第32話 30


 禿頭になると人間は皆そっくりになるなんて話がある。

 それは嘘だ。

 毛髪を持たない人間は頭蓋骨の形に美醜が表れる。

 

 その男は美しい頭と美しい顔の持ち主だった。

 睫毛が長く、瞳の色は紫色。

 身に纏うのは他のブアンプラーナ人と同じ紫色の布で、肩には翼を模した銀色の留め具が見えた。


 どこか優美な印象に反し、露出した腕は太い。

 拳法を嗜んでいることは明らかだ。


「ここは関係者しか立ち入れない場所なのだが、何用かな?」


 うっとりするほど低くまろやかな声。

 背丈はシャク=シャカと同じぐらい高く、年は二十そこそこに見える。


(――!)


 弓を番えたまま文句を言おうとした俺は、ふと気づいた。


 男は藤色の腰帯を巻いており、鞘に包まれた長剣を下げている。

 黒い白鳥よりも珍しい、ブランプラーナの『剣士』だ。


「女性を探しています。名前はオリューシア。こちらに来たと聞いたので」


「ここに……?」


 男は扉の方を見やった。


「今申し上げた通り、ここは関係者しか入れないはずだが……その方は何者かな?」


 それは俺が知りたかった。

 この部屋、入口には見張りがいたはずだ。


「何か特別な役割を任じられているのかも知れませんが、詳しくは存じ上げません」


「そうかね。ところで武器を下ろしてくれないかな」


 男はそっと弓に手を添え、半ば強引に鏃を地に向けさせた。


「事情は分からないが、身元を確認したい」


「オリューシアは「君のだよ」」


 男は苦笑交じりに告げた。

 口調は親しげなものに変わっていたが、探るような目をしている。


「入国証は持っているかい?」


 俺は木札を渡した。

 男はじっと木札を見つめながら呟く。


「最近は恐竜がらみで不法入国が絶えないんだよ」


「ここは世界で一番安全でしょうからね。……」


 俺の目はどうしても彼の剣に吸い寄せられた。


「ああ、これかい? 剣ではないよ」


 男は木札を調べながら剣の柄を掴み、無造作に引き上げた。

 中には剣が入っていたが、その中央にはぽっかりと楕円形の穴が開いており、弦が張られている。

 これは弦楽器だ。

 彼は剣士ではなく、楽士がくしということだろうか。


「唐から来たのかい?」


「まあ、色々ありまして」


 ためつすがめつ木札を眺めていた男は、それを手の中でひょいひょいと躍らせた。

 俺はその仕草を怪訝に思いつつもちらと視線を動かす。


 室内は広く、奥に扉が見えた。

 シアはあの先にいるのだろうか。


「あの「ああ。なるほど分かった」」


 男は穏やかな声音でそう言い、俺に微笑を向けた。

 理想的なほど慇懃な笑みだった。




「守護番、おいで。不法入国者だ」




「!」


 男の声は決して激しくも大きくもなかったが、鉄扉は勢いよく開かれた。

 現れたのは部屋の前に立っていた男たちだ。

 いずれも禿頭で、腕が太い。


「捕らえなさい」


「ふざけるな」


 弓を構えた俺は素早く後方へ跳び、帯剣している男へ向けた。

 男はゆらりとこちらを見たが、その目に怯えは無かった。


「本物だ。よく調べてくれ」


「いいや。これは偽物だ。私が言うのだから間違いはない」


「……」


「入国証の偽装は重罪だ。騙されたなんて言い訳は通じない。ただちに同行してもらう」


 これが五位と忍者が言っていた『きな臭い連中』か。


 付いて行けば何か悪いことが待ち構えている。

 そう判断した俺はいよいよ本気で弦を引いた。

 きりりり、という緊張音に拳士たちが身構える。


 彼らは確かに強いのだろう。

 だがこれは俺の弓で、番えているのは俺の矢だ。万が一にも狙いを外すことはない。

 相手は三人だが、問題はない。俺はそもそも『動き回る弓兵』なのだから。

 この部屋を縦横無尽に走り回ってこいつらを――


「射るかい? 構わないよ。射てごらん」


 楽士は両手を開いた。


「私を射殺せば君は即お尋ね者だ。生きてこの国を出ることはできない」


「……」


「力ずくで出てやるぞという目をしているね。別にそれでも構わないが……その緑の布、葦原の十弓が着る『狩衣』を似せたものだね? なら葦原の兵部省と外釈省に正式に抗議する。十弓の振りをして、国境を破った愚か者がいるとね」


 楽士の目は本気だった。

 俺は一旦矢を下ろす。


「俺は『十弓』九位のワカツだ。……本物だ。射法を見せてもいいし、この国にいる五位に尋ねてもいい」


「射法なんて素人の私に見せられても困る。それに、そんなたわごとの為に五位殿を呼ぶわけがないだろう?」


 男は声こそ穏やかだったが、顔には薄ら笑いを浮かべていた。

 禿頭の二人が拳を構え、じりじりと近づいて来る。


「どうする? 顔はもう覚えたよ。オリューシアという、君の知人の名前もね」


 楽士はまろやかな声で告げつつ、距離を詰めて来る。

 俺は矢を構えるべきか否か、迷った。


「逃げるつもりなら、追う。地の果てまでもね」


 ざり、と男のサンダルが石の床を踏む。


「戦うつもりならお相手しよう。なに、勝っても負けても結果は同じだ。君が勝てばより罪の重いお尋ね者になり、やはり追われる。私が勝てば君は投獄される」


「……」


「潔白を主張したいのなら大人しくしなさい。本物の十弓ならこうした場で余計な血を流させないはずだ」


 本物の十弓。

 他国の人間にそんなことを語られる筋合いはなかった。

 だが俺の脳裏には他の十弓の姿が映った。


 俺より弱い八位や七位はどうするだろうか。

 あるいは、ミョウガヤの奴ならこんな時どう振る舞うか。

 ――少なくとも、矢を射かけたりはしないはず。


(……)


 俺はいったん矢を下ろした。


「武装を解くつもりはないぞ」


「結構。我々とて不要な血を流したいわけではない」 


 二人の屈強な男が拳三つ分の距離を取って俺の左右についた。

 楽士はくるりと背を向ける。


「どこに行く気だ」


「先導するだけだよ。どこにも行きはしない」


 男は煽るような、なだめるような目で俺を見返す。


「安心してほしい。自称ワカツ九位」


「……あんた、名前は?」


「セルディナという」


「濡れ衣だった時は覚悟しておけ」


 セルディナは袖を持ち上げ、口元に当てて笑った。


「何だよ」


「十弓なら何人か知っているが、彼らはそんな器量の小さなことは言わないよ」


 俺はこみ上げる怒りと苛立ちに床を蹴った。









 俺は円形の部屋に導かれていた。

 かなり広い。三十人ほどが余裕を持って食事をし、踊ることができそうなほどの部屋だ。


 見渡すと、壁面には等間隔で布が垂れ下がっていた。

 数は二十から三十ぐらいだろうか。

 布はちょうど扉一枚ほどの大きさだった。


 ――気のせいでなければ、囁き声がいくつも聞こえる。


「入っていなさい」 


 セルディナが布の一つを持ち上げた。

 中には鉄格子が嵌められており、その向こうに粗末な独房が見えた。

 石の寝台に藁を敷き、枕が置かれただけの粗末な独房。

 唐で放り込まれた貴賓室とは違い、本当にただの檻だ。


「……おい」


「弓矢はそのまま持ち込んでもらって構わない」


 それとも、とセルディナは目を細めた。


「暴れてみるかね? 私はそれでも構わないよ。抵抗される方が燃えるし、手負いの獣を追う方が愉しいからね。うふふ」


「……」


「鍵は開けておく。それで構わないだろう?」


 言葉通り、俺が檻に入っても格子は閉ざされなかった。

 セルディナは手の中で鍵を遊ばせている。


「あ~……君は何と言うか……堅物なのかな?」


「何?」


「いや。何でもないよ。ふふ」


 セルディナは俺を上から下まで眺め回した。


「どうだろう。もし無実が証明されたら、お茶でも」


「結構だ。仕事がある」


「んふふふっ」


 何が面白いのか、セルディナは大いに笑い、そしてその場を去った。

 残された俺は饐えた土と石、藁の匂いに沈む。


 周囲の独房では相変わらずひそひそという話声が聞こえていたが、耳を傾ける気にはなれなかった。




「――――」


 ぼんやりしている内に、いくつかの考えが脳裏に浮かぶ。


 オリューシアの奴、ここで何をしているのか。

 忍者に会いに行ったルーヴェは五位と喧嘩などしていないだろうか。

 シャク=シャカを置いて来てしまったが、気を悪くしていないだろうか。


 そんな感慨の中、ふと聞きたくもない言葉が蘇る。


『僕らは兵卒より高いカネを貰ってる。貰うカネの額が違う以上、一兵と同じ仕事をやるわけにはいかない』


 変声期前の子供の声。

 金髪と赤い狩衣が視界にちらつく。

 

『指揮官のくせに弓の腕前を褒められたがってる誰かさんは相変わらずだねぇ』

『君は出世して成り上がってちやほやされることが『目的』だから、いつまでも肝心なことが見えないんだよ』

『僕にとって出世なんて報国のための手段に過ぎない』

『自分の生まれが孤児や貧乏人なら誰を罵倒しても構わないと思ってないかい? 生まれを理由に他人を貶めているのは貴族も君も同じだよ』


(……)


 ただの煽り文句だ。真に受ける必要はない。

 ミョウガヤ五位は年の割に口が達者で、それを武器にのし上がってきた。

 虚実織り交ぜた、甘い言葉や酸い言葉。

 奴は人の感情を揺さぶり、その隙間に己の利を差し込むことに長けている。

 ミョウガヤにとって言葉は武器だ。

 その言葉をまともに受け止めるのはバカバカしいことだ。


 聞き流せ。

 頭の奥で冷静な俺が囁く。

 ――だが、奴の声が耳にこびりついている。


 暗く静かな独房の中、それ以上に暗く静かな頭蓋骨の中で、何度も何度もミョウガヤの声が反響する。

 寝台に腰かけた俺は顔を覆った。


(――――)


 先ほど、俺は奴の言葉にどきりとした。

 奴の言葉が的を射ていると感じたからだ。


 俺は国に尽くす為に弓取りになった。

 その志に嘘は無い。

 だがそれが全てかと問われると、そうだと答える自信は無い。


 俺は確かに、上に行きたかった。

 だがそれは上の立場でこの葦原という国を見渡し、より国の利になるためのあれこれを考えるためではなかった。

 俺は単に、褒められたかった。

 弓の腕。努力。誠心。

 そうしたものをより上の人間に認められ、称賛され、頭を撫でられたかった。

 尽くすからには、それなりのねぎらいが欲しかった。


 別に部下たちに見上げられたいわけじゃない。喝采を浴びたいわけでもない。

 ただ、もっと上の連中に、認められたかった。


 だって仕方ないだろう。

 俺には弓しかない。弓以外に、生きていく術を知らない。

 俺は人生のほとんどを弓に捧げた。

 その弓で誰かに劣り、誰かに認められないというのは――――


(……)


 俺たちは無償で国に身を捧げた義勇兵じゃない。

 奴の言う通り、国のカネで飯を食う立場だ。

 カネが支払われている以上、報いなければならない。


 形はどうあれ、奴は今、国のために行動している。

 俺が冒涜大陸にいる間も奴は人の間を泳ぎ、権力者と話し、偽りの笑みを交わし、利とカネを授受した。

 それは不正なことではあるのだろうが、それも一つの努力には違いない。少なくとも俺には真似できない。


 態度と方法がどうあれ、国により尽くしているのは奴の方だ。

 なら、奴の方が認められて然るべきなのではないか。


 埒も無い考えが頭の中を巡る。


 ――厭な気分だった。









 俺はいつの間にか眠っていたらしい。

 結構な時間が経ったのか、檻の中は先ほどまでより暗くなっていた。


(……)


 気だるい気分の中、顔を上げる。


「おはようございます。九位」


「!」


 見れば暗闇の中にオリューシアが立っていた。

 真っ黒なスリットドレスは輪郭しか見えないが、白い腿が浮かび上がっているように見えた。


「……」


 寝ぼけていたせいでもあるし、見栄を張るつもりでもあった。

 俺はすぐには応じず、目をこすり、側頭部を拳で叩く。


「その服、気に入ったのか」


「いえ、別に。さすがに煽情的過ぎるので着替えようかとも思ったんですが、これ以上に質の良い服が見つからないんです」


 それに、と彼女は闇の中、手で自らを扇いだ。


「ここは暑すぎます。雪国生まれの私には耐えられません」


「暑いというか、蒸すんだよな。唐は灼ける感じで、ここはじめじめしてる」


「そうそう。そんな感じです。一番暑いのはザムジャハルですが、ここは空気が湿っているのでそれ以上に暑く感じます」


「ザムジャハルに行ったことがあるのか」


「ありますよ」


「任務で?」


「任務外で砂漠に用はありません」


 そっか、と応じ、俺は立ち上がった。


「……ここで何してた?」


「散歩です」


 はぐらかされたことで、怒りではなく寂しさを覚える。


 恐竜人類に膝を屈し、怒りに震えるシャク=シャカの姿を見たからかも知れない。

 シアとはずいぶん長い付き合いだが、彼女の『素』の姿を見たことはない。


 俺と彼女の間には見えない壁がある。

 任務だから、国が違う軍人同士だからとか、そういった壁ではない。

 もっと根本的な拒絶を感じる。


「私を探しに来たそうですね」


 シアは呆れたように髪をかき上げた。


「九位は軽率です」


「……」


「……」


 息遣いの中に躊躇らしきものが覗いた。

 

「ワカツ」


「何だよ」


「すみません。迷惑を掛けました」


「……。別にいい。俺が勝手なことして勝手にドジ踏んだだけだ」


「いずれ何らかの形でお返しはします」


「ああ。それはどうも」

 

「……」


 シアは沈黙に耐えかねたかのようにぶわりと布を払いのけた。




 円形の広間には燭台が並べられ、数十人の人々が集っていた。

 剣士もいれば弓兵もいた。

 棍棒を掲げた奴、槍を構えた奴、シャク=シャカに似た唐人もいた。


 やや高い位置にセルディナが立っていた。

 彼は小さな恐竜の頭蓋骨を手にしており、俺の姿に気付くと、その顎をパクパクと動かした。


 その足元には見慣れない巨大な恐竜が横たわっている。

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