


「礼儀を知ってるな。さすが十弓の最下位だ」


「下から二番目だ。バカにするな」


「……ああ、そうだったな。そりゃ悪かった」


 ふっとウズサダが相好を崩した。

 その手の中で、小さな米俵を思わせる小判が踊る。


 大貫衆は恐れ知らずの男たちだ。

 怒れば貴人の牛車すら平然とひっくり返すし、刑部省の役人になど露ほどの恐れも抱かない。

 俺も素行不良の烙印を押されてはいるが、彼らに比べれば忠犬だろう。


 そんな大貫衆にも共通の弱点が存在する。

 ――金だ。


 若くして落命する者の多い大貫衆は総じて出産年齢が低く、かつ多産だ。

 早ければ十代で結婚・出産を経験し、四十手前で孫を持つ者も少なくない。

 中には大家族を形成する者さえいる。


 自分一人の人生ならいくらでも妥協ができる。

 だが家族を幸福にするためには金が必要だ。


 そのため、大貫衆には鼻薬が利く。

 有り体に言うと、賄賂が通じる。

 これは葦原の軍人が真っ先に教え込まれる『流儀』の一つであり、陋習ろうしゅうの一つでもある。


 幾分雰囲気を和らげたウズサダの隣に立ち、行く手を見やる。


 灯りに照らされた夜の森は、くらい海に似ていた。

 風が吹く度葉が擦れ、ざざあ、ざざあ、と潮騒に似た音が四方から俺に近づき、俺を通り過ぎる。


 子供の頃、山より海を恐れなさいと教えられた。

 山や森は深くとも、歩き続ければいつかは向こう側に辿り着ける。

 だが海には果てが無い。海は無限なのだ、と。


 今、俺はその言葉を疑っている。

 視界に広がる森はちっぽけな人間など万も億も飲み込んでしまいそうだ。

 その暗がりには大小さまざまな恐竜が息を潜め、不用意に足を踏み込んだ者を闇の奥底へ引きずり込まんとしている。


「激戦区にしては静かだな」


「今はな。そしてここはな」


 ウズサダは小判を中ほどでぐりんと左右に動かし、紙束を破った。

 黄金色の小判は櫓の炎を受け、艶めかしい光を放った。


「あんたの砦に恐竜人類が何人か立てこもってやがる。真昼間にそこへ行けば激戦ってものの意味が分かるさ」


「こっちの数は?」


「俺らが六十。武士だの弓だのが二、三百かな」


「……たったそれだけか」


 失意に近い落胆で声が震える。

 唐は三万だった。いや十万だったか。


「たったそれだけで持ちこたえてるんだから大したもんだろ」


 ウズサダは小判を歯で噛み、確かめるように頷く。


「葦原には葦原の戦い方がある。人間で生け垣を作ってないから駄目だとか、象がいないから駄目だって判断は早計だ」


 もっともだ。

 俺たちは俺たちのやり方で奴らを退ければいい。

 それに唐と葦原では冒涜大陸側の地形が違う。

 もしかするとこの辺りは恐竜が侵入しづらい地形なのかも知れない。


 俺とウズサダのすぐそばを荷車が通り過ぎた。

 解体された恐竜が小分けにされ、運び出されているのだ。


「恐竜は金になる」


 ウズサダの部下たちは皆、上半身裸だった。

 腕の良い鯨撃ちほど多くの彫り物が入っており、肉体は岩を削り出したように頑健だ。


「尾。肉。骨。牙。爪。背の鱗。どれもこれも、笑っちまうほどの値で売れる」


 見ろ、とウズサダは櫓に乗る男を示した。

 太鼓を叩き続ける男は肩に恐竜の鱗で造った防具を身に着けている。


竜鱗りゅうりんって奴だ。軽くて、しかもよく耐える。これからはあれが防具の主流になるぞ」


 ウズサダは含み笑った。


「……もう唐やブアンプラーナで山ほどの買い手がついてるらしい。気の毒に、革細工師は不眠不休だとさ」


 気の早い話だ。

 だが葦原は資源に恵まれた強国ではない。

 ああいったものも十全に利用するしたたかさが無ければ、あっという間に周辺国の属国にされてしまうだろう。


 で、とウズサダは俺に向き直った。


「七割だ」


「?」


「てめえの儲けの中から七割納めろ」


 弛緩していた空気がきゅっと緊張する。

 ルーヴェが再び人間の腕ほどもある忍者刀を構えた。

 見れば周囲の男たちも固唾を呑んでこちらを見守っている。

 手練れと思しき男女が闇の中を動き、ルーヴェがちらりとそちらを見た。


「小遣い稼ぎに来たんだろう? やってもいいから手数料を払え」


「……」


「恐竜の数を減らしに来たんならそれでもいい。だが殺した数の七割はこっちに勘定してもらう」


 どうやら勘違いされているらしい。

 俺は弓を地に立て、五指を広げた左右の手を突き出す。




「十割、やる」




「あ?」


「聞こえなかったのか? 十割だ。ぜんぶあんた達に渡す」


 ウズサダの眉がぐにりと動いた。

 手足の生えたナメクジでも見たかのような顔だ。


「これから俺が殺す『恐竜』は一頭残らずあんた達の好きにしれくれていい。目脂めやに一粒すら、俺には寄こさなくていい」


 だが、と俺は言葉を足した。


「恐竜人類はぜんぶ俺がもらう。俺が殺した奴はもちろん、あんた達が殺した奴もだ」


「……鳥みてえな格好の女か」


「いるのか」


「やめとけ」


 噛み合わない会話。

 すれ違った歯と歯が、がちんと鳴る音を幻聴する。


 ウズサダが親指で示した先には石が不自然に積まれていた。

 かまどのようにも見えたが、違う。

 円形に並ぶ石の陣の中央には、白い花が供えられている。


「墓か」


「俺と同じ『六傑』だ。腕しか奪い返せなかった」


 一時、死者のために目を閉じる。


「俺は居合わせなかったが、鳥女にやられたそうだ。恐竜の影から飛び出して一撃、だったとさ」


「……」


 無理もない。

 単独で現れたのならともかく、恐竜の群れにあれが混じっていたらまず対処できない。


「何色だった?」


「何色?」


「あいつらは赤とか青とか、色で互いを区別してるはずだ」


 居たら最悪なのが、黄色。

 百合の黄色い清い熱い蜜。シャク=シャカを破った恐竜人類最強の剣士。

 奴と出くわした場合、俺に勝機は無い。


「悪いが、色についての報告は上がってない。体色が緑だったって話ぐらいは聞いてるが」


「そうか」


 俺はルーヴェに目配せした。

 これで言うべきことはすべて伝えた。

 藍色の忍者を引き連れ、馬へ。


「……? 厩番うまやばんならいるぞ。自分で運ばなくてもいい」


「厩舎に用は無い」


 俺が馬の鼻先を夜の森へ向けると、ウズサダが小判を取り落とした。

 かしゃあん、と景気の良い音と共に金が飛び散る。


「おい。どこ行く気だ」


「砦」


「は?!」


 時間が無い。

 個体数の少ない恐竜人類を狩るためには寸刻を惜しんで動く必要がある。


 恐竜人類は俺たちと睨み合い、お行儀の良い陣取り合戦をしているわけではない。

 奴らは自由自在に冒涜大陸を動き回り、好き勝手に攻めて来る。

 今ここにいる恐竜人類が、明日もここにいるとは限らない。


「ルーヴェ。先導頼む」


「わかった」


「ウズサダ。金なら出す。恐竜の頭蓋骨があるなら二つ貸してほしい。できれば俺たちの頭がすっぽり「待ちやがれ」」


 銛の柄が地面を叩いた。

 がしゃりん、と柄の中ほどに連なった金輪が音を立てる。


「夜だぞ」


「見れば分かる」


 俺は無視しようとしたが、彼は素早く俺たちの前に立ち塞がった。

 松明に照らされた肌が明るい枇杷色びわいろに輝く。


「頭蓋骨をくれ」


「馬鹿言ってんじゃねえ。考え直せ」


 ぴきりとこめかみの血管が疼いた。


「邪魔するな」


「何のだ。自殺のか?」


「死ぬ気はない」


「死ぬだろうが。こんな夜中に恐竜だらけの森に突っ込めば……!」


 ウズサダは噛みつくようにそう告げ、更に言葉を継いだ。


「事情は知らんがせめて日の出まで待て。ひと眠りすりゃ済むだろうが」


「待てない」


 俺はウズサダを睨み返した。


「退いてくれ。それから、頭蓋骨を二つ」


 ウズサダは動かなかった。


 ぶわりと櫓の炎が大きく揺れる。

 強風が再び俺の髪を暴れさせ、森は驚く大衆のようにざわめく。


 ウズサダの言葉はもっともだが、こちらに時間が無いことも事実だ。

 これ以上押し問答をするつもりはなかった。

 俺はルーヴェをちらと見――――


「分かった」


 ウズサダは腰に手を当てた。

 観念したようにかしゃんと金輪が鳴る。


「好きにしろ。だがその前に話ぐらい聞いて行け」


「話?」


「ここに出る恐竜の話だ。知っといた方が動きやすいだろうが」


「……」


 確かに、欲しい。

 だが足を取られたくないという気持ちもある。


「大きなお世話だ」 


「勘違いするな。別にてめえの身を心配してるわけじゃねえ」


 ウズサダは鼻から蒸気のような息を吐いた。


「俺の縄張りで『十弓』に死なれるのは迷惑なんだよ。説明責任ぐらい果たしてやるっつってんだ。死ぬのはその後にしろ」






 大貫衆の本陣は一際大きな櫓の中に設けられていた。

 一見すると恐竜に対する防備が不十分な平地だが、よくよく見ると土が不自然に盛り上がっている。


「罠だらけだ。不用意に踏み込むな」


 ウズサダは卓に周辺地図を広げた。


「最近の鯨撃ちは博識なんだな」


「時季によっちゃ陸の戦いに駆り出されるからな。そういう知識も仕込まれる」


 鯨撃ちは本来、一年中獲物を求めて海を駆けまわる職業だ。

 獲物が取れなければ飢える一方という点では陸の猟師に近い。


 だが今の彼らは違う。

 その実力を見込まれ、海域防備や海賊討伐といった軍務にも精を出している。

 安定的な収入を得た彼らは熱心に戦術を学ぶと聞いている。


 多くは読み書き算術が一切できないが、それは全く問題にならなかった。

 それが何であれ、一芸に秀でる者の集中力は凄まじい。

 仕込み方次第ではそこらの貴族の子弟より『伸びる』と義父に聞いたことがある。


「あんたの砦はここだ」


 さほど遠くはない。

 この陣地を基点に、人差し指を十数秒走らせれば辿り着く距離だ。

 森を突っ切る形で馬を走らせればあっという間に到着するだろう。


「迂回してもいいが、そちら側は別の連中が陣を敷いてる。あんたのお友達の弓衆だ」


 一瞬、そちらへ向かえば良かったか、などという考えが過ぎった。

 が、思い直す。


 俺が弓衆と合流すれば、指揮を執ることになるだろう。

 部隊を率いれば恐竜人類を捕獲する確率は上がる。

 反面、身内が損耗する危険性も高くなってしまう。


 身勝手な考えであることは承知していたが、俺はできるだけこの件に無関係の連中を巻き込みたくなかった。

 彼女を助けたいというのは俺のわがままだ。

 そこに誰かが命を賭ける必要はないし、落とす必要もない。

 俺がやり、俺が成し遂げる。それでいい。


「連携は?」


「取れるわけがないだろ。太刀衆はともかく弓衆と俺たちは相性が悪い」


 俺、ウズサダ、ルーヴェの集う陣には他にも多くの男たちが顔を連ねていた。

 屈強な男たちは弓衆の名が出ると不満らしきものを囁き合う。


「やかましいぞお前ら。『十弓』の前だ。弁えろ」


 叩き付けるように告げ、ウズサダが俺を見る。


「ここに出る恐竜は三種だ」


「食性は?」


「もちろん、肉だ」


 ウズサダが示したのは解体を終え、腑を片付けられている大型恐竜だった。

 鰐の後足を伸ばしただけのような姿の巨竜。


「あれは鮫歯竜カルカロだ。ここらに出る奴の中で一番でかい」


 とは言え、と男は付け足す。


「でかい分、隙も大きい。落ち着いて挑めば仕留めるのはそう難しくない」


「転ばせることは?」


「できる。ティラノより少々体の均整が取れてるらしいが、関係ねえ。うまく揺さぶりをかければ勝手に転んで終わりだ。……顎の形を見りゃ分かるが、鮫に似てるだろう? 地面の上の人間を拾うのは下手だ」


 それから、とウズサダは二つの頭蓋骨を置いた。

 大きさは俺の知る盗竜ラプトルに近い。


二枚鶏冠竜ディロフォだ。頭にでかい鶏冠とさかが二枚生えてる」


「用途は?」


「知らん。飾りだろ」


「つよい?」


「頭と動きが多少鈍くなったラプトルだと思ってくれればいい。強くはないが、数がいる」


 問題は、と六傑がその名を呼ぶ。


「『疵牙竜トロオ』って奴がいる」


「『疵牙竜トロオ』?」


 その名を耳にした瞬間、集まった男たちが気まずそうに沈黙する。


「……でかさは大したことがない。横には長いが、高さは俺の腰ぐらいだ」


「小さいな」


「だがこいつのせいなんだよ。俺たちが先へ進めないのは」


 櫓にかかる天蓋をさっとずらし、ウズサダが森の方を見やった。

 ところどころに灯りはあるものの、遠景はほぼ完全な闇に包まれている。

 光る眼も、鳴き声も聞こえない。


「見えるか? ……まあ、無理だよな。俺も見えないが、いつもならあそこに――」


「見えるよ」


 ルーヴェだった。

 彼女は特に目を細めもせず、じっと闇の一点を見つめている。


「小さいの、いる。にひき」


「忍者は凄いもんだな」


 ウズサダは感嘆したように呻いた。


「そいつの何が問題なんだ」


「奴ら、ここがいいんだ」


 男は自らのこめかみを叩いた。

 頭蓋骨が硬いのか、と言いかけたが、違う。


「……。……まさか、頭が良いとかいう話じゃないよな」


「その通りだ」


 自分でも信じたくない、とばかりにウズサダが俺に顔を近づける。


「奴らは賢い。ラプトルなんかより遥かにな。こっちが陣形を敷くと、ほんの少しの動きで弱い部分を見つけやがる」


 無言で続きを促す。


「他の恐竜をけしかけるんだよ。カルカロもそうだし、ティラノなんかも呼ぶ。それでいてあいつら自身はちょろちょろ逃げ回るから俺達じゃ捕らえられない」


「それだけか?」


「罠を逆手に取ったりもする」


「罠を……?!」


「手前の張った網に引っかかった馬鹿もいるし、落とし穴に誘導されかけた奴もいる」


 屈強な男たちが肩を狭めた。

 ウズサダが続けて何かを言おうとした瞬間、俺は気付く。


 かたた、と卓の上の湯飲みが揺れている。


「!」

「ワカ」


 膨れ上がるような殺気。

 地が揺れる音。

 巨竜が迫る音だ。


「……ああ。あとは、こういうことをやる」


 ウズサダの声を合図に、大貫衆が持ち場へ散った。


「新しい戦力が加わるとな、そいつがどれぐらい強いかを『試しに』来やがるんだよ」


 かしゃん、と血に濡れた金輪が鳴った。

 打ち鳴らされる太鼓の音色に合わせて、俺の鼓動が速度を上げる。


「あんたはここにいろ。また森の中に引っ張り込まれても迷惑――」


 俺はウズサダを押しのけ、櫓の外に出た。

 ルーヴェは一足早く梯子を下りている。


「おい!」


 櫓の上のウズサダが慌てたように怒声を投げた。


「引っ込んでろ! あんたの手に負える相手じゃない!」


 確かに俺の手に負える相手ではないのかも知れない。

 だがここしばらく、手に負えないものの相手は慣れっこだ。

 手に負えない人間、手に負えない問題、手に負えない敵。

 今の俺は手に負えない悩みも抱えている。

 今更一つや二つ増えたところで、さほど気にはならない。


 今日の俺は万全だ。

 気力と体力は充溢している。

 矢も毒もたっぷりある。


 そして何より――――機嫌が悪い。

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