3−6 オンリーワンを掴め



 それから三日。


 商店会長・城山からの呼びかけで緊急の会合が開かれることとなった。


 商店主たちのほとんどはその理由を知らない。渓に対しても説明があったわけではない。だが彼はなんとなく察していた。そして冷静に事態を理解してしまう自分にも同時に嫌気がさしていた。


「イサミン!」


 集会所の会議室に入る前、花笑に呼びかけられて渓は振り返る。彼女はリクルートスーツを着て長い黒髪を後頭部できっちりとまとめていた。


「赤川さんが倒れたって……本当なの?」


 渓は黙ってうなずく。花笑も「そうなんだね……」と呟いたきり、それ以上言葉を続けなかった。


 あの日、赤川は救急車に運ばれそのまま入院することになった。


 見舞いに行ったはざまの話によると、三日経った今でもまだ痛みが引かないらしい。いつも香ばしいメンチカツの匂いを漂わせていた「お肉のあかがわ」はシャッターで閉じられ、「都合によりしばらくの間閉店します」の貼り紙が貼られている。


(あの時隣にいたのに……俺が代わっていればこんなことには……)


 やがて商店主や市役所職員の弦田、そして慶隆と理人が集会所に集まってきた。全員が着席したタイミングで城山は重々しく口を開く。


「『お肉のあかがわ』が店を閉めることになった」


 その一言で商店主たちはざわつき、互いに顔を見合わせる。


「赤川もついに鬼籍に入りおったか……」


「いやいや、みどりばあちゃん、赤川は普通に生きてるってば。あいつ、女遊びが過ぎてギックリ腰をやらかしたんだ。いい年したおやじのくせに恥ずかしいよなぁ、全く」


 パン屋の麦田がそう言うと、会議室の中でどっと笑いが起こった。


 渓は彼らの会話を横で聞きながら、膝の上に置いた拳を強く握る。


 誰かが倒れてしまうことさえ、この高齢化した商店街の中では日常。きっと彼らは考えることをやめてしまったのだ。空き店舗ができることにいちいち感情的になっても、それで何かが変わるわけではないから。深く考えるほど、好転しない状況に打ちのめされて疲弊してしまうから。こんなご時世だから仕方ない……そんな言葉に感覚を麻痺させているのだ。


 だが——


「あらやだ、アタシ、いやーなことに気づいちゃったかも。『あかがわ』の両隣って……確か今両方とも空き店舗だったわよね?」


 間の言葉にざわめく商店主たち。


 以前聞いた話だと、うずら通り商店街はこれでも二店舗以上並びで空き店舗ができたことは今までなかったのだという。だが今回「お肉のあかがわ」が店を閉めれば一気に三店舗分シャッターが続くことになる。立地も駅方面の商店街の顔となる部分だ。


 そうなると他の商店主たちにとっても他人事ではない。


「そ、そうだ! この間、駅前で広い土地が空いたら出店したいって話してたパチンコ屋がいたんですよ。三店舗分ならそれなりの面積になりますし、この際誘致しちゃうとかどうでしょう!?」


 会議室のどんよりとした空気を打ち破ろうとして、薬屋の店主・斉藤がパチンコ店の誘致を提案した。経済的には悪くない案だ。


 賛成の声が大きくなっていく中、青果店の老婆・みどりはおもむろに立ち上がって杖を振り上げ反論した。


「ふざけるでない! そもそもこのうずら通り商店街はかつて古巣ふるす神社の表参道として栄えた土地じゃ。まして赤川の店の一帯は商店街の入り口にあたる場所じゃぞ! パチ屋の誘致? このたわけが! ご先祖様に面目めんぼく立たんわい!」


 マチカツに関わらなければ、渓もきっと斉藤の意見に頷いていただろう。


 だが今はみどりの言うことの方が彼には理解できた。伝統のためというよりも、この街の未来のために。


 古巣市には決して数は多くないが小さい子どもたちも住んでいる。彼らは節分祭りのようなお祭りに遊びに来たり、家が近ければ学校帰りにうずら通り商店街を歩いたりする。


 渓は前に幼い子が母親にねだって赤川のメンチカツを買ってもらっていたのを見たことがあった。それがもしパチンコ店に変わったのなら、彼らは一体どう思うのだろう。


 会議室は騒然としていた。


 皆口々に意見を言う。斉藤の案に対する賛成や反対、あるいはまるで別の意見も。


 自分たちの商店街が本格的にシャッター街になってしまうかもしれない。その不安に口を開かずにはいられないのだ。だが、意見はなかなか一つにまとまらない。その理由は案の良し悪しではなかった。皆本心ではこう思っているのだ。


 誰か、どうにかしてくれよと。


 渓はちらりとマチカツ部のメンバーの表情を窺った。三人とも顔色が暗い。それもそうだ。あれだけ頼りにしていた赤川が倒れてしまったということだけでもショックが大きい上に、自分たちの活動が何の役にも立っていないんじゃないかと罪悪感にさいなまれている。


 そのことでいち早く悩み、赤川に励ましてもらったのはこの中では渓だけだ。


(俺しかできない……は、俺しかできないことなんだ)


 そう思った瞬間、渓は自分の心臓の鼓動が速くなるのを感じた。緊張と興奮。不安と昂揚。色んな感情が一気に押し寄せて、まるで脳が脈打っているかのようだった。


 自分がここで何をすべきかは、もうはっきりと見えていた。あとはそれを口にするだけ。だが言ってしまえば責任を負わなければいけなくなる。そんなこと、自分にできるんだろうか。先のことを想像すると恐ろしくなる。だがようやく見つけた答えだった。何もかも中途半端にしてきてしまった渓が、初めて見出した「自分にしかできないこと」。




「——あの。ちょっといいですか」




 渓はすっと立ち上がって言った。商店街にとっては部外者である彼が口を挟んだことに、家具屋の高木は眉をひそめて叫んだ。


学生ガキは黙ってろ! これは大人の問題なんだ」


 だが渓はひるまなかった。いや、本当は手がぶるぶると震えて今にも卒倒しそうな気分だったのだが、足に力を込めて何とか踏ん張っていた。


 渓は場を取り仕切る商店会長・城山の方を見すえ、はっきりとした声で言った。




「俺、やります。空き店舗を使った新しいビジネスを」




 商店主たちがざわめく。いや、彼らだけではない、同じ学生である花笑たちも驚きの表情で渓を見つめていた。


 渓はその視線が意味するものをひしひしと感じてた。誰もが「なぜこの学生がそんなことを言うんだろう」と思っているに違いない。


 だが城山だけが動じなかった。彼は腕を組んだまま、その鋭い視線を渓に向かって返す。


「具体的な案はあるのか?」


「すみません、今は何も無いです。正直自信もありません。ただ、『お肉のあかがわ』が守ってきたうずら通り商店街の明るさを失わないようなものにしたい——その軸だけは絶対ブレないようにするつもりです」


 城山はしばらく黙っていた。


 他の商店主たちも彼の答えを唾を飲んで見守る。


 やがて彼は少し首を伸ばし、会議室の隅に置かれたパイプ椅子に座っている市役所職員に向かって声をかけた。


「弦田君。確か市役所で地域振興事業の補助金を募集していたよな。あれの締め切りはいつだった?」


「あ、はい、六月末ですが」


「わかった。……伊佐見」


「はい」


 名前を呼ばれて渓は身が引き締まる思いがした。姿勢を正して城山の言葉を待つ。城山は再び渓に視線を戻すと、落ち着いた声で言った。


「不動産屋に言って、赤川の店をテナント募集に出すのは待つよう交渉しておいてやる」


「……!」


「ただし三ヶ月だ。それまでにその新しいビジネスとやらの企画を作って来い。もしダメなら空き店舗はテナント募集にかける。それでいいな?」


 つまり、商店会長が渓の提案に乗ってくれるということ。


「はい! やってみせます」


 渓はすぐさま返事をしたが、他の商店主たちは城山の出した答えに戸惑いを隠せずにいた。高木は思わず立ち上がり、城山に向かって抗議する。


「おい、こんなの俺は認めねぇぞ! 勝手に決めやがって! こんな子供に何ができるってんだよ!」


 彼の怒鳴り声にその場にいた全員が萎縮してしまった。だが城山は席についたまま鋭い視線を高木に向けると低い声で答える。


「それでもこの場で自ら手を挙げたのは彼だけだろう。俺は商店会長として、このうずら通り商店街を一番良くするための判断を下しただけだ」






「……サミン、イサミンってば!」


 花笑に肩を揺すられ、渓はようやくハッとした。花笑の後ろで慶隆と理人が苦笑いを浮かべてこちらを見ている。


「何ボーッとしてるんですか。さっきあれだけ思い切ったこと言っておいて」


「全くだ。会合はもうとっくに終わった。俺たちも帰るぞ」


「あ……本当だ」


 周囲を見渡すと、商店主たちはすでに会議室を出ていて、残っているのは学生四人だけだった。


 城山の答えを聞いてから急に緊張の糸が切れて全身の力が抜け、会合が終わってもしばらく席を立てないでいたのだ。


 慶隆と理人に引っ張られる形で立ち上がる。そんな渓を見ながら花笑はふっと笑った。


「イサミン、かっこよかったよ」


 普段なら、こんな言葉かけられた瞬間舞い上がって頭がどうにかなっていただろう。


 だが今の渓はあらゆる力が抜けきっていて、花笑の言葉よりも彼女の表情に安堵を覚えていた。会議室に入る前の物憂げな影はどこかに消えて、いつも通りの「花笑さん」がそこにいる。


 あんなこと勝手に言い出して、もしかしたらマチカツ部のメンバーからも反感を買うんじゃないかと思っていた。


 だが花笑だけじゃない、慶隆も理人も憑き物が落ちたかのように晴れやかな顔つきをしている。


 彼らにつられて、渓もふっと笑みを浮かべながら言った。


「ありがとうございます。でも、ここからが正念場です。花笑さん、慶隆さん、長野くん……俺のワガママに付き合ってくれますか?」


 渓の問いに、三人は迷うことなく縦に頷いた。



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