第2話 2

 

 ラプトルは見知らぬ土地に放り込まれた子供のようにきょろきょろと辺りを見回している。

 奴は歩き出そうとしたが、その足はもつれかけていた。


「ワカツ九位。あれが盗竜ラプトルです」


 俺に続いて窓辺に駆け寄ったオリューシアが刺々しい声で告げた。


「だから言ったでしょう。早く退避しないと――――」


「大将!!」


 濁った男の声が俺を正気に引き戻す。

 草地で骰子さいころを振っていた男たちが立ち上がり、太刀を引き抜くところだった。

 鞘を口で咥えて刀身を抜く奴、ぎらつく刀身を肩に担ぐ奴、誰もが臨戦態勢に入っている。


「ありゃぁ何だ?! 斬っていい奴か?」


 ふ、と俺は嗤う。


「ああ、斬っていい奴だ! 早い者勝ちだ! 討ち取れ!」


「九位何を――」


 きりりり、と。

 俺は既に弦を引いていた。

 矢羽が頬に触れる。


「――――俺の後で良ければな」


 びいん、と弦が鳴る。

 一直線に飛んだ俺の矢はきょろきょろしている恐竜の頭を正確に――――



 ラプトルと目が合う。



(反応した!?)


 側頭部を狙った俺の矢は盗竜の右目に突き刺さる。

 どっと頭部をのけ反らせた恐竜が、ぎぃぇ、と濁った悲鳴を上げた。


「……おい、ワカツ。今あいつ」


「ああ。矢に反応した」


 目が良い。

 鳥類や哺乳類に近い反応速度だ。


「首をもぎ取れっっ!!」


 トヨチカが叫ぶまでもなく、既に四人の太刀衆がラプトルに襲い掛かるところだった。

 俺の見立て通り、恐竜は夢から覚めたばかりのように呆然としており、抵抗らしい抵抗は無かった。


 瞬く間に白刃が煌めき、まず危険な前足が切断された。

 ぷしっと舞う血しぶきが地に落ちるより早く、目玉が潰され、後足が切り落とされた。

 おそらく感覚を取り戻したのだろう。ラプトルは四肢をばたつかせた。

 が、時すでに遅かった。荒くれ四人は恐竜に覆い被さり、思い思いに刃を突き立てる。

 ぐじぐじと湿った肉がほじくられ、血煙が漂った。


「何て野蛮な……」


 オリューシアが口元を手で覆う。


「獣相手に野蛮も何もないだろう。名乗りでも上げれば良いのか?」


「ワカツッ!」


 鋭い声。

 言われるまでもなく、俺も気づいていた。


 霧の中から新たに三つの影が飛び出した。

 鞭のごとく尾がしなり、つるりとした頭部が左右を見渡している。

 浅緑色の恐竜たちはまだ夢うつつのようだったが、徐々に周囲を睥睨する首の動きに力が入り始めていた。


 三頭。

 ラプトルが、三頭。

 血が逆流し、指先が凍る。


 ガシャガシャと背後の重装歩兵が階下へ向かう。


「……よっしゃ」

「獲るぜ大将ォ」


 血を浴びた太刀衆が腕を回し、腱を伸ばしながらそろそろと恐竜へ近づいていく。

 怯えている者は誰一人いない。

 つまり、冷静な者が誰一人いないということだ。

 俺は窓から身を乗り出し、叫ぶ。


「太刀衆は動くなっっっ!!!!」


 男たちは不満そうに俺を見上げたが、その足は止まっていた。


「ああいう手合いは遠くから射殺すに限る! 弓衆!」


 真上、つまり三階の歩廊には既に射手が駆け付けつけていた。

 行燈に似た形の箙(えびら)が並べられ、次々に矢が手に取られる音。


「射かけろ!」


 俺も窓枠に足を掛け、既に二射目を番えていた。

 三頭のラプトルのうち一頭が我に返り、俺の方を見上げている。

 そいつは首を動かし、飛来する矢の一本をひょいとかわした。


(良い目をしてるな……!)


 俺は弦を鳴らした。

 今度の矢はラプトルから見て大きく左に逸れた位置へ向けて飛ぶ。


「! ワカツ九位、狙いが――」


 トヨチカがオリューシアを手で制した。

 そう。俺は何も毒矢の力で成り上がったわけではない。


 ぐいん、と中空で矢が曲がる。

 矢羽を左右非対称に組み合わせ俺の矢は、一定以上の速度に達すると大きく曲がる。

 反射に優れた恐竜だろうと、盾を構えた歩兵だろうと、事前に知らない限りはかわせないし、防げない。『蛇の矢』などと呼ばれている。


 首元に矢を喰らった盗竜は身をのけぞ反らせ、濁った悲鳴を上げる。

 だが俺は歯噛みしていた。


(浅い……!)


 矢は奴の首に突き刺さっていたが、の八割ほどが見えていた。

 鱗だ。硬い鱗に阻まれて矢が深く刺さっていない。


「硬いな」


「ああ。だが――――」


 もう関係ない。


 ぎィ、とラプトルが呻き、足をもつれさせる。

 痛みによる苦悶ではない。鏃の毒が効いているのだ。


 恐竜はその場でよろめき、ぶんぶんと激しく身を揺すった。矢を外そうとしているのだろう。

 だが、無駄だ。

 俺のやじりには紋様型にくり抜かれた『透かし彫り』が入っている。

 獲物に突き刺されば収縮した筋肉が穴に巻き込まれ、抜けなくなる。

 毒もここに塗り込んでいるので塗布した分量すべてが血中に流れ込む。


 ラプトルは見る見るうちに体勢を崩した。

 すかさずトヨチカが身を乗り出し、三階に向けて怒鳴る。


「弓衆! 何ぼやっとしてる! ワカツが全部持ってっちまうぞ! 射殺せ!」


 ぱらぱらとまばらに飛んでいた矢が呼吸を揃え、篠突く雨さながらに降り注ぐ。

 さしものラプトル達もこれはかわせなかった。

 俺の毒矢で怯んだ一頭が瞬く間にあの世へ送られ、続く二頭も胴や顔を射抜かれる。


「今だ!! 太刀衆! 突っ込め!!」


「槍三……いや四本の距離を保て! 切っ先で挑発しろ!」


 太刀を構えた男たちが背中で俺に真意を問う。


「そいつらが跳ぶのを待て! 着地した瞬間を狙え!」


 応、応、と方々から声が飛んだ。

 今や砦の中からは増援が現れ、二頭のラプトルを囲む男の数は十数人に及んでいた。

 荒くれたちは暴漢を囲む警邏のごとく距離を取り、切っ先で盗竜を牽制している。


 ぎえ、ぐえ、と距離を測っていた盗竜はしびれを切らして飛びかかった。

 すかさず太刀衆が後躍し、着地したラプトルの脚に無数の斬撃を浴びせる。

 ギエっと苦し気に呻いたラプトルはその場に倒れ――――あっという間に首を切り落とされた。


 最後の一頭は逃げ出すような素振りを見せたが、弓衆の放つ矢がその足を止めた。

 そして俺の放った毒矢がその後頭部に突き刺さる。

 数十秒後、浅緑の巨体がどうと地に臥した。


「……片付いたか」


「肝が冷えたな」


 腕を組むトヨチカの顔にはいつもの寛濶かんかつでふてぶてしい笑みが戻っていた。


「勝手に殺っちまったが……どうする? 民部省みんぶしょう宛の報告なんて上げたことが無えぞ」


「どうせ学者が出て来る。式部しきぶ宛でいいだろ」


 と、オリューシアが俺の肩に触れる。

 物わかりの悪い子供を諭すような声音。


「ご理解いただけましたか」


「……」


「意地を張られるのは構いませんが、この場は危険です。ただちに」 


「た、大将ッッ!!」


 太刀衆の声は悲鳴に近かった。

 首を巡らせ、数十歩先を見た俺は絶句する。


 水草のように揺れる尾が、六本。

 くりりとした瞳が、十二。

 六つの鳥頭がこちらを見上げている。


 六頭。

 新たに六頭のラプトルが霧の中から飛び出した。


(いや、違う――!)


 六頭は左右を見渡したりはしていない。じっと俺を見つめ、しっかりとした足取りでこちらに近づいてくる。

 明らかに「感覚酔い」から覚めている。

 おそらく俺たちからは見えない場所に飛び出し、そのまま息を潜めていたのだろう。


「……っ」


「嘘だろ。何頭居やがるんだあの奥に……」


 一頭が地を蹴った。

 と、ととっ、とととっ、と異国の舞踏さながらの軽やかさで見る見る距離を詰める。


「射殺せ!」


 俺は既に一射を放っていた。

 弧を描いた征矢そやが一頭の側頭部に突き刺さり、その足を止める。

 他の五頭は五つ子のごとく一斉に仲間の様を見、くわあっと吠えた。


 巨躯からは想像もできないほどの速度で奴らは砦へ向かって来る。

 弓衆の放つ矢は盗竜が二秒前に踏んだ土に突き刺さり、矢羽を揺らしていた。


(速すぎる!)


 まるで騎馬だ。

 正確に二秒後の位置を予測しなければまず当てられない。

 しかも相手は反射速度に優れ、体表は鱗に覆われている。


(まずい……!)


 ここは外敵の侵略を想定した砦ではあるが、装備と練度は不十分だ。

 現に非常時と見るや皆一斉に弓を取り、物見に立つ者すらいない。

 だが――


「ワカツ九位。兵を戻してください」


 オリューシアだ。

 彼女は氷のような美貌に冷たい汗を流している。


「籠城しましょう。この砦の狭い通路なら、ラプトルを迎撃するには打ってつけです」


「ダメだ。あの数相手にそれはできない!」


「な、なぜです?!」


「丘一つ越えた先に人里がある」


 頬を張られたように女軍人が口をつぐむ。


「ここを抜けられたらもうおしまいだ。あんな生き物が野に放たれたら、もう誰も止められないぞ……!」


「ワカツ、俺も出るぞ!」


 トヨチカが太刀を咥え、窓から跳んだ。

 石の庇に飛び乗り、転がるようにして最前線へ。


 槍四本の距離などしゃらくさいとばかりに、瞬く間に一頭を切り伏せ、返す刃で二頭目に襲い掛かっている。

 噴き上がる鮮血を前に太刀衆も己の本分を思い出した。

 盗竜と太刀衆が入り乱れ、土はめくり上がり、血と鱗が飛び散る。


「弓衆! 狙い手前っ! 砦に張り付く奴を殺せ!」


 俺は自らも弓を引いたが、状況は絶望的だった。

 この砦の太刀衆はいずれも劣らぬ荒くればかりだ。猟師崩れや山賊崩れ、元殺し屋なんてのもいる。こと荒事に関する限り、都の連中より一枚も二枚も上手だ。

 だがそれは所詮人間相手のいくさに過ぎない。


 太刀衆の一人が悲鳴を上げた。

 血しぶきが上がり、革の腹巻が飛ぶ。


 砦に達したラプトル達が跳び上がり、壁面にがりりりと爪を立てた。

 ひいっと数人の弓衆が腰を抜かし、矢を取り落とす。


 また一人の太刀衆がラプトルの爪を浴びた。

 ぱっくりと開いた腹からはらわたがこぼれだし、男は慌てたようにそれを拾い、腹に戻そうとしている。

 三階から真下へ矢を放つ弓衆の動きも恐怖に精彩を欠き始めた。

 クオ、クウォ、と吠えるラプトルたちは俺たちの非力さをあざ笑っているかのようだった。


 矢を避けるべく窓から身を引いた俺は奥歯を噛んだ。


(……まずい。このままでは――)




「整列!! 突撃特化攻勢陣形ランツォ・グラツィオ!!」




 がちゃちゃちゃ、と二十人ほどの黒騎士が鏃の形に整列するのが見えた。

 あまりにも美しい幾何学系に俺は息を呑む。


 すう、と俺の傍に立つオリューシアが息を吸う。


「殲滅せよ!!」


 ウラアアァァァ!!と黒騎士が吠える。

 砦に取りついたラプトル達が振り返り、たじろぐほどの怒号だった。


 クオ、クウォッと吠えた数頭のラプトルが一斉に騎士の一団へ飛びかかる。

 後足で地を蹴り、四肢を前方に突き出しながらの跳躍。

 あんなものに襲われれば生身の人間などひき肉にされてしまうだろう。


 だが黒騎士の軍団は斜め上方へ向けて一斉に剣を振り上げた。

 更に次の瞬間、振り上げられた剣が二倍ほどにも伸びる。


(細工剣……!)


 槍衾やりぶすまに飛びかかった二頭のラプトルのうち一頭が串刺しにされた。

 剥がれた鱗が散り、枝を伝う雨粒のごとく大量の血が剣身を流れる。


 一頭は器用に身をくねらせて回避した。

 が、着地点にトヨチカが待っていた。

 奴は逆手で太刀を握っており、鳥足が接地するや否や地面すれすれを薙ぎ払う。

 すぱっと片足が切断され、ラプトルが姿勢を崩す。待っていたとばかりに太刀衆が殺到し、手足も首も区別なく残獲した。


 魚群のごとく編隊した黒騎士が残るラプトルに突撃する。

 盗竜は確かに巨体の持ち主だが、エーデルホルンの騎士は大人一人分ほどの重量がある全身甲冑に身を包んでいる。

 その兵が集団で押し寄せるのだからひとたまりもない。

 最後の盗竜は黒い鎧波に押し流され、やがてとぷんと飲み込まれた。

 すべてが終わった後、そこには口から臓腑を吐いた恐竜の死体だけが残されていた。


「失礼。勝手をしました」


 オリューシアは素っ気なく言い放った。

 俺は彼女への不信の情を拭えないままだったが、頭を下げた。


「……感謝します。助かった」


「ワカツ! どうする」


 血に濡れた刀を担ぐトヨチカが叫んだ。


「一旦砦に戻れ! 負傷者を連れて来い!」


「その後は?!」


「文官と非戦闘員を馬車で逃がす! 戦える者は残す! 増援が来るまで持ちこたえるぞ!」


 なおも戦えることに太刀衆たちが歓喜の雄たけびを上げた。

 長い僻地暮らしで鬱屈としていた彼らにとって恐竜の襲来は決して恐ろしいだけのものではないらしい。


 だが、と俺は表情を曇らせる。


(騎士がいなければ負けていた……)


 無様な話ではあるが、それは疑いようもなかった。

 革鎧に身を包む葦原の武士はラプトルの爪を――




 かたた、と。

 何かが揺れた。




「?」


 俺は音の在り処を探り、つい先ほど空にしたばかりの小瓶を見た。

 野菜の詰まっていた瓶には甘い汁が残っており、その水面に小さな波紋が立っている。



 かたた、と。

 また瓶が小さく震える。

 新たな波紋が水面に立った。



 オリューシアが首を傾げ、俺に目で問うた。


「地震ですか?」


「いや、これは――」



 どおん、と。

 爆発音にも似た音が、確かに聞こえた。


 上ではない。下でもない。

 これは――霧の向こうからだ。



「!」


 天井の蓋が開き、黒装束の忍者二人が舞い降りた。

 一人は俺に、一人はオリューシアに飛びつく。

 その肩越しに、俺は見た。


 白波を割って現れるクジラのごとく、深い霧の向こうから一体の恐竜が現れる。

 その目は砦の二階と同じ高さにあり、ごつごつした肌は赤土色だった。

 見たこともないほど凶悪な顔をしたそいつは、高らかに吠えた。




 ごろろろろ、と。

 遠雷のごとき咆哮が響き渡る。




 次の瞬間、奴はこちらに肩を向け、砦に体当たりを食らわせた。

 積み木細工のごとく足元が崩落する。

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