5−6 オープン



「宗介、来るの遅いぞ! さっさと着替えて準備しろ!」


「は、はい! 今すぐやるっす!」


 翌日の朝。後輩三人がカフェに着いた頃にはすでに渓がいて、彼はテキパキと準備の指示を出していった。目の下にはひどいクマができていて、まるで繁殖期のスズメバチかのようにピリピリとしている。


「なんか今日のイサミン先輩、超怖くないっすか?」


 着替え終わった宗介がすでに準備に取り掛かっている理人と真美に小声で尋ねた。理人は深いため息を吐く。


「昨日一睡もできなかったらしいよ。花笑先輩と慶隆先輩が付き合ってるの知ったらしくて」


「マジすか! なんってバッドタイミング……って言ってもあれ知らなかったのイサミン先輩だけっすけどね。だって付き合い始めたの三ヶ月くらい前からでしょ?」


「う、うん。私が偶然二人が歩いているところの写真を撮った時だから、七月くらいかな」


「おいそこ! 喋ってないでさっさと手を動かせ! 開店まで一時間切ってるぞ!」


「は、はいっ」


 後輩三人が震え上がって返事をする。


(クソ……あいつらは知ってたのかよ……)


 渓はむしゃくしゃしながらも丁寧にテーブルや床の掃除を進めた。


 結局昨日は花笑にあんなことを聞かされたせいで、渓自身の想いを伝えるには至らなかった。むしろ先に言わないでおいて良かったとさえ思っている。


 花笑の話によると、就活で悩んでいた時に慶隆が何度も相談に乗っていたことがきっかけだったようだ。


(仕方ないよな……相手が慶隆さんだもんな……)


 就活がきっかけならば、そもそも自分に見込みはなかったということだ。花笑が苦しんでいた時はカフェ企画の方に必死になっていて、彼女のことを考えてやる余裕などなかったのだから。


(うん、今なら『仕事が恋人』って言う人たちの気持ちに全力で同意できる気がするな)


 渓は店の外に出て、カフェの前の通りをほうきで掃く。アーケードの中に差し込んでくる朝日が眩しい。布団の上に寝転がっていても一睡もできなかったのに、今になってようやく睡魔が襲ってくる。


 ぐらり。


 一瞬よろけたところで、渓の身体は誰かの手に支えられていた。


「ちょっと、大丈夫?」


 後ろを振り向くと美耶がいた。開店準備の手伝いに来たのだ。彼女は渓の顔を見てぷっと吹き出す。


「あははは、ひっどい顔! そんなんでお店に立つつもりなの?」


「悪かったな、昨日寝れなかったんだよ」


「ぷ……あんた意外とナイーブなんだね。ちょっと待ってて」


 美耶は荷物を置いて「しろやま家電」の方へと駆けていく。そして数分経たないうちに戻ってきた。両手に化粧道具を持って。


「じっとしててね。そのクマだけでも隠しちゃうから」


 美耶の視線が急に真剣なものに変わった。彼女は今キャンバスとして渓の顔を見ているのだ。リキッドファンデーションを細い指に取り、渓の目の下へと厚く塗っていく。


 やがて化粧が終わり、美耶は鏡を見せてきた。渓の表情からはクマが消えており、血色よく見えるようにチークを少し乗せておいてくれたらしい。


「終わってから気づいたけど、隠すんだったらうずらちゃんの中に入った方が早かったかもね」


「……確かに」


 そうして、急遽宣伝も兼ねてうずらちゃんを動員。バタバタしているうちに時間は過ぎ——いよいよ開店時間を迎えることとなった。






 うずら通り商店街会長の城山、マチカツ部の仕掛け人でもある朽端大学の菊地教授、そして開業資金を補助金として支えた古巣市役所の産業振興課長。


 三人が並んで「カフェ・ニューネスト」の前に立ち、紅白のテープにハサミを添える。


 その様子をマチカツ部の学生やうずら通り商店街の商店主たちの他にも、地域新聞の記者や斉藤の妻のブログを見て集まってきた主婦たち、それに部活に行く途中で通りがかったのであろう中学生たちまでがその様子を見守っている。


 テープカットの横には「居座り鴉」のメンバーが楽器を持って控えていた。オープニングセレモニーを盛り上げるために駆けつけてくれているのだ。客の中には彼らを目当てに集まっているものもいる。


 こうして見ると、このカフェを作るのにたくさんの人の力を借りてきたのだと改めて思う。渓はうずらちゃんの着ぐるみの中から、集まっている人の顔を一人一人見ては彼らとの関わりに思いを馳せる。


 司会を任されていた斉藤夫人がマイク越しに宣言した。


「それではこれよりオープニングセレモニーを開催させていただきます。『カフェ・ニューネスト』の開店を記念いたしまして……テープカット、どうぞ!」


 三人のハサミが紅白のテープを切り、「居座り鴉」が演奏を始めた。商店街中に鳴り響く拍手とシャッター音。「おめでとうございます」という声が八方から浴びせられ、寂れた商店街が急に色めき立つかのようであった。


(ついに……ついにここまで来たんだ……)


 渓が感慨に浸っていると、ドンと着ぐるみの背中を叩かれた。


「ほら、私たちの出番はここからだよ! 宣伝頑張って、うずらちゃん!」


 カフェの制服を着た美耶がオープン告知用のビラを手渡してきた。


「初日、頑張りましょうね」


「うっす! やるぞー!」


「わ、私もメニュー失敗しないように頑張ります……」


 後輩たちが意気揚々と店の中に入っていく。そして続々とできていく、客の行列。


 ふと、そこに並ぶ親子の会話が聞こえてきた。


「ねぇお母さん、ここって前はお肉屋さんだったよね? あのメンチカツ大好きだったけどもう食べられないのかなぁ」


「ううん、そんなことないよ。メンチカツはね、ここのお店でも食べられるんだって。楽しみだねぇ」


「そしたら毎日来ちゃう!」


「あはは、常連さんになっちゃうわねぇ」


 渓は着ぐるみの中でぎゅっと拳を握りしめた。良かった。これで自信を持ってやっていける。自分たちのやったことが、ちゃんと街の人たちに響いている。


 今までの苦労や疲れが全て吹き飛ぶような心地がした。






 開店初日はとにかく課題ばかりが見つかる一日だった。


 想定していたオペレーションで回してみるとまるでお客さんの注文ペースに追いつかなかったり、会計を別々でする人のためのレジシステムが整っていなかったり、注文の取り違えが起きたり、メニュー表にアレルギー表示が漏れていて頻繁に質問されたり。


 想定内のものもあったが、やはり実際に営業してみて初めて分かることも多かった。


 CLOSEDの看板をかけた店内で、渓と後輩三人は今日一日のことを振り返る。


「こんなんで大丈夫っすかね……」


 一日中店頭に立って疲れ切った顔を浮かべる宗介。口には出さないが理人や真美もかなり消耗していた。


「とりあえず三日後が定休日だから、それまでは課題を洗い出すつもりで乗り切ろう。定休日に改善策を決めて、またその次から仕切り直せばいい」


 渓がそう言うと、後輩三人は頷いた。慣れない店舗経営で今は改善を考える余裕などない。営業を回すだけで精一杯なのだ。


「でも……私嬉しかったです」


 真美がぼそりと呟いた。


「お客さんが、間さんや花笑さんと一緒に考えたランチのこと美味しいって言ってくれて……やってよかったなって思いました」


 すると理人も続けて口を開く。


「僕見たんですよ。掘りごたつ席に、一人で来たおばあちゃんと、ちっちゃい子連れたお母さんが隣合わせで座ってて。たぶんお互い初対面だったと思うんですけど、その子がおばあちゃんに向かってニコニコ笑いかけるから、おばあちゃんも笑顔になっちゃって。なんかいいなぁって、気づいたら僕まで笑っちゃってました」


 宗介もうんうんと頷く。


「今日のお客さんの中に千葉県からわざわざ来たって人がいたんすよ。その人ら、『居座り鴉』の相当な追っかけらしくて。バンドが装飾のプロデュースしてる店ってのが気になって来てくれたみたいっす。色んな人に協力してもらって作った店だから、集まってくる人たちも色んな人がいて面白いっすよね」


 後輩たちの表情には疲れの中に充実感が灯っていて、渓はほっと胸をなでおろした。いい店にしていくためには、お客さんだけでなくそれを運営していくスタッフも楽しめるものにしていかなければ成り立たない。


 まだ課題は山積みだ。だがそれが見えている分、伸びしろもある。


 今日出てきた問題点を整理しようとした時、店の扉が開いた。美耶だ。


「もう、いつまで反省会やってんの!? さっさと来ないと打ち上げ始めちゃうよ!」


 渓たちは顔を見合わせる。そうだ、今日は「スナックHAZAMA」で開店祝いの打ち上げがあるのだ。開店に関わってくれた全ての人が招待されていて、当事者である渓たちが顔を出さないわけにはいかない。


「わかった、今すぐいくよ」






 打ち上げ会場である「スナックHAZAMA」は今までに見たことのないくらい賑わっていた。


 まず招待客の数が明らかに小さなスナックの席数をキャパオーバーしていて、ほぼ立食パーティ状態である。間がせっせと料理を運ぶ中、カラオケBOXの前には常に誰かが立って場を盛り上げていた。商店主たちも気分が上がっているのか、普段歌わないみどりがまさかの最近のアイドルソングを披露したり、逆にこの日のために昭和の名曲を練習してきた宗介は意気込んでそれを披露したが、あまりに音痴だったため高木に「ヘタクソ!」と怒鳴られ笑いを取っていた。


 最初はあれだけ互いに壁を感じていたのに、いつの間にか商店主とか学生の垣根がなくなっていてこの場で一緒に酒を飲んで笑い合っている。赤川の店で新しい店をやると決めたのはつい半年前のことなのに、もうずいぶん遠い昔のことのように感じた。


「伊佐見」


 声をかけられ渓はハッとする。城山がグラスを持って隣に座ってきていた。城山がビール瓶を持ち渓のグラスに注いでいく。


「あの……城山さん。改めて、ここまで色々とありがとうございました。城山さんの後押しがなかったら、絶対開店なんかできてなかったので」


 城山は首を横に振る。


「いや、礼を言わなきゃいけないのは俺たちの方だ。お前たちが来てからうずら通り商店街は変わったよ。嫌な思いをしたことも多かったと思うが、開店まで投げ出さなかったお前を俺は尊敬している」


「そんな……尊敬なんて言われると恥ずかしいです」


 すると城山はふっと笑みを浮かべた。いつも険しい顔つきの彼が、珍しく。


「お前なら美耶を嫁にやってもいいんだがな」


「ええ!?」


 思わず声が大きくなり、他の者たちから何事かという顔で見られてしまった。幸い、美耶本人には聞かれてない……と安心した矢先。


「渓、電話鳴ってるよ」


 背後から急に美耶の声がして渓はびくりと肩を震わせた。振り返ると、彼女は怪訝そうな表情でこちらを見ながら、渓のスマートフォンを差し出してきた。確かに着信が来ている。


「……お前、さっきの話聞いてないよな」


「はぁ? なんのこと」


「ならいい。ならいいんだっ」


 渓はそう言って乱雑に美耶の手からスマートフォンを取ると、店の外へと出て行った。






 商店主たちはサプライズを用意していた。カフェの開店までマチカツ部を引っ張り企画を推進してきた伊佐見渓をねぎらおうと、純米大吟醸の一升瓶を用意していたのである。ラベルは特製で、マチカツ部の他のメンバーや商店主たちの寄せ書きが書かれている。


 だが、予定していた時間になってもその主賓が戻ってこなかった。電話が鳴って店の外に出たきり、三十分以上経っている。


 美耶は様子を見てくると言ってスナックの外に出た。


 一瞬心配にはなったが、すぐに渓の姿を見つけて美耶はほっとする。彼はどこか遠くへ行ったわけでも、疲れで倒れていたわけでもなかった。「カフェ・ニューネスト」のテラス席でスマートフォンを手に持ったままそこに呆然と座っていた。


 近づいても彼は気づいていないようだった。


 美耶はやれやれと溜息を吐き、声をかける。


「どうしたの? みんなが渓のこと待ってるよ」


 彼はようやく気づいたようだ。ハッとして美耶の方を見て、笑って言った。


「……ああうん、大丈夫」


 その笑顔に、美耶は違和感を覚えていた。


 夜の闇に包まれたアーケードの中だからかもしれない。あるいは今朝のメイクが落ちて、元々のクマが出てきてしまったからかもしれない。


 美耶はきっと自分の勘違いだろうと言い聞かせる。


 念願の開店記念の日に、渓の笑顔に影があるように見えたことなど。


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