4章 リミットは三ヶ月
4−1 第一回壁打ち
「なるほど……店の中はこういう間取りになっていたんだな」
入院中の赤川から店の鍵を借り、渓と理人は「お肉のあかがわ」の店内を見て回っていた。
通り沿いに対面のショーケースが置かれ、その後ろにはメンチカツを揚げるのに使っていた業務用フライヤーが設置されている。奥は肉を鯖くのに使っている作業台や、大きめの冷蔵庫のスペースになっているようだ。
「なんとか今ある設備を活用した事業にしたいですね。新しく作り直すとなると相当お金がかかるでしょうし」
理人の言葉に渓は頷く。
「俺たちがそのまま肉屋を引き継ぐってのはさすがに現実的じゃないけど、この辺のショーケースとか厨房設備は他の業種にしてもそのまま使えそうだよな」
渓が赤川の店を使ってビジネスをやると宣言したあの日から、渓と理人は毎日のように商店街で企画を練っていた。花笑や慶隆も就職活動の予定がない日は顔を出している。
彼らの中には焦りがあった。城山から三ヶ月の猶予をもらったものの、毎月の商店会の定例会で企画の進捗を発表することになったのだ。期限である六月末まで定例会はあと三回。その三回のうちに城山が企画を承認しなければこの話はなかったことになる。
そして、四月の定例会まではあと一週間を切ろうとしていた。
「何か良い案は浮かんだ?」
渓は声がした方を振り返る。美耶が何やら書類を持って店の入り口の方に立っていた。
「何だよ、茶化しにきたのか?」
渓の言葉に美耶はムッと眉間にしわを寄せる。
「失礼な。これでも私あんたのこと応援してあげようと思ってるのに」
「えっ」
「あんたが赤川さんの店をなんとかするって言ったから、あの高木さんがおじいちゃんに反論できなかったんでしょ?」
渓が頷くと、美耶は周囲を見渡してから小声で言った。
「……ここだけの話、ちょっといい気味って思ったんだ。高木さん、私が城山の孫ってだけでいつも嫌味言ってくるからさ」
「なんだ、そういうことかよ」
一瞬、美耶が自分に対して純粋な好意を抱いてくれたのではと期待した渓は呆れ顔でそう言った。
「そういうことって何。それよりこれ、おじいちゃんに言われて持ってきたの。市役所の補助金の募集要項ね。企画を作る前に目を通しておいた方がいいと思うよ」
渓と理人は早速美耶が持ってきた書類を確認する。
補助金の対象になるためには何かしら地域振興につながる事業であれば良いらしい。つまりシャッター街問題に対して新規店舗事業を立ち上げるということも十分対象の範囲内だろう。補助金があれば、現在資金を持っていないマチカツ部でもある程度初期投資の必要な事業を検討することができる。
「気をつけるべきところはここね」
美耶がそう言って補助額の項目を指差した。
申請が通れば事業で使う予算の八割は負担してもらえるが、残り二割は自費負担になるようだ。
渓と理人は思わず顔を見合わせる。
例えば100万円の初期投資が必要な事業になったとしよう——店舗型事業について色々調べていくうちに、改装や備品を揃えるための開業資金で最低それくらいはかかるということが分かっていた——80万円は補助金によって支払えたとしても、残り20万は自分たちが負担することになる。
当然、学生にとって簡単に出せるような金額ではない。
「フリーペーパーの時みたいに商店街の人たちから出資してもらうのが前提になるだろうね。でも今度は自分たちがお店出すわけだから、説得は今まで以上に難しくなると思うよ」
慎重に業種を選ばなければ、既存の店舗と競合する。そうなれば出資金どころか反感を買うことになるだろう。美耶の言葉の意味することはそういうことだった。
「それに、お店として運営していくんだったら長期的なことも考えないと。まさかあんたたち大学卒業と同時に店仕舞いするつもりじゃないでしょ?」
渓は頷く。
「わかってるよ。継続しなきゃ意味がない。そのためにまずはマチカツ部に新入生を引き入れないと。それに、もし昼間も営業するなら授業のある学生の代わりに運営してくれるスタッフも探さないといけない」
業種や運営スタッフだけじゃない、店のコンセプトに店舗のデザイン、収支計画、商品の仕入れのルート、運営スタッフ、宣伝方法……考えるべきことはたくさんある。
「目、泳いでるけど?」
いつの間にか美耶に下から覗き込まれていて、渓はハッと両手で顔を覆った。
いきなり弱気になっていてどうする。赤川さんも言っていたじゃないか。最初っから全部うまくやろうとする必要はない。一つ一つ着実に決めていこう……渓は自分に言い聞かせる。
その時、キッチン設備を見て回っていた理人が「あ」と声を上げた。
「これ見てください」
理人がフライヤーを指差している。そこにはメンチカツの作り方のレシピが貼られていた。跳ねた油で紙が黄ばんでいて読みづらいが、隠し味や油の火加減まで丁寧に書かれていて、店主のこだわりが伝わってくる。
「そうだ……! いい案思いついたかもしれない」
それから渓たちはすぐさま
次の商店会までとにかく時間がない。
インターネット上で事業計画書の作り方を検索し、見よう見まねで項目を埋めていく。現状分からないことは飛ばし、企画の骨子を作ることに専念した。
企画というよりもアイディアというレベルであったが、それでも彼らは一度ひらめいた案に何も疑うことなく突き進んだ。
そして、四月の第一水曜日。
渓たちは定例会の直前でなんとか資料を完成させ、人数分を印刷して集会所の会議室に入った。
いつもより商店主たちの視線を強く感じる。
初めてこの会議に参加した時、ほとんどの商店主たちは学生のことなど気にかけていなかった。だが今日は違う。先日あれだけのことを言った伊佐見渓という若者が今日は何を言うのか注目しているのだ。
その裏にある思いは人によって違う。ある者はにこにこと期待をするような視線を、またある者は腕を組み睨むような視線を投げかけてきている。
その統一感のなさが、企画を発表しなければいけない渓たちの不安を煽った。
「案は出てきたか?」
奥の席に座る城山に聞かれ、渓は「はい」と返事をして資料を配る。
「今のところ惣菜屋を企画しています。やっぱり『お肉のあかがわ』のシンボルといえばメンチカツなので、それが引き継げるようなお店にしたいんです。メンチカツの他のラインナップは商店街で売っているものを使った料理にします。それであれば他のお店と競合することはないですし、むしろ相乗効果を狙えます。また、設備投資は……」
渓は説明を進めていく。誰も途中で口を挟むことはなかったが、それが余計に落ち着かなかった。話を聞いている商店主たちの表情は暗い。もちろん城山もそうだ。
(どこだ……どこで引っかかっている……?)
資料を作っていた時点では、時間がないにしてはうまくできた案だと思っていた。
だが商店主たちの反応は想定とは違いすぎて、渓は話しながら戸惑っていた。隣に座る理人も同じことを感じているのか、きょろきょろと不安そうに周囲を見ている。彼だって自信を持って資料作成の手伝いをしてくれた。企画の内容も何か理屈で間違ったことを言ったとは思えない。
最後まで説明し終えた時、城山はようやく口を開いた。深いため息とともに。
「……全然ダメだな。お前たちは本気で街のためになる企画を作る気があるのか?」
「なっ……!」
「皆にわざわざ感想を聞くまでもない。来月までに作り直せ。それができないなら早めに言ってくれ。空き店舗はすぐにでもテナント募集にかけるようにするから」
学生たちに反論する隙も与えないまま、城山は次の議題へと進める。ふんぞり返って座る高木が嘲るように鼻を鳴らす音が聞こえた。
こうして、最初の企画案の発表は少しも前進することがないまま終わってしまったのであった。
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