5−4 支えられて進む
翌日、渓たちはそれぞれ汚れてもいい服装で集まった。今日から店舗の壁に漆喰を塗っていく作業を始めるのだ。
「漆喰は壁全体に二回塗るから、一回目はなるべくムラが出ないように薄く塗ってね」
美耶が塗り方を説明し、手本として壁の四隅の一部を塗った。その慣れた手つきと均質に塗られた跡に渓たちは思わず歓声をあげる。
「さすが美大生だなぁ」
「いやただ塗っただけじゃん」
「じゃあ慶隆さんちょっと塗ってみてくれますか」
「ん、俺か?」
慶隆はそう言って漆喰を豪快にコテ板に取ると、まるで叩きつけるかのように壁にヘラを当て、ぐいっと強く引き伸ばした。まるで達筆な書道の筆跡のように塗り始めと塗り終わりでムラが激しく出て、漆喰の足りないところは壁の表面が顔を出している。
「あの……さっき私が塗ったのちゃんと見てた?」
美耶は呆れたように言ったが慶隆は何が悪かったのだろうときょとんとしている。
「とりあえず下塗りはいいとして……仕上げ塗りは慎重にやった方が良さそうだな」
渓たちはそれぞれに塗る場所を分担し、早速作業に取り掛かる。店舗の広さはおよそ12坪。塗る面積はおよそ54平方メートル。7人で塗れば1日でなんとかなるかと思っていたが、人によって得意不得意に差があるせいで美耶や真美のような器用なメンバーは塗り直しに回り、昼を過ぎても壁の半分も塗れていなかった。
七月になり気温も高くなってきていて、一日中外で作業するには厳しい状態である。
「そろそろ昼休みにしようか」
渓たちが一旦作業を中断して「スナックHAZAMA」に向かおうとした時だった。
「あーあー! 見てらんねぇなぁ! こんなんじゃ何ヶ月かかっても開店できねぇぞ!」
店の前に立っていたのは高木だった。
作業服を着て、両肩には工具の入った重そうなケースをかけている。
「高木さん……!?」
驚く渓たちに対して説明もなしに、彼はどかっと空き店舗の真ん中に荷物を置いて手際よく工具を広げ始める。
「あの……どうして」
渓が声をかけると、高木はフンと鼻を鳴らして答えた。
「ここら一帯は俺の縄張りだぞ。みすみす他の業者に手をつけられちゃ高木の名が廃るってもんよ」
彼は自前のヘラを手に取ると、立ち上がってその先を渓に向けてきた。少しだけ気まずいのか、目線だけ他方へと逸らして。
「さっさと昼飯食って戻ってこい。俺がプロの技ってのを見せてやる」
高木の協力を得られることになって、工事は順調に進んでいた。彼が出してきた工事費の見積もりはどう考えても相場より安く、渓は適正価格を提示してもらえるように言ったが、高木は「出世払いでいい」との一点張りだった。渓はカフェ開店後に売上の一部を適正価格になるまで返済することを約束し、工事の指揮に関してはすべて高木に任せることになった。
自分たちで工事をしなくなった分、彼らはメニューやオペレーションの開発に専念している。
一年生の宗介はスタッフ募集を任され、あらゆる場所に張り紙をしたり、市報に募集要項を掲載してもらったりした。だがなかなか応募の連絡が来ない。
「やっぱり学生がやってる店っていうのと、時給がネックなのかもね」
先輩である理人に相談すると、そんな答えが返ってきた。宗介もそれに納得している。学生が企画した店という不安材料が大きい中、オープニングスタッフという責任の大きな仕事に対して支払える給与は最低賃金がぎりぎりだ。
宗介は以前花見の時に会ったことのある斉藤の妻に連絡をしてみることにした。
「うーんそうねぇ。この条件だとなかなか働きたいって人はいないかも」
打ち合わせ場所に選んだ渓がバイトしているピーコックストリートのカフェで、斉藤夫人は首を横にひねる。
「やっぱそうっすよね……けど開店する前から時給あげるってのもなかなか難しくて」
しょぼんと肩を落とす宗介。同じ一年生の真美が着々とメニュー開発を進めている一方で、まだ一人もスタッフを集められていない彼には焦りがあったのだ。
渓が二人の席にドリンクを持ってきて、励ますように宗介の背を叩いた。
「そんな焦ってもしょうがないって。地道に探せばきっと共感してくれる人が見つかるよ」
「けどもう開店まで二ヶ月じゃないっすか! 早くスタッフさんにも入ってもらわないと……」
すると、斉藤夫人は「そうだ」と言って手を叩いた。
「ボランティア的に開店準備をするのだったら協力的な人もいると思うわ。お給料が出ちゃうとちょっと難しいけど」
彼女の言葉に渓と宗介は二人ともきょとんとしている。
「給料が出るとダメって……ボランティアならいいんすか?」
宗介が尋ねると、斉藤夫人は声を潜めて言った。
「主婦友の中には旦那さんの扶養を外れない範囲で働きたいって人、案外多いの。お給料もらっちゃうと扶養外れちゃう可能性が高いから、ボランティアがいいんだって」
「それだ……!」
渓はすぐさま宗介にスマートフォンであるキーワードを検索させた。それは「有償ボランティア」。NPO法人の活動を支えるスタッフに対してよく採用されている報酬の形態のことだ。ボランティア活動は無償で行うという認識の方が一般的だが、交通費などの最低限の活動支援金を支給するのが有償ボランティアである。
「あらかじめ有償ボランティアですって公言しておいた方が、かえってスタッフが集まるかもしれないってことっすよね!」
宗介の目が輝く。ようやく活路が見えてきたのだ。その表情を見ていた斉藤夫人はにっこりと笑って言った。
「そうしてみたら? 私もブログで宣伝してみるから」
斉藤夫人のブログ効果はすさまじいものだった。彼女がブログを投稿した次の日には宗介のメールアドレスに三件の応募が入り、その後も問い合わせが続いたため一旦応募を締め切ったくらいだ。
面接をしてみるとやはり主婦をやっている人が多く、その応募理由のほとんどが「子育てがひと段落して、扶養を外れない範囲で自分も何か始めたいと思った」というものばかりだった。
「これも一つの地域活性化かもしれないっすね」
応募してきた人の履歴書を見ながら宗介が呟いた。スナックのカウンターの向こうで間の洗い物を手伝う花笑が頷く。
「うん、一方的で済ませようとする必要はなかったんだね。何かしたいと思ってても動けていなかった人が活躍できる場所を用意することだって、立派なまちづくりになるんだと思う」
渓は話を横で聞きながら、それは自分たち自身にも当てはまることだと思った。
まちづくりには才能とかテクニックが必要なわけじゃない。大事なのはその街のことを好きになって、何かを残したいと思えるかどうかだ。それさえあれば、今まで部活や勉強でパッとしたことのない学生にだってチャンスはある。器用貧乏で長続きしない自分がここまでハマったように。
「あの……そういえば店内の装飾とか小物についてはどうしますか? まだ何も決めてないですけど……」
真美が恐る恐る言った。渓は「そこは問題ないよ」と言ってにっと笑う。ちょうどいいタイミングでスナックの扉が開いた。ダンボールを抱えた配達員が渓の名前を呼ぶ。渓はダンボールを受け取ると、皆が囲んでいるテーブルの上でその中身を開いた。
そこには和服をイメージしたカフェの制服に、シックな和柄のテーブルクロス、そして店内にかけるBGMが収録されているらしいCDが入っていた。ダンボールの底には一枚の和紙が入っており、「produced by 居座り鴉」と書かれている。
「居座り鴉」のファンである美耶は驚きの声をあげた。
「ちょっとこれどういうこと……!?」
「店内の雰囲気作りは『居座り鴉』のメンバーにプロデュースしてもらうことにしたんだ。キーボードの女の人が呉服店の娘らしくて、その人がバンドの衣装とかフライヤー全部作ってるって聞いたから」
「いや待って待って、いつの間に『居座り鴉』とそんなに仲良くなってたの?」
まだうろたえる美耶に、渓と理人は顔を合わせてにやりと笑った。
「さぁ、それは秘密だよ」
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