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こんな風に人との関わりが怖くなったのはいつからだったか。
それでも、今ほど他人を避けていた訳では無い。それはいつも菜穂が助けてくれたからだ。母親同士が妊婦向けの講習で出会って以来の付き合いであるこの幼馴染は、明るく活発で友達も多かった。その力を借り、悠一も周りに受け入れてもらったのだ。そこを足掛かりとして、悠一なりに大人しい者同士のコミュニティを持ってもいた。
目立たずも、穏やかに過ごせていたのだ。
それすら難しくなったのは、中学二年生の二学期。あとひと月ほどで冬休みになろうかと言うある日の放課後だった。
ホームルームが終わって担任が去り、教室がざわつき始めていた。そこで悠一が帰り
その男子とはこれまで同クラスである以上の交流は無かった。悠一はもともと人付き合いが苦手だし、相手も
そんな相手が自分に何の用だろうと、その時の悠一は暢気に構えていた。クラスの中心では無いものの、独特の地位を築く人物だ。悠一のような半端な生徒には縁も用も無い。相手は正義感も強く、いじめに加担するタイプでもないのだ。
戸惑う悠一は、ほとんど有無も言えぬままその男子生徒の席まで連れて行かれた。そこで、思いもしない話を聞かされる。
気付けば、周りには何人かの女子生徒が控えている。ある者は
全くの晴天の
だが、突如そう迫られ、混乱していた悠一は全くまともな受け答えができなかった。ただ詰まり詰まり「知らない」を繰り返す。
相手は「本当か?」と疑わし気に顔をしかめる。その上で、更に状況を説明した。
女子達の話によると、数日前の昼休み、講堂の二階でスマホのカメラを向けている悠一が、教室から見えたと言うのだ。その時、教室は体育の後で数人の女子が着替えに使っていた。そこで盗撮が疑われ、他にもひと気の無い所で悠一がカメラを使っているのを見たとの証言が集まったらしい。それが尚怪しいと噂になった。
そう聞いて、思い出す。確かに、女子達の言う日、悠一は講堂で写真を撮っていた。ただ、それは単純にそこの風景が気に入ったからで、盗撮が目的ではない。と言うか、そもそも女子が教室で着替えているなど今の今まで知らなかった。また、他の証言にしても、ただひと気の無い場所が好きだったから、それで写真を撮っていただけなのだ。
そう説明しようとする。けれど、普段から喋るのが苦手な悠一は、緊張で余計に言葉が出ない。しどろもどろに断片的になるばかりで、怖がって俯いてさえいた。
その態度は相手を苛立たせ「もうちょっとはっきり言えって」「声小さい」と更に責められる。そうなれば、もっと
「なあ黒木、オマエ、ほんとにやってないならスマホ見せろよ」
悠一には
「やっぱやったんだ」
「マジキモイ」
「ヤバイ」
「サイテー」
「ノゾキだって」
「いかにもって感じじゃん」
「早く自白しろよ」
スマホを出さないのを見て、周りからそんな
「ちょっと、あんたら何やってんの!」
唐突に、その空気を怒声が貫いた。
見れば、教室の入口から人波を
「これ何なのさ」
「はぁ? オマエにゃ関係無いだろ」
突然の
その姿を悠一はすがるように見た。やはり、菜穂は悠一を信じてくれるのだ。周りが皆、敵になってさえ、味方になってくれる。
菜穂とは別のクラスだった。それでも、騒ぎを聞き付けたのか、わざわざ助けに来てくれたのだ。菜穂は自分を大切にしてくれている。そう思えた。
「ユッチはそんなコトする子じゃない!」
「はん、どうだか」
あれこれと
「しないよね?」
その細い目が、問いかけ、すがり付いて来る。ちらと光を反射した瞳の奥には
はたと悠一の心臓が強く跳ねる。その揺らめく陰の持つ意味が胸の奥の一番深い所で翻った。そのまま、微かな音を立てて突き刺さる。
「ユッチ?」
束の間、呆けた悠一に菜穂が呼びかけた。声が強張っている。それで正気を取り戻した悠一は、何とか首を縦に振った。
しかし、当然、相手がそれで引き下がるはずも無い。とにかくまずはスマホのデータを見せろと繰り返す。菜穂も、そこは無理に争わなかった。
「ねえユッチ。腹立つけどさ、証明するためだから。大丈夫だよね?」
元より、悠一も抵抗したいのではない。悄然としつつも、ポケットからスマートフォンを取り出す。そうして、言われるままにロックを解除すると、菜穂を経由して相手に渡した。
クラスの視線が一斉に注がれる中、男子生徒はスマホを操作する。こちらからは見えないが、恐らくアルバムやフォルダを開いているのだろう。
そうして数分が経った。相手は周りの女子とも相談しながら調べていたが、結局、最後に難しい顔をしたまま首を捻った。何も見付からなかったのだ。
それは当然だ。端から悠一は盗撮などしていないのだから。
待ち飽きたのか、傍観していたクラスメート達も小声で囁き合っていた。その騒然とし始めた中で、男子生徒は
「ほら、何にも無かったじゃん」
「その中には、な」
その不服気な返答には含みが有る。男子生徒は再び疑いの眼差しを悠一に向けた。
「なあ、データ消してないよな?」
その時の感覚をどう例えれば良いのか。頭の中で雷光が閃いて、何もかもが反転するような、ネガとポジが入れ替わるような。
気が付いた時には、硬く鈍い音が響いていた。同時に、何かの欠片が悠一の頬を掠めて飛んで行く。転がるスマートフォンは、床を滑って近くの椅子の脚へとぶつかった。
「違うっつてんだろ、このクソヤロウ!」
絶叫。静寂。
騒めきが止んで誰もが唖然としていた。目の前の男子生徒は反射的に避けようとした姿勢のまま固まり、背後の女子達も硬直している。菜穂ですら言葉を失って目を点にしている。
肩で息をしている悠一の
訳が分からない。何も考えられず、コントロールも出来ない。不意に込み上げて来た熱く暗い感情に、震えながら
耐え難くなり、悠一は教室を飛び出した。
そこから先の事はよく憶えていない。悠一はいつの間にか、自分の部屋で布団の中に潜り込んでいた。
菜穂は壊れたスマホを拾って追いかけてくれたらしい。だが、悠一は全然気が付かなかった。後日、母が預かっていたスマホを渡されて、初めてそれを知ったのだ。
次の日になっても、悠一は部屋を出なかった。未だ感情の整理が付いていなかった。当然、学校にも行けない。あんな風に疑われてまともではいられなかったし、爆発した自分を同級生がどんな目で見るかと思うと怖かった。それは次の日も、その次の日も変わらなかった。
閉じこもった悠一に、両親は驚き、悲しみ、不安がった。だが、その経緯をどう説明すべきか分からなかった。ただ放っておいて欲しくて、とにかく拒絶していた。
担任や菜穂も訪ねてきたが、それでも
やっと落ち着いて来たのは、
しかし、やはり学校には行けないまま、いつの間にか冬休みがやって来ていた。
悠一が再び学校に行くようになったのは、その休みが明けてからだった。と言って、それは立ち直れたのでは無かった。ただ、このまま学校に行けず、置いてけぼりを食らうのが怖くなっただけだ。
気掛かりは、周りがどんな反応をするか、だった。あんな事件があり、引きこもった悠一はどう見られているのか、どう思われているのか。想像するだけでも怖かった。
結果から言えば、それはタブーだった。事件については表面上誰もが口を閉ざし、悠一にもなるべく関わろうとしない。盗撮疑惑も、グレーとして処理されている雰囲気が有った。
そうして、もともと友達の少なかった悠一は、属していたコミュニティでも立場を失った。
唯一の例外は菜穂だ。彼女だけは、以前と変り無く悠一に接しようとしてくれた。何かと気にかけ、声もかけてくれた。
だが、悠一の方が無理だった。その優しさが息苦しくなり、距離を取るようになった。それまで「なっちゃん」と呼んでいたのも「今井さん」に変わった。
悠一は人と関わるのが怖くなっていたのだ。誰もが自分を疑っているのではないか。自分を信じてくれないのではないか。そう思えて仕方が無かった。
もちろん、菜穂は違う。距離を置きつつも、それだけを拠り所にした。
他人との関わりを作れなくなった悠一は、その後の中学時代を岩か孤島のように過ごした。それから、何とか高校には進学したものの、相変わらず社会の円に入れない。
そんな状態を自分でもマズいと思ってはいる。また、それ以前に苦しくもある。時々、自分の在り方が虚しくて仕方なくなり、空っぽだと感じる。普段は気にしていないのに、不意に沸き上がって来る。こんな気持ちが一生続くなら、それはゾッとしない。
にもかかわらず、次の一歩を踏み出せない。
それは何故なのか。
悠一自身が悪いのだ。
立ち直るための手は差し伸べられている。中学時代も担任が何かと世話をしてくれたし、今も村中が気にかけてくれている。高校生になってからは、教室にいると無視されているでもなく、声をかけて来るクラスメートもいる。何より、いつだって菜穂がサポートしてくれる。
そう考えれば、悠一には人間関係を作る上で不利な
要するに、よくある環境なのだ。特別の不利も不幸も無い。
そうして、外に因子が無いなら、内に有ると言わざるを得ない。悠一は、成績も身体能力も容姿も普通だから、つまりは性格の問題なのだ。
それで立ち直れないのであれば、他人から見れば
所詮、あの盗撮疑惑や事件はキッカケでしかない。そもそも、そんな疑惑を招いたのも自分自身の
人間関係の不在はどこまでも身から出ている錆なのだ。
それでも悠一にとって救いなのは菜穂の存在だろう。あの幼馴染がいるから、まだ何とか人とのつながりに希望が持てる。空虚を和らげてくれる。
菜穂がいる限り、自分は本物の空っぽにはならない。自分は本当に――
――本当に空っぽではないのだろうか?
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