第49話 44

 

 葦原の『みやこ』は平地に存在する。

 住む分に不自由は無いが、戦いには全く適さない土地だ。


 その為、古き葦原の民はみやこの堀を引いた城郭都市を三方に作ることで鉄壁の護りとした。

 一つは、春を司る御霞ミカスミ

 一つは、秋を司る御楓ミカエデ

 一つは、夏を司る御柳ミヤナギ


 後に三つの都市は葦原の武を司る『三軍』の本拠地として用いられるようになった。

 御霞ミカスミは太刀衆。

 御柳ミヤナギ大貫衆おおぬきしゅう

 御楓ミカエデは弓衆。


 弓衆の長たる傘門十弓さんもんじゅっきゅうの屋敷は、すべて御楓ミカエデの地にある。

 城に見下ろされた街区は東西南北を四つの門――鬼灯門ほおずきもん楓来門ほうらいもん石蒜門せきさんもん椿門つばきもんに囲まれており、俺の屋敷は最も縁起の悪い石蒜門せきさんもんの傍にある。


 門の傍には、炎に似た形の花が群生している。

 狐花きつねばな死人花しびとばなといった異名を持つ植物。

 俗に彼岸花ひがんばなと呼ばれる花が。


 俺の馬が勢いよくその門を突っ切ると、花たちは別れを惜しむように揺れた。




 勢いで行動している自覚はあった。


 どこの誰とも知らない女の為に、どこの誰が寄こしたとも知らない手紙を頼りに、顔も見たことのない獄吏の長に交渉を持ちかける。

 これではまるで猪だ。『十弓の名が泣くぞ』と言われたら、返す言葉も無い。

 立ち止まり、冷静になって考えれば、もっと良い道が見つかるのかも知れない。


 だが見つからないかもしれない。

 そして見つかったとしても、本懐を遂げるより先に彼女が死んでしまうかも知れない。

 なら走るしかない。

 今行く道が間違っていたとしても、やり直せるように。


 疾駆する馬が冷たい風を切り裂く。

 俺の身は火照り、うつぼの矢はかちゃかちゃと武者震いするように音を立てた。


(……)


 ――『お前を友達にしてやる』。

 我ながら間抜けな言葉だ。

 思い出しただけで顔から火が出そうになる。


 だが人は恥では死なない。

 死にたくなることはあっても、恥がかさんで死んだ奴はいない。

 恥ずかしかろうとみっともなかろうと、俺は正直な気持ちを吐いた。ただそれだけだ。


 頬の火照りを怒りにすり替え、身を焼く羞恥を焦燥にすり替え、俺は馬の腹を蹴る。


 門を越えた俺はシャク=シャカが向かった御霞ミカスミ方面へ馬の鼻を向けていた。

 街道を行き交うのは主に飛脚や牛車だ。

 特に葦原は牛車が多い。馬と違って大人しく、蹴りの一撃で人を殺すこともないからだ。


 俺の馬は川に臨む街道から細道に入った。

 そのまま山裾へ分け入り、人気のない道をなおも駆ける。


 たどり着いたのは山間やまあいの鄙びた街だった。

 男衆は継ぎ接ぎだらけの半纏を身に着けており、女たちは指先を泥で汚している。

 木の棒を手にした稚児たちは男も女もなくはしゃぎ、そこかしこを走り回っている。


 俺は懐の紙を取り出し、元来た道を振り返り、現在位置を確認する。

 間違いない。地図が示しているのはここだ。


 だが不可解だ。

 手紙の記述を信じるのであれば、ここに大囚獄司だいしゅうごくしが住んでいるということになる。

 いやしくも獄吏の長だ。身分は相当高いはず。

 なのになぜこんな田舎に居を構えているのだろうか。


 一瞬、騙されたのではないかという疑念が俺の胸を過ぎった。

 だがすぐに首を振ってその考えを否定する。


 この手紙の送り主は俺の置かれた苦境を知っている奴だ。

 一体何者なのかは知らないが、俺を妨害する目的ならわざわざ「偽の目的地を教える」なんて回りくどい方法は取らないだろう。

 おそらく大囚獄司だいしゅうごくしは本当にここに住んでいるのだ。

 そして俺の予想が外れていなければ、交渉の余地は確かにある。


 馬を預け、足早に目的地へ向かう。

 地図に従って進むと、入母屋造いりもやづくりの大きな屋敷が見えた。

 四方は太い竹を網目状に組んだ竹矢来たけやらいで囲われており、黒い稲妻に見紛う松が庭を飾っている。


 趣味人に言わせると、人の家にも表情というものがあるらしい。

 俺の屋敷はいつもむっつりしており、ミョウガヤの屋敷は取り澄ました顔をしているそうだ。

 眼前の屋敷は、風雨を浴びても動じない悠揚な表情を見せているように思われた。


 玄関へ向かうと若武者が二人立ち塞がった。

 いかにも「太刀衆に入り損ねた田舎の若者」然としているが、足運びを見れば分かる。相当な手練れだ。

 俺は新調した緑の狩衣を翻し、弓を見せる。


「十弓のワカツだ。お目通りを」


 失礼ながら、と前置き、武者の一人が曖昧な笑みを浮かべる。


「ご訪問先をお間違えではありませんか、九位殿」


「いや、間違えてない。ここに大囚獄司だいしゅうごくし殿がいらっしゃるんだろう?」


「存じ上げません」


「では調べさせてもらう」


 二人の武者はさりげない所作で片足を引き、腰に手をやった。

 俺は首を振り、戦闘の意思がないことを示す。


「危害を加えに来たわけじゃない。話がしたいだけだ」


「申し訳ないが、約束のない方をお通しすることはできない」


 若武者は低い声で囁いた。

 視線は鋭く、今にも踏み込んできそうな気迫を感じる。


「お察しの通り、この家の主は市井しせいの者に紛れております。十弓が面会に訪れたなどと知れれば今の暮らしが崩れる」


「ご賢察の上、日を改めてはいただけませんか」


「済まないが、できん。会うのは今だ」


 もたもたしている暇は無い。

 焦燥が熱を生み、熱が汗を生む。

 額や腿に浮いた汗は、どくんどくんという忙しない鼓動で絶えず揺れ動く。


 前髪を離れた汗が、ちとんと砂の上で爆ぜた。


「中に入れてくれ」


「できかねます」


「入れろ」


「できぬと申しております」


 と、若武者の向こうに男の姿が見えた。


 四十そこそこの男だった。

 ドレス状に裾の広がる一般的な袴ではなく、脛から先を結んだ裁着袴たっつけばかまを履いている。

 顔には短い無精ひげ。目尻は垂れ、どことなくだらしない印象を受ける。


 灰混じりの髪を申し訳程度に結った男は、武者の向こうで小さく跳ねていた。

 どうやら俺の姿をよく見ようとしているらしい。


「……おい。空き巣が入ってるぞ」


「?」


 振り向いた若武者は猫のように飛び上がった。


「タ、タネハル様。いけません!」


「……いや、だってほら、『十弓』だろその人?」


 タネハルと呼ばれた男は川に揚がった死体を見物するかのようにしげしげと俺を眺めている。

 その顔に浮かぶのは好奇心ではなく、後ろめたさだ。


「入……れた方がいいんじゃないの? 俺、やだよ。弓衆にまで嫌われんの」


「しかし……」


「んー、いや、まあ、俺も話したくはないけどさ。無下にあしらって後日ぞろぞろ大勢で来られても、ねえ」


 干からびたような、煤けたような声。

 苦笑いを浮かべたタネハルは俺に向かって意味もなく頭を下げた。


「あーその、すいませんねぇ。へへ。私ね、今日はちょ~~~っとだけ時間ありまして」


「どれぐらいですか」


「あーまあ、こうして立ち話するぐらいなら」


 怒りと焦りが俺の筋肉を動かした。

 意図したことではないが、ぴくりと目が震え、頬が引き攣る。


 途端、追従笑いを浮かべる男はびくっと後ずさった。

 演技ではない。本気で驚いている。


「え、あ、怒った? 怒ったんですか?」


「……怒ってない」


「いやでも、顔怒ってるじゃないですか」


 様子から見るに『こいつ』がそうなのだろう。

 思っていたのとずいぶん違う。

 明らかに俺の倍以上生きている年の男だが、挙動の一つ一つに貫禄というものがない。


「あなたが大囚獄司だいしゅうごくし殿ですか」


「あー……。……はい」


「折り入ってお話したいことがあります」


「……私と話しても別に愉しいことは「折り入って」」


 俺は生芋を割る包丁のごとく言葉を叩き付けた。


「お話したいことがあります。お時間をいただきたい」


「いや……私あの、忙しいから」


「どこの誰のせいで忙しいんですか。そいつが怪我をすれば大囚獄司だいしゅうごくし殿はお暇になりますか?」


 俺は軽く弦を鳴らした。


 こういう時、俺の異名は役に立つ。

 蛇飼いワカツは平気の平左で権力者に噛みつく問題児。

 怒りに駆られればこの往来でも矢を放ちかねない。

 そう思わせることができれば、まずは俺の勝ちだ。


「あ、あー……」


 そう思ってくれたらしい。






 大囚獄司だいしゅうごくしの家は『凡』の一語で表現できた。

 鮮やかな屏風、無し。

 仰々しい鎧兜、無し。

 目端の利く使用人や身目麗しい近侍、無し。


 客間の畳はやや古く、茶が染みついている。

 床の間には色気のない壺が一つ。

 中には長く黒い炭と布を断って作った造花の水仙が飾られている。


「いやすいません。急なご来訪でしたからね」


 へへ、とタネハルはへこへこと頭を下げた。

 謝り慣れている人間らしい。


「ワカツ九位です」


「あー……存じてます。素行不良で左遷食らったっていう……」


 目で肯定すると、タネハルは言葉を探すように左右を見る。


「ん、まあ色々ありますわな。まあその、都に戻られることを願ってますよ」


「戻る気は無いので結構です」


「あ、そう……ですか」


「……」


 俺の焦燥は苛立ちに変わり始めていた。

 こっちは人の命が懸かっているというのに、この態度。

 わざとやっているなら大したものだが、素のようにしか見えない。


 やがて太った女が茶を運んできた。

 愛想が悪く、笑みの一つも見せない女だ。

 盆に菓子が乗っていないことに気付き、タネハルが声を上げる。


「あー、ちょっとちょっと! ほら、一番いい落雁らくがんあったでしょう! あれ持って来て」


「ありませんよ。この前旦那がお夜食にって召し上がられたじゃないですか」


「あー……そうだった」


 天を仰いだタネハルはぴしゃと手の平で目を覆う。

 指の隙間から目が覗いた。

 どうやら俺の反応を窺っているらしい。

 俺は「いいから話を始めさせろ」と訴えたが、彼には別の意味で伝わったらしい。


「じゃあもうほら、何でもいいや。何か、何でもいいから持って来て。……あ、目刺めざし! 朝の目刺の残りがあったでしょ! あれでいいわ」


 俺は器量の悪い使用人が立ち去るのを見送り、この鈍くさい男に向き直る。

 うつぼは武者に預けたが、弓は握ったままだ。

 その弓が、苛立ちのあまり込めた力で僅かに軋む。


「本題に入ってもよろしいですか」


 冷えた声で告げると、タネハルはドタバタと慌てた様子で足を組んだ。

 親に叱られた子供のようだ。


「何なりと」


「恐竜人類の引き渡しについてです」


「きょうりゅ……何です?」


「恐、竜、人、類」


 枝をぼきぼきとへし折るように一語一語はっきりと発音した俺は、改めて男を睨みつける。


「ああ、ランゼツ三位から依頼の来てたアレかぁ」


「そうです」


 俺は「ランゼツ三位」の名を聞いてようやく、この男が本物の大囚獄司だいしゅうごくしであることを確信する。

 それほどまでに覇気の無い男だった。


 ちょうどそこへ茶と目刺が運ばれてきた。

 湯呑は円筒型で、黒い釉薬が塗られている。

 炙られてからずいぶん時間の立った目刺は深い青の器に盛られていた。


「っと。何か書類に不備でもありましたか」


 タネハルは湯呑を口元へ運び、ずず、と音を立てた。


「恐竜人類の身柄を引き取りたい。書類は破棄してくれ」


 ぶふうう、とタネハルが派手に茶を噴いた。

 畳に湯が飛び散る。


「……」


「うぇーっほ、えほっ!」


 激しくむせ込んだタネハルはひと言詫び、太った使用人を呼びつけた。


「ちょっとこれ何淹れたの?! すっごい酸っぱいんだけど?!」


「さあ。雑巾の搾り汁ですかねぇ」


 使用人がのんびりした口調で告げると、タネハルは怒りではなく困惑の声を上げた。


「何で雑巾の搾り汁なんか取ってるのよ! は、早く淹れ直して!」


 タネハルはちらちらとこちらを見ていた。


 問われるまでもなく、俺は怒っていた。

 血管がじたばたと暴れ、火のついた神経は燻り始めている。

 既にここへ来て結構な時が過ぎている。これ以上時間を浪費するわけにはいかない。


 だが、光明も差していた。

 この男、身分の割に威圧感がほとんど感じられない。冬の虫のように弱気だ。

 実際、俺どころか家人にすら甘く見られているではないか。


 手首の細さを見るにつけ、本人が荒事に慣れていないことも間違いない。

 うまくすれば暴力をちらつかせることで従えることができるかも知れない。

 押して、押して、押して――折ってやる。


 改めて茶が運ばれるとタネハルは少しだけ茶に口をつけ、それから美味そうにぐびりと喉を鳴らした。

 俺は痺れを切らし、前のめりになる。


「返答をお聞かせ願いたい」


「……あー、何の話でしたっけ」


 眉を八の字にしたタネハルは湯呑を置き、ぽんと膝を叩く。


「ああ、そうだ。私のところに来る恐竜人類を引き取りたいんですっけ」


「ええ」




「それはできない」




 初めて、タネハルの口から明瞭な言葉が飛び出した。

 垂れた目尻の奥に鈍い光が灯るのが見える。


「私の仕事はご存知で?」


「獄吏でしょう」


「ひと言で言えばね。だが檻に入ってるのは犬じゃないんだ。ただうろうろ歩き回ってたまに棒でぶん殴れば務めを果たせるかと言うと、そうでもない。……ま、私の職務は主に拷問ですがね」


 ずず、と大囚獄司だいしゅうごくしが茶を啜る。


「人が人を罰し、檻に閉じ込め、管理するというのは特別な行為ですよ、九位。やってみりゃ分かるが、大体の奴は長続きしない。髪が抜け落ちたり、夜な夜な悪夢にうなされたり、食が太くなったり細くなって身体を壊す奴もいる。……だが、お国のためには誰かがやらなきゃいけないわけだ。私は部下にそう言い聞かせて仕事をやらせてる」


「……」


「その私が饅頭まんじゅうみたいに気安く囚人を引き渡しちまったら、国にも部下にも面目が立たんのですよ」


 言っているのは、もっともなことだ。

 だが俺は正論を聞きに来たわけではない。


「まあ事情は色々あるんでしょうけどね、こっちの管轄になった囚人を――」


 試しに、矢を番えてみる。

 先ほどタネハルは怯えていたが、今度は眉一つ動かさなかった。


「――書類も無しに手放すわけにはいかない」


 ずず、と茶が啜られる。


「指を折られようと目を射られようと、そりゃ変えられない。『法』が『暴力』でねじ曲がったら国は終わりだ」


「……忠実ですね」


 俺は詫び、矢をしまう。


「そんなんじゃありません。仕事だからですよ」


 獄吏の長は目刺を口に運んだ。


「私も別にね、拷問なんか仕事にしたくはないんですよ。こうして嘆願やら恨み言やらをさんざん聞かされますからねぇ。……だが現実に私はこれで金を貰って、飯を食って、妻子を養ってますからねぇ」


 俺も試しに目刺を噛んだ。

 硬く、苦い。


「ひーひー泣く奴を痛めつけるのはやっぱり胸が痛むんですが、仕事なんでね。やれと言われたらやるしかないし、聞き出せと言われたら聞き出すまでやる。今の件も同じだ。おかみがこうだと定めてる以上、誰が何と言おうと変えられやしません」


 ああ、と俺は納得する。

 この男が妙に「謝り慣れている」のは職業柄だろう。

 彼は普段から罪人に謝っているに違いない。

 謝りながらも「仕事だから」と淡白に告げ、腑を分け、爪を剥いでいるのだろう。


 で、とタネハルは濡れた湯呑を置いた。


「話はそれだけですか? だったらお引き取りいただくしかない」


「……」


「言っとくが、何位を連れて来ようと同じだ。私は取引に応じる気は無い」


 聞けば聞くほど、頭に昇った血が引いていくようだった。


 身なりや振る舞いこそ粗雑だが、彼は職務に忠実だ。

 腕ずくでは動かないだろうし、屁理屈も通じない。

 賄賂も無意味で、権威による脅迫も無駄だろう。


 ここへ来てすぐに抱いた「脅せばうまくいくかも知れない」などという甘えた感情はとうに霧散していた。

 必要なのは対等な『交渉』。

 俺は心に喝を入れる。


「彼女が捕まったのはほんの数日前です。処断が速すぎるとは思いませんか」


「ん。まあね」


「今の葦原の法で罪人をこうも早く裁くことはできない」


「だが『決済』って奴は降りてる」


 そう。

 そこが妙なのだ。

 罪人、それも他国の軍人を名乗る人物を簡単に拷問できるほど葦原の法制度は狂ってはいない。

 彼女の件に関しては、照会、聴取、裁判といった手続きが丸ごと抜け落ちている。


 考え方は二つに一つ。

 一つ。上から何らかの圧力があった。

 一つ。手続きに不審な点があった。


 普通に考えれば前者だが、だったら一位辺りが気を利かせて俺に話をくれる。

 さもなくばこうして俺が暴れるからだ。

 後者はタネハルの言動からするとあり得ない。

 あり得ないのだが――――


「三位からの指示書を見せてもらいたい」


「そりゃできない」


「俺は十弓だ。開示義務があるはず」


 タネハルはやれやれと首を振る。

 盆に乗って運ばれてきた書面を見た俺は目を細め、天を仰いだ。


(――――)


 三位は俺が自分に似ていると言った。

 だが俺はそうは思わない。

 俺はここまで嫌らしいことはしない。


 三位がしたためたタネハルへの身柄引き渡し書は、俺のよく知る体裁のものではなかった。

 彼女の引き渡し書には人間を引き渡す時に当然記入すべしとされる、身長や外見、目の色や年齢といった項目が存在しなかった。

 その代わりに、『翅の数』『甲羅の有無』『脚の数』といった項目が並んでいる。


 要するに、三位は彼女を『罪人』ではなく、『希少生物』としてタネハルに引き渡そうとしていた。


 間に「エーデルホルンのオリューシア」を名乗っていた時期はあるものの、結果的に彼女は俺たちと同種の生物ではなかった。

 同じ生物でないということは、同じ処遇をする必要がないということだ。 

 喋る鸚鵡おうむがいたとして、そいつが『私はこの国の出身です』とのたまったとして、わざわざその国に身元照明をすることはない。

 裁判など必要になるわけもない。


 『人間ではないのだから最低限の検疫が済んだ時点で速やかに檻へ入れるべし』

 『臨床検査でどの程度の言葉を話すのか調査すべし。知悉している内容についてすべて白状させるべし』

 『投薬による効果測定を行い、人類との生理学的な近似性について報告すべし』


 三位の綴った文字を目で追う。 

 俺が顔を上げると、タネハルは困ったように肩をすくめた。


「手続きに問題はないですよ、九位。動物を拷問しちゃいけないなんて法はないし、そこに私が出張っちゃいけないなんて法もない」


「……」


 驚きはしなかった。

 なぜなら三位は昨夜、「こいつは希少生物の標本として護送される」と口にしている。

 ただ、まさか本当にそんな書類が通るとは思っていなかった。

 俺は怒りに震えながらも、ふと疑問に思う。


「動物扱いってことは、この一件、刑部省ぎょうぶしょうの上層部には伝わってないんじゃないのか?」


「そうですね。このことを知ってるのは私と、部下だけだ」


「ちょっと待て。それで何を聞き出すつもりなんだ、三位は……!」


 筋は少々違うが、俺は三位に怒りを覚えていた。


 もし彼女を恐竜人類だと見定めているのなら、聞き出すべき情報は慎重に吟味する必要がある。

 恐竜人類の生態を聞くのか、構成人員を聞くのか、能力を聞くのか。

 目的を聞くのか。歴史を聞くのか。未来を聞くのか。


 それによって葦原が手にする情報は変わり、他国への優位劣位も大きく変わって来る。

 これはただの捕虜の拷問ではない。

 ある意味では『外交』の要素が混じる行為だ。

 それを三位が独断で、しかも手続きの穴を縫うような形でやっていいわけがない。


 ランゼツ三位は国のためにやっているのではない。

 完全に、独断でこの一件を捌き、おそらく最後は闇に葬るつもりでいるのだ。


「……いや、そりゃ点数稼ぎでしょうよ」


「点数稼ぎ?」


「十弓も上の方はあれそれの官職に就かないといけないんでしょ? 三位だってただ弓を引いて、人殺しをすれば評価されるってわけでもない」


「……」


「こういう駆け引きとか、政治的な動きも必要なんじゃないで「恐竜が」」


 俺は身を乗り出していた。


「もうそこまで来てるんだぞ?! 恐竜人類の一体は、シャク=シャカに勝つような奴なんだぞ?! そこに点数稼ぎだ? 政治的な動きだ?!!」


「い、いやまあまあ」


「~~~~~!!!」


 俺は怒りの余り喚き散らしそうになり――――実際に喚き散らした。

 ひとしきり上の悪口を吐いたところで、どっかとその場に腰を下ろす。 


「そぉんな怒らなくてもねぇ」


 ぼりぼりと頭を掻き、タネハルが茶を進める。


「まあ人はどこまで行っても人の間でしか生きれませんからなぁ。こういうの、結局最後までついて回るんじゃないかねって思いますよ」


 乾いた言葉で我に返る。

 今は三位のことをあれこれ論じている場合ではない。


大囚獄司だいしゅうごくし


「へいへい」


「『罪人』じゃないよな、これ」


「へ?」


「こいつだよ。ここには『罪状』が書いてない。希少生物だから確保して調べろ、としか書いてない」


「そう、ですな」


 だったら、と身を乗り出す。




「希少生物なら、替えが利くよな?」




「!!」


 俺は湯呑の茶を飲みほした。


「恐竜人類についての報告は読んだか? あいつらは翼が生えてるし、手足が完全に鱗に覆われてる。だが今から護送されるこいつは、不完全だ」


「不完全」


「病気か、障害持ちなんだよ。鱗は腰にしかついてないし、翼も生えてない。敵勢力との関連性も不明だ。今後葦原が冒涜大陸に攻め込む上で、こいつを調査分析する意味は薄い」


「……」


「俺が完全な恐竜人類を連れて来る。そしてこの不完全な奴と交換する。そうすれば誰にも迷惑は掛からない」


「いや、しかしそれは」


「何の問題がある? 罪人なら、罪は本人に紐づく。だが稀少生物の稀少性は本人じゃなくて種に紐づくだろ?」


「二体いるなら二体確保するに越したことはない」


「そう。だがあんたにその権限はない。正当な手続きに則るなら、書類に一体としか書かれていないものを二体捌くことはできない。二体の恐竜人類が揃ったら、片方は誰かに身柄を引き取らせなきゃならない」


「……」


「どうなんだ」


 タネハルは長い長い溜息をついた。


「まあそりゃ……手続き上、瑕疵かしは生じませんがね。期日ってものは」


「守るさ。三日だろ?」


「二日と半日です」


「守る」


 少しの沈黙の後、タネハルはうっそりと問うた。


「聞きかじったぐらいですが、経緯は知ってます。その恐竜人類に命を助けられたそうですね」


「ああ」


「それで、実は裏切られてたって話でしょ? 何で義理なんか果たすんです?」


「……」


「悔しいとか思いませんかね。九位が必死に戦ってる間、そいつは九位を騙すことだけ考えてたってことでしょ? 何つうか、不誠実じゃありませんか」


「そうだな」


 だが、このまま終わったらもっと悔しいだろう。

 騙されたことは確かに悔しいが、意趣返しをしたいわけじゃない。


 俺は更にタネハルに問うた。

 今、最も葦原で激しい戦闘が行われている場所はどこだ、と。


 タネハルは過不足なく情報を教えてくれた。

 今現在の激戦区は、冒涜大陸との国境近辺。

 中でも一つだけ、集中攻撃を受けている場所がある。


 そこはかつて俺が根城にしていた砦だった。

 俺がすべてを失った場所。


(――――)


 俺は自分自身ですら意識できない心の奥で、三位に感謝した。






 館を出ると、若武者二人に出くわした。

 二人の顔は奇妙に歪んでいる。

 笑っているような、引き攣っているような。


「?」


 すとん、と。

 誰かが背後に立った。


 振り返る。

 二人の忍者の姿を最後に、視界が黒く染まる。

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