短編
千佐
春一番
雨が降っているのにあたたかい。水分過多な空気は、吸い込むと身体じゅうをぐずぐずと巡っては蝕むようで、そっとひとつため息をついた。
駅のホームで、別れようって言った。里佳子は、うん、って答えた。わかった、サトミがそうしたいなら、って。
伊勢崎行きの電車が来て、ふたり並んで座る。
ふたりとも何も喋らないのは、別れ話の直後だからじゃなくて、わたしたちはいつもこうだった。何にもしなくても里佳子はわたしを隣に置いてくれたし、わたしも喋らない里佳子がすきだった。
向かい側の窓が薄く開いていて、吹き込んでくる湿った風が、里佳子の短い髪をさわさわと揺らす。
里佳子に告白されたのは去年の夏で、それから半年と少し、わたしたちは手を繋がなかったし、キスもその先もなかった。きっと、お互い気の迷いだったのだ。同性と付き合うだなんて、終わりのはじまりみたいなこと。
「春一番って、どうなったら春一番なんだっけ。」
前を向いたまま里佳子がつぶやいた。
「知らない。なんか、風速がどう、みたいなのじゃなかった?」
次は国定。間延びした無機質なアナウンスではっとした。里佳子が降りる駅だ。
色んなことを知らないまま大人になってしまった。大人ってなんなんだろう、なんて道徳の授業みたいに陳腐なことを考える。わたしたちはどうなったら大人なんだろう。成人したら?処女を捨てたら?子供を産んだら?
足りないものの多さに眩暈がする。このままじゃきっと、わたしは何者にもなれない。
「じゃあね、サトミ。」
電車のドアが開いて、速い風が短く吹いた。傘を持って立ち上がった里佳子に、気づかれないよううつむいて、わたしは少しだけ泣いた。
短編 千佐 @ihcmai
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