4−4 二度目の挫折



 五月。


 あっという間に春は過ぎ、天気が良ければ半袖でも過ごせる陽気である。


 あのお花見の日から渓たちはもう一度企画を練り直していた。事業のターゲットから整理して、そのターゲットの抱えている課題を解決するためにどんなサービスを提供すべきか、それを企画に盛り込んだのだ。


 そして二回目の企画発表会。


 商店会が始まる少し前、渓のスマートフォンに慶隆から電話がかかってきていた。


『渓。企画の方はどんな調子だ?』


「今日この後発表するんですけど、先月よりはいい企画になったと思います。ターゲットを地域の高齢者にして、店頭だけじゃなくてお惣菜の宅配サービスをやろうと思うんです。メニューもそういう人たちが食べやすいものを中心にしてヘルシー志向がいいかなと」


『なるほど、よく考えたなぁ。それなら一人暮らしのお年寄りの見守りにもつながるしな』


「はい。それにお惣菜の作り手に関してもツテができました。こないだお花見のゴミ拾いボランティアをした時に、主婦ネットワークに顔の効く方と知り合えたんです。その人実は斉藤さんの奥さんなんですけど、俺たちの活動に賛成みたいで」


『そうか。着実に前に進んでいるようで安心した。俺たちも早く就活を終わらせてまたマチカツ部に戻りたいよ』


「就活はどんな感じなんですか?」


『俺はラグビー部の先輩に紹介してもらった会社で今度最終選考の面接があって、そこで決まれば終わりかな。花笑はこないだ話した時にはまだ色々選考の途中だと言っていたな』


「やっぱり体育会の部活だと強いですね」


『そうだな。でもやっぱり途中でやめているからそこは他の同期よりも苦戦していると思うよ。渓、お前も三年生だろ。将来どうするか早めに考えておいた方がいいぞ』


「そうですね……」


 渓は言葉をにごす。


 企画に追われる日々が続いていたので今の今まで自分が三年生になったことを忘れかけていたのだ。それに、相沢からのインターンの誘いに対してまだちゃんと返事をしていないことも。






「……コンセプトは”古巣市のお年寄りに安心を届ける”ことです。安心とは、ヘルシーで食べやすいお惣菜と宅配サービスによる見守り機能の二つを意味しています。調理スタッフとして市内で料理が得意な主婦の方を雇うことで、メニューのクオリティアップを考えていて……」


 前回よりも配布した資料に目を通している商店主が多い。相変わらず高木は腕を組んで資料には一切手をつけなかったが、その他の者たちは時折うんうんと頷きながら話を聞いていた。


(今回はいけるんじゃないか……?)


 特に反応が良かったのは団地で一人暮らしをしている高齢者数についての調査データだ。市役所が公開している資料の中にあったので引用してきたのである。商店主たちの中には自分の感覚を信じている人が多い分、こういう客観的な数値は説得材料になるらしい。


 企画資料について一通り説明した後、渓は城山の表情を窺った。彼の顔つきは終始変わらない。眉間にしわを寄せたまま、ずっと黙って話を聞いていた。


「城山さん。この企画はどうでしょうか?」


 じれったくなって渓は自分から尋ねてみる。城山はすぐには答えなかったが、やがて一度座り直して姿勢を変えてから、おもむろに口を開いた。


「この企画、お前たちがやる必要はあるのか?」


「それは……どういうことですか」


「確かに先月の企画よりは『街のため』に寄り添った案にはなった。だがこれをお前たちがやる必要性が俺には見えん」


「必要性、ですか」


「そうだ。この企画、お前たちは本当にやりたいと思って提案しているのか? 言っておくが高齢者ビジネスは理屈通りに上手くいくようなものじゃないぞ。それに、大手飲食店チェーンが取り組みを始めていたりする中で、お前たちがやることの優位性は何だ。お前たちはそれだけこの街の高齢者に思い入れでもあるのか?」


 畳み掛けるように城山が問う。


 渓は口を結ぶしかなかった。自分たちが本当にやりたいことなのかどうか自信が持てなかったのだ。


 確かに今回の企画は街の課題を解決するためには必要なサービスである。そういう意味では胸を張れる。


 だが、自分たちは本当にこの企画を実現したいと思っているのだろうか。


 仮に今日この企画が通ったとして、その後店の改装をして、メニューを開発して、店頭に立って……そこにいる自分を想像できるだろうか。


(いや違う……俺がこの企画を提案したのは自分がやりたいからじゃない、だ。いつの間にか企画を通すことが目的にすり替わっていたんだ……)


 渓の考えを察したかのように、城山は言葉を続ける。


「中途半端ならやらん方がましだ。俺はまだ認めん。最初の取り決め通り、次の定例会でこれを超える企画が出なければ諦めろ」


 言い返すすべがなかった。


 渓はかき消えそうな声をなんとか絞り出して、「わかりました」と席に着く。テーブル越しの向かい側に座っている高木が「次はないぜ」と言わんばかりのからかうような笑みを見せてきた。渓はただ俯き、膝の上に置いた拳を強く握った。






 翌日、「スナックHAZAMA」には渓一人しかいなかった。


 他のマチカツ部のメンバーには、連日の企画疲れもあるだろうから今日は休むように言ってある。間は夜の仕込みのための買い出しに行っているので今はいない。


 誰もいないスナックの中で一人、渓はテーブルに突っ伏していた。


(あの企画でもダメだった……あと一ヶ月で城山さんを納得させられる企画なんて作れるのか……?)


 城山に指摘された、自分たちがこの企画をやる必要性。


 考えれば考えるほど、それが空っぽであったことに気づいて腹ただしかった。


 事業をやるにはターゲットである街の人々のことを考えなければいけないが、それだけではなく自分たちがやる必然性や優位性というものも必要だ。


 今一度噛み砕いてみると、城山の指摘は渓がすでに商学部の授業で学んだ経営戦略のフレームワーク通りのものだったのだ。


 3C分析。市場Customerの課題を探り、その課題に対する競合他社Competitorの参入状況を調べ、その上で自社Companyが発揮できる強みを見出す。


 知識として学んだ時は「どうしてこんな当たり前のことをわざわざ学者が研究しているのだろう」と思ったくらいだが、いざ自分たちの企画となると見落としてしまった。


(大学の授業もバカにできないな……)


 自嘲気味に笑って、渓はまぶたを閉じる。


 昨日から何度も考えてみた。だが一向に答えは見えなかった。


 空き店舗活用事業で自分たちにしかできないことは何なのだろう。よそからやってきた若者ができることとは何なのだろう。何度考えても、経験もなければ知識もない自分たちがどうしようもなく無力な存在に思えたところで思考が止まってしまう。


(どうしよう……行き詰まりだ……)


 その時、スナックの玄関の扉のベルがチリンと鳴った。間が帰ってきたのだろうか。顔を上げるとそこには間ではなく美耶が立っていた。


「あれ、他の子たちは?」


「今日はみんな休み。なんか用があるんなら伝えとくよ」


「いや、別にたいした用じゃないけど……どうしたの。やつれてるね」


 美耶はそう言って机に伏せている渓の隣の席に座った。


「そうかな。普通だよ」


 渓は強がりを言ってみたが美耶には響かなかったようだ。彼女は目の下あたりを指差した。くまができている、そう言いたいのだろう。


「おじいちゃんにきっついことでも言われた? あの人加減ってのを知らないからさぁ」


「別に城山さんのせいじゃないよ。甘かったのは俺たちの方だ。事業企画の基本を押さえられてなかった。今までのマチカツ部の活動は学生のサークル活動の範囲内だったけど、俺たちが今からやろうとしてることはビジネスなんだ。なんとなくで始めてしまったら店に関わる人たちがいずれ路頭に迷うことになる。そうならないためにはもっと揺るがない軸みたいなものがないと」


 話を聞いていた美耶は呆れたようなため息を吐いた。


「そんなに思い詰める必要もないんじゃないかなと思うけどね。あんた難しいこと考えすぎて頭がこんがらがってんのよ。私はもっとシンプルなことなんだと思うな。だって商店街の人たち見てごらんよ、そんなに理屈っぽくゴテゴテに考えて商売してると思う?」


「それは……」


 渓が言葉を詰まらせていると、美耶がごそごそとパーカーのポケットから何かを取り出した。二枚のチケットのようだった。


「本当は一年生の真美ちゃんを誘おうと思ってたんだけど、あんたしかいないならあんたでいいや。『居座り鴉』が近くのバーでライブするの。気晴らしに観に行こうよ」


「おいちょっと待て、『あんたでいいや』って何だよ」


「あんただってデートするなら花笑さんみたいな人とがいいんでしょ。だから、お互い様ってことで」


「デートって、え、あ、ちょっと!」


 渓がまともに行くと返事をしないまま、美耶は渓が机の上に広げていた荷物を勝手に片付け始め、半ば強引に渓の腕を引っ張る。


 美耶の手は爪にマニキュアを塗っていない飾り気のない雰囲気だったが、美大の授業の後なのか所々に絵の具の跡がついていた。


 自分のやりたいことにまっすぐな綺麗な手だと、渓は胸の内でそう思った。



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