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 赤い、赤い、赤い。

 燃えるような夕日が階段を照らしていた。それを更に強める異色の桜も舞い踊る。

「これが、いつも黒木君の見る夢の風景?」

「は、はい。そうですけど・・・」

 頷きながらも、悠一は内心で驚嘆きょうたんしていた。

 いつもと同じ階段。いつもと同じ赤。いつもと同じ光景。その中にいつもと同じように立っている。違うのは隣に立つ赤毛の医師ぐらいか。それが悠一には信じられなかった。

「あ、でも、ここはまだ途中で上が有ります。」

「そうか。なら行こう」

 悠一と京介は連れ立って階段を登り始める。

 何が起こったかを説明するのは難しい。つい先ほどまで、悠一達はあの何もない一室にいたのだ。そこでクッションの利いた椅子に背もたれを倒して座っていた。隣では京介が丸椅子を占め、その指示に従って心を落ち着けながら、半ば眠るようにあの夢の景色を思い浮かべる。

 そうしている内に、いつの間にかこうなっていた。まるで夢のようだ、などと倒錯とうさくした感慨かんがいすら湧いて来る。

 そんな浮足立った気分のまま階段を昇ると、すぐに最上階が見えた。西からの陽差しも露わになり、一層染める色に濃さを増す。

 ただ、そこには誰もいなかった。悠一はその姿を探して首をめぐらせる。

「どうかしたのか?」

「いや、その。いないんです」

「いない?」

「はい。前に言った男子生徒が。いつもだったら、あの手摺の辺りに立ってるのに」

「ふむ。何か他にも違いは有るかな?」

「後は――まあ、だいたい一緒かなぁ」

 視線を巡らせてみるが、そこは間違いなく見慣れた外階段だ。棟内に続く非常扉も、隣の体育館も、遠くに透かす街の眺めも変わりない。それらの全てを慈悲深く夕焼けが包み照らし、何もかもが溶け合って曖昧に一つになっている。

 悠一は眼鏡を外しながら手摺の際まで寄った。地平へといつまでも落ち行く赤熱せきねつに目を細める。

「こうしていると落ち着くんです」

「落ち着く?」

「はい。何て言うか、一人じゃないって気がして。温かくて、緩やかで、一つになれる感じがする」

「黒木君はこの場所が好きなんだね」

「そうかも知れません。ただ・・・」

「ただ?」

 悠一は俯いて唇を噛む。言葉を絞り出す。

「怖い。こうしてると、アイツがいて、アイツが誘ってくるんです。それで、この手摺の上に乗っかって・・・」

「飛び降りる」

 京介の一言に悠一は身を固くして頷いた。

 その時だった。不意に気配を感じて振り返り、「ひっ――」悲鳴を上げて後退る。

 あの少年が、背後にあの少年が立っていた。青白い顔をして虚ろにこちらを見ている。

 悠一は懸命に遠ざかろうとした。だが、背後は手摺が邪魔をする。腰が砕けて尻もちをつき、そこに張り付く。

「君が、いつも現れているって子か」

 悠一と共に向き直っていた京介が聞いた。綽然しゃくぜんと、身構えるでも無く白衣のポケットに手を突っ込んだままで。

「この景色は君が作ってるのかな?」

 無言のまま項垂れていた少年に対し、京介は少し間を置いて再び尋ねた。それでも言葉は返って来ない。

 京介はその上に問い詰めようとはしなかった。へたり込んでいた悠一に手を貸して助け起こすと「少し待ってみよう」とささやく。

 そのまま京介は少年の背後、東の空を仰ぎ見た。そちらは教室棟からトイレ部分が突き出していて壁が有る。その上から藍色の夕闇が迫り、夕日と桜の赤とせめぎ合っていた。

 つと少年がおもてを上げた。その瞳が所在なく佇んでいた悠一を捉える。悲し気に、すがって来る。

 悠一は背筋を強張らせた。

「大丈夫だ」

 京介がそっと肩に手を置いた。怯える悠一を宥めようとする。だが  

「見るなよ・・・」

 入ってくる。少年の訴えかけるような瞳が悠一の中に。そうして求められると、拒めはしない。どうしても惹かれてしまう。

 だが、それは駄目だ。

「黒木君!」

「見るなっつってんだろ!」

 短く制止した京介の囁きを掻き消し、悠一はげきした。今度は前に突きかかり、少年に詰め寄ろうとする。

「もう止めてくれよ。違うんだって。オレは違う!」

 京介が間に入って押し留めるが、悠一はもがいて抵抗しながら叫んだ。言葉が止まらない。止められなかった。

「オマエが何で死んだのか知ってる! だけどオレは違う。オレは同じじゃねえ! 俺を巻き込むなよ! 違うんだよ。違うんだ。同じじゃねえ。違うんだ、違うんだっ!」

 それ以上はもう訳が分からなかった。ただ制御不能の感情が爆発して嗚咽しながら崩れ落ちる。

「あ、君!」

 悠一の背中をさすり落ち着かせようとしていた京介が、不意に声を上げた。

 つられて顔を向けると、少年は二人の横を抜けて手摺際まで来ていた。そこで振り返り、こちらを見る。夕日を背にした顔は深い影の中に沈んでいた。その視線に耐えられず、悠一は目をらした。

「行くのか?」

 静かに京介が尋ねる。少年はただ首を横に振っただけだ。直後、あっという間に手摺を乗り越えると、中空に消えて行った。

 急速に日が陰る。

 深い闇が訪れ、やがてその空間は霧散むさんしたのだった。

  



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