4−5 カラスが導く夜



 美耶に案内されたバーはピーコックストリートから住宅街の方へと入ったところにあった。三階建ての小さなビルの最上階に入っていて、すれ違うのも難しいような狭い階段を上った先にあるこじんまりとした店だ。階段の両脇にはびっしりとライブポスターが貼られている。中には年季が入っていて古いものもあったが、一番多かったのは「居座り鴉」のポスターだ。


「あんまり有名じゃなかった頃からここのライブバーに出演してたらしくて、今もその名残で定期的にライブやってるみたいなの」


 美耶曰く、小さなライブバーでの公演なのでチケットを事前予約しないと入ることはできないらしい。「居座り鴉」のコンセプトはローカルバンドなので、古巣市民だと通常チケットより500円割引になる。その分ライブ会場であるバーでドリンク一杯多めに頼むというのがファンの間でのマナーなのだそうだ。


「ていうか美耶って『居座り鴉』のファンだったのか」


「うん。けっこう前からね。だって自分たちが住んでる街にこんなかっこいい人たちがいるなんて、なんか嬉しくない?」


 バーの入り口でチケットを見せ、ドリンクを頼んでから中に案内される。店内はそう広くなく、15席といったところか。ゆったりしたソファがいくつか置かれていて、すでに中に入っている客同士が和やかに談笑していた。


「あら美耶ちゃん! 今日は男連れなの?」


 20代後半くらいに見える女性客の一人に声をかけられ、美耶は軽く会釈をする。


「あの、言っときますけど別に彼氏とかじゃないですからね。商店街の関係でよく話す朽端大の学生です」


「あらあら、そしたら彼氏ね」


「もうー! やめてくださいってば!」


 にやにやと悪戯な笑みを浮かべるその女性を美耶はむすっとして小突いた。


 開演の時間になったのだろう。バーの照明が落とされ、テーブルの上の小さなキャンドルの明かりだけが光る。


 やがて店の奥に設置された簡易なステージにスポットライトが当てられた。そこに立つ四人組。和服ベースの派手な衣装にカラスをかたどった仮面のバンド。「居座り鴉」だ。


 中心に立つギターボーカルがスタンドマイクを手に取った。美耶の解説によると彼の名前は「レイヴン」というらしい。やはり素顔だけではなく本名も明かされてはいないようだ。


「迷える人々よ、我らがつどいへようこそ……『居座り鴉』は今日もく」


 レイヴンの宣言とともに観客が拍手を送り、楽器の演奏が始まる。節分祭りで聴いたのとは雰囲気が違って、バラード調の曲や少しジャズアレンジの効いた曲が続いた。昼間のお祭りと夜のバーで曲を使い分けているのだろう。


 レイヴンの顔は仮面で隠されていて分からないが、彼の伸びやかな歌声に渓は「楽しそう」と感じた。まるで踊るようにギターを弾いて、バンドメンバーの奏でるドラム、キーボード、ベースのリズムに身を揺らしながら思いのままに歌っている。こんな風に表現ができたらきっと心地いいだろうと、羨ましくなる。


 五曲演奏を終えたところで彼らは楽器をスタンドに置いた。レイヴンがマイクを取る。


「さて……今宵も迷える人々からふみが届いている。『居座り鴉』は導きの鳥。ここに道を示そう」


 そう言って彼は黒い着物のような衣装の懐から一通の手紙を取り出す。


「なんかラジオみたいだね」


 渓が隣に座る美耶に言うと、彼女は頷いた。


「ライブに参加する人は『居座り鴉』のメンバーに事前に手紙を送れるシステムなの。曲のリクエストだったり、悩み相談だったり、わりと何でもありなんだよ」


「美耶はどんな手紙を送ったの?」


 すると彼女はペロリと舌を出した。


「さぁ……内緒」


 何だよそれ、と渓が突っ込むより先にレイヴンが手紙の内容を読み上げ始めた。


「ペンネーム・うずらちゃんさんからの文だ。『友人の悩みについて相談させてください。その人はある企画を任されているんですが、なかなかしっくりくるアイディアが出なくて困っているようです。特に自分がやる意味って何だろうってところで詰まっているみたい。自分らしさって何でしょうね? レイヴンさん、アドバイスお願いします』……なるほど」


 渓は思わずもう一度美耶の顔を見た。しかし彼女は渓から視線をそらして知らぬふりをしている。


「これは難しい問いだな。かくいう私も、昔は客を一人でも増やそうとして流行りの爽やかポップ系の路上弾き語りに挑戦したことがあった」


 観客たちがどっと笑う。確かに2000年代に路上弾き語り系のアーティストが何組か流行ったが、そのビジュアルイメージはいずれも爽やか好青年といった風で、黒ベースの衣装の仮面男レイヴンが彼らと同じ格好をしてアコースティックギターを抱えている姿は想像できない。


「その時何人かは聴いてくれる人が増えた。だが、長くは続かなかった。彼らはワタリガラスのように流行を追いかけているだけなのだ。一つの流行が終わればまた次のものへと流れていく。彼らにとって私は、その時乗りたい流行を量産してくれる一人でしかなかったのだ」


 ベース担当のスキンヘッドの男がレイヴンの隣でウンウンと頷いている。美耶曰く、彼は『居座り鴉』の初期メンバーで、もともとレイヴンとベースの彼が二人で活動していたところにキーボードの女とドラムの男がメンバーとして加わったのだという。


「そこで私は気づいた。自分たちをずっと追い続けてくれる人に出会うためには、自分の中に一つぶれない軸を見つけてそれに共感してもらえることが必要なんだと。ぶれない軸というのは、その人にとって譲れないもののことだ。なくなっては困るもののことだ。それが、私にとってはこの街だった」


 レイヴンが手紙を懐にしまい、再び楽器を取る。後ろのメンバーが小さな音で演奏を始めだした。彼はスタンドマイクの前に立ち、言葉を続ける。


「生まれた時から今までずっと住み続けていても白い目で見られることはないし、とても過ごしやすい街だと思う。例えば昔からのお祭りとかできればずっと変わらないで欲しいものもあるが、大学があって毎年少しずつ人が入れ替わるのもまたこの街の面白いところでもある。この街のおかげで自分があって、これからも寄り添い続けたい。だから私は考えを改めてバンド名を変えた。それが『居座り鴉』の由来だ」


 そこで言葉を切り、レイヴンはエレキギターをかき鳴らす。次の曲の演奏が始まった。


 ぶれない軸。譲れないもの。なくなっては困るもの。


 「居座り鴉」にとってそれは古巣市だった。だからメジャーデビューの声がかかるほど人気のバンドになったとしても、この土地にこだわって演奏している。


 ならば渓にとって、マチカツ部にとって、その”軸”とは何なのだろう。


 自分たちが何から考えなければいけないか、見えた気がした。


「美耶……ありがとう」


 隣に座る彼女に声をかける。美耶は相変わらず素知らぬふりで、きょとんと首をかしげて「何? 聞こえないんだけど」と言うだけだった。






 ライブが終わりバーから出ようとすると、入り口のところで「居座り鴉」のメンバーが待っていた。客一人一人と握手をしたり声をかけたりしている。


「頑張れよ」


 レイヴンが渓の肩を叩く。まるであの手紙の中の「友人」が渓であると見抜いているかのように。


(何でわかったんだ……?)


 だが後ろがつかえているので彼とゆっくり話すことはできず、渓はそのままバーを後にすることになった。


 家路につきながら改めてレイヴンの言葉を頭の中で反芻してみると、やはりどこかで聞いたことのある声だと思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る