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「お待たせしました。結城京介です」

 短いノックに悠一が返事をすると、そう断りながら長身痩躯ちょうしんそうくの男が入ってきた。綾子の予想よりは少し遅かったろうか。文庫本を開きながらも集中出来ずにいた悠一は、救われた気分で顔を上げた。

 だが、相手の姿を見た瞬間、戸惑ってしまう。それはあまりに医者らしくない容姿だったからだ。具体的には、髪が異様なほど赤い。少なくとも、悠一は今まで見た事が無いほど鮮やかな色だ。偏見かも知れないが、医者がこんな髪の色をしていて良いのだろうか。

「これは地毛なんだ」

 あまりにも悠一が凝視ぎょうししてしまったせいだろう。その男――結城京介は苦笑気味に弁解した。特に不快気も無く鷹揚に構えている所を見ると、悠一のような反応には慣れているのかも知れない。

 しかし、言われてみれば、京介の髪は確かに地毛のようだ。癖の強いその毛髪は根元まで赤い。また、眉毛も同じ色で、後付け的な不自然さは感じない。

(ハーフとかなのかな)

 顔の造作ぞうさくほりが深めだし、身長も悠一よりは頭一つ分ほど高い。年の頃は綾子と同じ程度か。眠た気にも見えるたれ目が飄然ひょうぜんと掴み所を感じさせない男だった。

 悠一の視線をいとうでも無く、京介は近くの椅子に座った。そこは長方形の机の短い面の方だ。悠一は入り口付近を背にして長方形の机の長い面に座っていたので、ちょうど、斜めに向かい合う形になる。

「黒木悠一君だね。結城京介です。はじめまして。」

「は、はじめまして」

「ウチは結城姓が多いから、適当に名前の方で呼んでください」

「はあ」

 綾子と同じような事を言う。この病院ではそれが挨拶の定番なのだろうか。

「所で、詩緒里と同級生なんだって?」

「あ、一応そうです。あんましゃべった事は無いんですけど」

「そうか。まあ無愛想な愚妹ぐまいだけど、出来たらよろしくしてやってくれると嬉しいな」

「はあ」

 愚妹――なるほど、妹か。つまり、そう言うつながりで紹介されたのだと得心とくしんする。しかし、苗字が違うのは何故だろう。年もずいぶんと離れているようだし、あるいは血縁は無いとか。もしくは、親の関係で何か複雑な事情でも有るのかも知れない。まあ、その辺りは悠一が気にしても仕方の無い事だが。

「それで、今回はどうしたのかな。妹の紹介が有ったと聞いたけど」

「あの、それは――」

 未だに全てを明かす勇気は出ない。それで少しずつ探るように話し始める。

「変な、夢を見るんです」

「変な夢?」

「は、はい。その、同じ夢を繰り返し見るって言うか。それが毎日ずっと続いてて、すごく気持ち悪くて」

「なるほど、毎日同じ、か。それは具体的にどんな夢か覚えているかな」

 促されて、悠一はその内容を説明していった。夕日や学校の外階段、赤い桜などを思い出しながら口にする。上手くまとめ切れず、所々内容が行きつ戻りつしてしまうが、京介は辛抱強く相槌を打ってくれた。それに励まされ、次第に悠一のストッパーも外れて来る。

「それで階段の上に変なヤツがいるんです。ウチの制服を着ている生徒で。そいつが手を引いてきて、それから手摺の上に連れて行かれて」

「ふむ、手摺の上に」

「はい。それで何か知らないけど、ぼーっとなって来て。そいつが急に飛び降りて、オレも一緒に連れて行かれるんです。そしたら目が覚めて」

「それで気持ちが悪い?」

「はい、まあ。あっ、でもそれだけじゃなくて・・・。その、何て言うか、その生徒なんですけど・・・・・・」

「うん」

「・・・・・・実は、昔ウチの高校でその外階段から飛び降りたヤツなんです」

「飛び降り?」

 さすがの京介も眉を寄せた。悠一は慌てて少年に付いて調べた経過も補足する。

「――だから、そいつは自殺したんだって思って。それで、幽霊なんじゃないかって」

「幽霊・・・」 

「いや、その、オレもそんな事、あり得ないって思ってて。だけど、ただ・・・・・・」

「何か、そう思う根拠こんきょが有ったんだね」

「別に根拠ってほどじゃ・・・。ただ、実はその夢を見るようになる前なんですけど、同じような景色を学校で見てるんです。スマホを忘れて取りに戻って、学校が閉まる直前ぐらいに」

「うん、それで?」

「それで、その、すごく夕日が綺麗で、何となく写真が撮りたくなって外階段に出たんです。そしたらアイツがいて・・・」

「それは夢ではなかったのかな?」

「よく分かんないんです。気付いたら夜になってて、もしかしたら白昼夢ってヤツなのかも知れませんけど、何か違うって言うか・・・・・・。もともと顔を知ってた訳でも無いし、だから、アイツが悪霊で、夢に出て来るのも呪いみたいに俺を飛び降りさせようとしてるなら、辻褄つじつまも合うかなって」

「なるほど」

「それで、オレが困ってたら、久路さんがここに来れば助けてくれるって教えてくれて。あの、だから、先生は呪いをくとか、幽霊をはらうとか出来るんですよね?」

 そう勢い込んで尋ねると、京介は少し困ったように赤い頭を掻いた。

「うーん、いや、残念だけど私も呪いや幽霊を何とかする事が出来る訳では無いんだよ」

「そ、そうなんですか・・・・・・」

「期待させたみたいで申し訳ない」

 悠一があまりに悄然しょうぜん項垂うなだれたせいだろう。京介は頭を下げて謝った。

「でも、何で妹がここを紹介したのは分かった気がするよ」

 それはやはり精神科だからと言う意味だろうか。悠一はその方向で治療が必要なのだろうか。

 京介は改めて居住まいを正した。そうして、机の上で軽く両手を合わせながら、俯きがちになる悠一の方に少し身を乗りだす。

「まず、気を悪くしないで聞いてもらいたいんだが、普通であれば今回のような症状を訴えられた場合、私達のような精神科医はまず幻覚や妄想を伴う精神疾患を疑う必要がある」

 やはり、と思う。悠一の表情は否応なく強張っていた。やはり、自分は頭がおかしくなっているのだ。

「だけど、黒木君のケースは、そうした一般症例では説明できないかも知れない」

「え?」

「まだ確証は無いよ。でも、君自身の普通の体験ではないと言う実感の持つ意味は大きい。それに――」

 一拍、言葉を切った京介の目が移ろう。

「詩緒里の紹介だからなあ。あいつは異変に敏感だし」

 それは悠一に対してではなく、何かを飲み込むような言い方だった。嘆きとか、憐憫とか、もしくは愛おしんでいる風でもある。

 それでも数瞬後、虚空こくうを彷徨っていた京介の視線はすぐに悠一に戻された。

「問題はこれからどうするか、だろうね。恐らく、妹はそう言う対処とサポートを俺にさせたかったんだと思うよ」

「つまり治療って事ですか。それって費用は・・・」

 どうやら、悠一の話しは受け入れられたらしい。正直、それ自体が信じられずに返って困惑する面も有る。ただ、やはり否定されなかった事には素直に安堵もしていた。

 その一方で、実際に治療となると金銭がかかるはずだ。元より、御祓いとかをするにしても幾らか入用いりようになるだろうとは思っていた。それで多少は用意もして来たのだが、当然、高校生の悠一に支払える金額は高が知れている。貯金を取り崩しても足りるかどうか。こんなトンデモな状況では親に頼る訳にもいかなかった。

 そう心配する悠一に京介は頭を振った。

「まず言っておかなきゃならんが、これは正式には治療じゃない。医師としての医療行為をする訳では無いからね。だから、当然医師として金を受け取ったりも出来ない」

「え、じゃあ・・・」

「ま、どうしても払いたいなら寄付で受け取るかな。それか、恩に着たと思っていつか返してくれれば良いさ」

 京介はそう冗談めかしてにやりと笑い、肩を竦めた。飄々ひょうひょうとしたその仕種しぐさは妙に板に付いていて、それでいて医者らしくなかった。

 しかし、悠一としては益々困惑する一方だ。仮に無償で悠一を助けてくれたとして、京介に何のメリットが有るのだろう。それは医師としての義務感なのか、聖人染みたボランティア精神の持ち主か、悠一の思い付かないような営利の裏が有るのか。何にしろ、根拠の無い善意をそう易々やすやすとは信じられなかった。

 その思いが顔に出たのだろう。京介も真摯な表情に戻る。

「手を貸すのは同類のよしみだよ。俺も昔、似たような状況で助けてもらった。それこそ、その恩返しみたいな物かな」

 つまり、それ以上の根拠も無いと言う事か。

「もちろん、何でもかんでも出来る訳じゃない。こちらも本業が有るから、どうしても時間は制約される。その範囲でも良ければ、力になれると思うよ」

 そこには確かに善意以上の意志は窺えない。だが、悠一は自分に人を見る目が無い事もよくわきまえていた。

「あの、それでオレって今どうなっちゃってるんですか?」

 信じるかどうか結論が出ないまま、悠一ははぐらかすように尋ねた。どの道、他に頼るべき伝手つても無いのだ。とりあえず葛藤は脇に打棄うっちゃり、意見だけでも聞いておくべきだろう。

「さっきも言ったけど、俺には幽霊や呪いは何とも出来ない。ただ、妹がここを紹介したなら、それは心が影響を与えている現象なんだと思うよ」

「心の影響、ですか?」

「そう。例えば、黒木君は付喪神つくもがみと言うの知っているかな?」

「はあ、まあ。聞いた事ぐらいは」

 小説に出てきた知識程度には知っている。確か、百年近く使い古した道具には魂が宿って、妖怪になるとか言う奴だ。

「それって、今回の件は妖怪の仕業って事ですか?」

「ああいや、そうじゃないんだ」

 今一つ要領が掴めず首を傾げた悠一に、京介は改めて言葉を探す。

「他にも、刀には武士の魂が宿るとも言う。つまり、オレが言いたかったのはそうした現象は実際に起こり得るって事なんだ。人が強く心を寄せた時、その物は物理とは別の影響力を持ったりする」

「ええっ? いや、そんな・・・・・・」

 馬鹿な、と言いかけて悠一は言葉を飲んだ。幾らなんでもそんな非科学的な話しが有るだろうか。それでも、京介の真剣な表情を見ると、冗談で言っているのでは無さそうだ。

「もちろん、こんな事は科学的には認められていないし、医学的な知見ちけんでも有り得ない。もし、俺が他の同業者にこんな話をしたら、間違い無く白眼視はくがんしされるだろうね」

 京介は苦笑して頭を掻いた。

「それでも、自分自身の経験則ではそう判断するしかない。人の心が宿った物、あるいは心が影響して物理を歪めた現象。そんな例に縁が多くてね。俺も研究している訳じゃ無いから、詳しい原理までは分からない。ただ、普段は気付かなくても、精神が異常に影響を強めると、そうなったりするんだ。黒木君の場合も、そうした例と考えられる」

 あまりに突拍子の無さに悠一は唖然とする。京介の話を否定したくなる。一方で、自分自身持ち込んでいる現象の荒唐無稽さが、その否定を否定していた。

「昔に自殺した生徒が出てくると言ってたね」

「あ、そうです」

「例えば、その人物の強い思いが、その場所に何か強い影響を与えているのかも知れない」

「それって、自殺したからですか」

「どうだろうな。確かに、人の死は様々な面で大きな心の動きを生み易い。けど、物理、物質に影響を与えるほどとなると、そうそう簡単に起きる物でも無い。あるいは、場所そのものにも何か特殊な因子が有るのかも知れないが――」

 京介は言いながら首をひねった。

「いずれにせよ、まだ黒木君の話を聞いただけだから、推測の域を出ない。その辺りはこれから慎重に調査すべきだろうね」

「・・・あの、それって時間がかかるんですか?」

「うん? うーん、それも確実な事は言えないけど、かかる可能性は否定出来ないな」

「そうですか・・・・・・」

「何か有るのかい?」

 あからさまに落胆した悠一に京介が尋ねた。

「あ、いえ。別に大した事じゃないんですけど、出来れば早く何とかしたいと思って」

「ふむ。それは何故だろう?」

「・・・・・・怖いんです。いや、呪いとかじゃ無いのかも知れないですけど、やっぱり不気味だし。その、耐えれないって言うか」

 本音を言うなら、もう一日も我慢したくは無かった。もし、対処法が有るのなら、早く何とかしてしまいたい。

「確かに、気味が悪いだろうし、黒木君が怖いと思うのも無理ないな」

「はい・・・」

「ただ、これはあくまで現時点での俺の感想だけど、黒木君の話を聞く限り、まだ事態はそこまで切迫せっぱくしていないと考えてる。日常生活自体には支障ししょうも無さそうだしね。その上で、だ。不透明な現象が相手だからこそ、なるべく丁寧に事を運んだ方が良いとも思うんだ」

「でも!」

 京介の言いたい事は良く判る。だが、理屈では無かった。目の前に毒を持っている可能性の有る得体の知れない相手がいるのに、冷静でいるのは難しい。

 悠一の張り詰めた表情を見て、京介は重々しく首肯した。

「分かった。黒木君も相当消耗しているようだから、少し早めに手を打とう」

「で、出来るんですか?」

 期待を寄せる悠一に、京介はまたも、あまり医者らしくないすすけた笑みで答える。

「多少、強引なやり方になるけどね」



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