第33話 31


「さて。お集まりの諸君」


 うるおいのある声を上げたセルディナは、手にしていた恐竜の頭蓋骨をことりと壇上に置いた。

 その場の全員の視線が彼に集まる。


「諸君は実に様々な事情でここにお出でだ」


 セルディナはかつんかつんとサンダルを鳴らして左右に歩いた。

 そこかしこに置かれた燭台の炎が揺れ、性別も年齢もまばらな顔が浮かび上がる。


「恩赦を願う者」


 狼の頭蓋骨を被り、白いフードに身を包んだ人物と、長い黒髪を結んだブアンプラーナの女弓兵が反応した。

 逆三角形の巨大盾を持つ老人は鼻を鳴らし、親指で唇を拭う。


「大金を夢見る者」


 お揃いの赤い鉢巻を結ぶ唐兵の一団が忍び笑いを漏らす。

 大きな襟巻から花束を覗かせた美男子が身をくねらせ、番傘を担ぐ女戦士が筋肉質な腕を組む。


「血を望む者」


 部屋の一角であぐらをかいた編み笠の武士が退屈そうに身じろぎする。

 甲冑を着込んだ凛々しい金髪の青年が笑みを浮かべ、虚ろな目をした少年が糸のように長い涎を垂らした。


「……運の悪かった者」


 セルディナは芝居がかった調子を薄め、俺とシアを見やった。


 状況を見るに、俺達以外は志願者らしい。

 五位と忍者の話が正しければ、『きな臭い連中』は出国する者の素性を問い質し、厳しく聴取するという。

 セルディナはその中から見込みのありそうな者だけをえり分け、ここに集めたのだろう。

 もちろん、彼が求めているのは手芸の腕前などではない。


 ここにいるのは暴力に長けている者たちだ。


「それに……招待していない者」


 セルディナが困ったような目を向けたのは、シャク=シャカによく似た人物だった。

 短い金髪、赤目、褐色の肌。

 見覚えのある顔。

 こっちを見て手を振っている。


 ――どう見ても本人だ。


「そこの二人の連れだ」


「ではご一緒にどうぞ」


 のしのしと歩み寄ったシャク=シャカは俺の肩を叩いた。


「よう」


「何してるんですか」


「暇してたんだよ。ルーヴェは忍者のところでちと修行するとさ。シアに「大丈夫」って伝えろと言ってた。……」


 シャク=シャカは周囲を睥睨した。

 老人も、騎士も、『犬の頭蓋骨』も、色男も、皆が彼を見返している。


「腕っこきばっかりだな。何の集まりだ?」


「それを今から聞くんです」


「おいおい。付き合う事ぁ無ぇ。宿に帰って温辛野菜を食おうや」


「付き合わないと出国させないって言われてるんですよ」


「ほお? そりゃ困るな。……」


 シャク=シャカの沈黙に不穏なものを感じ取り、俺は言い添える。


「力ずくで突破したら面倒なことになります」


「だよな。大人しくしてるか」


 セルディナが咳払いしたので俺たちは口を噤む。


「煩わしい話は省こう。これから申し上げる『頼み』を果たしてくれた者は、恩赦も、大金も、思いのままだ」

 

 セルディナの語り口は貴婦人を誑かすような甘みを帯びていた。

 実際、多くの者たちの目に卑しい光が灯るのが見える。


「血は?」


 武士の問い。

 セルディナはにっこりと微笑む。


「もちろん、好きなだけ浴びる場を設けよう。人でもいいし、人以外でもいい」


 数秒の間を空け、セルディナは屈曲させた人差し指を地に向ける。


「先ほどから気になっているだろう。もっと近くに寄ってご覧いただきたい」


 禿頭の男が示したのは倒れ伏す大型恐竜だった。

 一同がぞろぞろと集まって来る。


 苔緑色の恐竜だった。

 体格は暴君竜ティラノよりやや小さく、唐に現れた牛竜カルタノに近い。

 立ち上がれば象と同じか、それより少し高い位置に頭が来るはず。


 頭部の形状はワニに似ていた。

 顎が長く、ティラノや異竜アロとは異なるギザギザの歯が並んでいる。

 

 目を引いたのは爪だ。

 この恐竜は前脚に驚くほど長い爪を持っている。

 ちょっとした長剣ほどもある。


「『爪獲竜バリオ』と呼ばれている」


 ちらとシアを見ると、彼女は首を振った。

 エーデルホルンでは未確認の恐竜らしい。


「湖沼に棲む恐竜だ。もちろん陸上でも活動できる。……鼻先が見えるかい? そこの穴から呼吸をする。胃袋には魚やワニの肉片が大量に詰まっていた」


 嘆かわしいことに、とセルディナは涙を拭うような仕草を見せる。


「プラチュメーク川の源流は冒涜大陸の中にあってね。霧が晴れた今、こいつらが続々と川へ入り込んでいる」


「生け捕りにでもすればいいのかな?」


 首から山ほどの花を覗かせた色男が問うと、セルディナは首を振る。


「あいにくと、我が国は象だけで手いっぱいだ。この上恐竜を飼う余裕はない」


「じゃあ二、三体殺して引き渡せばいいの?」


 体格の良い女丈夫が番傘でバリオを示すと、セルディナは両肩をすくめた。


「二、三体ならこちらで工面できる」


「まどろっこしいな。何させたいんだよ」


 唐兵の長らしき男が不満を口にすると、セルディナがすっと目を細めた。


「駆除してほしいのだ」


「何頭?」


 女弓兵に問われ、セルディナは微笑した。




「全部だ」

 



 濃いため息が幾つも重なり、その空間に漂った。

 俺とシアも顔を見合わせ、セルディナへの失望を露わにする。


「金持ちの兄さん、よく覚えとけ」


 唐兵の一人がセルディナに指先を突きつける。


「金がありゃ何でもできるってのは人の世界だけの話だ。いくら金を積まれても雨をやませたり山を動かしたりはできねえの。てめえが気に食わねえからって生き物を根絶やしになんてできねえんだよ、このアホ!!」


 叩き付けるような声を合図に、唐兵の一団ががちゃがちゃと武器を片付け始める。

 が、セルディナはにこにことした微笑を崩さない。


「確かに私は『全部』とは言ったが、場所までは指定しなかっただろう? 川のバリオすべてを殺せとは言わない」


 セルディナは壁に立てかけていた大きな巻物を手に取り、ばらら、と広げた。

 そこにはブアンプラーナの国土すべてを網羅する地図が描かれている。


「見えるかい? 見えない者は遠慮なく近くにおいで」


 ぞろぞろと皆が近づいた。

 まるで教師と子供だ。


「これがプラチュメーク川だ。……そう。この一番太い川だね」


「改めて見るとでけえな」


「でかいだけでなく深いよ。流れは速いところもあるし、遅いところもある」


「漁師の商売も上がったりだろうね」


 金髪の騎士がにっこりと微笑むと、セルディナも笑みを返す。


「それはまた別の問題だ。むしろ下流に魚が集まってきているという話もある」


「いいから本題を言え」


 老人が苛立たしげに唾を吐く。


「これは失礼。我々が向かうのはここだ」


 セルディナは川沿いの森林地帯、その一点を指差した。

 目を凝らしたが、地図には何も記されていない。

 文字通り森の中の一点だ。


「……何も無いぞ」


「いや、ある。王家の血を引く子供が満十歳、満二十歳を迎えた時に祭儀を執り行う『玉宝巣サーダラナート』と呼ばれる石塔がある」


「へえ」


 数人が目を細めた。

 セルディナの指が川を横断する。


「ここに架かっている橋が落ち、王族が中に閉じ込められている」


(!)


 思わず胸を押さえると、シアとシャク=シャカが顔を寄せた。


「どうした?」

「どうしました?」


「……いや、何でもない」


 落ちた橋。支流に取り残された王族。

 五位のもたらした情報と一致する。

 おそらくセルディナは真実を話しているのだろう。


 だが、だからこそ疑問が生じる。


 この話は情報戦に長ける五位と忍者が総力をかけてようやくたどり着けた情報だ。

 たかが入国管理官ごときが知っているわけがない。


「何であんたが王家の内情を知ってるんだ」


「私は王族付きの密偵だ」


 セルディナは短く告げると、地図を卓に下ろし、指を差した。 


「先ほど全滅は不可能だという話があったが、場所と状況を限定すれば可能だ」

 

 白い指が中流から森へかけての道をなぞる。


「明日、ブアンプラーナが編成した多国籍の救助隊がここへ向かう。橋は落ちているので川沿いにまっすぐ玉宝巣へ向かうつもりだろう」


「ちょっと待って」


 番傘の女戦士だ。


「橋が架けられてるってことは、対岸からしかサラダナントカには辿り着けないってことでしょう? それって施設の周辺は人が立ち入れない地形ってことじゃないの?」


 彼女の言う通り、セルディナの示した玉宝巣は深い森の中に存在する。

 地図を見る限り周辺に道はない。陸路でそこへ向かう場合、一度対岸へ渡るしかなさそうだった。


 もちろん、下流からまっすぐに川を遡れば理論上、玉宝巣に辿り着くことはできる。

 だがここは平地の多い唐ではなく、密林の多いブアンプラーナだ。

 『道が無い』ということは、そこがまともに人の歩けない土地であることを意味している。

 地面は傾き、木々の枝や根は滅茶苦茶な方向に伸び、絡み合う蔓が網のように視界を覆っているに違いない。


 セルディナはゆっくりと首を振った。


「時間を掛ければ立ち入ることは可能だ。木々を倒し、土砂を崩し、文字通り道を切り開くのだ。象の力と人の力で。その為に十分な数の象を確保している」


「……とんでもない時間が掛かるぞ。船の方がマシなんじゃないのか」


「船はダメだ」


「何でだ」


「既に何隻も沈められている」


 セルディナはうっそりと言い、俺たちを見回した。

 問題は非常に分かりやすかった。


「バリオか」


「そうだ」


 セルディナは地図を置き、俺たちを一望した。

 微かに苛立ちらしきものが垣間見えた。


「馬鹿正直に直進しても時間を無駄にするだけだ。救助隊は要所要所で浅瀬を迂回して進む。……そこでバリオが問題になる。水中から襲われたら象と言えど太刀打ちできない」


「帰りは王族を連れていますからもっと足が鈍るでしょうね。その時が一番危険でしょう」


「……待て。バリオは魚とワニしか食わないんだろ?」


「縄張りに入れば人間も襲う。生物とはそういうものだ」


 セルディナの声音は柔らかいままだが、目つきは徐々に鋭くなっていた。


「『縄張り』。これが重要な点だ。……一般に、体の大きな生物や集団生活を送る生物は食物や安全な場所を奪い合って生きている」


 皆の視線がバリオに集まった。


「こいつも同じだって言いたいのか」


「そうとも。川の魚は有限で、彼らの胃袋は極めて大きい。そして我々が確保したバリオの中には鱗に特徴的な爪痕がついているものがいた」


「同士討ちか」


「おそらくね。十中八九、バリオには『縄張り』がある。縄張りの中で生存を許されるのは自分と、餌と、それ以下の生物だけだ。不用意に踏み込んだ生物は攻撃の対象となる」


 ばささ、とセルディナは壇上に書類の束をぶちまけた。


「バリオはナマズや淡水サメといった大型の魚を好む。そこで、彼らが一日に消費するであろう餌の量と、その餌が生育するのに必要な『餌の餌』の生涯活動範囲を算出し、餌の餌が生きていく上で必要とする『餌の餌の餌』をブアンプラーナ原産の水草と定め、その繁茂する範囲と面積あたりの総量からおおよその縄張りを弾き出した」


 あまりにも早口の説明だったため、ほとんどの者が首を傾げた。


「つまり、バリオの縄張りを『安定的に餌を確保できる範囲』と定めたわけですか?」


 口を挟んだのはオリューシアだった。


「そういうことだ。我々はこの『見込み縄張り』に棲息しているバリオを仕留めていく。……異論はあるかい?」


「……難しいですね。海獣の縄張りについては少し覚えがありますが」


「ここは海ではない。川だ。餌の回遊範囲が違う」


「ブアンプラーナでは淡水生物の生態についての研究が進んでいるのですか?」


「残念ながら、そのようなことはない。その手の研究は生産に関わるもの以外は予算が下りない」


 セルディナはシアから俺に目を向ける。


「お友達の見解は?」


「……縄張りは餌を確保するためだけに作るものじゃない」


 俺はなけなしの知識を絞り出す。


「『安定的に子孫を残すことができる範囲』って考え方もある。サルとかはむしろそっちの考え方で縄張りを作ってるはずだ」


「もっともだ。……が、所詮恐竜は爬虫類。繁殖より今の生存を優先すると考える」


 俺は弦をぴんと軽く引いた。

 セルディナの考え方は決して的外れではないと思うのだが、果たしてどこまで通用するか。

 もっと策を練るべきではないだろうか。そんな考えも浮かぶ。


「妄想じみた考えであることは重々承知しているよ。だが、だからといってやめるわけにも行かないのだ。放っておけば玉宝巣が恐竜に包囲されてしまう」


 その声に決意じみたものを感じ取り、俺は黙った。

 セルディナはゆらりと一同を見る。




「三十頭」




 セルディナは鋭く告げ、俺たちの顔を見回した。


「私の試算が正しければ、この流域に棲息しているバリオを三十頭狩れば当面の安全が確保できるはず」


「カバとかワニはいないのか」


「この流域にカバはいない。ワニはとっくに食われているだろうね」


「他の恐竜は? 盗竜ラプトルとか、アロとか」


「ラプトルは入って来ることができるが、他は無理だ。この辺りは木々が密集しているから大型の恐竜が陸路で入り込むことは難しい。つまりバリオがこの辺りの生態系の頂点に立っている」


「待ってくれ」


 俺は割り込んだ。

 

「もう一種類、デカイのがいる」


「ほう?」


「背中に帆を立てた奴だ。ティラノよりでかい」


「……どこで見たんですか、その生き物」


 凛々しい青年騎士が面白がるように俺を見る。


「冒涜た「詳しくは言えませんが」」


 シアがこちらを睨みながら添える。


「唐の近隣でそういった恐竜の目撃例があります。バリオだけに気を取られていると足元を掬われる危険性があるでしょう」


 セルディナはしばし黙ったが、首を振った。


「覚えておく。だがバリオ以上に巨大なら縄張りも相応に広いはず。遭遇する可能性は低い。一旦、忘れよう」


「出たら俺がるさ」


 シャク=シャカが俺の肩を叩いた。

 どす、と老戦士が三角盾の先端で地を叩く。


「要するにバリオを殺せばいいんだな?」


「そうだ」


「見返りを用意するといったな。具体的に恩赦はどうするつもりだ?」


「賠償・懲役・禁錮・死刑……罪の軽重を問わず、一頭で二割減刑する。三頭で五割。五頭狩ったら無罪放免だ」


 唐の一団が口笛を吹いた。

 続いて、番傘の女戦士が顎に手を添える。


「金は?」


「一頭につき共通通貨でこれだけ出そう」


 セルディナが五つ指を立てた。

 何人かが不満を口にする。


「五十? 意外とケチなのね」


「五百だ」


「ごっ」


 その場は騒然とした。

 それはそうだ。俺の年給より高い。


 セルディナがぱちんと指を鳴らすと、ごろごろと台車が運ばれてきた。

 はらりと布が解かれると、そこには山吹色の貨幣が山積みにされていた。

 一瞬、部屋が明るく照らし出されるほどの量だった。


「嘘は言わない。一頭につき五百、支払う。必ず支払う」


 セルディナの目は真剣だった。

 その気迫に飲まれ、何人かが喉を鳴らす。

 金貨が隠され、部屋の外で運ばれた。


「待って。あんたさっき『我々』って言ったけど」


「無論、私も同行する」


 またしても濁ったため息があちこちで吐き出された。


「あんたが死んだら?」


「気にすることはない。私もさる御方の命令で動いている身だ。私が死んでも約束は果たされると保証しよう」


 ひそひそという囁き合いの中、俺は口を開いた。


「救助隊本隊はブアンプラーナ軍と他国の軍の混成部隊ってことでいいのか?」


「そうだよ」


「で、どうして別動隊は流れ者の集まりなんだ? 救助隊と同じように正規軍で編成すればいい」


「それはできないのだ。色々あってね」


(……)


 なるほど。

 確かにきな臭い。

 言っていることに嘘は無いようだが、どうも不穏な匂いがする。


 先ほどからシアは俺の袖を引いていた。

 相談したい、という意味だろう。


「夜が明けたら出発する」


 ぱんぱん、とセルディナが手を叩くと水や食事が運ばれてきた。

 山海の珍味を山盛りにした、豪華極まりない食事だった。

 運んできたのは女たちで、よく着飾っていた。


「存分に腹と心を満たして、よく休むといい。必要なものがあれば言ってくれ」


 セルディナは紫布の裾を翻し、悠然と去って行った。

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