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 その夜、悠一は夢を見た。

 そこは体育館の中だった。悠一はフロアの真ん中に立っている。

 その隣を菜穂がバスケットボールを突きながら走り抜けた。軽やかなステップで守備の網を掻い潜り、ゴールに切り込んで飛び上がる。前を塞ごうとする相手の手は届かない。頂点で放たれたボールが滑らかな軌道を描きネットの中心に入った。

 菜穂はユニフォームを着ていた。だが、それは中学時代の物だ。高校生の菜穂が、何故か中学のユニフォームで試合をしている。踊るようにコートの中を走り回り、幾つものゴールを決める。

 悠一はその姿に見惚れていた。こうして溌剌はつらつと躍動する菜穂の姿が好きだ。自分には無い快活さにいつも憧憬しょうけいを抱く。いつだってその明るさが導いてくれたのだから。

 そんな悠一の前を不意に影が遮った。

 目の前に、浅緑と山吹色のシャツを着た女子が二人立っていた。二人は汚物おぶつを見る如くに悠一を見下ろす。

「何、見てんの?」

「キモイのよ」

「ノゾキでしょ」

「ニヤニヤしてたし」

「キモイのよ」

「ノゾキでしょ」

「違う!」

 叫ぶが、声は出ない。何度叫んでもやはり出ない。耐えがたくなり頭を抱えて俯く。そうやって防いでも、視線は突き抜けてくる。幾つもの蔑みの目が悠一を包囲し、非難する。

「やっぱやったんだ」「マジキモイ」「ヤバイ」「サイテー」「ノゾキだって」「いかにもって感じじゃん」「早く自白しろよ・・・・・・・」

「なあ黒木、オマエ、ほんとにやってないならスマホ見せろよ」

 四方八方から響く暗い声。そこに硬質な男子の声が混じる。その響きにはある種の真摯しんしさがあった。だが、同時に悠一を拒んでもいる。

 悠一は顔を上げた。

 一人の男子生徒がいた。どこかぶっきらぼうでシニカルな印象を受ける。だが、幼さを残しつつも精悍せいかんな顔立ちと短髪には清潔感があった。同時に、不正を厭う冷厳な目をしている。

 その眼光で不愉快気に悠一をきつく見据える。

 そこは教室だった。周りには生徒が大勢おり、しかし、誰もが押し黙って事の成り行きを傍観している。

 その中心にいるのは男子生徒と悠一だ。

 悠一は怯えて縮こまりながら隣を窺った。菜穂がいる。セーラー服を着て、不安そうな目をしていた。

            不安そうな目をしていた。

                         不安そうな目をしていた。

 いたたまれず、もう一度正面に直るといつの間にか男子生徒はスマホを手にしていた。近くの机の上に腰かけ、画面を操作して何かを確認している。だが、目当ての物は見付からない。

                見付からない。

 見付かる訳がない。

 男子生徒は不機嫌そうに悠一を睨んだ。

「なあ、データ消してないよな?」

 それは致命的な何かだった。

 硬質な音が響きわたる。床に小さな欠片が跳ねて光った。足下に画面がひび割れて筐体きょうたいの欠けたスマートフォンが転がる。

「―――――――――」

 やっと声が出た。だが、何を言ったのだろう。自分でも良く判らない。ただ、悠一の声は嗚咽おえつだった。泣き叫び、たけり狂っていた。

 その様子を男子生徒も、菜穂も、周りにいた他の生徒達も唖然として見ている。あまりの事に固まり、誰も、何も発しない。

 悠一は飛び出していた。教室から、暗い廊下へと。廊下はどこまでも暗い。闇は深く何も見えない。いつまで続くのか、どれだけ続くのか、それすら分からない。

 悠一はその中を走った。ひたすらに、心を空にして走った。

 どれぐらい走っただろう。永遠に続くかと思われたその闇が、気付けば突き当っていた。そこには扉が有った。悠一はノブを掴む。重たい扉がかすれた金属音を立て、ゆっくり開く。

 出た先は階段だった。

 階の壁は赤い。西の空が燃え、照らしている。その中を小さな赤い花弁がそこかしこに散っていた。隣の体育館裏の方を見れば、見事な花を付けた桜が、血のように赤く斜陽に照らされている。それが風に吹かれ、花吹雪となって空気自体を赤く染める。

 また、あの階段だ。

 そう思う間もあれば、悠一は更に階を登っていた。踊り場を折り返し、すぐに最上階と開けた夕空が見える。

 そこに、いつも通り少年が佇んでいた。悠一は灼熱する空を眺める少年の横に並ぶ。ちらと見やると目が合った。少年は穏やかにうなずき、悠一も頷き返す。

 二人で身軽に手摺へと飛び乗った。

 そこに立てば、もう迷いは何も無い。ただ、一つの思いを胸に、夕日の中へと踊り出す。

 赤くたぎる炎熱のように、赤い花弁が踊る。落ち行く二人を包み込み、飲み込む。輪郭を溶かし、境界も溶かす。

 安らかだった。ただひたすらに安らかだった。腹の底に溜まった塊も、ここでは意味を持たない。形を成さない。

 ひとりじゃない。

 ひとりじゃない。

 悠一は夢の中で何度もそう思った。

  




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