源八 卅と一夜の短篇12回
白川津 中々
■
指が掛かった引き金を国民中が息を呑み見守る。
人質を殺すか否かでトトカルチョが始まり、イギリスのブックメーカーまでもが参加する始末。倫理観は何処へやらといった様子だが、元来人間とはそういうものなのかもしれない。ともかくとしてそういう具合になっているのだから是非もないだろう。
事の発端は一週間前。銀行強盗に入った男が一人。名を倉田源八というのだが、この源八がとんだ間抜けであった。逃走する手立てを持たぬまま突貫するし、金を入れる鞄の底は抜けているし、凶器は錆びた出刃庖丁のみで手の震えは隠せていない。また銀行職員は薄情者揃いであり、刃を向けられた女の受付をよそに全員が脱兎の如く逃げ出す始末。世の無常である。滅法気の弱い源八はそれを止めることもできず、どうする手立てもないまま女に刃を突き付けるのが精一杯だった。
ここまでなら源八の不手際のみであったのだが残念な事に彼は運が悪かった。人質に取った女は気狂いであり、「そんななまくらじゃ格好がつきませんわ」と腰からパイファーツェリスカを取り出し源八に渡したのである。象狩り用ライフルの銃弾を用いる世界最強のハンドガンである。「装填してあげます」と、机に置かれたチューインガムのボトルボックスから弾丸を取り出し慣れた手つきで銃を扱う女に源八はたじろいだ。
「さぁその巨大で力強いハンドガンを私のこめかみに突き立ててください。そして外に向かって叫ぶのです。この美しい女の頭蓋を粉々にするぞ! と」
言われるがまま源八は女に銃口を向けた。それが何日も続いた。食事は定期的に届けられたが、寝る暇もなく不眠不休で銃を構えるのはさすがに辛そうである。時折意味不明な笑い声が源八から漏れるのをみるに、精神的限界が近付いていることがうかがえる。銀行強盗ながら同情の念を禁じ得ない、哀れな姿だ。
「明日の正午に女を殺す!」
八日目の夕暮。片手で握り飯を頬張りながら源八は声高らかにそう宣言した。心身の無理が祟ったのだろう。顔はヤケクソ。声ははちゃめちゃだった。野次馬はどよめき、テレビ中継を観ている全国の茶の間では酒の肴となった。
そして翌日。会社や学校は休みとなり、人々はこぞって源八の動向を見守る。「どうせ口だけだろう」「いいやあいつはやるね」と、みな口々に勝手を喚き、それを観ていた人質の女は艶やかな微笑を浮かべるのであった。
正午五分前。男は銃を回したり銃口を中継車に向けたりするパフォーマンスで場を盛り上げた。刻一刻と迫る時間。固唾を飲み込む群集。その時某国から日本に向けて核ミサイルが発射されたのだが、それを知る者は誰もいなかった。
源八 卅と一夜の短篇12回 白川津 中々 @taka1212384
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます