第31話 29
――『王家の人間を助けに行く』。
思いがけない言葉に俺は返す言葉を見失う。
狐面の忍者は興味深そうに顔を動かした。
「耳が早いのだな、五位殿は」
「本職には負けるよ」
「……どういうことだ、ミョウガヤ」
「どういうことだも何も無いよ。恐竜だ。プラチュメーク川が恐竜の巣になりかけてる」
ブアンプラーナ、いや、世界最大級の河川。
あそこが恐竜の巣になった。
俺は顔を顰める。
「象はどうしたんだ」
「象が川を渡れるかい?」
その通りだった。
そしてその懸念は、実は以前から抱いていた。
俺の知る限り、陸上生物の中では事実上最強の象だが、渡河の際、ワニやカバに襲われる例は少なくない。
水辺あるいは水中において、象は無敵ではない。
「心配しなくても、今のところ陸上戦ではブアンプラーナに分があるよ。……機会があれば戦場を見て来るといい。凄い光景だよ。黄金期の唐を滅ぼしたというのも頷ける」
実際、壮絶な戦いを目の当たりにしたのだろう。
ミョウガヤの目に怯えらしきものが映った。
「ただ、この国は水辺に対する防備が甘すぎた。川と、川の恵みを過剰に持ち上げるフシがあるからね」
「水上戦闘をまったく想定していなかったのか」
「そういうこと」
ミョウガヤは羊の糞でも見るような目のまま、少しだけ俺に近づいた。
「結論から言うと、王家の人間がプラチュメーク川の支流の一つに取り残されてるんだ。祭儀の時季でたまたまそこを訪れている時に霧が晴れて、橋を落とされたらしい」
「それで葦原に救援を?」
「そうだよ。助け出す相手が相手だから、本当なら『十弓』をもう二、三人連れて来たいところなんだけど、葦原もそんなに余裕は無いんだ。……誰かさんの砦が落ちたからね」
「?!!」
俺は忍者を振り向いた。
「嘘は申しておらん。援軍が到着した後、全員であの場を放棄した。だからおおむね無事と申したのだ」
「……!」
「あの場で戦えば全滅していた。そちらの方が良かったかね、九位は」
「いや、それでいい。人が残っていればまた戦える」
奪われたのなら奪い返すだけだ。
そこを占拠しているのがただの恐竜なのか、恐竜人類なのかは分からないが。
「……で、どうする九位」
ミョウガヤは俺を見上げた。
いつもそうだ。こいつは俺を見上げる。
なのに、見下されているように感じる。
「手持ち無沙汰なら手を貸してよ。君、性格は歪んでるけど腕はまあまあ立つんだから」
(……)
俺は腕を組み、言い放った。
「一位への報告が先だ」
「だから、君の情報なんて何の役にも立たないんだって」
「それを判断するのは一位だ」
たとえ数日遅れの情報でも、一位の確信を後押しし、疑念を深める材料にはなるかも知れない。
そう告げるとミョウガヤは目を丸くした。
「へえ。そういうこと言えるようになったんだ」
赤い狩衣の少年は小ばかにしたような笑いを浮かべる。
「いつもの九位なら『お前の得になることはしない』とか言いそうなのに」
実際、喉までその言葉がせり上がっていた。
だが、考え直した。
こいつは俺と同じ葦原の兵で、こいつの得は葦原の得に他ならない。
恐竜なんてものが現れた今、身内同士で足を引っ張り合っても仕方ない。
「ヒヨコの成長は早いですからなぁ」
忍者が感慨深げに呟くとミョウガヤはくすりと笑みをこぼす。
周りの四人衆は黙り込んでおり、内二人がルーヴェに目を向けていた。
俺はボロボロの狩衣を羽織り直し、少し考えた。
「……ミョウガヤ五位」
「何?」
「部隊は?」
「もちろん連れて来たさ。五十名ほど。元々そういう指示だったからね」
「……ここの国の連中は目的を明かさずに『十弓』と弓衆を呼びつけるのか?」
「……」
「王室関係だからあえて伏せていたって考えもできなくはない。できなくはないが……何かおかしいぞ」
俺は国境の方を見やった。
先ほど忍者が言った通り、葦原方面へ向かう人々の数は多いが、引き返してくる人間も相当数いる。
どうやら本当に国境を抜けるのが難しくなっているらしい。
もし要人の危機を他国に知られたくないという理由で国境の警備を厳重にしているのなら、友好国である葦原側ではなく唐側を封鎖すべきだ。
――どうも、厭な感じがする。
ブアンプラーナが上から下まで貧困に喘いでいたのは昔の話だ。
農耕技術は発展し、経済に関する様々な知見が広まった今、民衆は多少なり富を意識している。
品種改良を重ね、象用の穀物を増産する
十分に富が配分されれば、この国の民は少しだけマシな暮らしを送ることができるはずなのだ。
だが、それをさせない者がいる。
王家だ。
現王室はかなりの富を蓄え、象の管理の名のもとに民に貧困を強いている。
王子の数は十数人に及び、姫と名の付く人間も大勢いる。
皮肉なことに、その姿はかつての唐に似ているとされる。
「政治の匂いがするぞ」
「だね。……まあ、何かあるとは思うよ。ここの王室はだいぶ香ばしいからね」
でも、とミョウガヤは続ける。
「だから僕が出張る意味がある」
「弓を引けない十弓が役に立つ時が来たんだな」
皮肉を込めて言うと、ミョウガヤは目を閉じた。
「弓を引くだけで万事片付くのなら、この世に指揮官なんて必要ないね」
これに俺はかちんと来た。
「弓を引くのが俺達の仕事だ。高座でふんぞり返ってぺらぺら喋ることじゃない」
「違うね」
ミョウガヤがじっと俺を見上げた。
「僕らは兵卒より高いカネを貰ってる。貰うカネの額が違う以上、一兵と同じ仕事をやるわけにはいかない」
「そうだ。だから兵卒『以上』のことをやる。何もおかしなことはない。俺たちは一兵より強くなくちゃいけない」
はあ、とミョウガヤはこれ見よがしに溜息をついた。
「指揮官のくせに弓の腕前を褒められたがってる誰かさんは相変わらずだねぇ」
「何だと?」
「違うのかい? 君は出世して成り上がってちやほやされることが『目的』だから、いつまでも肝心なことが見えないんだよ」
「てめえは違うのか」
「ああ違うね。僕にとって出世なんて報国のための手段に過ぎない」
ミョウガヤは珍しく首まで赤くなっていた。
こいつも怒っているらしい。
「何怒ってるんだよ。追い落とされるのが怖いのか」
「ああ怖いね。九位、君みたいに志の無い野犬が要職に就いたら国は破滅だ」
「白米しか食って来なかった貴族サマは言うことが違うな」
「自分の生まれが孤児や貧乏人なら誰を罵倒しても構わないと思ってないかい? 生まれを理由に他人を貶めているのは貴族も君も同じだよ」
ぴきぴきと顔面に血管が浮くのが分かった。
四人の『花の矢』が一斉に俺を見る。
「それぐらいになされよ。大人げない」
忍者がぱんぱんと手を叩く。
「で、九位はどうされる?
「俺は俺の仕事をやるだけだ」
「であるか」
俺は地面を踏みしだくように五位に背を向けた。
「一応忠告はしておくけど、国境には向かわない方がいいよ。きな臭いのがいる」
「知ってる」
「それは差し出がましい口だったね」
沈黙が挟まる。
「武運を。五位」
「どうも。首尾よく葦原に戻れたら、他の連中にもよろしく言っといて」
俺はルーヴェを連れ、宿へと向かった。
奴の方を振り返ることはなかった。
金髪の子供が嫌いになりそうだった。
「何をカリカリしてるんだ」
シャク=シャカは個室の一つでくつろいでいた。
五人を収めるには小さすぎる部屋だったが、家具が壺一つしかないので横になればどうにか眠ることはできそうだ。
「あの
「いや。十弓に遭いました」
「同僚じゃねえか」
「好意的に解釈すれば」
「ワカ」
それまで黙っていたルーヴェが俺の脇腹をつついた。
「何だ」
「『にんじんや』ともうちょっと話していい?」
「? ……人参……何だって?」
「忍者だろ」
こく、とルーヴェが頷く。
「それは構わないけど……毒舌でも覚えに行くのか?」
「わたし、武器合ってない」
ちらとルーヴェがシャク=シャカを見た。
唐の剣士は焼いた小魚を真っ赤な粉末の皿に浸している。
「ああ。合ってねぇよ。お前の体格でその剣は無茶だ。もうちょい小ぶりの方がいい」
「ん」
短い肯定の後、ルーヴェは俺を見た。
「わたし、弱いのはいや」
「そりゃ弱いより強い方がいいだろうけど……」
「いいじゃない。弱いと、しぬしかない」
そこには過酷な冒涜大陸で生きてきたルーヴェにしか込めることのできない重みがあった。
弱い者は死ぬ。
それがあの土地の唯一にして絶対の掟だった。
ルーヴェはその土地に適応し、生き抜いてきた。
霧が晴れた今、彼女は世界の広さを知った。
シャク=シャカもそうだし、恐竜人類もそうだ。
フソン=ブソンや忍者の腕前も彼女は見抜いている。
極めつけは先ほどの四人衆。
か弱い子供が暴力を盾にしている光景はルーヴェにとってある意味、衝撃的だったに違いない。
霧のこちら側では『強さ』が売り買いされ、値をつけられている。
「にんじんやと話してくる」
「ああ、そうしたければ好きに――――?」
俺は左右を見渡した。
あの特徴的な佇まいが見えない。
「シャカ。シアは?」
「先に手続きするって行っちまったが」
「!!?」
「何ぶったまげてるんだ。そりゃ、お前と違って北国まで帰るわけだからな。書く書類の量も違――おい」
俺は階段を転げ落ちるように駆け下りた。
まずい。これは良くない。
葦原へ続く国境側では不穏な動きがある。
忍者は『取り調べ』と言っていたが、実のところ何が行われているかなんてわかったものじゃない。
権力者のやることだ。
別に市民を無差別に害そうとしているわけではないはず。
だが、俺たちは唐側の国境から入国して以来、ずっと『尾行』されていた。
市民として扱われる可能性は低い。
(クソっ! 人里に入ったからって気を抜き過ぎなんだよあいつ……!)
街路に飛び出すと、窓からシャク=シャカが身を乗り出していた。
「どこ行くんだ?」
「ルーヴェをお願いします!」
俺は弓を担いで駆けた。
戦闘中ならまだしも、道を走るのに葦原の弓は不便だ。
何せ俺の身の丈より弓の方が大きいのだから。
大通りから小道に入った俺は見通しの良い街路の向こうに石造りの講堂らしき建物を認めた。
出入国を管理する建物は一部の人間を拘束するようにも作られているため、兵も詰めているし、象の姿も散見される。
俺は出入国管理所へ向かう道を駆けた。
人通りは激しく、体を横にして人をかき分けなければ進めないほどだ。
「シア! おいシア!」
老人。子供。傭兵。老人。男。女。
中年。禿頭。女。物売り。戦士。老人。子供。
童顔。花売り。水売り。老け顔。厚化粧。
俺は人の波に飲まれながら、目につく人々の人相を確かめた。
シアの姿は見えない。
「く、そ。すみません! どいて!」
国境へ向かう人間より、戻って来る人間の方が多い。
俺は緩やかな川の流れに乗ったかのように押し戻され、その度に人をかき分けて前へ進む。
「!」
黒い後姿が見えた。
スリットドレスに蝋燭の炎のような髪。
間違いない。オリューシアだ。
彼女は既に管理局に達しており、その荘厳な佇まいをぼんやりと見上げている。
「シア! おいシア! 戻れ!」
俺は手足を突っ張ったが、間の悪いことに唐人の一団が押し寄せた。
赤い目の人々は遠慮なく人々を押しのけ、べちゃくちゃと大きな声で話しながら俺を押し戻す。
「おい邪魔だ! 邪魔だっつってんだろ!」
俺の怒声にも唐人は一切億さなかった。
いっそ矢を射るかと思ったが、この混雑具合では弓を構えることもできない。
そうこうしている内にシアの姿が講堂内部へ消えた。
入口に立つ禿頭の兵が木板に何かを書き込んでいる。
「ああ、もう!」
俺はどうにか人の波を逃れ、シアを追って管理局へ飛び込んだ。
中は思った以上に広く、靴音が反響するほど天井の高い構造だった。
受付には穏やかな顔の禿頭たちがぞろりと並ぶ。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
輪唱かと思う程似た声音で男たちが告げる。
「本日のご用向きは出国でしょうか。急な手形の発行は――」
「ご用件をお伺いします」
「お手洗いはあちらの方に」
「オリューシアって女が来なかったか?!」
三人の男たちは顔を見合わせ、一斉に奥の部屋を示した。
そこは象が通れるほど大きな青銅の扉が設けられており、体格の良い男たちが護っていた。
俺は少し躊躇ったが、構わず扉に駆け込んだ。
ばあん、と大きな扉を開け放つ。
「シア! おい!」
中には。
――誰も居なかった。
「?!」
面食らう俺の肩を誰かが叩いた。
矢を番えながら振り向いた俺は、禿頭の男を見上げていた。
背が高く、穏やかな顔立ちの男だった。
「ごきげんよう。葦原の方」
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