第50話 45

 

 歯がカタカタと震える。

 唇が震え、鼻腔が拡縮する。


 自分が呼吸をしていることに気付いたその瞬間、意識が闇から浮上する。

 ぱちりと目を開けた俺は飛び起きようとしたが、不可視の糸が絡んだかのように全身が軋む。


「ッ! ……ッ!」


 俺は床に横たわっていた。

 飛び起きようとした全身は僅かに震えただけで、腕はおろか指すらまともに動いてはいない。


 乾いた土と牛の汗がつんと匂う。

 からからという車輪の振動。

 どうやらここは牛車ぎっしゃの中らしい。


(何だ……?!)


 なぜ自分が牛車に横たわっているのか。

 なぜ身体が動かないのか。

 二つの疑問を記憶に求め、思い出す。


 俺は大囚獄司だいしゅうごくしタネハルに会った。

 三位の「点数稼ぎ」に憤り、彼女が用いた姑息な方法を逆手に取ることにした。

 つまり、稀少生物として裁判抜きで護送された「彼女」を、「稀少生物」の身代わりを立てることで取り戻すのだ。

 屋敷を出たところで若武者二人と――――忍者二人に出くわした。


 そうだ。

 確か面をつけた忍者だった。

 獣の面。

 舞狐まいこと同じ、『十弓』付きの忍者。

 そいつらが俺を――


「……、……!」


 たっぷり数十分かけて首を曲げ、席に座する忍者を睨みつける。

 黒装束に身を包む忍者の面は、角持つ牛と面長の馬。

 俺はこの二人を知っている。


「……さ!」


 一語を発するのに数分を要した。

 喉が痺れ、舌には唾液が溜まっている。


「ん……、……い、の…………!」


 三位の護衛。

 確か名前は追牛おいうし磨馬すりうま

 二人はじっと正面を見たままだったが、遂に俺が五指を曲げたところで顔を動かす。


「動かれるな。我ら九位殿を殺したくはない」


「左様。床が汚れますので」


 やや老いた牛の声と、穏やかな馬の声。

 どちらも男で、ぞっとするほど声音が淡白だ。


 動くなと言われ、俺は動いた。

 動かず事態が好転することはない。

 指から手首へ、手首から腕へ、腕から肩へ。

 筋と血管を辿るようにして感覚を取り戻していく。


「動くなと言うのに」


 牛が俺を見下ろした。

 つぶらな瞳と歯の覗く口。

 剥製のような顔に思わず怖気を覚える。


「しょ、しゅ……さえ、てる、はず……!」


 俺は舞狐の言葉を思い出していた。

 忍者たちはセルディナの妹、つまりブアンプラーナの王族を拉致した同胞の件について厳しい追及を受けているはずだ。

 が、牛は軽く肩を揺らす。


「愚昧」


「左様。あのような茶番に付き合うわけがない」


「そう言えば九位のお付きは舞狐まいこであったな」


「あれは真面目ですからな。紐を引かれた犬がごとく舞い戻ったか」


 二人の忍者は低い声に嘲りを滲ませた。


「若輩よの」


「然り。誰も本気で調査する気はあるまい。あのようなものは所詮、『四カ国会談』に向けた腹の探り合いに過ぎぬ」


 何が何だか分からなかったが、この二人にバカにされているということは分かった。

 どうして忍者はこう性根の曲がった奴ばかりなのか。


 ぐぐ、と膝を曲げる。

 立てる。

 そう感じた瞬間、ズボンがずるりと滑り、顔から床に叩き付けられる。


 投与されたのは麻痺毒だ。妙な姿勢を取れば窒息の恐れがある。

 俺は渾身の力で首を曲げ、気道を確保した。


 牛の面が片膝をつき、囁いた。




「暴れると親指を落としますぞ」




 囁かれた瞬間、総毛立つ。


 指。指だけはダメだ。

 指は弓兵にとって命に等しい。

 一本でも落とされようものなら今までのように弦を引けなくなる。


「それでよい」


 牛面は座席に戻り、片足を組んだ。


「しばし大人しくしていただく。二、三日ご不便をおかけするがご容赦あれ」


 聞いたこともないほど高圧的な「ご容赦あれ」だった。

 この二人が誰の差し金で現れたのかは想像するまでもない。


(三位……!)


 俺は縋るような怨嗟の息を吐いた。

 ランゼツ三位は俺に警告を発するだけでは飽き足らず、忍者まで張り付けていたのだ。

 俺は無様に地を這ったまま、身が燃えるほどの憤りを覚えた。


 あの女、たかが利達のためにどれだけ周りを巻き込むつもりなのか。

 恐竜押し寄せる世界で立身出世に心を砕くのは、沈没を始めたの船で布団を奪い合うに等しい行為だ。

 今俺たちがやるべきは知恵と力を結集し、恐竜への防備を固めることだ。

 だというのに――――


 それとも俺の考え方が間違っているのか。

 皆、この状況で名を上げることを考えていて、それが当たり前なのか。

 他の十弓や軍の精鋭達も。

 分からない。

 何もかも分からないが、とにかく不愉快だ。


 歯を軋らせながら拳をゆっくりと握る。


「――――!」


 床には陽光と窓枠の斑模様が作られていた。

 陽の当たる部分は徐々に熱くなっていくのが分かる。

 既に昼を過ぎ、太陽は傾き始めているのだ。


 背を焼かれるような焦燥を覚える。


 二日半。

 タネハルの提示した日時には往復の移動時間も含まれている。

 実質、俺に許されているのは一日少々だ。

 ぼんやり捕まっている場合ではない。


(どうする……?!)


 相手は忍者。

 こちらは武器を奪われ、麻痺毒を喰らい、まともに手足も動かせない。

 なら言葉だ。

 口で言い含めるか、あるいは虚実を織り交ぜた言葉で翻弄すればいい。


 口を開きかけた俺は、すぐさま思い直す。

 無理だ。

 忍者の多くは弁も立つ。

 そして俺は口喧嘩には不慣れだ。


 ではやはり暴力で現状を打破するか。

 いや、無理だ。

 こんな陸に打ち揚げられた河豚フグのような様で忍者に勝てるわけがない。

 それにたった今動くなと言われたばかりだ。妙な動きをすれば指を落とされてしまう。

 だが動かなければ時が過ぎてしまう。


 打開のすべを探す俺はかっと目を見開いたまま思考に没頭する。

 ややあって、馬面がきしりと床を踏んだ。


「ようやくお静かになられたか」


 足でひっくり返され、馬面を見上げる。

 面長の顔の側面についた目はあらぬ場所を見ているようだった。


「それで良い。三位殿はあれで慈悲深い。協力を誓われれば悪いようにはされぬだろう」


 力で脅してこの言いよう。

 大した破廉恥ぶりだ。主の性格の悪さが窺える。


 が、つい先ほどまで俺自身がタネハルを力で脅そうとしていたことを思い出し、苦いものを覚えた。

 周りの迷惑や被害を顧みない姿勢。

 これと決めたら譲らない頑なな態度。

 やはり俺と三位は似ているのかも知れない。


「のう、九位殿。そろそろ誰かに認められたくはないか」


 牛面がうっそりと呟く。


「誰に可愛がられもせず、活躍も認められぬ一生に何の意味がありましょうや」


「……」


「三位殿はみやこのお歴々とも深く太い繋がりをお持ちだ。九位殿を実力相応の地位に就けることもできましょう」


 俺はその言葉にこれっぽっちの甘みも感じなかった。


 人に好かれたいかと問われたら、そうだと答えるだろう。

 人に認められたいかと聞かれたら、やはりそうだと答えるだろう。

 だがその為に気に入らない奴に頭を下げたくはない。

 三位の思想とやり口は気に入らない。

 彼女に媚びるぐらいなら、このまま疎んじられていた方がマシだ。


 反骨心が俺に冷静さを取り戻させた。


(……。今は下手に動かない方がいいな)


 十弓は位が上がれば上がるほど都の近くにいることを強いられる。

 このままどこへ連れ去られるのかは知らないが、みやこ御楓ミカエデからさほど離れた土地ではないだろう。

 脱出さえできれば、激戦地へ向かい、恐竜人類を捕獲し、タネハルの元へ舞い戻る時間の余裕は生まれるはず。

 今は身を伏せ、隙を見て反撃に転じる。それが最善だ。

 俺は体力を温存すべく、全身から力を抜く。


 牛面と馬面はじっと俺を見下ろしていた。

 やがて片方がのんびりと呟く。 


「三位に倣いますか」


「と言うと?」


「余計なことをやりましょう」




 ぎらりと小刀が光った。




「!!」


 俺の額を真横に流れた汗が、睫毛で跳ねた。

 鼓動が速度を上げ、床をとくんとくんと叩く。


「この若造の目、気に入りませぬ。どうも牙を隠しておるように見える」


「……確かに。三位は「私が抱けば堕ちる」などと仰られたが、この向こう気の強い顔、どうなるとも思えぬ。脱出を企み、邸を荒らすやもな」


「で、ありましょう? 然らば取り返しのつかない傷を負わせ、今のうちに心根をへし折るが最善。二度と弓を引けぬ身となれば、こやつも三位に逆らいますまい」


 屈んだ馬面は恭しく俺の手を取った。


「~~~!! ~~!」


 こちらは死ぬ気でもがいたが、まるで身動きが取れない。

 まるで蓑を奪われた蓑虫だ。

 小刀を持たない方の忍者が俺の腕を伸ばし、肘のあたりを踏む。


「観念なされよ。先に爪を剥がれたいか」


「左様。あまり我らを不快にさせれば、落とした指を口に詰めますぞ」


 俺はなおも激しく抵抗した。

 顔が赤く腫れるほど首を振り、手足をばたつかせた。

 だが、無駄だった。


 冷たい刃が指に触れた。

 忍者の親指と小刀が俺の指を挟む。

 俺は悔しさに目を閉じかける。




「!」

「!」




 忍者が弾かれたように振り向いた。

 二人が見ているのは牛車の後方だ。


「何だ」


「人か、これは」


「片方は知っておる」


「然り。だが、解せぬ。もう一人は何だ。これは……」


 二人は顔を見合わせ、天井の蓋を突き破って飛び出す。

 から、からら、からららら、と牛車が速度を緩め、停止した。


 その間、俺に出来ることは何もない。


 汗は顔の側面を流れ、差し込む陽光で目が焼ける。

 服から滲んだ汗が床に小さな水溜りを作り、床に残る熱が肺腑に染みた。


「――……――……!」


 喉の痺れがいくぶん収まり、呼吸が楽になる。

 だが逃げ出すことはまだできそうになかった。


(なら……!)


 震える腕をゆっくりと腰に伸ばした。

 短剣を掴み、袖に隠す。


 膝を曲げ、腹を抱えるような姿勢を取る。

 こうしておけば戻って来た二人は俺に手を伸ばすか、先ほどのように足でひっくり返そうとするはず。

 そこで思い切り腕を振り上げ――――


 御者が逃げ出す足音。

 牛面と馬面が戻って来たらしい。

 何か奇妙な感じがしたが、気にしている場合ではない。

 意識を集中する。


(来い……!)


 かぱりと天井の蓋が開き、忍者がすとんと着地した。

 手が伸びて来る気配。

 俺はすかさず短剣を振り上げたが、手首をぐっと掴まれる。


 からら、と間抜けな音を立てて短剣が床を転がった。


「っ?!」


 見破られていた。

 馬鹿な。完全に不意を突いたはずだ。


 手首を引かれ、顔を上げることを強いられる。


 眼前に立つ忍者は俺より僅かに背が低く、仄かに甘い匂いがした。

 星空を思わせる濃藍の裁着袴。

 腰から膝下に入った大きな裂け目は布地と同じ色の網目で覆われ、白い健脚が覗いている。

 太めの帯は白で、左右で裾の長さが異なる上着は、やはり夜空色だった。


 口元は藍色の布で覆われている。

 束ねた髪は鳶色。

 目の色は――――茶。


(!)


 茶色の目。

 まさかこいつは。


「ワカ」


「!!」


 ルーヴェ。

 俺の喉がその名を呼ぼうと震えた。言葉は出なかったが、彼女は小さく頷く。


「わたし」


 ルーヴェは口元の覆いを外し、年の割にすっきりした顔を晒した。

 ブアンプラーナで別れた時に見せた不安げな表情はかけらも残っていない。

 さりとて自信に満ち満ちているわけでもない。

 どこかぼんやりした、休憩中の虎を思わせる顔。

 冒涜大陸で出会った時と同じ表情だ。


 ぜいぜいと呼吸を繰り返し、俺は言葉を絞り出す。


「ふ、たりは……?」


「ふたり?」


 小首をかしげたルーヴェの傍に一人の忍者が降り立つ。


「寝かせております」


 猿面の女忍者。

 俺付きの忍者のもう一人、蓑猿みのざるだ。


「あまり時間がありませぬゆえ、報告が手短になりますこと、ご寛恕ください」


 膝をついた猿面は俺の腕に濡れた針を突き刺し、水を飲ませた。

 針に塗られていたのは解毒薬なのだろう。すぐに全身の気だるさが緩和された。


「あの二人、舞狐が配した下忍に化け、九位の後をつけていたようです。面目次第もございません。身柄は私が預かり、厳罰に処します」


 ああ、と呻きながら上半身を持ち上げる。


「私と舞狐は招致に応じねばなりません。あ奴らと三位の件も含めますといささか長い会合となりましょう。……その間の護衛はルーヴェ殿に」


「にんっ」


 ルーヴェは猫がくしゃみをするように軽く頷いた。

 これが「了解」の仕草らしい。


「技芸については浅くしか教えておりませぬが、私などより遥かに素養に恵まれております。そこらの忍者では相手にもならぬでしょう。……九位はどちらへ?」


師垣モロガキ砦だ」


「守護地でございますか?」


 事情を伝えると、蓑猿は短く頷いた。

 忍者である彼女は俺の判断を正しいとも、間違っているとも言わない。


「今やあの地は大貫衆おおぬきしゅうの縄張りでございます。ご注意を。……外に馬を二頭ご用意しております。お使いください」


 早口で告げた忍者は、つむじ風のようにしゅっと姿を消す。

 牛車には俺とルーヴェが残された。


 数秒黙り、俺は口を開く。


「ルーヴェ」


「?」


「何で黙ってた」


「何を?」


「あいつのことだ」


「あいつ、だれ?」


 俺が沈黙すると、冒涜大陸の少女は自分で答えに辿り着く。


「シア?」


「そうだ」


「ワカにはないしょって、言われた」


「……!」


 いつだ。どこでだ。お前は鱗を持ってる人間をおかしいとは思わなかったのか。

 冒涜大陸でアキ達と出逢った後、シアがあいつらの仲間なのではないかと疑わなかったのか。

 口から飛び出しかける言葉の数々を飲み込む。

 彼女を責めても何にもならない。

 そして今、俺には時間が無い。


「おさるに聞いた。シア、いたいことされる?」


「いや、されない。俺がさせない」


 蓑猿に投与されたのは解毒薬だけではないようだった。

 ルーヴェと話している間にも血は甘く滾り、不穏な暗い悦びが湧き上がる。

 腕の筋肉は盛り上がり、呼吸の度、全身に活力が満ち満ちた。


「屋敷にいてくれていいんだぞ。お前には恩がある。暮らしに不自由はさせない」


「いい。ワカ死んだらおとうさん、さがせない」


「そうか」


 牛車を出た俺は荷台に括られていた武器を取り、蓑猿が残した馬に飛び乗った。

 時間が無い。

 馬の腹を蹴る。






 見知らぬ土地を駆け回り、見知った道へ入り込む。


 何度も通った畦道。

 何度も目にしたけやきの木。

 何度も過ぎった廃屋。


 茜色の空は薄墨が滲むように色を変える。

 紫を孕んだ黒い空。

 星が瞬き、冷涼な風が吹き抜ける。

 俺とルーヴェの馬が吐く息は煙のごとく棚引き、後方へ流れていた。

 夜色の装束を纏う少女は背景に溶け、俺は独りぼっちで駆けているような気分になる。


 進路にはやぐらが見えていた。

 かつて俺が守護していた頃には無かった建築物だ。

 視界に点在するそれらの数は少なくとも二十以上で、見覚えのない旗が揺れている。


 櫓の炎が揺れる。

 風は強く、僅かに塩と鉄の匂いがする。


 どっ、どっ、どっと地を揺らす音。

 恐竜ではない。

 つづみだ。

 櫓に設けられた大太鼓が打ち鳴らされている。


 馬は櫓の間を抜けた。

 蹄から妙な感触が伝わる。

 吸った血のあまり地面が粘ついているのだ。


 前方に森が見えた。

 ワカ、と闇に紛れたルーヴェが警告を発する。


「!」


 深い森から姿を現したのは胴の長い恐竜だった。

 尾や頭蓋骨はやや長く、わにに似ている。前脚はひどく短い。

 ルーヴェに制止を命じ、俺自身も馬を停止させる。


 距離は百歩ほど。

 俺は親指を立て、恐竜の大きさを測る。


(でかい……!!)


 ティラノあるいはスピノほどもある大型恐竜だ。

 顎の底や腹部に細く長い棘が生えており、毛を垂らしているようにも見えた。


 どだっ、どだっ、と森を駆ける恐竜は全身から黒いものをまき散らしていた。

 血だ。

 そう気づいた瞬間、腹部に生える針の正体に気付く。

 それらはすべてもりだった。


 どだっ、どだっと不格好に走る恐竜は何かから逃げ惑っているようだった。

 進路には一つのやぐら

 このままでは衝突するが、もはや目が見えていないのかも知れない。


 櫓から人間が飛び降りた。

 途端、土を破って何かが飛び出す。

 網だ。驚くほど巨大な網。


 二本脚で全身を支える恐竜は網に脚を絡め取られ、どおっと倒れた。

 そこへ森から飛び出した人影と、櫓から飛び降りた人影が襲い掛かる。

 数は十数人。


 唐で見たものと同じ光景。

 違うのは、襲い掛かる影たちの姿だ。

 多くは軽装を通り越して半裸で、盛り上がった筋肉が汗で光っている。


 それからもう一つ。

 襲い掛かる者たちは恐竜の背を狙わない。

 銛を次々に腹部に突き刺し、抵抗が収まったところで舌を貫く。

 鼻腔を潰し、見る見るうちに弱っていく巨獣の四肢を切断し、なおも腹を突く。


 効率よく殺すためではない。

 背の鱗を傷つければ商品価値が下がるからだ。

 腹を狙うのは、臓物が売り物にならないから。

 呼吸器を潰すのは、彼らがその方法に慣れているから。




「『十弓』が何の用だ」




 いつの間にそこにいたのか、俺とルーヴェの横から一人の男が姿を現す。

 と同時に、死した恐竜の周囲に松明が灯る。

 一つ。また一つ。

 恐竜に群がる男たちの姿が浮かび上がる。




 葦原はその名に『葦』を負う通り、川の傍で発展を遂げた。

 農作物を収穫し、清流の恵みを糧に人々は暮らし続けて来た。

 だが土地は狭く、窮屈だった。

 隣国は科学に長けるエーデルホルンと象軍を擁するブアンプラーナ。侵略すべくもない。


 農村暮らしからあぶれ、放逐され、生活に困窮した者たちは海に糧を求めた。

 そして「海の恵み」に辿り着いた。

 現存する生物の中でも恐竜に匹敵する体躯をもつ生物。

 すなわち――――くじらに。


 彼らは茶の湯を嗜まない。

 彼らは詩歌を吟じない。

 彼らは葦原で尊ばれ、他国に敬われる、あらゆる『みやび』に背を向けた。


 代わりに、荒れ狂う海で生きる術を体得した。

 風を読み、波を読み、船を操る術。

 波間に顔を出す鯨を櫂船で追い回し、呼吸のために浮上したその巨体を銛一本で仕留める術。

 その身を解体し、余すところなく活用する術。


 ひれで打たれれば頭蓋が割れ、跳躍に巻き込まれれば船もろとも木っ端微塵。

 そのあまりにも非合理的な手法はエーデルホルンに嘲られ、唐の笑いものとなった。

 だが彼らは、葦原より多くの鯨を漁獲することができなかった。


 いかなる戦士よりも死に近く、死に臨み、それゆえに強靭な心身を育み、伝え継いで来た者たち。

 たまさか勃発した海戦での功を認められ、ならず者から『三軍』の一つに据えられた者たち。

 葦原を海軍強国たらしめた男たち。

 海賊が道を開け、侍が鞘当てを忌避する男たち。


 彼らの名は『鯨撃ち』。

 この世に存するあらゆる人間の中で、最も『巨獣との闘い』に長けた者。

 軍においては『大貫衆おおぬきしゅう』と呼ばれている。


 ぬっとあらわれた男の肌は浅黒い。

 シャク=シャカやハンリ=バンリのように生まれながらの褐色ではなく、日に焼けた肌。

 そこには山を砕き、船を飲み込む黒い波の彫り物が入っている。

 片側で結った黒髪を傷だらけの厚い胸に垂らした男。

 目は切れ長で、年のころは男盛りの三十と少し。


 俺は彼の名を知っている。


「ウズサダ殿か」


「気安く名前を呼ぶんじゃねえよ」


 霞七太刀かすみななたち

 傘門十弓さんもんじゅっきゅう

 太刀衆や弓衆に「頂点」があるように、大貫衆おおぬきしゅうにも頂点がいる。


 彼らが獲物を討つ度、水面は赤く染まり、波には無数の泡が立つ。

 まるで海そのものを煮立たせるような様から、こう名付けられた。

 ――『灼海六傑しゃっかいろっけつ』と。


 ウズサダは俺に銛を向けた。


「ここは俺らの縄張りだ。失せろ」

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