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 後から考えれば、それは虫の知らせだったのかも知れない。その日、詩緒里は学校が終わってから、たまたま結城医院へと足を向けていた。

 普段、詩緒里はそれほどここへ顔を出さない。何故なら、心に病を抱えた人達が多く集まる場所だからだ。それは人の心を直に感じ易い体質にとって何かと厄介やっかいだった。

 それなのに、こうして医院へと来たのは妙に胸が騒いだせいだ。今日一日、授業を受けていても、部活をしていても、天気の悪い日に古傷が疼くように落ち着けなかった。

 いつもと空気が違う。波が荒れている。そんな気がした。

 それで、いつになく兄や義父に相談しようと考えたのだ。

 部活を早めに切り上げ、学校を出た。そのおかげで、陽が落ちる前には結城医院にたどり着いていた。

 しかし、玄関をくぐろうとした所で詩緒里ははたと足を止めた。中からおかしな気配の出て来るのを感じる。それは知っている人の物だ。だが、明らかに普通ではない。

 そうしている内に自動ドアが開く。

 出て来たのは予想通り悠一だった。いつものブレザーにいつもの眼鏡。おとなしい雰囲気も、俯き加減の歩き方も、一見いつもと変わり無い。

 玄関を抜けて、相手も詩緒里に気が付いたらしい。ふと顔が上がり、目が合った。光を反射した眼鏡のレンズが淡々とまたたく。

 だが、それだけだ。

 それだけで、悠一は再び視線を落としながら歩き始めた。驚きも警戒も怯えも浮かべず、まるで関心なく詩緒里とすれ違って往来おうらいに向かう。

「待って」

 咄嗟とっさに手を出して悠一のひじを掴んだ。さすがに足は止まり、こちらを向いた。その黒々とした瞳がのっぺりと詩緒里の姿を映す。

「どこへ行くの?」

「どこへ? ・・・さあ、別に」

 まるで難しい質問に答えるみたいに、のろのろと口を開く。声がこもって聞き取り難い。

「ちょっと待てば兄さんは会ってくれる。だから、少しだけ待って」

「・・・・・・」

「あなたは今、まともな精神状態じゃないから」

 波に疑問の響きを感じて理由を答える。しかし、そこで強い揺らめきが起こる。

 悠一がぼそりと呟いた。それは拒絶の意志。

「ヤメロよ」

「・・・・・・・」

 小刻みに震え、悠一が思い切り腕を振り払った。その激しい動きに、詩緒里の手はあっさりとはががされる。

「アンタに、何が分かるんだよ!」

 抑えた声が低くえる。

「人の心が分かるみたいに言いやがって。そんなヤツにオレの気持ちが分かるかよ。オレの事なんか誰にも分かるはずないんだ」

 その論理は支離滅裂しりめつれつだと思う。表面的には矛盾むじゅんしている。

 だが、詩緒里はそれに反論できない。それが真実だからだ。詩緒里は他人の心の動きを誰よりも感じられる。だが、だからこそそのせいで他人の気持ちが分からなくなった。

 二人は無言で対峙たいじした。いつまでも交わすべき言葉を見付けられないまま。やがて、悠一が踵を返す。詩緒里はそれ以上、引き留める術を持たなかった。

 離れ行くその先で、太陽がそろりと傾いた。

  



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