5−3 繋がっていく街



 七月の商店会で、渓たちはカフェ事業の進捗を報告することになった。


「店内の間取りについては事前に配らせていただいた資料の通りです。この方向性で問題なければ、明日から内装工事に着手しようと思ってます。壁の漆喰塗りは自力でできるところなので、そこだけでも進めておこうかと」


 商店主たちは学生が配布した資料を眺めながらうんうんと頷いている。美耶が作った間取りは大人たちにとっても納得のいく仕上がりだった。肩肘張らず気軽に入れるカフェであることを最優先にしつつ、赤川の店に元々あった設備や電気配線をしっかりと再利用して工事費を抑えようとしている。


「店舗の内装・外装に関しては、後は工事費次第といったところか」


 城山に聞かれ、渓は縦に頷いた。壁の塗装や備品の組み立てなど最低限のことは学生たちが自力でやることにしたが、それでも空調設備の取り付けや厨房設備の工事は専門業者の力を借りないと難しい。


「工事に関しては俺の方でも策を考えておく」


「え、いいんですか!?」


 学生たちだけでなく、他の商店主たちが皆目を丸くして城山の方を見た。


 今まで商店主たちは学生たちの活動を認めつつも、直接干渉することはほとんどなかった。だがついに商店会長自らが動くのだという。もはや傍観者ではいられない。マチカツ部で作ろうとしているカフェは、学生だけではなくうずら通り商店街全体で作っている店なのだ。


「それよりも肝心の店の中身についてはどうだ?」


「メニュー開発やオペレーションについてはなんとかなりそうです。調理器具とか内装の小物も最初は業務用の中古品を使ってまかなおうと思っています」


 渓がそう答えると、パン屋の店主・麦田が手を挙げて言った。


「最初はちょっと無理をしてでも、店のコンセプトに合うものを揃えて買った方がいいんじゃないか? せっかく三ヶ月練りに練った企画なんだからさ」


「それはそうなんですが……」


 渓は言葉を濁す。


 麦田の言っていることはもっともだ。だが彼らがカフェのコンセプトとして設定した”和モダン”の小物を一つずつ揃えていくには時間とメンバーが足りない。デザインセンスの高い美耶は間取りと外観のイメージ作成にかかりっきりだし、他のメンバーもそれぞれに分担した仕事に追われている。


 店内の雰囲気作りについては最悪間に合わなくてもカフェをオープンできる要素であり、優先度的には後回しになってしまっているのだ。


「店舗名はもう決まっとるのかのう?」


 青果店のみどりがしゃがれた声で尋ねてきた。渓は花笑の方を見る。マチカツ部の創設者として、店名については彼女に決めてもらうようお願いしていたのだ。


 花笑はふわりと微笑み、みどりに向かって答えた。


「『カフェ・ニューネスト』って名前にしようかなと思ってます」


「ほう……!」


「”新しい巣”……良いじゃなーい、古巣市の中にできる新しい居場所って感じで!」


 会議室内がざわざわと盛り上がる中、今度は薬局を営む斉藤が手を挙げた。


「スタッフ集めの方は順調ですか? もし募集がうまくいっていなければ、うちの妻にも声かけてみますよ。あいつ、主婦友が多くてそういうカフェに興味ありそうな人ともつながりがあるみたいなので」


「あ、ありがとうございます! 助かります!」


 カフェオープンの予定日は十月一日。残り三ヶ月を切り、まだまだやることは山のようにあるが、少しずつ前に進んでいるという実感があった。何より以前無関心だった商店主たちが、学生の企画に対して関わりを持とうとし始めている。うずら通り商店街全体が変わろうとしているのだ。






 商店会が終わって、マチカツ部の面々は商店主たちとともに「スナックHAZAMA」へと移動した。


「そういえばイサミンが参加するのって珍しいわねぇ」


「言われてみればそうですね。もしかしたら初めてかも」


 毎回商店会の後にはスナックを貸し切りにして飲み会が開かれている。これまでの商店会では毎度体力を消耗しきってしまい、なんだかんだ参加できていなかったのだ。


 商店主たちは思い思いの席に座り、間が用意した瓶ビールとおつまみで早速乾杯をして飲み始めた。


 麦田が「斉藤、いつもの頼むよ!」と言うと、斉藤は腰低く「はい、ただいま」などと言いながら店の奥にあるマイクスタンドの前に立つ。麦田はカラオケの機器を操作して入れた曲は、まさかの少女型アンドロイドがセクシースーツを着て刺客をメロメロにしながら戦うアニメの主題歌で、彼が主人公の決め台詞を叫びながら薄くなった頭を向けてきたときには渓は思わず飲んでいたビールを吹き出しそうになってしまった。


「あ、そういえば高木さんは?」


 渓は口の周りを拭いながらカウンター越しに間に尋ねた。


「今日は欠席らしいわよん。最近シロさんと喧嘩したみたいでねぇ。ああ気にしないで、わりとよくあることなのよう」


「そうですか……」


 気にしないでと言われても難しい。前回の定例会では高木だけマチカツ部の企画に反対する形となってしまった。彼は出資金を払ってはくれているものの、まだ納得はしていないはずだ。うずら通り商店街の人間によく思われていないままカフェの開店準備を進めていいものか……そんな葛藤が渓の中にはあった。


 渓の表情を見ていた間はやれやれと肩をすくめると、まだ半分も減っていない彼のグラスにビールを注いでいった。


「ささ、今日は景気付けにぐいっと飲みなさい! 明日から工事着手なんでしょ? 自分たちでやるのはなかなか大変よーう!」


「そうだよーイサミン! 飲め飲めー!」


「げっ、花笑さん」


「もーみっちゃんも聞いてよー! 就活ほんっと大変だったんだからー!」


 いつの間にか隣に座ってきた花笑の両手には瓶ビール二本。明日は早起きして工事をしないといけないのに、彼女に付き合って飲まされるわけにはいかない。


「俺、ちょっとお手洗いに……」


 などとごまかしながら渓はそっとカウンターを離れて、店の隅の席で静かに飲んでいる弦田と理人がいる席へと移動した。


「弦田さん、この間は補助金のことありがとうございました」


「いやいや、お礼を言われるようなことではないですよ。君たちが作った申請書は審査が通ってしかるべきでしたし、私も自分の仕事をこなしたまでです」


 市役所職員の男は淡々とそう答えた。


 カラオケボックスの前では今麦田がマイクを持っていて、もうじきデビュー四十周年になろうとするJ−POPを代表するバンドの、タイトルだけでR−18規制がかかるような曲を熱唱している。


 渓はふと弦田の手元に視線を移した。さっきから曲に合わせて右手が動いているのだ。


「弦田さんは歌わないんですか」


「ははは、私が人前で歌うように見えますか?」


 弦田は軽く笑ってグラスを手に取った。右手の爪がよく見える。男性であるにも関わらずそこには透明なジェルネイルが塗られていた。




「弦田さんて……もしかしてバンドとかやってますか?」




 渓の言葉に、弦田の動きがぴたりと止まった。


「あの、間違ってたらすみません。ただその手の動きとか爪がギターやってる人のだなって思って。俺も高校の時に友達とバンドやってたことがあって、ギター弾くと爪が割れるからジェルネイルで……」


 話途中で弦田はすっと立ち上がった。


「すみません、用事を思い出したので先に帰ります。城山さんにはよろしくお伝えください」


 彼はそう言ってそそくさと荷物をまとめて店の外に出てしまった。


「あ、ちょっと!」


 渓は慌てて彼を追いかけようとする。だが理人にシャツの裾を引っ張られた。


「伊佐見さん、これ」


 弦田が座っていた場所に黒いピックが落ちていた。白い文字で「居座り鴉」のロゴが印字されている。渓はそれを受け取ると、スナックを出て人気ひとけの少ないうずら通り商店街を歩く弦田の後を追った。


 足音に気づいたのか弦田の歩調が速くなる。酒を飲んでしまった後ではなかなか追いつけない距離だ。渓は足を止めて叫んだ。


「レイヴンさん!」


 前を行く弦田は振り返らないまま、その場に立ち止まる。


「あのっ……俺、レイヴンさんのアドバイスのおかげでカフェの企画を思いついたんです。ずっとそのことのお礼を言いたくて……!」


 すると弦田は背を向けたまま、ひらひらと手を振った。そして届くか届かないかぎりぎりの声で呟いた。


 あの日渓の肩を叩いた声で。


「……『居座り鴉』にできることがあるなら言ってくれ。この街のことを思う気持ちは私たちも負けていないからな」



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