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 誰もいない。それを確かめ、悠一はおっかなびっくりとその部屋の戸をスライドさせた。

 印刷物か何かだろうか。中に入ると途端とたんに紙の匂いが強くなる。広さは普通の教室の半分ほどだ。手前側に長方形の大机が二つと数脚のパイプ椅子、一番奥に引き出しの多いキャビネットが有り、間にスチール製の書架しょかが規則正しく並んでいた。

 昼休みだと言うのに、他の場所とは違って喧騒けんそうとは全くの無縁だ。

 そこは管理棟の最上階にある進路資料室だった。その名の通り、大学や企業、専門学校のパンフレットなど、進路関係の資料がそろえられている。常駐の教員などはおらず、普段は主に受験生が必要に応じて利用していた。

 逆に、悠一のような入学初年度の学年にはあまり縁が無い。精々せいぜい、進学意識の高い一部の真面目なタイプが訪れるぐらいだろう。

 そんな部屋に悠一がわざわざおもむいたのは、もちろん将来を考えて――ではない。ある探し物が有ったからだ。

 初めて入る部屋に緊張しながら悠一は机の脇を抜けた。書棚に近付き、一台一台確認して行く。並んでいるのはほとんどが大学の赤本あかほんや受験資料で、触れると微かにほこり臭い。

 今は最も利用者が多い時期ではあるが、さほど頻繁ひんぱんに訪れる場所でもないのだろう。ともかく、こうして人がいないのは人見知りの悠一には有難い。

(あ、あった)

 棚を順番に巡っていると、端の方に目的の本がまとめられているのを見付けた。それもあまり触れられていないらしく、厚紙のケースの上に薄く埃が積もっている。

 とりあえず、悠一はその内の一番新しいものを引き出してみた。タイトルにはこの学校の名前と卒業記念アルバムの文字。年度は昨年の物だ。

 ケースから取り出して中を開く。数ページの見返しと扉の後、校舎の遠景と校歌、校長や教員の集合写真が載っていた。校長は今年と同じだが、教員には知らない顔もいる。だがまあ、それはどうでもいい。

 適当に流してページをめくると、今度は生徒の集合写真だった。やや圧縮されたサイズで、見開きに一年時と二年時のクラス別でまとまっている。更に、その後には最終学年時のクラス毎の個別写真、委員会や部活とページが続いていた。まずは期待通りだ。

 悠一はそれを仕舞い、もう一冊別のアルバム取り出す。ページを繰ると内容はほぼ同じだった。

(これならいけるか)

 そう思いつつ、その一冊も元に戻す。

(だけど、問題はここからだよなぁ)

 ここからどうやって目当ての一冊を探し出すか、だ。即ち、あの夕日の少年が載っている一冊を。

 それを思い付いたのは、この前の村中との会話からだった。そこであの少年を連想した悠一は、ふと気付いたのだ。もし本当にアイツが転落した生徒なら、この高校に在籍した名簿などの記録が必ず有るはずだと。

 だが、悠一はあの少年の名前を知らない。分かるのは顔だけだ。ならば、ただの名簿では意味が無かった。顔が確認できなくてはならない。

 そこで目を付けたのが卒業アルバムだ。写真なら視覚で判別が付く。

 もっとも、大きな懸念も無くはなかった。あの少年が在学途中に転落死したのなら卒業はしていないだろう。だとしたら、卒業生としての写真は無いに違いない。

 もし、可能性が有るとすればクラス写真か。

 例えば、悠一の卒業した中学校では、記念アルバムに各学年の時のクラス写真が載っていた。同じような集合写真は高校のアルバムでも考えられる。クラス写真の撮影なら年度頭だろうし、少なくとも入学して間もなくに学校にいれば撮っているはずだ。

 ともかく、そこに望みを託し、まずはアルバムの控えが校内に無いかを探し始めた。

 最初に向かったのは図書室だ。そうした校内記録を保管するなら一番有りそうに思えた。所が、開架図書の中にはいくら探しても無い。あるいは書庫かとも考え、司書の教諭に問い合わせてみる。すると、意外にもこの進路資料室に有ると教えられたのだ。

 おかげでこうしてアルバム自体は発見出来た。構成も望みにかなっている。後はこの中に少年の写真が無いかを確かめるだけだ。

 ただ、もともとこれは確証の高い推測ではない。単純に当てずっぽうで、虱潰しらみつぶしに探すのはさすがに精神的なきつさが有った。

 何か、もう少し狙いを絞る要素が欲しい。

(そう言えば、あの時先生はこの高校に赴任して間もなくみたいに言ってたな)

 生徒の転落が起きた頃合いについてだ。正確には、何年も経たない内、だったか。まあ要するに、赴任して二、三年内ぐらいに解釈すればいいのだろう。

 以前、村中は自己紹介か何かの際に、この高校に勤めて十年近いと言っていた覚えがある。それなら、長く見積もって勤続十二、三年、短ければ七、八年か。生徒の転落をその二、三年内とすれば、今から十一年から五年ぐらい前の在校生が範囲になりそうだ。

(ああ、それと黒だ)

 考えている内に、もう一つ閃く。以前にも気になった少年の校章の色だ。あの時は授業中に先生の地雷を踏んで、完全に頭から吹き飛んでしまっていた。だが、確かにあの少年の校章は黒色だった。

 悠一達の高校では、入学した年によって固有の色が有る。今年の悠一達であれば青、昨年は黒、一昨年は緑と言った具合だ。カバンや校章、上履きの色はそれで決まる。これはローテーションしていて、昨年の卒業生は青、その前は黒と繰り返し使われている。

 つまり、あの少年の学年カラーが黒なら、昨年の入学生から三年毎に遡ればどこかで行き当たるはずなのだ。

 仮に悠一の推論を前提とするなら、少年が在学していたのはこれらの要素の重なった期間になる。具体的には七年前に入学した四年前の卒業生、十年前入学した七年前の卒業生、十三年前に入学した十年前の卒業生辺りが有力だろう。アルバムを調べるとするな、まずはそこからが良い。

(それで駄目なら、後はそれこそ虱潰しかな)

 そんな割り切りと共に、とりあえず四年前の卒業アルバムを抜き出した。

 ケースから取り出して一ページずつめくって行く。レイアウトも先ほどそれとほぼ変わりない。恐らく、学校側の主導で画一かくいつ的に編集をしているのだろう。

 一冊目は一通り確認したが、それらしい写真は無かった。

 まあ、そう都合よく見付かるはずもない。

 悠一は一旦眼鏡を外してレンズを拭いた。気持ちを仕切り直し、次の一冊を手に取る。今度は七年前の卒業アルバムだ。

「あれ? ――いる」

 ページをめくった悠一は、半ば呆然と呟いていた。

 拍子抜けするほどあっさり、見覚えのある男子生徒がいる。教員のページの次だ。一年生のクラス写真の一つにその顔は有った。

 まさか、と思いつつ、もう一度眼鏡を拭いて確かめる。それでも間違いない。平凡でどこにでもいそう風貌ではあるが、確かにあの少年だ。ただ、その顔は悠一が知るよりもやや幼いか。

 試しに二年生の写真も探してみる。こちらにもいた。面立ちはより悠一の記憶に近くなる。続いて、3年時も捜してみたが、今度は全く見当たらなかった。

 と言う事は、この二年生の間に少年は学校からいなくなったのだ。それはつまり、転落死した可能性を示唆しさしていた。

 悠一はまたページを戻し、しばらくじっと少年の写った一枚を眺めた。

 推測は当たっていた。やはりあの少年はこの高校に在籍していた。それに、転落した生徒である可能性もかなり高くなったと言える。やっと一歩、あの現象の謎に近付いたのだ。

(だけど・・・)

 望んだ結果を得たはずなのに、思ったほどの達成感は無い。むしろ奇妙な違和感が湧いていた。この事実をどう受け止めるべきなのか、整理できないのだ。

 見詰める写真の中には、硬い表情をした大人しそうな少年がいる。今まであやふやな存在だったその少年は、急激にリアルな実態をともなって悠一に迫って来ていた。


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